monologue
百年をこえる伝統をもつ県立花間高等学校。
こんどの生徒会長は、才色完備なヤマトナデシコ。
間宮清華17歳、神社の娘で土日は巫女さん☆
ちみもーりょーと戦うために、きびしい修行にはげんでおられ……(げし★)
ってなんでぶつのよぉ、ほんの軽いじょーだんじゃない!
……あ、ちなみにあたしは河野さつき17歳、
生徒会書記で清華の親友ってコトで以後
よろしくです☆(←ばか)
月曜日、放課後
「ぷっ」
いつものことながらさつきの辛抱は長持ちしない。
「……はい、これも清華あて」
目に涙を浮かべながらこみ上げる笑いを懸命にかみ殺し、さつきは読んでいたものを右隣に座る清華に差し出した。紙はB5サイズのルーズリーフでごく普通のものだが、何やら複雑怪奇な折り目が付いている。
「ありがと」
あからさまに嬉しくなさそうな顔をしながらそれをつまみ上げ、清華は今日何度目かのため息をこぼした。
「あ!ねぇねぇ、これもこれもっ☆」
そこへにこにこしながら追い打ちをかけて。
清華に対してあたしが優位に立てるのってこうしてる時間ぐらいよね〜、とさつきはふと思う。
毎週月曜日の放課後……ひっくり返して何か出てくる方がまれだと先輩に教わっていた生徒会室前の意見箱は、今では中身がはみ出さんばかりの状態になっている。これで三回目になるが、この三回だけでこれまでの何年分になるだろう?
しかし、本来そこに入るべきものを見つけるのは非常に困難なことだった。
かわりに毎回、こんな光景が繰り返されている。
「……どうしてこんなことになったんだろ」
今度はピンクの便箋を渡された清華が天井を見上げてつぶやいた。
「そんだけ人気があるってコトでしょ?素直に喜べば?」
「あのねぇ」
困った顔が妙にかわいい。そんな清華の様子を見るにつけ、ついついからかいたくなるさつきである。
「そのうち靴箱開けたらラブレターがどばーっと落ちてくるようになったりして☆」
「いつの時代の話よそれは」
「どーかな〜、わっかんないよぉ?」
さつきのにこにこはなかなか収まらない。
「……ん」
清華がもらした小さな声に気が付いてさつきが隣を見ると、相変わらず同じ作業を続けていたはずの清華の目が真剣になっていた。
「まともな意見見つかったの?」
「そうかどうかは本人に訊いてみないと分からないけど」
「!」
その目を向けられて、さつきの胸の鼓動が跳ね上がる。
「もしそうなら……放ってはおけないわね」
「う……うん」
いつもはちょっとキツめではあれ普通の女の子とあまり変わらない(とさつきは思っているが賛同者はあまりいない)清華だが、時折妙に大人びたというか神秘的というか、なんだか近寄りがたいフンイキになることがある。さつきは今この瞬間、まさにそれを感じていた。
「さつき?どうしたのぼーっとして」
「あ、ごめんごめん」
心の奥でどきどきし続けながら謝って、慌てて視線を机の上に戻す。
「ねぇ、なに書いてあったの?」
「見る?」
「うん」
さつきはおそるおそる、清華が差し出す一枚の便箋を受け取った。
『このごろ毎朝、音楽室の床に血のようなものがべったりついてるんです。いつも私が掃除して何もなかったようにしてるんですけど、何日も続いてると黙っているのが怖くなって・・・。
笑われるかもしれないけど、間宮さんに相談にのってほしいんです。幽霊とかと関係あるんでしょうか?合唱部部長・2−e/野村歩美』
「……あゆちゃんだ」
「知ってた?」
「ううん、ぜんぜん……。こっちの仕事するようになってから合唱部のほうにはあんまり顔出してないしな〜」
清華の問いにさつきは困惑の表情を浮かべた。彼女もまた合唱部員であり、部長である歩美とも仲はいいのだが、あいにくそういう話は伝わってきていない。
「でもこんな新しい校舎の中で幽霊なんてへんだよね……あゆちゃんマジメだし、嘘言うとは思わないけど」
「正直言ってあたしも幽霊だとは思わない」
上がり気味の眉を少し寄せて、清華はさつきが机の上に置いた便箋をもう一度手に取った。
「……でも、場所が場所だけに気になるのよね」
「音楽室?」
「そ。だって旧校舎の音楽室になら、幽霊はたしかにいたんだから」
