第2部 人間と動物の間の平和を実現する − 菜食主義
 動物を苦しめ、健康を損ない、飢餓を生み、環境を破壊してまで、あなたが肉食を必要とする理由は何ですか? 
 第1章 動物の苦しみ   第2章 肉食の原因  第3章 肉食を止めるべき理由
 1.イランでの出来事  1.食糧の不足  1.豊富な穀物  
 2.野上ふさ子の報告
 2.肉食是認の思想  2.動物の生存権を犯す
 3.トルストイの省察  3.肉食賛美の栄養学,料理本  3.健康を損なう
 4.小牧久時の訴え  4.肉食の美味  4.肉の類似品
 5.畜産動物の一生  5.利己主義(エゴイズム)  5.飢餓を生む
 6.屠畜数、食肉生産量、
  一人当りの食肉供給量
 6.その他の原因  6.環境を破壊する
 第4章 動物の苦痛の軽減    第5章 動物解放運動の団体、個人
 第6章 参考文献    第7章 参考ビデオ


言葉で訴えられない動物たちの苦しみに、あなたは気づきませんか?われわれは、人間が他人から受ける苦痛や不快感に対しては、些細なことでも敏感に反応し、問題としますが、動物が人間から被る形容を超えた大きな苦痛については、自分もその原因の一部になっていながら、ほとんど関心を持たないばかりか、その事実さえ気づかない人が多いようです。 私自身も 1997年まではその一人でした。

このような生き方は、果たして、正しくて善いことなのでしょうか?
動物の惨状を重大視していない世界観や人生観は、重要な真実を見落とした哲学なのではないでしょうか?この問題を取り上げて、われわれは動物に対していかなる態度を取るべきなのか、動物の苦しみを無くすために何をなすべきなのかを一緒に考え行動することが、第2部の目的です。畜産動物が生涯に被る想像を超えた苦しみとくらべれば、現在の平均的日本人が一生の間に体験する苦しみの多くは、今までよりも小さなものに見えてくるでしょう。動物の悲惨な実情を知れば、動物に対する考え方とあなたの生き方はきっと変わるにちがいありません。 


 動物が人間から被る苦しみは、肉食、動物実験、スポーツ狩猟、遺棄動物の処分等、さまざまな形で行われていますが、その中で最大規模のものは、肉食という行為です。あなたは肉を食べるとき、生きものが肉にされるまでにどれほど苦しみに満ちた生涯を送ってきたか想像したことがありますか?

 このホームページでは、動物が肉食によって苦しんでいる事実、問題を第1章で指摘し、肉食の原因を第2章で究明し、その原因を除いて問題を解決する方法を第3章で提案します。しかし、人類がこの地球に登場してから数百万年以上続いてきた食習慣を一挙に変えることは実際には容易でありません。したがって、その理想世界が実現されるまでの間、せめて、動物の苦しみに満ちた短い一生を少しでも改善する方法を第4章で考えます。動物の苦しみを軽減するために世界中で活動している無数の団体の中から、一部のホームページを第5章で紹介し、この問題と深く取り組んだ人々の著作の一部を第6章に挙げました。また、文章だけでは伝えることができない真実を、映像で伝える海外ビデオが頒布され次第、第7章で紹介していく予定です。


 現在、ベジタリアン人口は、イギリスが9%、アメリカが7%であるのに対し、日本は1%未満であると言われています。肉食を是認するキリスト教国で古来肉食の歴史のある欧米とくらべて、あらゆる生きものに対する慈悲を説く仏教の強い影響の下で、天武天皇が肉食禁止令(675年)を出してから明治維新(1868年)までの1200年にわたる肉食忌避と精進料理の歴史がある日本でベジタリアンが皆無に近いのは、よく考えてみると非常に不思議なことです。自分自身の判断にしたがって生きるよりも、まわりの人々の生き方に合わせて生きる方を選ぶ日本人の国民性も影響しているのでしょうか?

イギリスのベジタリアン人口

 
これらの状況を考慮して、第1段階の目標として、2002年末までに、日本のベジタリアン人口を15%に増加するという現実的な3ヶ年計画を設定しました
15%という目標値を設定した理由は、次のとうりです。
(1) 具体的な数値目標がなければ、それに適した方策の立てようがないし、菜食主義運動の達成度の評価もできません。
(2) 3年後には英米も15%前後を達成していると推測しており、それよりも劣るのは望ましくありません。
(3) 新しい電気製品は、普及率が15%を超えると、その後は急速に広まると言われています。周りの身近な人が買うと、それに影響されて買う人が増えるからです。ベジタリアンについても、同様な波及現象を期待しています。
(4) 目標値は、高いものであると同時に、方策や努力次第で実際に達成可能なものであるべきです。100%は理想値ですが、3年後の目標値にはなりません。


上記の3ヵ年計画は、このホームページをはじめて作成した1999年7月に策定したものですが、今回(2003年8月)、いくつかの理由により、次ぎのような目標に置き換えました。

目標 : 日本人の一人一日当りの肉供給量(摂取量と同じと考えてよい)が、2000年の実績に対して、2003年は15%減少していること。

(導入理由)
 − 日本全体のベジタリアンの数を調査することは困難であるから、ベジタリアン人口の15%増加という目標は達成度を検証できない。
 − 肉供給量が減ることは、結果的にベジタリアンが増えることと同じ効果を生む。

