SINCE 1997/08/07, UPDATED ON 2000/10/14

今日も日常的な日常
-Days of Wonder-

Episode 5
「三本目の尻尾と過ごす最初の週末」

monologue

9月。
新しい学校で迎えた新学期。

「はじめまして、河野さつきですっ☆」
照れまくりの自己紹介からもう数日、
ちょっとはなじんできてるかな?

となりの席の間宮清華さんは大人っぽくてキレイなひと。
(ついつい見とれちゃうのはヒミツ……あせあせっ)
……でも、どこか、
フシギな感じのするひと……なんだよね……。


木曜日、放課後
「……っ!」
 その声にならないごく短い悲鳴に気がついて、県立花間高等学校1年d組・間宮清華は不思議そうな表情を左隣に立つ小柄なおさげ髪の少女に向けた。
「どうしたの?河野さん」
「な・なんか今おしりにへんな感触が……」
 しばらく口を『い』の形にしたまま固まっていた真新しいセーラー服姿の同級生――今学期からの転入生である河野さつきは歳のわりにやや幼いと思われる顔を正面に向けたまま、か細い声でぎこちない答えを返す。それを聞いて清華は辺りを軽く見回した。
 学校帰りのバスの中。路線上の複数の学校の生徒が利用していることもあって乗車率は100パーセントより上だが、立っていて互いがぶつかり合うほど混んでいるわけではない。さつきの悲鳴に前後して誰かが後ろを通り過ぎたということもない。
「……」
 上体を少し反らして今度はさつきのお尻のあたりに目をやった清華は、いつもの大人びた表情のまましばらく見つめたあと視線を窓の外に戻した。
「何も触ってないと思うけど」
「でも……」
 どうしても納得がいかないようで、さつきは10センチちょっと背の高い清華をおそるおそる見上げる。
「触れるとしたらあたしぐらいだと思うけど」
「触ってない……よね」
「試したければ触ってあげるけど?」
 そう言う清華の表情はいたって普通、なのだが……。
 さつきは冷や汗をたらしながら小さく答えた。
「それはいや……」
「?」
 それを聞くとさつきを見る清華の表情が意外そうなものに変わる。
「今の、冗談に聞こえなかった?」
「……」
(そうあっさり言われると冗談に聞こえないってば〜)


「あくまで可能性なんだけど」
「え?」
 清華とさつきはJR花間駅前のバスターミナルでバスを降りた。ここで清華は私鉄電車に、さつきは違う路線のバスに乗り換える。さつきが利用するバスの乗り場まで並んで歩きつつ、ふたりは先ほど中断した話を再開していた。
「さっきの話。触った人がいないのに触られた感じがしたってことは――触ったものが見えてない、ってことも有り得ると思わない?」
「え、それってどういう……」
「有り体に言えば幽霊とか妖怪とか」
「……」
 一瞬思考が凍る。
「……冗談……だよね」
「冗談言ってるように見える?」
「……」
(さっきとどこが違うのよ〜)
 つっこみたくてもつっこめないさつきの思いをよそに、清華は進行方向に視線をやってそちらを指さす。
「バス来てるよ」
「え?あ、ほんとだ」
 言われて気がつく。さつきは慌てて小走りで駆け出した。
「じゃ、またあした……」
「河野さん!」
 整理券を取ってバスに乗り込んださつきに清華が声をかける。
「え?」
「何かあったらあたしに相談して」
 振り返った瞬間、視線が合う。
 切れ長の目でまっすぐに見つめられて、さつきはなぜか頬が赤くなるのを感じた。
「う、うん」
 戸惑いながらうなずくと、清華は微笑みを見せ小さく右手を上げる。
「じゃあね」
「うん、じゃあ……」
 扉が閉まった。

「……何かあったらって言われてもな〜」
 なにかあるんだろか。困った顔をしながらさつきは空いていた席に座る。
 ――その瞬間。
「っ!」
 シートに触れたお尻にさっきと同じ感触が戻ってきた。思わず声をあげてしまいそうになったが、すんでのところで我慢する。
(……って、いうことは)
 触られたんじゃなくて答えはたぶんひとつ。冷や汗を頬に伝わせながら、さつきはあんまり認めたくない結論を導き出した。
(あたしのおしりに……なにかついてる〜!?)