「へ?」
翌朝
いつものように清華との待ち合わせに遅れたさつきが学校に着いてみると、ちょうど頬を強張らせた清華が靴箱の前でひとり立ちつくしているところだった。
「おはよ清華。どーしたの?」
言いながらさつきは目ざとく清華の足元に落ちている白い封筒を見つけていた。
「わーっ何これ〜っ☆ひょっとしてあたしの予言大当たり〜?」
さつきはちょっと意地悪く笑いながらそれを拾い上げた。表には何も書かれていないので、差出人を確認してみようと裏返してみる。
「えと、真田……響子?女の子だ」
「真田響子?」
それを聞いた途端に強張っていた清華の表情が冷静さを取り戻した。
「知ってるの?その子」
「そういう問題じゃなくって……」
清華はさつきの手から封筒を抜き取りつつ呆れた顔で答える。
「つながってきたのよ、きのうの幽霊の話と」
「へっ?」
「あ、間宮さん!さつきちゃんも」
ふたりが音楽室に入ったとき、歩美は机の整頓をしている最中だった。
「おはようございます、あの、読んでもらえました?あれ……」
「だから来たの。それで、今朝も?」
清華は言いながら部屋を見回すとすぐに付け加えた。
「……って、訊くまでもなさそうね」
「ええ……」
見るからにおとなしげな歩美の表情が曇る。
「え?」
「ほら、そこのバケツ」
分かっていない様子のさつきに、清華は歩美が床の水拭きに使ったらしいバケツと雑巾を指し示す。素直にその先をのぞき込んで、さつきは気持ち悪そうにつぶやいた。
「やだ、なんか赤黒い〜」
「間宮さん、どうなんでしょうか……」
不安そうな歩美の声。清華は大きくため息をつくと考え込みつつぽつりとつぶやく。
「真田響子……か」
「え?それってあの、旧校舎の音楽室にいたっていう……」
「って、あゆちゃん知ってるの?」
「あ……そか、さつきちゃんは知らないんだ」
「ま、仕方ないでしょうね。まだ越してきて1年も経ってないんだし」
清華は手近な机に腰掛けると、さつきにあの目を向けた。
「聞かせてあげますか」
それは今から20年ほど前のこと。
ひとりの少女がある少年に恋をした。
少女は合唱部の一年生。少年は容姿端麗にして成績優秀、誰からも好かれる吹奏楽部の部長……言うまでもなく、それは少女の片思いである。
しかし、少女には知るべくもなかったが、その澄んだ歌声と繊細で優雅なピアノの音色は、それまで特定の個人に思い入れることを知らなかった少年の心を動かす初めての力となりうるものだったのだ。
そんなある日、少女は近く行われる合唱大会の伴奏者に抜擢された。
内気な少女は考える。私の演奏を先輩に聴いてほしい……。
そしてその想いは一通の手紙に込められ、それを受け取った少年は応えてあげようと密かに心に決めていた。
だが……
「大会の前の夜、最後の練習が終わった帰りの道で彼女は交通事故で……」
「……亡くなった……の?」
おそるおそるさつきが問うと、清華は重々しくうなずいた。
「以来、音楽室のピアノが勝手に鳴ったり、誰だか分からない綺麗な歌声がどこからともなく響いてきたり……内気だったっていってもよほど未練があったんでしょうね」
「かわいそう……」
さつきは率直な感想を述べた。目がうるうるしている。
「たしか、ちょうど今くらいの時期ですよね」
「ああ、そういえばそうね」
「それじゃ、やっぱり……?」
終始落ち着いている清華を前にしてますます不安になってしまったらしい歩美は、その次の言葉を己の口から発することをしばしためらう。
その代わりに、うるうるをやめたさつきが口を開いた。
「……ねぇ、清華」
「なに?」
「さっきの手紙って……」
「もういいかげん想像はついてると思うけど、見る?」
「いい、いいっ」
首をぷるぷる横に振りながら慌てて断る。
清華は軽く肩をすくめると鞄に入れてあった封筒を取り出し、何のためらいもなく封を切った。
「何です?」
歩美が問うと、清華は不敵な微笑とともに答えた。
「真田響子さんからのお手紙」
そしてもう一言。
「考えてみたらその吹奏楽部の部長さんって、当時2−fの38番だったのよね」
「それって清華といっしょじゃない……」
さつきは泣きそうな顔になった。
同日、放課後
