第2部 人間と動物の間の平和を実現する 
 動物を苦しめ、健康を損ない、飢餓を生み、環境を破壊してまで、あなたが肉食を必要とする理由は何ですか? 

人間が動物に与えている苦痛は、肉食・動物実験・毛皮・ペットの遺棄・スポーツ狩猟など、さまざまだが、その中で最大規模のものは肉食である。第2部では、人間と動物の間に平和を実現するために、人間の肉食の習慣によって動物が苦しんでいる実態を1で指摘し、肉食の原因と弊害を2で明らかにし、肉食を止める方法を3ですすめる。

1.動物の苦しみ

 人間の食卓に供されるために、毎日、膨大な数の動物たちが命を奪われている。日本の場合、一日当りの平均屠畜数は、牛三五〇〇頭、豚四万五〇〇〇頭、鶏一六一万六〇〇〇羽である(農林水産省公表の二〇〇四年度の年間屠畜数から算出)。

 世界全体の一日当りの平均屠畜数は、牛四〇万頭、豚三六〇万頭、鶏七七二〇万羽という想像を絶する数である(国連食糧農業機関公表の世界全体の二〇〇四年度肉生産量と、一頭から取れる肉の平均量から推定)。

人々が肉を食べる時に思うことは、この肉は美味しいかどうかということだ。その肉を提供した動物が、どれほど苦しみに満ちた一生を送ってきたかを、想像することは全くない。それについて、誰からも知らされてこなかったし、自ら知ろうともしなかったので、想像することができないのだ。子供の時から、親の作る食事や、学校の給食や、レストランの料理として、目の前に出された肉を、その肉がつくられたプロセスを何も知らないまま、まわりの人びとにすすめられて、あるいは、まわりの人びとを模倣して食べてきた。その習慣が今も続いているわけだ。

昔の牧歌的畜産の多くは、今や効率を再優先する工場畜産に取って代えられた。そこでは、動物は「低価格のエサを高価格の肉に変換する機械」として取り扱われる。その結果、全ての飼育プロセスは、動物の苦しみを無視して、最小の経費で最大の利益を得るように考案されている。したがって、畜産動物の一生は、牛も豚も鶏も基本的に似通ってくる。

(1)牛の苦しみ
小牧久時(一九二六〜 )は、肉食を止めることを訴える広告をニューヨークタイムズに数十年にわたって出し続けてきた。アメリカ人が肉食を止めれば、それに習って、日本や他の国の人々も肉食を止めるだろうという戦略である。彼は生物体内における微量元素の変換の発見によって、一九七五年度ノーベル生理医学賞の候補者になった科学者であるが、三十歳のとき、日本の菜食主義のバイブルといわれる『生命の尊重』という本を書いた。その中で、菜食主義の運動を始めるきっかけになった光景を次のように述べている。

 とにかくも、これらの勤労者には何の責任もない。
  これらの勤労者には、何の責任もないが、牛を食う人々の側には責任がある。
  牛は機械的に無造作に殺されてゆくが、牛を殺すのは、この善良な勤労者の意志ではなくして、
  牛を食う人々の側の意志なのである。その意志がこの形容に絶する酷薄なる行為を朝な朝なに、
  仏教の都、京都の場末の一角において奇跡なしに繰り返させているのである。 
   私はもう落ち着いていたが、牛の苦悩はありありと感得せられた。
  そのかっと見開いた大きな目は、この人間の暴挙を憤っているようにも見えたが、また哀願しているようにも思えた。