 バスを降り、一目散に家まで走る。門を開け、玄関の鍵を開けて中に飛び込む。靴も揃えず階段を駆け上がると、自分の部屋に入って乱暴に扉を閉める。

 ……その直後、さつきの悲鳴が家の中に響き渡った。


金曜日、朝
「う〜……」
 花間駅前。朝のラッシュで寿司詰め状態のバスから降りてきたさつきは、寝不足を絵に描いたような顔をしながらいかにも気分の悪そうな声をもらした。
(なんで……どぉしてあたしがこんな目にあわなきゃいけないのよ〜)
 そのことを考えるとついお尻に手がいってしまう。家を出てくる前に散々苦労したおかげで(←苦労の内容はひみつ)、スカートの上から見た感じではそれの存在はほとんど目立たないようにできたが、こうして手を押しつければそこに正体不明の異物があることは簡単にバレてしまうだろう。
『何かあったらあたしに……』
 昨日の清華の言葉が思い出される。とはいえ、相談できることとできないことがあるよね〜、とさつきは思う。そして、これは明らかに後者だと思う。
(ふえ〜ん、どこの誰でもいーからこれなんとかして〜)
 と、そんなことを考えた瞬間。
「!」
 普段よりいっそう敏感になったさつきのお尻に柔らかい何かが触れた。
 人混みの真っただ中なだけに背筋が寒くなる……が。
「おはよ、河野さん」
「あ゛」
 さつきの複雑な思いを知ってか知らずか、腰に届くほどのつややかな黒髪をひとつに束ねた和風の美少女が涼しい顔で肩を並べてくる。
「あ、あの……」
「何?」
「まみやさん……気がついた……?」
「うん」
 絶句。


「しっぽ」
 清華はいつもと変わらない落ち着いた声と表情で見たままを述べた。
「――以外のナニモノにも見えないわね」
「え〜ん」
 1時限目までにはまだ間がある。清華はさつきをトイレに連れていき、ひとつの個室に入って鍵を閉めると『見せてもらっていい?』とただ一言目を見つめて言った。なんだかよく分からないけれど、なぜか断れなかったさつきである。

「その感じだと猫かな」
「……びっくりしないの?」
 スカートのお尻のところが不自然にふくらんでいないか気にしつつ、さつきは真っ赤な顔で訊ねた。
「びっくりしてもらいたいわけじゃないでしょ」
 対する清華の答えは短かった。
「それはそうだけど……」
 何か違うような気がするが反論できない。別のことを考えよう、と思って清華のほうを見たさつきは、そうすることでその前に抱いた疑問を思い出した。
「ねぇ、その紙と筆って……なに?」
「ちょっとしたおまじないみたいなもの」
 言いながら清華は先ほどから手にしていた短冊のような紙きれに何やらすらすらと書き綴っている。字がかすれてくると筆を舌で湿して再び紙の上に戻すのだが、その様子を見る限り筆に墨がついているようには見えなかった。よく分からないが、紙のほうに何らかの加工がしてあるのかもしれない。
「……?」
 さつきは脇からのぞき込んでみたが何が書いてあるのかさっぱり理解できない。清華が思いきり字を崩しているのか……それとも日本語ではないのか。
 そのまましばらく見ていると、短冊の片面をびっしりと文字(らしきもの)で埋めつくした清華はそれを丁寧に小さく畳み込み、どこからともなく取り出した小さなお守り袋に納めた。
「河野さん、右手出して」
「え」
 答える間もなく、清華はお守り袋の紐をさつきの手首に巻き付け結ぶ。
「え?え?これは……?」
「これでしばらくは伸びたりしないはずよ。格好悪いと思うかもしれないけど、明日までこれ付けたままでいて」
「あした……?」
「明日になれば分かるから」
 そう言うと清華はさっさと出ていってしまう。
「え、ちょっと……間宮さんっ?」
 当惑したさつきの声に予鈴が重なる。
「あ、やばっ」
 この場で悩んでいても仕方ない。さつきは慌てて駆け出した。