ばたん。
「間宮さん、間宮さんいますかっ!?」
生徒会室の扉が勢いよく開き、息を切らせながら歩美が駆けこんできた。
「あれ、あゆちゃん」
ひとりでくつろぎまくっていたさつきはジュースの紙コップを手にしたまま、反射的に入り口に向けてしまった目をぱちくりさせる。
「どーしたの?清華なら今いないけど」
「あのね、あのね、うちの1年生の子がゆうべ、幽霊見たって……!」
「へぇ、誰が……」
そうぼんやり言いかけてから、さつきは改めて正しい反応を示した。
「って、ええぇぇ〜っ!?」
「1−gの湯沢美那です、よろしくお願いします」
美しい亜麻色の髪をさらりと揺らして、柔和ながらやや彫りの深い顔立ちをした色白の少女が清華に向かって丁寧に頭を下げた。
「美那ちゃんが嘘言うとは思わないけど……」
「まだ何も訊いてないでしょ」
もう怖がり始めているらしいさつきを見て清華は大げさに嘆息する。
「ったく……。それじゃ湯沢さん、手っ取り早く教えてもらえる?」
「はい」
緊張しているのか頬をほんのり紅く染めながら、美那はこくんとうなずいた。
「わたし、部活が終わって解散してから音楽室に忘れ物したのに気が付いて戻ったんですけど、そのとき扉の前に立ってたんです。制服着た小柄な女の子で、青白く光ってて……『わたしの邪魔をしないで』って言われました」
「……美那ちゃんって真田さんの話知ってるんだっけ?」
「え?ああ、旧校舎の音楽室に現れていたっていうひとの話ならついさっき野村さんから聞きましたけど」
「……」
「予備知識なしとなると信頼できそうねぇ」
そうあっけらかんと言ったあと、清華は隣から何の反応もないのに気付いて不思議そうにさつきの方へ顔を向ける。
「……何よ?」
「あ、あの、あんまり鵜呑みにしないでくださいね?」
清華を見つめて固まったままじんわり目に涙を浮かべたりなんかしているさつきの様子を見かねて、美那は申し訳なさそうに付け加えた。
「わたし、慌てちゃってすぐ帰ったから、ちゃんと確かめたんじゃないんです。ほんとにほんとの幽霊だったのか、って……」
「……って?」
「そう……」
清華はしばし考え込む。
「湯沢さん、その子の顔覚えてる?」
「ええ、大体なら」
「それじゃ、調べてみましょ」
そう告げると清華は立ち上がった。
「さつき、古い学校関係の資料って図書館の下、だったよね?」
「昔の卒業アルバムとか?」
「そうね、他にも学校新聞とか、欲を言えば当時の新聞とかあるといいんだけど」
「あ、わたし知ってます。図書委員だから」
さつきが口を開く前に美那が即答した。
「ただ、持ち出し厳禁なので図書館の中で……って、そんなのご存じですよね」
言うとまた顔がぱっと赤くなる。その様子は見ていて微笑ましい。
「時間かかるかもしれないけど付き合ってくれる?」
「はい」
約一時間後、図書館。
2階入り口のそばの階段を降りていったところにある普段は開放されていない書庫の扉が開かれ、その脇の閲覧室で3人は各々違うものを見ながら同じものを探していた。
「……あった」
清華は短くつぶやいて、花間高校に関係のある新聞記事を集めたスクラップブックをめくる手を止めた。正確な年代が分からずそれっぽいものは片っ端から引っぱり出してきたおかげで、机の上は戦いの跡も生々しい。
「どんな記事?」
製本された古い学校新聞を眺めていたさつきが体を寄せてのぞきこむ。
「まさにそのもの」
「そっか……」
さつきの表情が少しかげった。探していたものがようやく見つかったとはいえ、それは不幸な少女の死亡記事なのだからあまり気分のよいものではない。
「……写真、載ってるね」
「うん。湯沢さん、ちょっとこれ見て」
「はい」
1979、と記された卒業アルバムをガラス棚から取り出して立ったまま見ていた美那は、呼ばれて歩み寄るとその粗い写真を緑色の瞳でしばらく見つめた。やがてその表情が少し厳しくなる。
「顔は……同じだと思いますけど」
「……?どういうこと?」
振り向いたさつきがきょとんとして問う。
「だって、あの……これ見てください」
そう言うと美那は手にしていたアルバムをスクラップブックの脇に開いて置いた。
「あれ」