   やがてその目がどんよりと曇りを帯びて光を失い始める頃、牛はうすれゆく意識で最後にぶるぶるっと怒り震えた。
  そうしてもうぐったりとした。

  こんな残酷な行為に対して、断乎として反対して起つ者はいないのであろうか。
  では、私が起とう。起って世界の津々浦々にまでこの心ある生命の兄弟の怒りを伝えよう。

  またもや、牛は重病人のようにうめいた。
  腹部が波打っている。目はかっと見開いている。
  動物だから苦しみが少ないのだと、誰が言うのだと言っているように。

(2)豚の苦しみ
雌豚の妊娠期間は一一五日前後で、子豚が離乳して四日から七日後には、雌豚はまた妊娠させられるので、平均して一年間に二・二回出産させられる。受胎後は流産を防ぐため、体を回転できないほど狭いスペースに閉じ込められて、生涯の大部分を過ごす。子豚は、識別のために耳を、母親の乳首を噛まないように歯を、過密な畜舎内でストレスのたまった仲間に噛まれても重大な傷にならないように尾を、切断される。雄の子豚は、肉の臭いを少なくし、成育を促進するために、麻酔なしで去勢される。

そして、ほとんど屋外に出されることなく、生後六〜八ヵ月経つと、屠畜場に送られる。そこで電気ショックで気絶させられ、時には意識がある状態で、血を抜くために生きたまま咽喉を切られて、喜びのない悲惨な一生を終える。その死体の肉を、人間は美味しいと言いながら食べるのである。      

2.肉食の原因と弊害

 (1)飢餓を生む

昔の食料不足
肉食の第一の原因は、食料の不足であった。人類の先祖に当たる類人猿は、アフリカの森林で樹上生活をしていた頃、主に木の実などを取って食べていた。ところが、気候の寒冷化で森林が減ったため、生活の場が草原に移り、類人猿は直立歩行する人類に進化した。そして、食料の不足を補うために、槍や弓などの道具を作って狩猟をして、動物の肉も食べるようになった(第W部第2章1)。 

 このように人間は元来、肉食動物ではなく草食動物である。人間に最も近いチンパンジー・ゴリラ・オラウンターンなどの類人猿も、草食動物である。人間も類人猿も、動物の皮や肉を食いちぎるための鋭い牙がなく、代わりに草や木の実をすりつぶす臼歯が発達している事実が、それを証明している。オオカミやライオンのように、道具を使わないで、自分の爪や歯だけで動物を捕まえて殺し、皮と肉を食いちぎることは、人間にはできない。

道具や火を使用して身を守るようになるまでは、人間は肉食動物に食べられる危険が常にあり、弱者だった。人間は鋭利な石器を持つことによって、肉食動物の鋭い爪と牙に代わるものを手に入れて、強者になり、動物を捕食するようになった。つまり、草食動物でありながら肉食動物になった。このように人間の肉食は、本質的には野生動物の弱肉強食と全く同じものだ。

 農業を始めた後も、生産性が低いため、それだけでは十分な食糧を供給できず、牧畜も必要であった。このように人類は厳しい自然の中で生き延びるために、何でも食べざるを得なかった過去があり、その習慣が現代のように穀物が十分にある時代でも続いている。

飢餓 ― 現代の食料不足
現代は、穀物は十分あるのに、飢餓が起きている。世界では一日に四万人が飢餓で死んでいるといわれている。そして、飢餓に苦しむ人々は、三〇ヵ国で五億人に達し、彼らを救うためには、二七〇〇万トンの穀物を供給すればよいという。一方、世界の年間穀物生産量の一七億トンのうち、半分近い八億トン以上の穀物が、家畜の飼料に使われている(中村三郎『肉食が地球を滅ぼす』)。そうだとすると、人々が肉の消費をわずか三%減らして、家畜用穀物の三%を、ODA(政府開発援助)のような国際機構を通じて、飢餓に苦しむ人々にまわせば、かれらを全て救うことができる。

地球上で耕作や牧畜に利用できる土地の面積には限界があるので、世界の人口が今までと同じ傾向で増加すれば、二一世紀は飢餓の世紀になるだろう。そのとき、人類は飢餓を解決するために、効率の悪い肉食を止めざるを得ないだろう。なぜなら、一キログラムの動物性タンパク質を肉として生産するために、飼料として家畜に与えなければならない植物性タンパク質は、牛は一七キログラム、豚は七キログラム、鶏は三キログラムだからだ(ピーター・コックス『ぼくが肉を食べないわけ』)。  