同日、夜
「さつき〜、お風呂沸いたわよ〜」
「……ふに?」
 居間でテレビを見ていたはずのさつきは、母のその声で自分がいつの間にか横になって眠ってしまっていたのに気がついた。
「聞いてる〜?」
「聞いてるよぉ……もうちょっとしたら入るぅ」
 半分寝たまま答えて上体を起こす。
「それにしてもねむひ……」
 さつきはそのまましばらくうつらうつらしていたが、やがて右手首にかすかな違和感をおぼえてぼんやりとその辺りを眺め、少し間をおいてようやく自分がどうしてこんなに眠いのかを思い出した。
「……」
 全身から汗が吹き出す。
(これ……やっぱ水には弱いかなぁ)
 少し傷んだような気がするお守り袋を見つめながら、さつきは昼休みにクラスメイトの長谷川まどかから聞いた話を思い出していた。



「ねぇねぇ河野さんっ」
「え?と、長谷川……さん?」
「それひょっとして間宮さんの『お守り』?」
「え。え?」
「何も聞いてないの?やっぱ絵美ちゃんのときと同じか〜」
「って……前にも何かあったの?山之内さんに?」
「うん。絵美ちゃん合唱大会のとき伴奏やったんだけど、本番の前の日に体育館で練習した時、なんか急に調子が悪くなっちゃって。『頭の中に何か入ってくる』って言ってその日は泣きながら帰っちゃったんだけど、次の日の本番になってみたら別人みたいに落ち着いてて演奏も完璧」
「結果はどうだったの?」
「ぅ……まぁ、それはともかくとして、終わってから訊いてみたら『間宮さんがこれをくれた』って、河野さんのそれと似たようなの見せてくれたの。今もずっと大切にとっといてるらしいよ」
「それってほんとに効き目あったってこと……?」
「それはどうか分かんないけどぉ……間宮さんの家って由緒正しい神社だし、それに間宮さん本人見てもありそーなフンイキするよね〜」
「巫女さんなんだぁ……」
「あたしはそっちの格好してるとこまだ見たことないけど、薙刀部の袴姿がむちゃくちゃハマってるのよ〜☆アレなら実は裏で妖怪退治とかしてたりしても納得ってカンジ」
「……」



「むー」
 脱衣所に入ってしまってからもさつきの葛藤は続く。
(たしかに伸びてない……、かな?)
 もぞもぞとお尻に手をやる。その感触は朝と変わらないような気がする、が。
(ほんとにこれのおかげだとしたら、濡らすのもはずすのもマズいよね……)
 再び右手首を見つめる。
(でもやっぱりおフロは入りたいしぃ……)
 天井を見上げて悩むこと数秒。
(たぶん、ちょっとだけなら、大丈夫、だよね……)
 足元を見下ろしてさらに数秒。
「え〜い、いいやっ!」
 意を決して、さつきはお守り袋の紐に手をかけた。