意外そうな顔でさつきはそのページを見つめる。
「この頃って……」
「地元じゃなきゃ知らないのも無理ないわね」
清華は微かに苦笑をもらした。かたや昨年2学期からの転入生、かたやドイツ生まれの混血児。過去を探るにはいかにも不向きな顔触れだ……が、まあ仕方ない。
改めて面を正すと、清華は次の言葉を待っている美那の顔を切れ長の目でまっすぐ見すえ、そして短く訊ねた。
「で、これじゃなかったのね?」
「はい。間違いありません」
赤くなりながらも美那はためらいなくうなずく。
清華の表情が崩れた。
「じゃあ、決定的ね」
「って、美那ちゃんが見た幽霊はニセモノってこと?」
「そういうこと」
さつきの言葉に清華は意味ありげな微笑を浮かべる。
「しかもふつうの人間ならまず疑問を抱かないレベルの相当よくできたニセモノ、ってことになるのかな」
「……なによそれ」
「何かしらね〜、あたしも知りたいんだけどぉ☆」
わざとらしい口調にわざとらしい笑顔。
「……」
すこし先の展開を想像したあと、さつきはぼそっとつぶやいた。
「あたし……やだからね」
「さつきが来なくても別に困らないけどね」
「うー……あ〜んもう、行けばいーんでしょ行けばっ!」
「じゃ、決まり」
「ったく、いぢわるなんだから〜」
唇をとがらせて愚痴るさつきを見てどこかいたずらっぽく微笑むと、清華は美那のほうを向いた。
「できれば湯沢さんにも一緒に来てほしいんだけど」
「はい。幽霊の正体を確かめる……んですよね」
「ありがと、助かるわ」
「あの……」
「なに?」
口調はごく普通だが清華はやはりまっすぐに目を見つめてくる。美那は言おうかどうかしばし迷ったあと、意を決すると真っ赤になりつつ訊ねた。
「あの、間宮さん……ご存じだったんですか、わたしの……」
「え?」
「……そうね、でもそれはたぶんお互い様でしょ」
答えはやはり普通の口調だったが、美那に向けられた清華の笑顔はとても、これまで想像できなかったほどに柔らかいものだった。
「きっと<力>を借りることになると思うから。よろしくね−−美那ちゃん」
「???」
「はい……」
美那はうなずいて、遠慮がちに微笑んだ。
「って、なんの話なのよお」
同日、夜
夜。
校舎に残る明かりはごく少なく、人気もほとんどない。月明かりに照らされた大時計の針は8時を少しまわっている。
最上階である五階へと階段を昇りきるとその正面には窓があり、廊下の照明は消えているもののあたりはそれほど暗くもなかった。そして、すぐ左に曲がったところにあるのが音楽室と音楽準備室。
音楽室の入り口の扉は閉まっていた。
普段なら中の様子がのぞけるはずの扉のガラス部分には映像教材を使用するときのようにカーテンが引かれている。
そして……とつぜん扉の前に小さな光の球が浮かんだと思うと、次の瞬間そこには青白く光る少女の姿があった。
美那の言ったとおり、あの写真と同じ顔をした制服姿の小柄な少女だ。背丈はさつきと同じくらい、150センチちょうどといったところか……しかし、その足元に視線を落とすにつれその姿は闇に沈んでいく。
『だれ……?』
閉じていた少女の目がゆっくりと開かれた。
『あなたたち……何しに来たの』
悲しげな表情をした少女が口を開くと同時に、人間の生の声とは思えない、言ってみれば澄んではいるがエコーのかかりまくった感じの声が響く。
「あなたに会いに、ね」
その真正面に立った清華は挑戦的な笑顔を少女に向けた。
美那は清華の数歩後ろに立ち、彼女にしては珍しい厳しい表情で少女の姿を見つめている。さつきはといえば、後輩ながら彼女よりも15センチは背の高い美那の制服の袖につかまる格好で固くなっていた。
『帰って……わたしはひとりで練習するの……邪魔しないで』
「練習?」
清華は鼻で笑った。
「それって考証が足りなくない?ホンモノの真田響子さんは、たとえ音楽室に現れたところを見られてもそんなことは言わなかったそうだけど」
それを聞いた少女の表情が微妙に変化する。
「ほんと?」
「ん、本当」
さつきの小さなつぶやきに振り返って清華は微笑する。
「ほとんど何も言わずにすぐ消えちゃってたそうよ。幽霊になっても、極端に恥ずかしがりなのは変わってなかったって話」
