昼休み――昼食を済ませたあとの暇な時間にクラスの女子数人と輪になって携帯電話を突き合わせていたさつきは、ほくほく顔で自分の席に戻ると、左隣の席の少女に嬉しげに活動の成果を報告した。
「アドレス教えてもらったよ〜」
「良かったわね」
駅ビル内の書店のカバーが掛かった文庫本から視線をさつきに移して、
彼女がこの種の輪に加わることはない。理由ははっきりしているが、そうである理由はそういえばまだ聞いてはいなかった。
「清華はケータイ持たないの?」
「多分、高校生の間は」
答えはすぐに返ってきた。きっと、興味がないわけでも必要を感じないわけでもなく、そう『決めている』のだろう。
「そっか」
口にした言葉ほど割り切れていないのは、聞いた側には一目瞭然だったらしい。清華は目を伏せてしばし思案する様子を見せたあと、もう一度さつきを見た。
「普通のとは別に直接あたしの部屋につながる番号があるから、教えておくわ」
「え、いいの……?」
「代わりには、ならないだろうけど」
罪悪感をおぼえて不安げに目を向けてみたが、清華の気は変わりそうにない。貸して、と差し出された手に、さつきは携帯電話のキーロックを大急ぎで解除すると、電話帳登録画面の電話番号欄へ数字を入れるだけの状態にして渡す。
清華は見るからに慣れていない様子でじっと画面を見つめ、注意深くぷちぷちとキーを操作する。そして、終わるまでずっと見守っていたさつきに携帯電話を返してよこすと、ついでに少し顔を近づけてささやいた。
「しばらくは、内緒にしておいて」
「あっ、うん……っ!」
★
その夜清華のほうから掛かってきた電話は、十分も経たないうちに終わった。
『じゃあおやすみ、また明日』
「うん、おやすみなさ〜い」
風呂上がりのパジャマ姿で自室のローテーブルに向かっていたさつきは、学校の用事をいくらか片付けただけなのに一大イベントを終えたくらいの達成感と疲労感に包まれて、は〜、と大きく息を吐いた。
右手のシャープペンシルをメモパッドの上に置き、左手の携帯電話は持ったまま、立ち上がってベッドへ移動する。枕元に携帯電話を転がして、自分もころんと横になる。
「……あ!」
余韻に浸ろうとしかけたところで、訊き忘れがあったのに気がつく。
がばっと起き上がり、携帯電話を拾い上げる。着信履歴一覧を表示させ、いちばん上にあらかじめ登録しておいた名前が出ているのを指差し確認してから選ぶ。
『はい、間宮でございます』
しかし――数回のコール音のあと聞こえてきたのは、明らかに清華とは違う、さつきの知らない声だった。
「え?」
鈴の鳴るような……という表現の似つかわしい、高く澄んだ声。あどけなさのわりに、応対には慣れた様子だ。
(かわいいっ! でもだれ? 間宮って言ったもん、まちがってはないよね?)
想定外の事態に内心どきどきしながら、さつきは頭の中の一般常識の引き出しを急いでまさぐり、何とかそれらしい言葉を都合した。
「あ、えと、花間高校一年d組の河野と申しますが、清華さんいらっしゃいますか?」
『はい、少々お待ちください』
打てば響く、の見本のような滑らかさで答えた心地好いソプラノに、味気ない保留中のメロディが取って代わる。少し残念に思いつつ待っていると、電子音がふと途切れ、もうだいぶ聞き慣れたアルトの声が呼びかけてきた。
『お待たせ――何か、言い忘れでもあった?』
「あっうん、そーなんだけど……」
『ああ、話してなかったわね。今のは妹、四つ下で、名前は果実のジツにサトって書いてみのり』
さつきが何を気にしているのかすぐに察して、清華は言葉を継いだ。その簡潔な説明に続いて、みのりです、よろしくお願いします! と、元気な声が耳に届く。
(や……、かわいい……!)
高校一年生である自分たちの四学年下なら、小学六年生ということになる。清華の隣に寄り添っているであろう様子、仲良しであろう姉妹のいる部屋を、さつきは衝動に従ってイメージする。
この声で、見た目は清華と似ているのだろうか。逆に、清華は小さいころ、こんなふうだったのだろうか――。
想像はふくらみ、もはや用事そっちのけで気になってしまう。が、口にしてしまうのはさすがに不躾だろうと、すんでのところで踏みとどまる。
「おねーちゃんなんだ……」
つぶやいて、噛み締める。そうと知ってから振り返ってみると、出会って間もない自分への彼女の接し方には、そこかしこあれやこれやに『お姉さん』らしさがあった気がしてきてしまう。
(あ〜っ、あたしって単純……っ!)
さつきはひとり頬を熱くする。
そこへ、清華が思い出したように付け加えた。
『あと、今は東京の大学行っててうちにはいないけど、四つ上の兄も――』
「妹なんだっ?」
今度は踏みとどまれず、話の途中で変に上ずった声が出た。
『……意外そうね』
「え〜、だって……」
意外そうな清華に、さつきは自身の感じた意外さのほどを伝えるべく、情感をたっぷり込めて朗々と語りかける。
「『おにいちゃんっ☆』って甘えてるとことか、想像つかないもんっ!」
少し間が空いたあとの反応は、明らかに先ほどまでとはトーンが違っていた。
『そんなもの想像しないでよろしい』
(あ、呆れてる? 照れてる?)
いずれにしても、基本的に無愛想な普段の様子より可愛げがあると思う。
『もう……で、何なの言い忘れって』
ふふっ、とついこぼれた笑いを聞きとがめて、清華がたぶん唇を尖らせている。
さつきはもう一度はっきり笑い声をあげてから、本題に戻ることにした。
「ん、あのね……」