(2)動物の生きる権利を奪う

肉食の第二の原因は、人間の動物観であった。欧米の動物観の中で人々に最も強い影響を与えたのは、アリストテレスの動物観とキリスト教の創造論とデカルトの動物機械論である。

アリストテレスの動物観
アリストテレス(前三八四〜前三二二)によると、理性的能力が乏しいものは、理性的能力がより優れたもののために存する。したがって、思考能力が自由人より劣る奴隷を「生きた道具」とみなして、奴隷制度を支持した。そして、奴隷制度は正義にかなっており、好都合なものであると考え、「奴隷は人間でありながら、他人に属するところの者(財産の一項目)なのである」と述べている。

同じ理由で、動物も人間の利益のために存在すると考え、次のように述べている。

「植物は食料として彼ら(動物)のために存し、他の動物は人間のために存し、そのうち家畜は使用や食料のために、野獣はそのすべてでなくとも、大部分が食料のために、またその他の補給のために、すなわち衣服やその他の道具がそれらから得られるために存するのである」(シンガー『動物の解放』)。

アリストテレスは「人間は理性的動物である」と述べ、人間と動物の最大の違いは、理性が有るか無いかであると考えた。しかし、チンパンジーやゴリラのような類人猿だけでなく、豚や馬などの家畜も、程度は違うが、理性や知性と言えるものを備えていることが、現代の科学で明らかにされている。

キリスト教の創造論
「そこで神は人をご自分の像の通りに創造された。神の像の通りに彼を創造し、男と女に彼らを創造された。そこで神は彼らを祝福し、神は彼らに言われた。『ふえかつ増して、地に満ちよ。また地を従えよ。海の魚と、天の鳥と、地に動くすべての生物を支配せよ』」(旧約聖書 創世記第一章)

「神はノアとその子らを祝福し、彼等に言われた。『ふえかつ増して、地に満ちよ。すべての地の獣、すべての天の鳥、みな君たちを恐れ、君たちの前におののくだろう。それらを、すべての地に動くもの、すべての海の魚とともに君たちの手に与えよう。生きて動いているものはみな君たちの食糧にしてよろしい』」(旧約聖書 創世記第九章)

このように、人間は他の生物とは違って、神の姿に似せて創造された特別な存在で、他の生物を支配する使命を与えられていること、そして、人間は全ての動物を食べてよいことが、神の言葉として聖書に記されている。

しかし、この創造論は、ダーウィン(一八〇九〜一八八二)の進化論によって否定された。現在、地球上に存在している全ての生物は、四〇億年前に海の中で最初に誕生した単細胞生物が進化し続けた結果として、生まれたものである。約五〇〇万年前に類人猿と人類の共通の祖先から、人類が枝分かれして発達を始め、現在の人間が登場した。

デカルトの動物機械論
 近代哲学と解析幾何学の父と言われるデカルト(一五九六〜一六五〇)によると、人間の体と動物の体は精密な機械である点は似ている。しかし、人間は永遠不滅の魂を持っているのに対して、動物は魂を持っていない。そして、意識や感覚の主体は魂なので、動物は意識も感覚も持たない単なる精密機械に過ぎない。だから、動物は苦痛を感じない。このような動物機械論を説いたデカルトは、肉食や動物実験を正当化し、「私の意見は、人間が動物を食べたり殺したりするときに、罪を犯しているのではないかという疑いを取り除いてくれる」と述べた(シンガー『動物の解放』)。 

 しかし、現代科学によると、人間の意識や感覚はすべて脳の働きによるもので、死んで脳が働かなくなれば、意識も感覚も消滅する。色・音・味・痛みなど、さまざまな感覚は、感覚器官に与えられた刺激が神経によって脳に伝達されて生じる。動物は、進化の度合いに応じて発達した感覚器官や神経組織や脳を持っているので、苦痛を感じることができる。

 以上のように、科学的知識に照らし合わせると、アリストテレスの動物観もキリスト教の創造論もデカルトの動物機械論も、すべて間違いであることが、現代では証明されている。

