【TAMAの覚え書き(8)】・・・・・・・・「映画の小道具たち」を書くために、色々なビデオ作品等を観直した時の感想など。
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2000.9.30   『エクソシストも真っ青な二人羽織!?・・・マルコヴィッチの穴』

 先日『マルコヴィッチの穴』を観てきました。
まだ公開中なので、ここではできるだけネタバレなし私の勝手な感想を書き進めてみます。

 未見の方々には多少わかりづらいところがあるかもしれませんが、どうかお許しを・・・!
 売れない人形師クレイグジョン・キューザック)が生活のために見つけた仕事ファイル整理。彼のオフィスはビルの7階と8階の間にある7-1/2階にあった。テナント料が格安なかわりに天井がとても低い珍妙な造りのオフィス。エレベーターも頃合いを見計らい(7階を過ぎるあたりで)金属棒で止め、こじ開けるといった具合だ。
 ファイルの整理中、キャビネットと後ろの壁の間にファイルをひとつ落としてしまったクレイグは、それを拾おうとキャビネットを移動させた。キャビネットの後ろ側の壁は不自然に四角く切り込みが入っており、クレイグ切り込み部分をとっぱらうと、「古ぼけた木製のドア」があらわれた。ドアをあけると人間がやっと通れるくらいの大きさで奥へと続く穴がある。これが【ジョン・マルコヴィッチになれる穴】だった。

 流れとしては、(1)この穴に入り、這うようにしながらしばらく前進すると、手にヌルヌルした感触のモノが触れる→(2)突然、入口の「古ぼけた木製のドア」が閉まる(3)強い力によって吸い込まれるようにして・・・・・・→(4)次の瞬間、演技派俳優のジョン・マルコヴィッチになれる→(5)15分後・・・・・・・再び吸引される感覚に襲われ、気がつけば郊外の高速道路脇に落ちている、といった不思議な【穴体験】である。あぁ、摩訶不思議!(笑)

※この後も、頭にいっぱいの「?????」を浮かべながら観る羽目になる訳ですが、都合により割愛致します。

マルコヴィッチ、マルコヴィッチマルコヴィッチ〜!!!!!といった強烈な場面もあるにはあるが、こけおどし的ホラーでは決してない。またSFとは呼べない。はたまた人間ドラマともコメディとも言い難い。とにかく単純にジャンル括りができない気がする作品なのだ。私は、たくさんのマルコヴィッチ(になった人達)を見て「まるでイタコ状態・・・いや、二人羽織か?」と感じた。

 クレイグ人形遣いだという点も大きな伏線なのだろうが、その人の意志を抑圧しつつ他人を思い通りに操る様は、ちょっとエグイ!かもしれない。無理矢理、二人羽織させられてるジョン・マルコヴィッチ大きな肉体滑稽でもあり悲哀を帯びてもいる。  今までにも「覗き」テーマにした作品はあるし(=例えば『裏窓』『ボディ・ダブル』など)、「他人の生活をテレビ放映」するといった破天荒な試みをした作品最近出てきた(=『トゥルーマン・ショウ』『エドTV』)。  だが、『マルコヴィッチの穴』は、【ジョン・マルコヴィッチの頭へと続く穴】人間が通り抜けダイレクト彼になるのだから・・・これはもう「イタコ」『エクソシスト』真っ青であろう「霊でも悪魔でもなく、人間が人間を思うがままに操る!」 なんて...あまたの「欲望」の中でもトップクラスに入る根性の悪さ!だと思う。(笑)

人間の尊厳とかそんな難しく考える必要はないだろうけど、「人間の欲望と人間のタブー」においては、これまでに例を見ないほどの率直さでリアルに描いている映画だ。
 しかし
シーンごとの見応えはたっぷりなので、この際常識や既成概念などかなぐり捨てて【穴体験】を楽しむべき・・・かな?・・・かも・・・。

 『マルコヴィッチの穴』・・・あなおそろしや・・・。(すみません^^;) あなたもマルコヴィッチのあなたいけんしてみませんか?(誰か止めて・・・/自爆(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)BOM!!!!!