この新しい目標の2001年度の達成度は以下の通りです。
                 2000年    2001年      増減率       2002年    増減率    2003年   増減率
           牛     20.7      17.3     −16%
           豚     29.2      29.7      +2%
           鶏     28.0      28.1       ー
           その他   0.9       0.8      −11%      
           鯨      0.1       0.1       −
           合計   78.8g    75.9g     −4%                        67.0g  −15%(目標値)

2001年の牛肉供給量(17.3g)が2000年(20.7g)よりも16%減少した主因は、2001年9月に日本でも初めて狂牛病に罹った牛が見つかったために、食べるのを避ける人が 生じたことによると推定できるので、ベジタリアン人口が増加したためではありません。狂牛病だけでなく、狂豚病や狂鶏病も発生しないと、豚や鶏の摂取は減らないのでしょうか?


改善の兆し?
2004年に入り、BSE(狂牛病)と鳥インフルエンザで米国産牛肉とタイ・中国産鶏肉の輸入が停止されましたが、この影響により、日本人の食生活は変わるのでしょうか? 以下は、2004年2月14日の朝日新聞朝刊にのっていた3647人のアンケート結果です。

Q. 「食生活で防衛策をとりましたか?」
A. 「はい」 48%、「いいえ」 52% 

Q.「はい」と答えた48%の人(1750人)に対して、「何をしましたか?」
A. 国産の肉を増やした 966人、魚介類を増やした 889人、牛肉を減らした 719人、大豆製品や野菜を増やした 689人、豚肉を増やした 610人、鶏肉を減らした 521人、外食を控える 372人
 
Q. 「輸入が再開されれば、もとの食生活に戻しますか?」
A. 「はい」 37%、「いいえ」 63%


「小学生でも生活習慣病になる子が多いらしい。肉に偏った食生活を、魚や野菜中心に切り換えるいい機会ではないか」(三重県、61歳女性)

日本人は「咽喉もと過ぎれば熱さを忘れる」国民性ですが、今回はそうではない人が増えそうです。もとの生活に戻したくないのは、動物のためという利他心ではなく、自分の健康のためという利己心からですが、理由が何であれ、結果として動物の犠牲が減るならば、喜ばしいことです。


日本のベジタリアン人口
日本ベジタリアン学会は日本のベジタリアン人口を把握するために、その手始めとして近畿地区の男女大学生533名を対象に調査を行った。ベジタリアン・ジャーナル2004年3月号によれば、「動物性食品を全く食べないビーガン、卵・乳製品は食べるラクト・オボ・ベジタリアンは共に0%であったが、畜肉を食べない者は0.9%いた。しかし、ごくたまに動物性食品を食べる者も基本的に菜食実践者とすると、ビーガンタイプが0.2%、ラクト・オボ・ベジタリアンタイプは4.3%であった。これらを含め畜肉を食べないタイプは9.2%であった。しかし、ベジタリアンを意識している者は低かった。女性の菜食実践度が高い傾向を示した。」

ゆるいベジタリアンが9.2%いることは、予想以上の結果です。日本ベジタリアン学会が対象地域と年齢をさらに拡大した調査を行い、マスコミを通して公表することによって、ベジタリアンに対する関心が高まることを期待している。


ベジタリアンと菜食運動の意味

「ベジタリアンであることや菜食運動には意味がない。何故なら、ベジタリアンは極めて少数なので、いくら努力しても、救える畜産動物の数はわずかで、圧倒的多数の畜産動物は結局殺される。」という見方をする人たちがいる。

アメリカやイギリスのように、ベジタリアンがすでに人口の7%から10%位を占めていて、毎週数千人単位でベジタリアンが増えている国ならば、このような見方は生まれないだろう。だが、日本のように、ベジタリアンがまだ例外的少数で、ダイナミックな増加が見られない国にいると、健康ではなく動物保護の観点から菜食運動をしているベジタリアンは、自分の活動が徒労に終わるのではないかという思いを抱かされることがある。

しかし、「救える畜産動物の数はわずかで、圧倒的多数の畜産動物は殺される」ということは確かに事実であるが、それにもかかわらず、あるいは、それだからこそ、ベジタリアンであることや菜食運動は意味がある。理由はたくさんあるが、ここでは4つだけを挙げたい。

(1) 一つの命の大切さは、人間も動物も本質的には大差ないと考えているベジタリアンは多い。
したがって、一人の人間の命を救うことに意味を見出すならば、一つの動物の命を助けることにも、意味を見出すことができるはずである。

数年前に公開された「シンドラーのリスト」という映画は、第2次大戦中、ドイツの強制収容所で千数百人のユダヤ人を救ったシンドラーという実在人物を主人公にした物語で、最後は次のように感動的な場面で終わっている。
連合軍が迫ってきて、自分が助けたユダヤ人と収容所を去って行く時、彼は自分の胸に付けていたナチスの金製の徽章を取って、「もしも、これを金に換えて、収容所長に賄賂として渡せば、あと一人のユダヤ人を救えたのに、自分はそれをしなかった!」と後悔して、泣き崩れる。