土曜日、放課後
「来なかったか……」
 手荷物をまとめた清華は空っぽの隣の席にちらりと目をやると立ち上がった。


 ホームルームが終わった直後の2−hの教室。
「依子さん!」
 荷物を鞄に詰めながら友人と雑談していた長岡依子は、同級生のものではない少女の声が自分の名を呼ぶのに気がついて振り返った。
「間宮さん?」
 教室の後ろのドアのところで清華が小さく頭を下げる。依子は少し首を傾げると、荷物はそのままにして立ち上がり清華に歩み寄った。
「どうしたの?わざわざうちの教室まで来るなんて」
「今日の薙刀部の練習なんですけど」
「なに?」
 依子は話の先が読めずに当惑した。確かに清華とは薙刀部の先輩と後輩の関係にあるがべつに部長だというわけではないし出席を管理しているわけでもない。練習に関して彼女から話をされる理由は特にないと思うのだが。
「出られない事情が急に出来まして……」
「そういう連絡ならべつに私にしなくても……急にできた?」
 よく分からないといった顔でしばらく清華を見つめたあと、依子はあるひとつの可能性に気付いて普段は柔らかなその表情を引き締めた。
「って、まさか」
「詳しいことは済んでからお話ししますから、ね。お願いします」
 依子の言葉をさえぎると、清華はあくまでも先輩に休む理由を説明する後輩っぽい申し訳なさそうな態度のままそう言って手を合わせる。仕方なさそうにため息をついて、依子はそれに応えるようにうなずいてみせた。
「うん。じゃあ、月曜日に生徒会室で」
「すいません」
 ぺこり、とやや大げさに頭を下げると清華は階段のほうへと消えていった。
「……詳しいことは済んでから、か」
 その後ろ姿を見送りながら依子はひとりごちる。
「今度はどんなことになるのかしら……」


同日、河野家
『さつき〜、起きてる〜?クラスの間宮さんって方から電話よ〜』
 机とベッドの間にある台の上に置かれた電話機から母の声が響く。
「ん……いま出るぅ」
 ベッドの上の毛布の下からのろのろと手だけが伸びて受話器をつかむ。コードレスの受話器を取るとその手は再び毛布の下に引っ込んだ。
 しばらくの沈黙の後、ぴ、と通話状態開始を示す電子音が小さく鳴る。
「……もしもし」
『河野さん?よかった、まだ人の言葉話せるみたいね』
「え゛」
 口調は普通だが、清華の言葉は一言目からかなりキツい。
「それって……あたしそのうちしゃべれなくなっちゃうってこと……?」
『このまま放っとけば、まあ時間の問題よね』
「う゛……」
『でも、まだ知り合ったばかりだから仕方ないかもしれないけど、できればもう少し信用してほしかったな、あたしのこと』
「!」
 やはり口調は普通だ。しかし、飾り気のないその言葉はむしろ強くさつきの胸に突き刺さった。
 この人は、まるで疑われることに慣れてるみたい……。
『もしもし?』
「……」
『どうかしたの?』
「……ごめんなさい、あたし……」
『……なに涙声出してるの、仕方ないって言ってるでしょ。いい、今からあたしがそっち行って何とかするから、降りるバス停とそこからの道筋を簡単に教えて』
「うん……」
 少し間が空いたあとの清華の口調は、その前よりも少し優しくなったようにさつきには思えた。


『さつき〜、間宮さんがみえたわよ〜』
 それから一時間ほど経って――本来の所要時間よりやや長いのはやはり迷わせてしまったのだろうか――再び母が内線で呼びかけてきた。
「……こっち来てもらって」
『なに言ってるの、わざわざ来て下さったんだから出迎えるのが当然でしょ』
「あたし動けないもん」
『あの、あたしは別に構いませんから』
 受話器の向こうから清華の声が小さく聞こえる。
『ごめんなさいね……さつき、あなたもちゃんと謝りなさいよ』
「分かってるよぉ」

 こんこん。
「入るよ」
 かちゃん。
 かちゃん。

「あ、涼し」
 ひとつ息をつき、ひととおり部屋の中を見回すと、清華はベッドの上の塊に向かって声をかけた。
「おまたせ」
「ごめんなさい、ゆうべおフロ入るときはずしちゃった……」
 毛布の下から蚊の鳴くようなさつきの声が答える。その声からすると、どうやら清華に背中を向けた状態でいるらしい。
「いいのよ。その代わり次があったらちゃんと我慢してね」
 しばしの沈黙。
「……それって……冗談、だよね」
「そのつもり」
 清華は端から追及する気などまるでないようだ。
「で、どのくらい進んでるの?」
「……あんまり見せたくないんだけど」
「そう」
 しばしの沈黙。そしてため息。
「そうね、なるべく学校は休みたくないから、月曜の朝までなら待ってあげる」
 だめだ。この人には言葉では勝てそうにない。
「……今すぐにしますぅ」
「よろしい☆ま、恐がったりしないから心配しないで」