人間の生き方は、他の動物とくらべて、いかなる点で優れているのか?
ここでは特に人間と他の哺乳動物を比べてみよう。両者は体の構造や機能だけでなく、生き方でも、相違点よりも共通点の方が多い。どちらも、両親の交わりによって受精した卵子が、子宮で育って、この世界に誕生し、母親の乳を飲んで成長する。そして、食べるために動きまわり、異性と交わって子供を産んで育て、喜び、苦しみ、最後に死んでいく。この一生の基本的なプロセスは、人間も他の哺乳動物も大差ない。客観的に見ると、これが、人間を含む全ての哺乳動物がたどる共通の運命だ。

 ただ、人間は他の動物よりも理知的能力が高いので、言葉や道具や火を使い、分業と協業を進め、一生の基本的プロセスをより便利なものにした。また、自己や種を保存するための活動以外の時間を、動物たちは休息して過ごすが、人間は休息の他にいろいろな気晴らしや楽しみを求めて過ごす。だが、この点でも絶対的な優劣をつけがたい。最も大きな違いは、人間が文明を築き、科学技術を発達させたり、環境を変えたり、高度な精神生活をしたりすることであろう。

 動物はこのような営みをしないから、自由や生存の権利を持たないという主張がなされたとしたら、このような営みに直接関与していない人びとは、自由や生存の権利を持てないことになる。そして動物と同じように扱われても、止むを得ないことになる。もしも、それに同意しないのであれば、動物も自由や生存の権利を持つことを認めざるを得ないだろう。

すべての動物は平等である  
「すべての人間は平等である」という考えの根拠は、「(人間を含め)すべての動物は平等である」という考えの根拠にもなりえると、哲学者のシンガー(一九四六〜 )は『動物の解放』の中で説いた。そして、「すべての動物は平等である」という考えを動物解放の基本原理とした。

「すべての人間は平等である」と考える根拠としては、次のことが一般に承認されている。人間の外観や能力には違いがあり、その点では人間は平等ではない。そうではなく、人間は誰でも、自由で、生存と幸福を追求する権利を持っているという点で平等なのである。この基本的権利は、ある人間から他の人間に与えられるものではなく、生まれながらに天から平等に与えられたものだ。

この平等性の基礎を、哲学者のベンサム(一七四八〜一八三二)は「各人は一人の人間としての価値を持っており、なんぴとも一人分以上の価値を持っているわけではない」と表現した。この真理が社会で認められず、奴隷や黒人や女性や特定の階級やグループが、基本的権利を奪われ、差別され、支配された時代があった。

以上の文章で人間という言葉を、動物という言葉に置き換えてみよう。矛盾は何も生じない。これは、「すべての動物は平等である」という考えが正しいことを示している。

動物解放運動
現在、動物解放運動の最前線は、チンパンジー・ゴリラ・オラウータンなど大型類人猿の法的権利を制定する運動である。すでに大型類人猿を使う動物実験を禁止する画期的な法律が、一九九九年にニュージーランドで、二〇〇三年にスウェーデンで制定されている。

この運動の究極的目標は、これを突破口にして、実験や畜産などに利用されている動物にも法的権利を与えることだ。いきなり一般の動物の法的権利を人々に認めさせることは難しいので、そこに至る第一段階として、理論的に反論の余地が少ない大型類人猿の法的権利の成立を目指す戦略である。この理論は、大型類人猿の基本的権利を認めさせるために、大型類人猿と人間に見られる多くの本質的な類似点・共通点を、科学的に示す手法をとっている。

(3)健康を損なう

肉食の第三の原因は、健康のためには肉が必要であると説く従来の栄養学にある。だから、肉が嫌いな子供も半強制的に肉を食べさせられて大人になる。この従来の栄養学の圧倒的影響により、一般の料理の本は肉料理が主体になっているし、レストランのメニューから肉を使っていない料理を探し出すのは容易ではない。