(2)  一人のベジタリアンの影響によって、周囲の人のうち一人から数名がベジタリアンになったり、食べる肉の量を減らすというケースはたくさんある。そして影響を受けた人が、さらに他の人に影響を与えるという連鎖反応も起こる。
したがって、最初からあきらめて、自分にできることを何もやらないで、世の中はダメだと嘆くよりも、どれほど小さいことでも、自分にできることをやった上で嘆く方が、個人の生き方として望ましい。

(3) どんな運動でも初めはゼロからスタートして、大きな成果を挙げるまでには、長い時間がかかる。例えば、黒人解放運動も、初期の段階で効果が少ないという理由で止めていたら、今でも黒人は悲惨な状態に置かれていただろう。動物の解放運動にも同じことが当てはまるので、もっと長期的な観点から、菜食主義の運動の意味を考えるべきである。

(4) 動物の立場に立って見ると、自分たちを救おうとしている人間が、誰一人としていなければ、絶望するしかないが、どれだけ少数でも、自分たちに同情して助けようと努力してくれる人間がいれば、少しは慰められ希望を持つことができる。
これは人間の世界と同じで、例えば、あるグループ内で一人がいじめられている時、一人でも助けようとしてくれる人が現れたら、結果として、多勢に無勢で、いじめを止められなかったとしても、いじめられる者は慰められる。一人の例外も無く、全員が自分をいじめたら、どれほど苦しいだろうか。

  第1章 動物の苦しみ

  1. イランでの出来事

 昔、イランを旅行中、肉屋の前を通りかかった時、一人の主婦が鶏を買う場面に出会った。肉屋の主人は数羽の生きた鶏が入ったケージから、1羽を取り出して、店の前でその首をナイフで素早く切り、地面に放り出した。鶏は、地面の上でバタバタと羽を動かして、悶え苦しんでいたが、数分後にはほとんど動きが止まって息絶えたように見えた。すると、主人はその鶏をそのまま新聞紙に包んで、待っていた主婦に手渡した。主婦は、一部始終を見ていたが、その包みを受け取ると、全く何もなかったかのように、店先から立ち去っていった。後には、鶏の首から流れ出た血が地面に吸収された跡だけが残されているだけであった。多分、主婦は家に帰って、買った鶏の羽を自分で全部むしりとり、内臓を取って調理し家族の食卓に出したのであろう。私は初めて見る光景に驚いたが、これは、おそらくイランで日常行われていた習慣なのであろう。
1999年11月に中国を訪れた時、露店で生きた鶏や鳩が売られていたし、日本の農村でも少し前までは、生きた鶏を自分で料理することは特に珍しいことではなかったようである。

  2. 野上ふさ子の報告

"地球生物会議"という活動的な市民の動物保護団体の代表である野上ふさ子は、隔月に発行している ALIVE という小冊子の一九九八年三,四月号の中で、屠殺の状況を次のように報告している。

「屠殺場を訪れたことがある。案内されて、白衣と長靴、それにヘルメットをかぶって、屠場に入った。まず建物の裏手に行くと、そこには次々と牛や豚を満載したトラックが入ってきて、建物に横付けになる。全ての牛には「鼻輪」が付けられている。子牛は生まれると数日後には鼻に穴を開けられて金属の輪をはめられる。この輪が彼らを一生の間、人間の支配化におく道具なのだ。
 鼻輪には縄が付けられ、人はそれを引っ張って彼らをトラックから引き下ろそうとする。降りるのを嫌がっている牛たちもいる。人は容赦なく縄を引っ張り、牛たちは痛みに耐えかねて嫌嫌ながらトラックを降りてくるように見受けられた。

 中に一頭、トラックを降ろされてから、どうしてもその場を動こうとしない牛がいた。人がどんなに強く鼻につけた縄を引いても、四肢を踏ん張って動かない。あまりに強く引いたために、とうとう鼻の肉が破れて、ぱっと鮮血が飛び散った。牛は首を振って大きな声で泣いている。ばらばらと人が集まって来て、牛の首に何本もの縄をかけ、柱や壁につないで、牛があばれないように固定した。そして、頭に大きな風呂敷のような布をかぶせ目をふさいだので、牛は少しおとなしくなった。
しかし、こんなに必死に抵抗する牛はまれのようだった。ほとんどの牛たちはおとなしく一ヶ所に集められ、やがて起こることを知ってか知らずか、不安そうにたたずんでいる。やがて牛たちは細い通路に追い込まれ、順番に列を作って並ばされる。ここまで来て、やはり嫌がって通路に入ろうとしない牛もいる。動かない牛には、電気ショックを与える金属棒で、尻が突つかれ、前に進むようにせき立てられる。


 牛たちは一頭づつ緩やかなスロープを登るように追い立てられ、やがて、高い足場で電気銃を持った人の前までやってくる。スロープを上がりきったところで、牛の眉間に銃が打たれ、牛はどっと横倒しになり、四肢を上にしてもがく。それは苦悶にあえぎ痙攣しているように見える。数秒後に、天井から降りてくる鉄の鈎に一本の足が固定され、鈎が持ち上がって、牛の大きな体は一本の足だけで天井から逆さに吊り下げられる。
 逆さになった牛の頭が、足場に立った人の目の高さまで高く持ち上げられると、作業員が銃で打った眉間の穴に、太い針金のようなものを差込み、脳の中をかきまわす。これは、放血を促すためだという。