2000.8.21   『退化する私の耳?それとも脳?(笑)

 『覚書き』コーナーの更新は約4ヶ月ぶりですね。すみません。m(_ _)m
「何を書こうかな〜?“左ききの役者”&“脇を固める役者”は、もう少し調べることがあるし・・・。」と考えていたら・・・やっと思いつきました。

今回は、“最近、私の困ったこと”についてお話してみます。
みなさまは洋画と邦画とでは、どちらをよくご覧になられるでしょうか?
私は、映画館でもビデオ等でも、洋画の字幕版ばかりで、普段邦画はあまり観ないのですが先日、邦画のお好きな方から薦めていただいた日本映画を観ました。
今は夏休み...。わが家では、朝早くからセミと子供達が賑やかな毎日。(笑)だから、落ち着いてビデオを観ることができるのは、どうしても深夜になってしまいます。

この邦画作品も、8月某日の深夜にゆっくりと楽しむ予定だったのですけれど、ちょっと困ったことが・・・。
 久しぶりの日本映画。心なしかドキドキしつつビデオをセットし、私の定位置(テレビ画面から2m位離れたところ)座りました。画面では、杉浦直樹鈴木京香なにやら話し始め・・・

がっ・・・・・ふたりの会話が、聞き取れない!
「はははっ、知らぬ間にミュートしてたのかな?リモコン・リモコン!」

あわててリモコンを手にとり、ミュートボタンを押すと、ますます聞こえない!?「ありぃ〜? はじめっからミュートになってなかったのか?」とりあえず音量アップ。でも相変わらずひそひそ声・・・。 さらに音量ボタンを押し続けてると・・・今度は効果音にビックリ!深夜だし、それ以上音量を大きくするわけにもいかず、別の部屋にヘッドホンを取りに行っての一件落着となりました。(^_^;)

 でも腑に落ちないのが音量の差洋画の字幕作品を観るときの倍以上大きな音にして、しかももの凄く集中して会話を聞いていないと内容が理解できないという事が、自分自身とてもショックだったのです。  まぁ...この映画のテーマ【多重人格者の精神鑑定&裁判】に焦点をあてたものだったので、“すべての登場人物がハキハキと明るく会話する内容ではなかった”訳ですけれど、

“母国語である日本語&唯一日本語しかわからない人間!(苦笑)” にもかかわらず・・・「日本映画の会話が聞き取れない?????そんなバカな・・・!?」の気持ちが強くて・・・。

考えてみれば、洋画を観ている時の私は、限りなく字幕に依存しています。翻訳字幕は、あくまでも簡潔だし、意訳になっている場合でも、できるだけ万人に伝わりやすい表現がなされているように感じます。
また、私は活字を読む事も好きなので、同じ映画の字幕版&吹き替え版があったら、これまで躊躇せずに字幕版を選んできました。  結果として...どうも「視覚に頼り切った鑑賞」になっているようです。もちろん効果音や、テーマ音楽などは深く印象に残る場合もありますが、会話部分に関していえば、役者さんの声を音として聞きながら同時に字幕を読んで内容を理解するといったスタイルなのでしょう。  日本映画だと、役者さんの発する声を聞いて文字を読まないで瞬時にそれを理解しなくてはならず、「入り組んだ内容や専門的な用語に出くわすと、そこで思考が一旦停止してしまうのではないか?」「前のシーンを理解できないまま次のシーンへと進むため、余計に頭が混乱し、会話部分が聞き取りづらくなってしまうのではないか?と推測してみたのですが、本当のところは定かではありません。

 ただ単に私の耳と脳の働きが鈍っているだけだったりして?????(まさか「耳と脳の退化?」・・・・・・・まだそれは困るぞ・・・。^^;)

(^^;)テレビドラマを観なくなって久しい私ですが、食わず嫌いもほどほどにして時々ドラマや邦画も観てみようかな?(^^;)
今回私の観た日本映画、『39・刑法第三十九条』は、巻き戻しの連続でした。だけど途中からは独特な世界に引き込まれていき、ラストは「う〜〜む」と考えさせられました。それから、この作品内で【多重人格】をあらわす行動において「右利き・左利き」が語られているところは、興味深かったです。堤真一、確かに上手かったです。しかし、鈴木京香の母親役、作り続け食べ続ける吉田日出子(?)もあなどれないなと思いました。(笑)
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