「……ぷっ、あはは、はははははははは……!!」
 ベッドの上に座るさつきの姿を見た清華は5秒ほどの間きょとんとした表情で硬直し、続けてその頬をみるみるうちに紅潮させると、ついには抑えきれなくなったように笑い出した。
「あは、河野さん、それって、けっこう、可愛い……!」
「ふえ〜〜ん、やっぱ見せなきゃよかった〜〜」
 確かに恐がってはいないけど……。
「もっとホラーなの予想してたんだけど、これじゃコスプレと大差ないじゃない」
「……」
 尻尾が生えてきたせいで普段のパジャマが着られないので(それどころじゃなくて下着もつけられないのだが)、さつきは代わりにメンズのTシャツを着ていた。そのおかげでお尻まで完全に隠れてはいるが、その裾からはだいぶ長くなってしまった尻尾が顔を出している。それに何より目立つのが、頭にくっついた大きな猫耳。
 しかし、それ以外はというとちょっと毛深くなったかなという程度であんまり猫らしくなっていないのである。
「……こんなにリアルなの作れないもん」
「やってたの?」
「う……そっそれはのーこめんととしてっ!」
「なにうろたえてるの?」
「とにかくっ!」
 清華の的確なつっこみにさつきは耳まで真っ赤にして語気を強めた。
「このままだとあたしどうなるの?その……もっと猫になっちゃうの?」
 言いながらだんだん弱くなる。
 そんなさつきの様子を見て、清華はその整った顔にいつになく優しそうな柔らかい微笑を浮かべた。
「このままならね……でも心配しないで」
「え……」
「電話で言ったでしょ。あたしが何とかするって」