 次に、刃物を持った作業員が牛の喉を一気に掻き切る。大量の血がどっと流れ落ち、鉄盤の床はたちまち、まさに血の海となる。床は常時ホースの水で洗い流され、床下の放水口に流れ落ちていく。
 作業員は、腰に下げたとぎ皮で刃物を研いでいて、その刃物が喉から顎に入れられ、あっという間に頭蓋骨が切り離されて、床に落下する。さらに息つく間もなく、その隣の作業員が四肢を切断し、ひづめが落下していく。またその隣には皮を剥ぐ作業員がいて、腹部から刃物を入れ、実に手早く見事に皮を剥いでいく。

 こうして、さっきまで大きな目を見開いていた牛は、数分後にはただの肉塊となってしまう。頭と四肢をもがれ、皮を剥がれた肉塊は、ベルトコンベアで階上の解体作業上場に釣り上げられていく。そこで尻尾が切り落とされる。上から次々と尻尾が落ち、下の落下口に吸い込まれていく光景が、なぜかシュールリアリズム的なシーンに見える。
 その側で、やはり刃物を研いでいた作業員が、肉塊が自分の手前にくると、腹部に刃物を突き刺していく。内臓がぶつぶつと切り離され、塊となって床に落下する。ノコギリで骨を切断し体を左右に切断する人もいる。全ては天井のベルトコンベアの動きに従った流れ作業で行われ、作業場の中はものすごい轟音に満ちている。牛の解体場の隣では豚の屠殺も行われており、追い立てられるブタたちの甲高い悲鳴が、あたりに響きわたる。


 流れ作業の各所には、病変肉などを検査する人がいて、合格した肉には紫色のインクで印をつけていく。こうして規格品になった肉塊はコンベアで運ばれて、最後にせり市の場所に集められる。天井から、ぶら下げられた何十という肉の塊(枝肉)が、毎日二時にせりで買い取られていく。
 帰り道、屠場の裏手の作業上に灰色の山積みのものが見えた。よく見ると、それは肉をこそぎ落とされたあばら骨の山だった。その次に黒い山があって、それは牛のひずめの山積みだった。反対側に積み重ねられたプラスチックの箱から、あふれて垂れ下がっているのは、内臓だった。骨やひずめや内臓は、また別の加工に回されるのだろう。この屠場では、毎日三百頭以上の牛、八百頭以上の豚たちが屠殺されるとのことだ。そのおびただしい死体の山に打ちのめされる思いで、帰途についた。…あの牛たちの黒く澄んだ目、殺される前のあの悲しい瞳は、今でも脳裏に焼き付いている…。」

  3. トルストイの省察

 文豪トルストイ(1828−1910)がロシアのモスクワに住んでいた家を、私が1998年に訪れたとき、トルストイの家族が食事をしていた場面を再現するために、食堂の食卓の上に、実際にトルストイ家が正餐に使用した食器が置かれていた。家族全員が飲む肉スープを入れる大きな陶器の隣に、トルストイ専用の小さなスープの容器が置かれ、ガイドのロシア人の説明によると、ベジタリアンだったトルストイ(彼は最初の十年間にわたるモスクワ滞在中に、ミルクも卵も摂らない厳格なベジタリアンになった。)は、肉が一切入らないスープを自分だけのために作らせて、家族には菜食を強制しなかったようである。トルストイが何をきかっけとしてベジタリアンになったのかは知らないが、パリでギロチンを見たとき考えた思想を、屠殺に対しても抱いたのではないだろうか。
次の文章は、トルストイが牛の屠殺とギロチンを目撃した時の叙述である。


「私が立っていた扉の向こう側から大きな赤いよく肥った牛が曳かれて入って来た。二人の男がそれを引きずってきたが、それが入るや否や、私は屠牛者が小刀をその首に加えこれを刺すのを目撃した。件の牡牛はまるで四足を急になくしたもののように、どっかとその腹を地につけ、忽ちにして一方にひっくり返り、その足とその臀部をじたばたし出した。すると直ちに他の屠殺者は反対側から牡牛のじたばたする足部に身を躍らせてゆき、その角をおさえ、その頭を地に捩じ伏せた。そこを他の屠殺者が小刀を揮って咽喉を切った。首は下から赤黒い血をほとばしらせたが、その血の流れをば少年が来て赤く血塗られた水盤に受けた。牡牛は絶えず起きあがろうとするが如く、その足を震わせていた。そしてその四足をば空中に動かした。水盤は血で忽ち一杯になったが、牡牛はまだ生きていた。」
 
「・・・パリ滞在中死刑をまのあたり見たことが、進歩に対する私の迷信のもろく果敢ないものであることをあばいてくれたのだ。首と胴とが切り離されて、二つの部分が別々に、ごとん、ぼそりと箱の中へ落ちたのを見た刹那、私は現実に存在するものや進歩こそ理にかなっているという理論も、絶対にこの行為を弁護することができないということを、頭脳ではなく、全存在ではっきりとさとったのだ。よしんば、この世のすべての人が、創世のはじめから、いかなる理論によって、これを必要なことだと見なそうとも、この私は断じてそれが不必要であることを知っているではないか。それが悪いことであるのを知っているではないか。したがって、何が正しく、何が必要であるかを裁くものは、世間の人の言行でもなければ、進歩でもなく、この脈打つ心臓を持つ私自身である。こう私はさとったのであった。」