『わたし……わたしは……』
目にうっすらと涙を浮かべて、人間なら冷や汗をだらだら流しているような表情で少女は口ごもった。
「あと、あなたのその制服」
清華は間髪入れずに続ける。
「それってあたしたちのと同じ形だけど、この制服になったのってたかだか9年前の話なのよね。知ってた?」
『わたしは……練習……』
「……それしか言えないの?あなたは」
話がかみ合わなくなっている。清華の目がにわかに冷たさを帯び、少女は怯えたように体をびくりと震わせた。
「間宮さん」
そこへ厳しい表情のまま、頬を紅潮させた美那が口を挟んだ。
清華が視線を投げると黙ってうなずく。
「そう……じゃあ言い切ってもいいわね」
視線が戻ってきた瞬間、少女の表情は頬に涙を伝わせたまま固まった。まるで清華の目に射抜かれたかのように。
少女を正面から見すえたまま、ひと呼吸おいて清華は言い放った。
「あなたは真田さんじゃない、真っ赤なニセモノ。−−しかも」
『わた……』
「あなたは幽霊ですらない、幽霊を演じるよう誰かに造られた幻なのよ!!」
『わたし……あ……あ・あ……』
その姿が見る間に揺らぎ薄らいでいく。少女は涙で顔をくしゃくしゃにして、清華に哀しげな目を向けた。清華は表情を変えることなく、それを真っ向から受け止める。
『あぁ……っ!!』
次の瞬間、吹き消されたろうそくの炎のように少女の姿はそこから消え去っていた。
「消えた……?」
(コトバだけで……?彼女の存在を、否定したから……?)
驚いた表情で口に手をあてている美那。彼女は感じていた……今の清華の言葉に<力>が宿っていたことを。これがコトダマというものなのだろうか?
と、そんなことを考える美那につかまったままのさつきが小さくつぶやく。
「ねぇ、これで……おしまい?」
「そんなわけないでしょ」
振り向いた清華が腰に手を当ててさも意外そうに言った。
「ここからが本番じゃない」
「え?」
「彼女がここにいたのはなぜだと思う?」
清華は親指で背後の扉を差す。
「彼女を造った奴には、この中に人を入れたくない理由があるのよ」
「う!」
清華が一気に音楽室の全照明のスイッチを入れた瞬間、さつきは胃の中のものを戻しそうになって両手で口を押さえた。美那は悲しげに眉根を寄せており、さすがの清華も苦い表情を隠せないでいる。
「よりによってこんなこと……!」
清華は怒気をはらんだ声で、しぼり出すようにつぶやいた。
「こんなのごまかすためにあんな、死者を冒涜するようなことしてたっての……!」
全ての机は教室の隅に寄せられ、音楽室の床には今、大きな円が描かれていた。
不可解な文字やら記号のようなものがびっしりと記された円の中心のあたりにはおびただしい血が飛び散っている。そしてそこにあるものはかろうじて原形をとどめていたが、それはとてもふつうの少女が正視できる代物ではない。
「……開いた!」
見た目で判断するなら真っ先に気を失っても良さそうなものだが、それでもじっとその円を見つめていた美那が声をあげた。
「なに?」
「向こうからなにか来ます、気をつけて……!」
「……向こう?」
『ふふふ……』
そのとき突然、先ほどの少女とは違うが、しかしやはり妙にエコーのかかった笑い声が音楽室の中に響いた。
「そこっ!」
清華が室内の一点をためらわず指差すと、ガラスの割れるような音とともにそのあたりの光景が砕け散る。
「……小賢しい」
砕け散ったあとを見つめながら清華はそう吐き捨てた。
そこには黒い服を来た女性らしい人物の姿がある。しかし、その姿は清華たちからは異常に歪んで見えた。
それを見て清華と美那は揺れる水面に映る人影を連想し、さつきはデコーダを付けずに見たときのWOWOWみたいだな〜と思った。どちらにせよ、相手が何者なのか全く判別できないのは変わらない。
『ふふ……やはり噂に違わぬ<力>をお持ちのようね、霊能少女さん』
エフェクタを通したようなどこか不自然な女性の声で、その人物は楽しげに清華に語りかけた。
『もっとも、そうでなくては舞台を用意した甲斐がないのだけれど。今夜はあなたのその<力>で、少しわたくしの実験につきあっていただけるかしら?』