「はい、これで最後」
 そう言うと、清華はさつきの胸元にきのう使っていたのと同じような短冊をぺたん、と貼り付けた。
「こ、これっていったい……」
 部屋の真ん中に正座させられたさつきを中心として、そこかしこに清華の手でやはり似たような短冊――御札が貼られている。
「周りのはこの部屋を浄めるための『気別札』(きわけふだ)、それはあなたの中の霊を引っぱりだして封じこめるための『封霊符』(ふうりょうふ)だけど」
「……『札』と『符』ってなにか違うの?」
「さあ?単なる語呂の問題でしょ」
「……あは、は」
 さつきは力なく笑った。
「どうなるんだろあたし……」
「率直に言うと――」
 背筋を伸ばした美しい姿勢で正座している清華は、やはり正座ではあるがどことなく猫背になってしまっているさつきの緊張した視線を受け止めながら口を開く。
「いま、河野さんには猫の霊が憑いてるの」
「猫なのは分かるけど……」
「普通だったらそうなることはないはずなんだけど、その霊にはよほど強い未練があるんでしょうね――あなたの体を乗っ取ってまで何かをしようとしてる」
「え。やだ……」
「力任せに引き離すのはあたしの<力>ならわりあい簡単だけど、それだとやっぱり後味悪いでしょ?だからまずはその霊を呼び出して、何がそんなに心残りなのか訊いてみようかなって」
「訊いてどうするの?」
「あたしたちで何とかできることなら何とかしてあげたいじゃない」
「え?」
「だってね、河野さん」
 意外そうな顔のさつきに清華は微笑みかける。
「悪さをするためにそうしてるとは限らないよ」
「……!」
 その瞬間、さつきは自分の目から涙が溢れ出るのを自覚した。
「……あ、あれ……?」
 自分がどうしてこんな目にあわなければならないのかばかり考えて、清華が言ったようなことなど思ってもみなかったのは確かだ。その言葉に大きな衝撃を受けているし罪悪感のようなものも胸の奥に浮かび上がっている。
 しかし、涙が止まらないのは……何故だろう?
「聞いててくれたみたいね」
『はい……』
(!)
 突然自分の口が勝手に話し出した。驚いたさつきは思わず口を押さえる。
「変な感じだろうけど少し我慢してくれる?河野さん」
「……っ」
 声が出ないのでこくこくとうなずいて答える。
「よろしい。じゃあ、話して……あなたはその子の体を奪って何をしたいの」
『子供たちが……子供たちが待っているんです』
 さつきの口を借りたものは、さつきとは全く異なる口調でおずおずと話し出した。
『食べ物を持って子供たちのところへ帰る途中に私は大きなものにぶつかってしまって……気がつくと私は自分の体を上から見下ろしていました』
「車にはねられたのね」
『ここにいる私は動けることが分かったので子供たちのところへ戻ったのですが……子供たちは私に気付いてくれないし、私は子供たちに触れることもできないのです』
「それで?」
『困っていた私のそばをこのひとが通りかかったので、気付いてもらおうと何度も呼んだのですが気付いてもらえなくて……それで飛びついたらそのままこのひとの中に……』
「ってことはつまり……河野さんのほうに適性があった……ってことか」
(ふえ〜ん)
 さつきが泣き笑いの顔でぷるぷると首を振る。
「そんなのいやだって?」
(いやに決まってるよぉ〜)
 今度は首を縦に振る。
 どうやら体のほうはある程度さつきの自由になるらしい。
「ま、それはともかくとして。河野さん、心当たりは?」
 ぷるぷる。
「全然ないのね。とすると、猫の帰巣本能ってやつに任せて行かせてあげるしかない、かな……あんまり遠くないといいけど」
『行かせてくれるのですか!?』
「あなたが死んでからどれだけ経ったかにもよるわね」
『……わかりません』
「少なくとも木曜日の放課後にはもう憑いてたわけだから……」
(あ〜っ、やっぱあの時気がついてたのねっ)
「今からじゃ、もう手遅れかもしれない」
『……』
 しばらく間が空いて、震える声が答えた。
『その時は、あなたの手で私を……』
「わかった」
 清華は厳かにうなずくと、さつきの胸元に貼った札を静かにはがし取り、丸めて捨てるとさつきの肩にそっと手をかけた。
「――行きましょ」
「それはいいんだけど……」
「なに?」
「あたしこの格好どうするの?」


「これならとりあえず大丈夫、よね」
 門を出たところで、清華はさつきにそう言って微笑みかけた。
「あつい」
「仕方ないでしょ、我慢して」
 清華は着替えを持ってきたわけではないので半袖の制服そのままなのに対し、さつきは体毛を隠す長袖のシャツに尻尾を隠す長いフレアースカートといういでたちである。髪はいつもの三つ編み、そして頭には猫耳を隠すためにバンダナを被っている。
 猫である部分は一応ごまかせてはいるが、季節感をひと月ほど先取ってしまった感じは否めない。
「さあ、行きなさい」
「……っと!」
 清華の言葉に反応してさつきの足が動き出す。
「勝手に動くなんて、へんな感じだよぉ〜」
「だから我慢しなさいって」


同日、夕刻
「……ねえ」
「なに〜」
「ほんっっとに、ここなの?」
 不機嫌そうな顔の清華が刺のある声で問う。
 ひたすら歩き続けて汗だくになったふたりは今――、
 花間高校の正門の前に立っていた。

「あたしに言われてもわかんないよぉ……わーっ!」
 眉根を寄せて答えるさつきの足がまた勝手に動き始めた。
「ったく……」
 清華はひたいの汗をぬぐいながら毒づく。
「一日ムダにしたってわけ……この力不足」
 それは自分に向けた言葉だった。