  4.小牧久時の訴え

 生物体内における微量元素の変換の発見によって、1975年度ノーベル生理医学賞の候補として正式に指名された経歴を持つ小牧久時(1926−   )は、自分だけでなく人類全体に対して肉食を止めることを訴えて、日本の菜食主義のバイブルともいわれている「生命の尊重」の中で、そのきっかけになった出来事を次のように述べている。

「とにかくも、これらの勤労者には何の責任もない。これらの勤労者には、何の責任もないが、牛を食う人々の側には責任がある。牛は機械的に無造作に殺されてゆくが牛を殺すのはこの善良な勤労者の意志ではなくして、牛を食う人々の側の意志なのである。その意志がこの形容に絶する酷薄なる行為を朝な朝なに、仏教の都、京都の場末の一角において"奇跡なしに"繰り返させているのである。 私はもう落ち着いていたが、牛の苦悩はありありと感得せられた。そのかっと見開いた大きな目は、この人間の暴挙を憤っているようにも見えたが、また、哀願しているようにも思えた。やがてその目がどんよりと曇りを帯びて光を失い始める頃、牛はうすれゆく意識で最後にぶるぶるっと怒り震えた。そうしてもうぐったりとした。  こんな残酷な行為に対して、断乎として反対して起つ者はいないのであろうか。では、私が起とう。起って世界の津津浦浦にまでこの心ある生命の兄弟の怒りを伝えよう。 またもや、牛は重病人のようにうめいた。 腹部が波打っている。目はかっと見開いている。動物だから苦しみが少ないのだと誰がいうのだと言っているように。」

そして、次のような絶対平和への四段階を主張し、それを20年以上に亘って「ニューヨーク・タイムズ」紙上で世界に訴えてきた。世界に対し最も影響力を持つアメリカが先ず変れば、それに倣って、日本も含め他の諸国も変わるだろうという狙いである。

  第1段階  :人間と人間の間の平和 (世界各国の軍備全廃=世界連邦政府の実現、21世紀初頭迄に) 
 第2段階  :人間と動物の間の平和 (肉食と動物実験と殺虫剤の科学的段階的全廃、21世紀前半迄
に)

 第3段階 :動物と動物の間の平和 (野生動物、魚類、昆虫類の個体数の制御により、相互殺戮を根絶、21世紀後半迄に) 
 第4段階 :この地球のみならず、全宇宙の全次元の全存在の激痛・激苦の永久根絶 (21世紀末迄に)



  畜産動物の一生

動物が受ける苦しみは、前述のような屠殺の時だけでなく、過酷な環境での飼育と、厳しい条件下で行われる屠殺場までの輸送のプロセスを含めた短い一生全体に及ぶものである。苦痛を受ける時間を比べると、飼育や輸送の方がはるかに長いのである。特に、利潤を増やすための効率的な飼育プロセスによって動物が受ける苦しみは最も長く続く。その具体例として、鶏の場合を、「動物の解放」(ピーター・シンガー著)からの引用で見ていく。
 


「今日のブロイラー生産者は、孵卵場から一万羽、五万羽、あるいはそれ以上の一日齢のヒナを一度にもってきて、彼らをそのまま細長くて窓のない鶏舎にほうりこむのである。同じ大きさの鶏舎の中にできるだけたくさんの鶏をつめこむために、ケージを何段にもつみ重ねて使う生産者もいるけれども、鶏はたいていは床の上で飼われる。鶏舎の中では、鶏がより少ないエサでより早くふとるように鶏の環境のあらゆる側面がコントロールされる。エサと水は、屋根から吊り下げられたホッパーから、自動的に給与される。照明は、畜産学者の助言にしたがって調整される。たとえば、鶏が早くふとるのを促進するために、はじめの一、二週間は、明るい光を一日二十四時間つけるであろう。それから、鶏は睡眠後は食欲が上がるだろうとの想定のもとに、照明を少し薄暗くして、二時間ごとにつけたり消したりする。最後の六週齢ごろに、鶏が十分に成長してぎゅうぎゅうづめの状態になってくると、照明は一日中、光度を非常に下げたままにしておくようにする。このとき照明を暗くするのは、密飼いによるストレスの影響を少なくするためである。
 
鶏の八、九週間の生涯の終わりに近づく頃には、鶏一羽あたりの面積は、わずか0・五平方フィート(二十一センチメートル四方)になる。つまり、体重三・五ポンド(約一・五キログラム)の鶏に与えられる面積は四つ折判の紙より小さいのである。このゆおな条件のもとで照明を正常な明るさにしておくと、過密によるストレスガ昂じているのにエネルギーの自然なはけ口がないところから、鶏同士の闘争がおこり、お互いに相手の羽毛をくちばしでつっついて、時には殺して食ってしまうのである。このような事態をさけるためには、鶏は生涯の最後の日々を真っ暗闇に近い状態ですごすことになった。………現在では、(屠殺の時期が迫ってきたときに)鶏が気づく最初の変化は、給飼が突然中止されることである。未消化のエサは利潤を生まないからである。おそらくその十二時間後にドアがばたんとあけられ、半ば暗闇の世界になれていた鳥は、いきなり両脚をつかんでぶらさげられ、頭を下にして運ばれながら最初で最後の日光をおがむのである。そして即座に木箱に詰め込まれて、トラックの荷台に積み上げられるのである。