現在は、魚や大豆や卵や乳製品を食べていれば、肉を食べる必要は全くないことが分かっている。また、多量の肉の摂取は、主に次の三つの理由により健康を損なうことが明らかになっている
@ 牛肉や豚肉に多量に含まれる飽和脂肪酸は、体内で固まりやすく、多量に摂ると、血液の粘度を高めて血流を悪くするため、酸素や栄養素が細胞に届きにくくなる。
A 飽和脂肪酸はコレステロールや中性脂肪を増やす働きがあるので、多量に摂ると、動脈硬化・心疾患・脳血管疾患などを引き起こす。
B 多量の肉の摂取は、ガンと密接な関係がある。

(4)環境を破壊する 

開発途上国の貧しい人々は、国際大資本の下で、森林を伐採して、牧場や農地を新しく作る。そして、収入を増やすために、牧草地が養える限度を超えて、たくさんの家畜を飼う(過放牧)ので、草は再生不能になるまで食べ尽くされ、土地は日光にさらされて乾燥し砂漠化する。すると、人々は砂漠化した土地を捨てて、さらに奥地に森林を切り開き、再び新しい牧場を作るので、悪循環が繰り返され、砂漠化がどんどん進行していく。

 砂漠化の原因としては、過放牧の他に、森林減少、農業活動、乱開発がある。これらの原因によって、一九四五年から一九九〇年の四五年間で、世界で十二億ヘクタール(中国とインドを合わせた面積にほぼ等しい)の農用地が砂漠化した。すべての原因の中で、過放牧が占める比重は三五%で、第一位を占める。これに、牧草地の新設による森林減少と、家畜飼料のための農業活動(過耕作)を加えると、牧畜関係の比重はさらに高まる(矢口芳生『地球は世界を養えるか』)。

森林が砂漠化する結果として、次のような環境破壊が生じる。
@ 温室効果ガスの二酸化炭素を吸収して、酸素を出す働きがある森林が減るので、地球の温暖化が加速する。
A 雨を地中にためておく森林の力が弱まるので、大雨が降ると洪水が起きやすくなる。
B 現地人の燃料・食料と、世界の木材の供給源が減少する。
C 森林で生活する野生動物が住みかを奪われて、生物種が減少する。

 地球温暖化については、牛や羊のゲップや排泄物も大きな作用を及ぼしている。牛や羊のような反芻動物は四つの胃を持ち、第一胃で草を発酵・分解する際にメタンができ、それがゲップとして空中に放出される。世界中の牛や羊のゲップや排泄物から出るメタンは、大気中のメタンガス全体の二五%に達する。しかも、メタンには二酸化炭素の二十一倍の温室効果がある。

(5) 肉の美味

 肉食の第四の原因は、肉を美味しいと感じる人が大勢いることである。日本で肉食禁止令が出されていた時代でも、その美味を求めて密かに肉食をした例はあった。世界中で人気のあるマクドナルド・ハンバーガーやケンタッキー・フライド・チキンの成功の秘訣は、値段の安さだけでなく、肉の旨味を上手に引き出したことにもある。スーパーに並んでいるさまざまなインスタント食品や調味料の袋の裏の成分表を見ると、必ずと言ってもいいほど、肉や肉のエキスが入っているのは、多くの人が肉を美味しいと感じているからだ。

今まで普通に肉を食べていた人が肉食を止めると、しばらくの間、肉の味を懐かしむことがある。このような人のために、主に大豆から作った肉の模造品が、三育フーズや満菜などのメーカーから販売されている。味・形・色・歯ごたえ等が本物に似ているので、言われなければ本物だと間違えるものもある。しかし、肉の無い新しい食生活に慣れてしまうと、肉の味を懐かしむことはなくなる。

 3.肉食を止める方法

(1)   シーフードベジタリアンのすすめ

肉食という習慣は、動物を苦しめて動物の生きる権利を奪い、飢餓を生み、健康を損ない、環境を破壊することを、前節までに見てきた。これらの肉食の弊害を無くすために、人類は肉食の習慣から脱却して、ベジタリアンになることを求められている。