「……河野さん、こんな所まで来てたの?」
「うん、プールとか裏の自転車置き場とかまで先生に案内してもらったから……」
 今はもう使われていない旧校舎西館、その西側の壁一面に夕日が当たっている。錆の浮いた非常階段の下をさつきの目はじっと見つめていた。
「ここ――なのね」
 さつきの見つめる先に仔猫の姿はない。気は進まなかったが、清華は確認のためにそう問うてみた。
「間宮さん……胸の奥が、すっごく、痛いよ……」
 辛そうに、しぼり出すように言ってさつきは膝を落とす。
 その目から大粒の涙が幾つもこぼれ落ちた。
「……」
 清華にとっては予想していた結末ではあるが、かといってあっさり割り切れる問題でもない。かける言葉がないのに気がついて、清華は開きかけた唇を再び結んだ。
 ……。
 その時、清華の耳に微かに届く音があった。
「!」
 まさか……。そうであってほしいと思うゆえの空耳かと疑って慌てて辺りを見回す。
「間宮さん、どうかしたの……?」
「今……聞こえた……」
「聞こえたって……」
「だから、」
 言いかけたところにもう一度。
 今度はもっと近い。
「な〜」
「仔猫……?」
 半ば呆然とさつきがつぶやく。
「それじゃ、誰かが見つけて……!」
「よかった〜〜!!」
 清華とさつきは一瞬にして希望を取り戻した顔で向かい合う。そこへ、仔猫を抱いた女子生徒が姿を現した。
「あら?」
「え」
 清華はその人物の顔を見て絶句した。
「間宮さん、どうしてここにいるの?」
「依子……さん」
「な〜」


「先週の金曜日だったかな……見つけたのはほんとに偶然なの」
 段ボール箱に入った3匹の仔猫に目をやりながら依子は優しく微笑んだ。
「あたしが手続きで来た日だ」
「あたしも部活でいたはずだけど……」
「あの日は私が最後だったもの。帰りぎわにすごく弱々しい声で鳴いてるの見つけて……放っておけなくて、それからずっとここで世話してたの」
「それで札が貼ってあったんですか、あそこ」
 清華は大きくため息をついた。
 薙刀部の部室。あまり広くはない部屋の両側にロッカーが並んでいる。しかし、そのうち扉に名前が記されているものは半分程度しかない。
 そして、依子の名前があるロッカーのすぐ下、今は開かれている空きロッカーの扉には小さな札がごく控え目に貼られていた。
「物入れるのになんで音無(おとなし)なんだろ、って不思議に思ってたけどそういうことだったんですね……たしかにこれだけよく鳴けば聞こえるだろうな」
「みゃ〜」
 目をやる清華に答えるような仔猫の声。
 さつきにはよく分からないが、どうやら清華が言ったのは札の種類らしい。
「あのぉ……」
「なに?」
「お札って……それじゃ依子さんも……?」
「私が自分で作ったわけじゃないのよ」
 さつきの遠慮がちな問いに、依子は恥ずかしそうに首を振った。
「あれは祖父の作品。神社の娘なのは同じだけど、でも私には間宮さんみたいな力はないから」
「ないわけじゃないでしょうに」
「間宮さんに比べたらないも同然じゃない。私程度の霊感の持ち主なら、べつに神職の血筋でなくてもいっぱいいるわ」
「……あなたの知らない世界、って感じ……」
 清華と依子の会話を聞きながらさつきはぽつりとつぶやいた。
「まぁ、河野さんもこの学校に来たからにはある程度覚悟しないとね」
「え?」
 依子に突然話を振られ、またその内容にさつきは目を丸くする。
「覚悟って……なにをですか?」
「間宮さんがその力を使って人知れず解決しなきゃならないような事件が、この学校ではちょくちょく起こる、ってこと」
「え゛」
 瞬間、さつきの頭の中が真っ白になった。
 ちょくちょく?
「ところで河野さん、その格好じゃまだ暑くない?」
「え」
(ひょっとして……依子さん気がついてなかった……?)
 確かにその辺りのことはまだ話していないが。
「ほんとそうですよね。もう取ろうよ」
「あ、ちょっと、わー!」
 ぱさ。
 さつきが止める間もなく、清華はさつきの頭のバンダナを奪い取った。
「……あれ?」
 慌てて頭に手をやる。そこにあったはずの不自然な手触りは……ない。
「で、依子さん。結局どうするんですか、この子たち」
「大丈夫、家のほうで手を回してもらってもう3匹とも引き取り手が決まったから。とりあえず今日、私の家に連れて帰るつもり」
「……!」
 何か言いたげに清華の顔を見るさつきに、清華は無言で優しい笑顔を返す。
 言わなくてもいいじゃない。そう聞こえた気がした。