………最後に彼らは木箱から出され、コンベアベルトに頭を下にして吊り下げられて、よろこびのない生涯に終止符をうつナイフのところまで運ばれていくのである。羽をむしられて、下ごしらえされた鶏の屠体は、何百万家族もの人間たちに販売される。人間たちは、手を休めて自分が今食べているのは生きものの死体だと考えたり、その生きものが肉になるまでにどんな扱いをうけたのか想像してみるなどといったことはせずに、鶏肉を骨までしゃぶるのである。」


利潤を再優先するため、伝統的な畜産は、徐々に、大規模な工場畜産に変わり、全てのプロセスは、最小のコストで最大の利潤を得るように考案されています。したがって、畜産動物の一生は、牛も豚も鶏も、基本的に同じになるため、ここでは豚を例にとります。
雌豚の妊娠期間は、114日で、子豚が離乳して4日から7日後には、雌豚はまた妊娠させられ、平均して1年間に2.2回出産させられます。そして、受胎後は流産を防ぐため、体を回転できないほど狭いスペースに閉じ込められて、生涯の大部分を過ごします。子豚は、識別のために耳を、母親の乳首を噛まないように歯を、狭い畜舎でけんかで噛まれても重大な傷にならないよう尾を切断されます。また、雄の子豚は、肉の臭いを少なくし、成育を促進するために、麻酔なしで去勢されます。そして、生後6ヶ月経つと、屠殺場に送られ、電気ショックで気絶させられ、時には、意識がある状態で、放血のために生きたまま咽喉を切られます。

畜産動物がどのような一生を強いられるかは、本を十冊読むよりも、次のビデオの方が真実を知ることが出きる。

  牛の屠殺     PETA 製作

 "畜産動物の一生" (日本語吹替版)      LCA/CIWF/PETA 製作  

一部の写真は、次のホームページで見ることができる

   6.屠畜数、食肉生産量、一人当りの食肉供給量 


                                     1年間の屠畜数 (2004年) 

          牛           豚           
     日本                127万頭        1660万頭     5億8996万羽    
  日本(一日の平均屠畜数推定)        (3千500頭)        (4万5千頭)        (161万羽)
    世界(推定)       1億4700万頭     13億2200万頭        376億羽    
  世界(1日の平均屠畜数推定)                 (40万頭)        ( 360万頭)       (1億330万羽)

日本:農林水産省「畜産統計」(平成10年度版)による。  世界:下にリンクした世界の食肉生産量と日本の食肉生産量/屠畜数から推定。

このような統計上の数字はあまりにも膨大で、自分自身との関係が分かりにくいが、1人の人間が、どれほど少量でも毎日、肉を買ってきて食べる習慣を50年間続けたとすると、約1万8千頭(365x50)の動物の命に責任があることを、決して忘れてはいけないだろう。


                        世界の食肉生産量と一人一日当りの食肉供給量

             牛肉      
 豚肉      家きん肉     羊・山羊肉    その他       合計   

食肉生産量 (千トン )
1997年       54,011     87,873     60,991      11,151     6,999    221,025 
2002年       57,883     94,186     73,869      11、548     7,561    245,047
増加率          7%         7%        21%         4%        8%       11%



一人一日当りの食肉供給量 (グラム )
1997年        25.3        41.2        28.6           5.2       3.3       103.5
2002年        25.5        41.5        32.6           5.1       3.3       108.1
増加率          1%         1%        14%           −        −        4%


一人一日当りの食肉供給量=世界の食肉生産量/世界人口/365、 
世界人口(百万人) : 1997年 5,849、 2002年 6,211(暫定推定値)  
資料:「世界国勢図会」

1997年から2002年までの5年間、世界人口の増加は6%なのに、世界の食肉生産量は11%も増加している。それは、一人一日当りの食肉供給量が、国別に見ると多少の違いはあっても、世界全体では4%増加しているからである。その主因は家きん肉(鶏など)の14%の増加だ。狂牛病の影響は一部の国にとどまり、牛肉全体としては1%の増加になっている。動物たちにとって、この世界は善くならないで、さらに悪くなった。

畜産大国

中国は経済大国への道を歩き始めていることが最近注目されているが、畜産大国の面はあまり関心を持たれていない。人間以外の二本足なら何でも、机以外の四本足なら何でも食べると言われるほど、中国人は肉好きな民族である。

2002年の国別食肉生産量によると、驚くべきことに、中国とアメリカとブラジルの3国だけの合計が、世界全体の食肉生産量の半分以上(51%)も占めている。(中国のデータは台湾も含む)
          牛肉    豚肉   羊肉    山羊肉  家きん肉   合計 
         ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― 
中国        9%    47%    21%    36%    18%   28%
アメリカ      21%     9%     −     −     23%   16%
ブラジル      12%     2%     −     −      10%    7%
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
3国合計    43%   59%   21%    36%    52%   51%  

SARSと野生動物の関係が疑われてから、中国人は食生活の見直しを始めたと言われている。この際、野生動物だけでなく畜産動物も含めて、健康、倫理、環境、飢餓など全ての点から食生活を見直してほしい。