しかし、ほとんどの日本人は、ベジタリアンは普通とは違う特殊な人間だと考えている。ベジタリアンは、菜食主義者と翻訳されているため、野菜・穀物・果物などの植物性食品だけを食べる人だと思っているからだ。それは大きな誤解である。語源は「野菜」ではなく、「健全・活発」を意味するラテン語だ。ベジタリアンの一般的な定義は、「(哺乳類の)肉を食べない人」である。この基本条件を守った上で、さらにどのような条件を加えるかによって、いろいろなタイプのベジタリアンが存在する。

肉だけでなく、鳥・魚・卵・乳製品など動物性食品は一切食べない厳格なタイプは、ビーガンと呼ばれるが、これは非常に少ない(アメリカでは〇・九%)。欧米で最も多いのは、肉・鳥・魚は食べないが、卵・乳製品は食べるタイプである。肉・鳥は食べないが、魚・卵・乳製品は食べるシーフードベジタリアンというタイプもある。和食に魚は付きものなので、シーフードベジタリアンなら、日本人は誰でも容易に実行できる。理想はビーガンだが、日本では長く続けにくい面がある。まず、自分にできることを実行することが重要だ。 

人々がベジタリアンになることを躊躇する大きな理由は、肉を食べなくても、良質のたんぱく質を十分に摂れて、健康を維持できるだろうかという疑問である。しかし、それは無用な心配だ。肉の代わりに魚や大豆製品を食べれば、たんぱく質や必須アミノ酸の含有量など、肉に勝るとも劣らない栄養を摂取できる。これは、すでに栄養学で証明されていて、この章の最後に示した「食品可食部一〇〇g当たりのたんぱく質と必須アミノ酸組成」の表で比較してみれば明白だ。そして、肉だけに含まれていて、他の食品には含まれていない栄養成分というものは、まだ確認されていない。シーフードベジタリアンの食事は、米国の「ガン予防一五ヵ条」ですすめられている食事に極めて近い。

(2)   政治が食習慣を形成した

現在、ベジタリアン人口は、インド 六〇%・イギリス 九%・台湾 六〜九%・ドイツ 八%・スウェーデン 六%・イタリア 四%・オランダ 四%・アメリカ 二・五%という調査結果がある。肉食を是認するキリスト教の下で、昔から肉食を続けてきた欧米に大勢のベジタリアンがいる。他方、あらゆる生きものに対する慈悲を説く仏教の下で、六七五年に天武天皇が肉食禁止令を出してから、一八六八年の明治維新まで、一二〇〇年にわたり肉食忌避が行われてきた日本は、現在、シーフードベジタリアンでさえ、ゼロに近い。この不思議な現象は、なぜ起きたのだろうか?

その最大の原因は、政治のあり方が日本人の食習慣を形成してきたことだ。歴史を振り返ると、日本人は食習慣の大変革を三回経験している。聖徳太子(五七四〜六二二)の時代から江戸時代の終わりまで、日本の為政者は国民を統治するために、仏教と儒教を利用した。肉食禁止令は仏教の不殺生の戒律にしたがったものだ。

元禄時代に徳川綱吉(一六四六―一七〇九)が出した「生類憐れみの令」もその一環である。人を殺して出世する風習や、主人の後を追う殉死など、命を軽視する戦国時代の価値観が、当時はまだ残っていた。そのような価値観を最終的に否定し、頻繁に行われていた犬食いを無くし、社会に平和と秩序を確立するために、「生類憐れみの令」は大きな役割を果たした。しかし、この法令の行き過ぎた点が、後世、綱吉の評判を落とし、また、動物保護にも不利な影響を与えたとされている。だが、実際は、仏教の慈悲の教えを、単に頭の中だけではなく、現実の世界で完全に実行しようとした綱吉の理想主義的な生き方に、多くの人々がついていけなかったのではないだろうか。