「なによそれ」
清華は呆れた様子で頭を押さえる。
「わざわざ真田さんを引き合いに出したのは、ただ単にあたしをここに呼びたかったから……ってこと?」
『喚んだものの<力>を試すには相手が必要でしょう?』
「くだらない……」
ふぅ、と大きく嘆息して清華は円の中央に目をやった。
「……さっさと終わらせて帰ろ」
そこでは今まさに、この世のものならぬ唸り声とともにこの世のものならざる何かが姿を現そうとしている。
まるで沼の底から這い上がってくるかのように音楽室の床を波打たせ、<それ>は右前脚から現実の存在となっていく。同時に押し寄せる言いようのない不快感と圧迫感に美那の口から微かな苦痛の声がもれた。
「間宮さん……」
心配そうに清華の背中を見つめる美那。
「!」
次の瞬間、その背後に隠れるようにしていたさつきが声をあげた。
「清華、危ない……っ!!」
耳を刺す咆哮。<それ>が突然、視界の中で大きさを増す。
さつきはきつく目を閉じた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって」
清華の声が聞こえた。
さつきがおそるおそる目を開けると、真っすぐ突っ込んできた<それ>に対して軽く左手をかざして立つ清華の姿が目に入る。
「清華……」
力を入れているようには見えない。それどころか実際には直接手が触れてすらいないのに、熊のようにも見える異形の獣はその勢いを完全に止められていた。醜く爛れた全身に渾身の力を込めているようで、その四肢は床の上をじりじりと滑っている。
「大変だったわね。こんな場違いなところに、そんな不確かな形で呼ばれて」
清華は<それ>を見上げて穏やかにそう言ってから、小さくひとつ息をつぎ、そして短くつぶやいた。
「帰りなさい。在るべきところへ」
目も眩むほどの光が音楽室を包み、次の瞬間獣の姿はそこになかった。ただ、螢が飛ぶかのようにたくさんの光の粒のようなものが部屋の中を舞っていた。
『そんな……馬鹿な!』
愕然としたような謎の女性の声。
「……すごい、これが間宮さんの……」
光の乱舞にしばし目を奪われていた美那だったが、謎の女性が少しずつ動き始めているのに気付くと彼女をきっとにらみつけ、そして指差しつつ叫んだ。
「『歪めし者』どもよ、我が命に服せよ!
其は汝らの主にあらず、疾く去りて全てを『あるがまま』に顕わせ!!」
「え?」
さつきは驚いて美那の顔を見たあと、すぐにその指の差す方向に視線をやった。
「なに……っ!?」
どうやら逃げ出そうとしていたらしい謎の女性の姿が、何故か普通に見えるようになっていた。声も生のものになっている。
「え」
さつきは目を疑った。
「おまえも魔法を……!」
そう言いつつ美那をにらみつける謎の女性は……なんというか、かなり怪しい格好をしていた。
ないすばでぃなのは地だろうからまあいいとしても、そのいでたちは黒いレザーのぼでこんに黒いエナメルのハイヒール。茶色い髪は後ろはまあ許すとしても、前髪はかなり豪快に立てられている。
いちおー東京に住んでいた頃だったら、こーゆう恥ずかしい格好のヒト見たことないわけじゃないけど……いくらなんでもねぇ、と言いたくなるくらい目を疑ってしまうさつきであった。
「あなたなんかと一緒にしないで!わたしは……」
「美那ちゃん」
感情を昂ぶらせ食ってかかろうとする美那を落ち着いた声が遮った。
「そういうのってらしくないわよ」
「あ……す、すいませんっ」
我に返った美那が顔を真っ赤にして恐縮する。その様子を微笑しつつ見ていた清華だったが、視線を移すなりその切れ長の目が瞬時に刃の鋭さを帯びた。
「……で、実験とやらは成功?それとも失敗?」
周囲を凍てつかせそうな冷たい声。
一瞬、清華と謎の怪しい格好の女性の視線が交錯する。
「く……!」
短い声をもらすと、謎の怪しい格好の女性はあろうことか開いていた窓に向かって走り出した。
「覚えてなさい、次は必ず……!!」
そう叫ぶと迷うことなく窓から外に飛び出す。
それを見たさつきが真っ先にその窓のそばに駆け寄り、美那が、そして最後に清華がそれに続いた。
「わー」