 世界の国別食肉生産量
 食肉の輸入量
 都道府県別屠畜数



  第2章 肉食の原因

人々は、子供の時から、親の作る食事、学校の給食、レストランの料理等で目の前に出される肉を、特に肉食の是非など深く考えることも無く、周りの人々から勧められて、または、周りの人々を模倣して食べてきて、その習慣が大人になっても続いているわけである。
それでは、肉食という社会の食習慣は、何故、形成されたのだろうか?肉食の主要な原因として、次の4つを挙げることができる

  1. 食糧の不足

  元来、人間は肉食動物ではなく草食動物であったことは、動物の皮と肉を食いちぎる牙や犬歯がほとんどなく、代わりに草や木の実をすりつぶしやすい臼歯が発達していることを見れば明らかである。今でも人間は刃物を使わないで、オオカミやライオンのように自分の歯だけで動物の皮と肉を食いちぎることは難しい。人間が肉を食べるようになったのは、鋭利な石器などを作るようになってから後のことだろう。野生動物を捕まえて殺すことも、道具なしには容易ではないだろう。今、仮に自分が自然の中に置かれて、道具は一切使わないで、野生動物を捕まえて食べることを命じられても、多分それはできないだろう。

 人類の先祖に当たる類人猿は、樹上生活をしていた頃、主に木の実などを取って食べていたが、気候の寒冷化で森林が減って、生活の場が草原に移り、直立歩行する人類に進化した。そして、不十分な木の実や地中の虫などだけでは生きていけないので、いろいろな道具を作って狩猟をして、動物も食べるようになったのだろう。農業を始めた後も、生産性が低いため、それだけでは十分な食糧を供給できず、牧畜も必要であった。このように人類は厳しい自然の中で生き延びるために、何でも食べざるを得なかった過去があり、その習慣が現代のように穀物が十分にある時代でも続いている。



  2. 肉食を是認する思想

日本の場合は、仏教が大陸から伝わってくる前は、肉食を含む雑食だったと推定されている。仏教の伝来以降は、その教えに基づいて、しばしば肉食禁止令が天皇によって出され、肉食の習慣はなくなった。トロイ遺跡の発掘で有名なシュリーマンは43歳のとき、明治維新の3年前、1865年6月1日から7月4日までの1ヶ月間、日本に滞在したことがあり、処女作の『シナと日本』という著作の中で「彼等の食べる動物性食品は海産物に限られている」と述べ、「日本人は肉も牛乳もバターも食べない」と記している。それが、明治時代になって、欧米の文明を全面的に取りいれるようになったとき、肉食の習慣も、一緒に取り入れたのである

 欧米の場合は、キリスト教が肉食を是認する宗教だったので、原始時代から今日に至るまで、ずっと肉食の習慣が続いている。
ヨーロッパで肉食の習慣が、ずっと続いてきた背景には、自然条件が牧畜に適していたことがあり、逆に、日本で菜食の習慣があったのは、自然条件が農耕に適していたという事情もある。肉食に対する宗教の教えも、この自然条件によって制約を受けていたと考えるべきである。もし、ヨーロッパで仏教のような肉食禁止令が出されていたら、穀物生産だけでは、全人口を養い続けることは難しかったかもしれない。
しかし、肉食は、動物全般に対する人間の考え方、態度の結果の一つであるという面も事実である。肉食を正当視する動物観とは、どのようなものであろうか?


 (a) キリスト教

 旧約聖書の創世記第1章で、天地創造の第六日には、草食是認が次のように説かれている。「そこで神が『地は各種の生きもの、各種の家畜と這うものと地の獣を生ぜよ。』と言われると、そのようになった。神は各種の地の獣と、各種の家畜と、すべの種類の地に這うものとを造られた。神はそれを見てよしとされた。そこで神が言われた。『われわれは人をわれわれの像の通り、われわれに似るように造ろう。彼らに海の魚と、天の鳥と、家畜と、すべての地の獣と、すべての地の上に這うものとを支配させよう』と。そこで神は人をご自分の像の通りに創造された。神の像の通りに彼を創造し、男と女に彼らを創造された。そこで神は彼らを祝福し、神は彼らに言われた。『ふえかつ増して、地に満ちよ。また地を従えよ。
海の魚と、天の鳥と、地に動くすべての生物を支配せよ』。

 それからさらに神が言われた。『見よ。私は君たちに全地の面にある種を生ずるすべての草と、種を生ずる木の実を実らすすべての樹を与える。それを君たちの食糧とするがよい。またすべての地の獣、すべての天の鳥、すべての地の上に這うものなど、およそ生命あるものには、食糧としてすべての青草を与える』と。そこでそのようになった。神がその造られたすべてのものを御覧になると、見よ、非常によかった。こうして夕あり、また朝があった。以上が第六日である」。


 さらに、旧約聖書の創世記第9章で、ノアが洪水が治まり箱舟から動物たちと一緒に出てきた後、次のような肉食是認が説かれている。「神はノアとその子らを祝福し、彼等に言われた。『ふえかつ増して、地に満ちよ。すべての地の獣、すべての天の鳥、みな君たちを恐れ、君たちの前におののくだろう。それらを、すべての地に動くもの、すべての海の魚とともに君たちの手に与えよう。生きて動いているものはみな君たちの食糧にしてよろしい。緑の青草と同じようにすべてのものをわたちは君たちに与える。……』」 (岩波文庫 「旧約聖書 創世記」)
 