「ねぇ、間宮さん……」
 家の車に仔猫たちを乗せて帰る依子を見送ったあと、バス停に向かう道でさつきは隣を歩く清華を上目使いに見上げた。
「さっき依子さんが言ってたことって……ほんと?」
「事件か……ちょくちょくかはともかく、よそよりは多いんでしょうね。なぜだか分からないけど、ここって昔から幽霊や妖怪が集まる場所なんだって」
「山之内さんの話は……?」
「ああ、彼女の場合はちょっと性根の曲がった霊に意地悪されただけだから、そいつを近付けないようにしただけ」
「……」
 だけ、って言ったって普通の人にはそんなことできないぞ。
「……今回は何回目?」
「4回目、かな?」
「……」
 多い。十分多い。普通だったら数十年で七不思議がやっとだ。
「あ〜あっ!」
 突然、清華が大きな声をあげてのびをした。
「な、」
「あたしだって普通の女子高生してたいんだけどなー」
「あ……」
 いつもの落ち着いた感じとは全く違う、感情を正直に表に出した清華のその言葉にさつきははっとした。
「……そうだよね」
「え?」
「間宮さん、べつに正義の味方でも賞金稼ぎでもないんだよね……」
「な……なに、急に」
「その力がある以上、やりたくなくてもやらないわけには……」
「ちょっと待ってよ!」
 清華は声を荒げて立ち止まる。
「それじゃあたしが河野さんのこと嫌ってるみたいじゃ……!」
「!」
 数歩前に出てしまったさつきは反射的に振り返った。
「間宮さん……」
「……やば、ちょっとアブない発言に聞こえかねないこと言っちゃったわね」
 だいぶ暗くなった道。ライトを点けた車がふたりの脇を通り過ぎていく。
 そんな中、清華は照れたように口元を手で隠した。
 くす。さつきは少し笑って。
「バス来たよ」
「あ、ほんとだ……って」
 つい二日前に全く逆の立場で似たような会話をしたのを思い出して、清華はさつきにつられるように苦笑を浮かべた。


翌週月曜日、朝
「おっはよ〜、さ〜やかっ!」
 明るい顔で教室に入ってきたさつきは、清華の姿を見つけると元気よくそう言って隣の席に滑り込んできた。
「……おはよ、さつき」
 少し困ったような笑顔で清華がそれに答えた。

「……呼び捨てになってる……」
「しかも両方ともだよ」
「何かあったの、あの二人……」
 たちまち教室全体が騒々しくなる。
「何よ、みんなそんなに驚くことないでしょ」
「そーだよぉ」
 清華が意外そうに言うとさつきも立ち上がって賛同する。
「友達になっただけじゃない」
「あっこら!」
 抗する間もなく――クラスいっぱいのどよめきの中で。
 さつきはとびきりの笑顔で、清華に背中から抱きついていた。


monologue

9月。
新しい学校で迎えた新学期。
新しい生活のはじまり。

ちょっと普通じゃないスタートだったけど、
けっこう楽しめそうです☆



今日も日常的な日常
-Days of Wonder-


■[Days of Wonder : index]に戻る