今日も日常的な日常 - Days of Wonder -
Supplements;19『花間の星、花の巫女』


「そういえば、ねぇ聞いて聞いて〜」
 ある日の夕刻、河野(こうの)家の食卓。
 さつきと向かい合って座る母・日向子(ひなこ)がふと、すらりとした容姿にさっぱり似合わないおっとりした調子で言い出した。
「んー?」
「今日ね、ご近所の奥さんたちに教えてもらったんだけど……」
 一見年齢不詳、スーツを着て黙って真面目な顔をしていれば妙齢のキャリアウーマンといった風情の美人だが、しかしてその正体はのんびり暢気な主婦である。
 普段の夕食の時間帯には父はまず仕事から帰ってこられないから、昼間に新しい街での日常を日々開拓している母の活動報告である『聞いて聞いて〜』の相手をするのは、専ら一人娘のさつきの役目になっている。そうそう面白い話が出てくるはずもなく、嫌というわけではないものの、正直あまり真面目に聞いているとは言えない。
「このまえさつきのお見舞いに来てくれた間宮(まみや)さんって、このへん住んでる人ならみんな知ってるレベルの有名人なのねぇ。びっくりしちゃった」
「ふえ?」
 今日も適当に聞き流すつもりだったさつきは、想定外の話題に目をぱちくりさせた。
 間宮さん――というのは、さつきが転入したばかりの高校のクラスメイトで左隣の席に座る、きりり系和風女子・間宮清華(さやか)のことだ。
 本人に詳しく聞いてはいないが、周囲曰く『お祭りや年末年始の光景が毎年ニュースで流れる』由緒正しい神社の娘だそうで、それに加えてあの美貌とくれば世間が放っておくはずはないと思う。だが、何のきっかけもなしに井戸端会議の俎上に載せられるネタかといえば、そこは大いに疑問がある。
「なんで、そんな話……?」
「さつきのこと説明したの、いま十六歳で、花間高校の一年生って。そしたら、だったらあの『花の巫女』さんといっしょなんじゃない〜、って」
 訊いてみればなんのことはない、新入りの自己紹介からの流れにすぎないと判る。ただ答えと一緒に新たな謎も手渡されてしまい、さつきは再び目をぱちくりさせた。
「はなのみこ?」
 初めて耳にするその二つ名は、クラスの評判とも、『お見舞い』の一件で彼女と接して得た印象とも、いまいち合っていない気がした。
「うん、そう呼ばれてるみたいなの。たぶん、お祭りがらみ?」
 あまり突っ込んでは聞かなかったらしく、今度の返事の中身は少々頼りない。すんなり飲み込めずに考え込む。
依子(よりこ)さんなら、わかるけど……)
 同じく有名な神社の娘だという花間高校の生徒会長・長岡(ながおか)依子であれば、普通の立ち居振る舞いからしておしとやかなお嬢様感たっぷりで、凛々しさが前面に出ている清華よりよほど似合いそうなのだけれど。
「ほかにもねぇ、『花間の星』とか……スターみたいな?」
「スター……って、まぁアイドルってタイプじゃない、けど……っ」
 考え込んでいるうちに、さらにもうひとつ増える。評しながら清華がピンクのふわふわひらひらな衣装で歌い踊る様子を想像してしまい、さつきは吹き出しそうになって言葉を途切れさせた。
(……清華のこと、まだまだぜんぜん知らないんだなぁ)
 ふー、と大きく息を吐く。
 するとバスの中やバスターミナルなどでしばしば彼女に注がれている視線も、ただ綺麗だからというだけでなく、きっとそれと知ってのものが多いのだろう。さつきの知らない活躍で評判の、『花の巫女』だ……と。
「それでね、うちの子とその子同じクラスだって言ったらすっごく盛り上がっちゃって、おつきあいしてもらったらいいことあるかもよ〜っておすすめされたりして……これじゃうちに来たこと話したらどうなるの? って思って」
 さつきが思いにふけるのを目に入れてはいるはずだがあまり気にしない様子で、今日の報告はさらに続く。
「どうしたの?」
「笑ってごまかしちゃった」
 見ると、てへ、と本当に言いそうな笑顔が咲いている。
「……正解、かもねぇ」
 この家の前の道路で、あるいはたどり着くはるか前にハイテンションなおばさま集団に取り囲まれてしまう清華、という図が浮かんできて、さつきは笑みをこぼした。
(誰かにきーてみよーかな……)
 それから頭の中の予定表に一行書き加えようとして、やっぱりやめておく。
 ――本人の目が届くところだと、本人が恥ずかしがりそうだし。

          ★

 朝、花間駅前バスターミナル・1番ポール。
 待ち合わせの場所にとてとてやってきたさつきを、人混みから離れて立っていた清華が涼しい顔で迎えた。いくつもの名無しの視線が、その光景に向けられる。
「おはよう」
「ん、おはよっ!」
「今日は元気ね」
 いつも通りの落ち着いた声で言ってくる清華の顔を、さつきはじっと見上げる。
 ――間宮清華、花間の星、花の巫女。
「なに?」
「なんでもない☆」
「そう?」
 にっこり笑って答えたさつきを、清華は不思議そうに見下ろした。