第3部 動物と動物の間の平和を実現する
                         

私たちが旅行やハイキングをした時に、視界に入ってくる自然は、のどかで美しく平和な世界だ。だから、自然は素晴らしいと賛嘆してしまう。しかし、それは植物の世界だけであって、動物の世界は平和とは縁遠く、毎日が食うか食われるかの残酷な世界だ。私たちの目が届かない、その実態を知ったら、自然観の根本的な修正を迫られるだろう。

この世界を野生動物の受難の場から平和の場に変えるには、どうしたらよいかを考えることが第3部の目的である。自然の残酷さの実態を1で、その原因を2で、捕食を止める方法を3で提案する。

 1.残酷な自然

過去、人間の食用に殺害された動物の数は膨大なものだが、肉食動物によって殺害された動物の数は、それをはるかに上回る。なぜなら、人類の祖先が地球上に登場したのは約五〇〇万年前だが、原始的な魚類は約四億八千万年前に、恐竜や哺乳類は約二億三千万年前に出現したからである。その時から今日に至るまで、一時も絶えることなく、動物にとってこの世界は血塗られた弱肉強食の場であった。

(1)ある光景

野生の肉食動物が他の動物を捕食する場面のドキュメンタリーは、普通はかなり遠い距離を置いて、細部はよく分からないように編集されている。しかし、私が一〇年ほど前に偶然見たテレビの映像は、事実を隠さずに伝えていた。

 一つの場面では、夜、五、六頭のハイエナが、一頭の鹿に似た動物を取り囲んで、その腹部を食いちぎっていた。動物は、もはや逃げたり抵抗したりする気力をなくして、そこに立ちすくんだまま、ハイエナの執拗な攻撃をなすがままに受けていた。たちまち、腹部の皮が引き裂かれて、血だらけになった肉が腹部一杯に露出した。動物の四本の脚はよろよろとしたが、崩れないで地面に立ち、傷だらけの体を支えていた。ハイエナはその露出した血だらけの肉に噛み付いて、肉片を噛み切って食べ始めた。それでもまだ、動物は倒れないで懸命に立っていた。この生きながら食べられている哀れな動物を助けようとする者は、ついに現れなかった。

 もう一つの場面では、雄ライオンの攻撃によって、鹿に似た動物が既に立っていられなくなって、座り込んでいた。その傍らにライオンも座って、血だらけになった腹部を悠然と食べていた。動物は、まだ頭をすっと上に立てたままの状態で、大きな美しい目を開けて前方を見ていた。何事も起きていないかのような平常の状態の上半身だけを見ていたら、この動物は草原で一休みしていると思うだろう。しかし、食いちぎられて血だらけになった腹部を見ると、この動物の静けさは、恐怖と諦めから生じたものであることが分かる。

 この二つの出来事は何も特別なことではなく、地球上いたるところで、毎日繰り返されている一こまである。けれども、私は、自然の残酷な正体を初めて知ったような衝撃を受けた。このようなことが絶対に存在してはいけないことを、心と体の全体で直観した。たとえ人々がこれを自然の摂理として是認したとしても、自分は断固として否認しなくてはいけないと思った。

そして、生きながら食べられている動物を救うために、ハイエナやライオンを追い払いたいと思った。しかし、数日後に次の事に気がついた。「ハイエナやライオンを追い払う資格は、自分にはない。なぜなら、自分も牛や豚や鶏の肉を食べているから、彼らと同類で、違いはないのだ」。このことに気づいて、私は肉食を止めた。偶然にこの映像を見ていなかったら、一生肉を食べ続け、私の哲学は動物問題を欠いた皮相なもので終わったかもしれない。

() 食物連鎖

 動物の弱肉強食の実態には、食物連鎖という関係が見られる。食物連鎖の出発点は、太陽光線を使い、二酸化炭素と水から光合成によって自分の体を作り、酸素を出す植物(生産者)だ。植物を食べて生きるのが草食動物(一次消費者)で、この草食動物を食べる肉食動物(二次消費者)と、さらに、その肉食動物を食べる大型肉食動物(三次消費者)がいる。このように食う、食われるの関係によって、生き物が連鎖的につながっていることを食物連鎖と呼んでいる。次はその実例である。

・植物をコオロギやバッタなどの虫が食べる→虫をカエルが食べる→カエルをヘビが食べる→ヘビを鷹が食べる。
 ・植物をバッタが食べる→バッタをカマキリが食べる→カマキリを小鳥が食べる→小鳥を鷹が食べる。
 ・植物をリスやネズミが食べる→リスやネズミをコヨーテやアナグマが食べる→コヨーテやアナグマをオオカミが食べる。
 ・草をバイソンが食べる→バイソンをオオカミが食べる。
 ・海中の植物プランクトンを動物プランクトンが食べる→動物プランクトンをイワシが食べる→イワシをイカが食べる→イカをアシカが食べる→アシカをシャチが食べる

2.捕食の原因

 この地球上には、なぜ肉食動物が存在しているのだろうか? それは、進化論によって説明できる。肉食動物と草食動物の体の構造は、進化の過程で突然変異と自然淘汰の繰り返しにより、少しずつ形成され、その体の構造に適合した食習慣ができあがっていった。そして、食習慣に適合した体の構造を持った動物が、生き残ってきた。