明治維新の為政者は、旧時代の象徴である仏教を無視して、代わりに神道を厚く保護し、天皇を現人神として、その神権的権威の下で国民を統治する方式を採用した。その結果、肉食禁止令は解除された。さらに、富国強兵という国策の下で、軍人の体格向上を目指し、政府は国民に肉食を奨励した。しかし、国民は貧しくて、高価な肉を買えなかったこともあり、太平洋戦争が終わるまで、肉の摂取量は微々たるものだった。

一九四五年に戦争に負けた日本は、一九五二年までアメリカの占領国家になった。独立後も現在に至るまで、政治の従属が続き、それが文化の従属も招いた。戦勝国アメリカの文化が日本人の生活の隅々まで浸透した。食生活は伝統的な和食が減り、洋食の比重が高まった。一人当たりの肉の摂取量も、一九六〇年から二〇〇〇年までの四〇年間で、五・五倍に増加している。

以上の歴史が示すように、一四〇年前まではベジタリアンがほぼ一〇〇%だったことや、それが今やゼロに近くなったことは、政治の結果である。それが分かれば、これは不可解な現象ではなくなる。

(3)   個人の自覚と責任

日本人には、まわりの人々に合わせて行動するという国民性がある。それは、皆と同じにしていれば、安全で失敗が少ないと思うからだ。あるいは、皆と違っていると、まわりからどう見られるかを気にし過ぎるためだ。だが、まわりが間違っている場合は、自分も間違いをおかすという危険が、この生き方にはあることを忘れてはならないだろう。

今は、過去の政治の影響から抜け出て、いろいろな情報を集め、自分の頭で考えて、食生活を自由に選択する条件がそろっている。まず、肉食という習慣は、動物を苦しめ、動物の生きる権利を奪うだけでなく、飢餓を生み、健康を損ない、環境を破壊している現実を直視することから始める。そして、自分自身の動物観と食習慣が正しいかどうか、正しいとしたら、その理由を改めて問い直すことをすすめたい。

      食品可食部100g当たりのたんぱく質と必須アミノ酸組成

 

 

 

(単位: たんぱく質−g  アミノ酸−mg)

 

 

たん

イソロ

ロイシ

リジン

メチオ

フェニ

スレオ

トリプト

バリン

アミノ酸

 

ぱく質

イシン

 

ニン

ルアラ

ニン

ファン

 

スコア

 

 

 

 

 

 

ニン

 

 

 

 

牛ひき肉

17.9

790

1400

1400

440

680

700

190

850

96

豚ひき肉

18.2

770

1300

1400

440

650

700

200

870

96

鶏ひき肉

17.6

830

1400

1500

480

680

730

200

880

100

さけ生

20.7

930

1600

1800

640

810

960

230

1100

100

さば生

19.8

900

1500

1800

660

800

920

220

1100

99

まぐろ赤身

28.3

1300

2100

2500

810

1000

1200

320

1400

100

あじ生

18.7

870

1500

1700

580

780

870

210

970

100

いか生

15.6

580

1000

1000

370

490

580

120

550

71

くるまえび

20.5

730

1300

1500

500

730

680

180

770

77

大豆全粒乾

35.3

1800

2900

2400

560

2000

1400

490

1800

100

納豆

16.5

760

1300

1100

260

870

620

240

830

100

豆腐木綿

6.8

370

600

460

100

390

280

100

380

100

油揚げ

18.6

1000

1700

1200

270

1100

770

290

1000

100

落花生乾

25.4

1000

1900

1000

310

1500

750

270

1200

58

鶏卵全生

12.3

680

1100

890

400

640

570

190

830

100

チーズ

22.7

1200

2300

1900

580

1200

830

290

1600

100

ヨーグルト

3.2

170

310

260

79

150

130

43

210

100

玄米粒

7.4

300

610

290

180

380

270

100

460

64

精白米粒

6.8

290

570

250

170

370

240

99

430

61

食パン

8.4

340

660

220

150

460

270

96

400

42

そば生

9.8

370

700

350

180

500

320

120

450

61

うどん生

6.8

260

510

170

120

370

200

75

300

39

ホームへ

              『食品成分表2006』(女子栄養大学)