「あんなものまで用意してたなんて……」
「悔しそうな捨て科白のわりに準備がいいこと」
謎の怪しい格好の女性(しつこい)は、大きな黒い鳥のようなものに乗ってどこか遠くに消えていった。
「ふぅ……これで終わり、でいいのよね」
清華が少しおどけたように大きくため息をついて、場の空気は穏やかになった。
「ありがと美那ちゃん。色々と」
「いえ……」
美那は真っ赤になって、慌てて首を横に振る。
「清華があんななのはいちおー知ってたけど……美那ちゃん魔法使いだったなんてあたし知らなかったな。なんかノケモノって感じ」
「あの、あまり人に知られたいことじゃないですから……」
さつきがぶーたれて、美那は苦笑した。
「間宮さんにだって伝えたのはついさっきなんですよ」
「え?でも図書館のとき……」
「あたしに分かってたのは<力>がある、ってことだけ。何を使うかまでは見ただけじゃ分からないわよ。……ま、美那ちゃんの中学のときの先輩がうちのクラスにいるから、それらしい噂は聞いてたけどね」
「え、誰?」
「奈津だけど。知らなかった?」
「知らなかった……う〜、やっぱりあたしノケモノかも」
「あぁ、河野さん、そんなことないですってば……」
しばらく騒いで。
「……さて」
部屋の中央に目をやると清華は腕を組む。
「どうにかしないといけないわね、これ」
残された魔法円と血みどろの床。
さつきと美那は顔を見合わせ、そしてなさけない表情で清華を見た。
「やるしかない?」
「やるしかない」
さつきの問いに答えて清華はきっぱりうなずいた。
「あ〜ん」
イヤだと言ったところで清華が聞いてくれるわけもなく、困ってとりあえず泣いてみたさつきである。
翌週月曜日、放課後
「……ん」
清華がもらした小さな声に気が付いてさつきが隣を見ると、相変わらず同じ作業を続けていたはずの清華が怪訝そうな目をしていた。
「どしたの?」
「見てこれ」
「なに?」
さつきは清華から手渡された紙に目を通した。
『このごろ時間を問わず、練習中に突然ピアノが鳴りだしたり、誰だか分からない声が練習に合わせて歌ってたりするんです。これってやっぱり真田さんの幽霊なんでしょうか?合唱部部長・2−e/野村歩美』
「……って」
さつきの頬を汗が伝う。
「またぁ!?」
「あの、それが今度はどうも本人らしいんですけど……」
そう言って美那が赤くなりながら苦笑する。
「え〜!?」
「……ほんとだ」
宙の一点を見つめながら清華がぽつりとつぶやいた。
『あ……見つかっちゃった……』
エコーのかかった澄んだ声。
次の瞬間、そこには青白く光る少女の姿があった。あの写真と同じ顔をして昔の制服を着た小柄な少女は、恥ずかしそうに微笑みながら宙に浮かんでいる。
「って、そんなぁ〜」
「あなた……まだ幽霊やってたわけ?」
『そういう言い方されると悲しいですぅ』
ゆっくり下に降りてきながら、ホンモノの真田響子の幽霊は泣きそうな顔になる。
『だって、現世には魅力がいっぱいなんですもん。SMAPとかV6とかぁ……』
「それってただのみーはー……」
「ったくもう……」
頭が痛くなりそうで、清華はこめかみに手を当てた。
「音楽室に縛られてるわけじゃないのに何やってるのよ、それにそういうことなら出てきて人に迷惑かけることなんてないでしょうが」
『そんなぁ、迷惑だなんて……ぐすっ』
「えーと、そんなに困ってるわけでもないんですけどね」
「あ、あゆちゃん。そーなの?」
「うん、やっぱり才能ある人みたいだからいてくれたら助かるかも……」
『そう言ってもらえると感激ですぅ』
「……もういい」
「あれ、清華どうしたの?」
「勝手にして。あたし戻る……」
気の抜けた様子の清華はそう言い残して音楽室を出ていく。
「珍しいこともあるもんねぇ」
さつきはその背を見ながらきょとんとしてつぶやいた。
「……ぢゃにーず系ダメだからかな?」
monologue
元合唱部員の幽霊、
二十年後の合唱部にふたたびあらわる……。
ってな感じで、
もともと数え切れないほどあった花間高校の伝説がこの日、
またひとつ増えちゃったみたいです……。
……そーいえばあの怪しい人、結局なんだったんだろ?