約五億四千万年前に海中で多細胞生物が爆発的増加を始めたカンブリア紀の頃から、既に、他の動物を捕食する動物が存在していた。そして、約三億六千万年前に、海から川を経由して陸上に登場した脊椎動物が、進化を重ねて、肉食する小型の爬虫類や哺乳類が生まれ、草食動物を捕食して、子孫を増やしてゆく。小型の肉食動物がさらに進化して、刃物のような歯や爪を持つ大型の肉食動物が現れて、小型の肉食動物や大型の草食動物を襲う。他方、草食動物は鋭い歯や爪を持っていないので、肉食動物に襲われても自分を守ることができず、彼らの餌食になってしまう。

弱肉強食という行為は残酷であるが、肉食動物の体は植物の消化に適していないため、他の動物を捕まえて食べないと、生き延びることができない。そのような肉食動物が出現した原因は、進化という自然法則にあった。自然法則には、善と悪を識別する働きが無い。

 3.捕食を止める
方法 

 人間の肉食については、少数ながら動物保護団体やベジタリアンが否認している。ところが、野生動物の捕食に関しては、自然の摂理と見なして、動物保護団体もベジタリアンも容認している。

動物の解放を主張するシンガーも「人間は動物を殺さなくても、生きていくことができる。だが、肉食動物は、生きていくためには、他の動物を殺す以外に道はないのだ」と述べて、野生動物の弱肉強食を許容する。そして、「いったんわれわれが他の種に対する支配権を放棄したら、彼らへの干渉は一切止めるべきだ。われわれはできる限り彼らをそのままにしておくべきである」と言う。また、肉食動物を地上から除去すれば、草食動物が過剰に繁殖して、生態系が崩れることを心配する。このシンガーの放任説は、大多数の人々の考えを代表しているのではないだろうか。

しかし、クジ引き理論を適用すると、放任説は正しいとは言えない。野生動物の弱肉強食の世界は、人間には全く関係ないと考えるのは、間違っている。人間は道具や火を作るようになるまで、肉食動物に捕食される危険に常にさらされていた。動物に襲われた人間は、誰かに助けを求めただろうし、実際に近くの仲間が助けようとしただろう。私たちも、その時代に生まれるクジを運悪く引いていたら、捕食されていたかもしれない。今でも私たちは偶然次第で、人間ではなく、捕食される動物に生まれるクジを引いていたかもしれない。

家畜だけに同情し、捕食される動物に同情しないのは、不公平でもある。第一節の「ある光景」のような現場に実際に居合わせたら、食べられている動物を助けたいと誰でも思うだろう。このように、野生動物も放置しないで助けることが、私の介入説である。 

(1)肉食動物が好む植物を開発する

 人間が肉食を止める方法は、ベジタリアンになることだが、野生の肉食動物が捕食を止める方法はあるのだろうか? もしも、肉食動物でも十分に消化でき、好んで食べたがり、肉と同程度の栄養が摂れる植物が開発されたら、肉食動物は、それを食べるだろう。動物を追いかけて捕まえることは失敗も多いので、必ず食べられる植物があれば、動物よりも植物に依存するようになるかもしれない。そのような植物を開発すれば、ベジタリアンが買って、ペットの犬や猫にも与えるから、ビジネスとしても採算が取れるだろう。この夢を実現して、残酷な自然を変えようという野心を持つ科学者や企業家の出現を、動物たちは救世主として待ち望んでいる。 

(2)肉食動物を存在させない

 鹿を捕食する肉食動物を駆逐した実例がある。アメリカのアリゾナ州カイバブ高原には、二〇世紀初頭、ミュールジカが約四千頭いた。政府は一九〇六年にここを保護指定区にし、鹿をもっと増やすために、羊や牛は他の地に移し、オオカミ・ピューマ・コヨーテ・ボブキャットなどの捕食者を捕獲して、駆逐した。その結果、ミュールジカは予想通り殖えはじめ、一九二〇年には六万頭、一九二四年には一〇万頭と増えた。ところが、増えすぎた鹿が草や木を食べ尽くし、食料が不足して、餓死が始まり、一九二九年には三万頭、一九三九年には一万頭にまで減ってしまった。

 この話は、食物連鎖に対する人間の干渉が望ましくない結果を招いた例として、よく紹介される。そのため、「草食動物が過剰に増殖すると、植物を食いつぶして、草食動物自身が生きてゆけなくなる。しかし、捕食者である肉食動物は、これらの草食動物を適当に捕食して減らすことにより、その生態系を調整し安定化させるので、必要な存在である」と考える人もいる。

 確かに、ある地域の植物が養える草食動物の数には限度があるので、放置すれば、短期的にはバランスが崩れることが起きるかもしれない。しかし、餓死によって動物が減れば、その土地が砂漠にならない限り、再び植物が増える。したがって長期にわたって見れば、動物と植物の増減が繰り返されて、両者のバランスはとれるのではないだろうか。

 もしも、大量の餓死を避け、植物も一定に維持したい場合、草食動物の増加を抑制するために、どのような方法があるだろうか? オーストラリアは、カンガルーの繁殖による被害に悩んでいる。だが、カンガルーを減らすための射殺は、動物保護団体から強く反対されている。また、雄の去勢手術や、雌への不妊用ホルモン注射をしようとすると、捕獲しなければならず、これは大変な作業だ。そこで、雌のカンガルーに与える経口避妊薬の開発を計画している。カンガルーを引きつける強力なえさを作って、そのえさに避妊薬を混ぜて、カンガルーが住む場所に置いて食べさせる。この方法が成功したら、他の国でも採用されて、動物と植物がバランスよく共存できるだろう。

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