 第1章では、人間も動物も草食することをすすめているのに、第9章では、人間に対して肉食を是認している。この変化が、なぜ起きたのかについて聖書には記述されていないが、最終的に人間による動物支配と肉食是認を説いていることに間違いはない。
 このように、人間は神の像の通りに造られ、地上を支配する使命を帯びて造られた存在だが、動物は、人間によって支配され、食糧にされてよいという教えが説かれた背景には、キリスト教を生んだヘブライ人は、もともと遊牧民族だったので、肉食という自分達の生活基盤を否定することは難しかったという自然環境がある。


 (b) 動物機械論
 
懐疑の結果たどり着いた「我思う。ゆえに我あり。」という彼の哲学の第一原理で説かれる「我」は、魂と同義語である。人間の体も、動物の体も精密な機械である点は似ているが、人間は魂を持っているのに反して、動物は魂を持っていない。そして、意識や感覚の主体は魂なので、動物は意識も感覚も持たない、たんなる精密機械に過ぎない。だから、動物は苦痛を感じない。このように考えたデカルト(1596−1650)は、次のように述べている。「私の意見は、人間が動物を食べたり殺したりするときに、罪を犯しているのではないかという疑いを取り除いてくれる。」
 
現代人は、進化論や動物行動学等の最新の知識に照らし合わせてみると、キリスト教もデカルトも、その動物観については、明らかに事実に反した間違いを犯していると思ってはいる。しかし、現代人が抱いている動物観の根底には、本質的には、これらの思想と同じように、人間と動物の間には断絶的な価値の差があり、その苦痛も顧慮するに値しないという価値判断が働いていて、肉食は是認されるという暗黙の了解がある。

  3. 肉食を勧める栄養,料理出版物

現代の栄養学は,倫理的側面は一切無視して、バランスのとれた栄養という科学的理由だけに基づき、肉を食べるべきであることを、強く勧めている。すなわち、肉を全くとらない菜食だけでは、必要な栄養が摂取されないので、健康を損ねると説く。だから、肉が嫌いな子供も、偏食は健康によくないと厳しく言われ、半強制的に肉を食べさせられて大人になる。そして、ベジタリアンのための例外書を除くと、料理関係の本は皆、この栄養学の圧倒的影響の下で、肉料理が主体になっている。その結果として、普通のレストランのメニューで肉を使わない料理は、ごくわずかに限られてしまうことになる。

  4. 肉食の美味

日本で肉食禁止令が出されていた時代でも、その美味を求めて密かに肉食をした例はあった。現代でも、おいしいからという理由で肉食をする人は多い。

  5. 利己主義(エゴイズム)

 他者に害を加えても、自己の利益を図ろうとするエゴイズムが人間には本能的に巣食っている。例えば、もしも法律によって刑罰が定められていなければ、世の中はさまざまな犯罪で溢れているだろう。もしも、核攻撃をしても、核によって報復されることがなければ、世界中で核戦争が起きているだろう。黒人を酷使する奴隷制度が19世紀まで存続したのも、白人のエゴイズムのせいである。

 動物に対する残酷な行為も、このエゴイズムから生まれる。そして、このエゴイズムを抑制するものは何もなく、放置されている。動物を殺して食べても、動物は反抗しないし、刑罰も課せられないし、誰からも非難されないし、良心の呵責も感じない。キリスト教が説く「愛」も、仏教が説く「慈悲」も、その対象は人間に限定されていて、動物には及ばない。生存する権利も、自由や幸福を追求する権利もそうである。この本能的なエゴイズムこそ肉食という行為の最大の原因と言えるかもしれない。

  6. その他の原因

 


  第3章 肉食を止めるべき理由

第2章で挙げた肉食の各々の原因を除く方法を以下に提案する。これが肉食を無くす方法であるが、皆が一挙にベジタリアンになることが難かしければ、少しずつ肉の摂取量を減らしていくことなら出来るのではないだろうか?もしも、人類全体の肉の摂取量を半分に減らすことができれば、屠畜によって命を失う動物の数を半分に減らすことが出来る

  1. 豊富な穀物

 肉食の第一の原因である食料不足は、現代では、穀物の飛躍的な生産量の増加によって、肉食しないでも済むようになってなっている。 そればかりでなく、もしも、肉食用に飼育している動物の飼料のために生産されている穀物を全部、人間の食用にまわしたら、世界中で飢えている人々が皆、充分に食べても、なお余る計算になる。

  2. 動物の生存権を犯す

肉食の第2の原因である肉食是認の思想は、次の事実と考察によって否認することができる。

(a) 進化論
人間は他の生物とは違って、神によって特別に創られた存在であるというキリスト教の教義は、人間は他の生物の進化によって生まれたというダーウイン(1809−1882)の進化論によって、否定された。 同様に、意識や感覚の主体である実体としての魂を、人間は持っているが、動物は持っていないというデカルトの主張も、人間と他の動物の間には、連続的な差異はあるが、断絶的な差異はないという進化論に基づく生物学によって否定された。
 生物は単細胞、魚類、爬虫類、哺乳類と進化してきて、哺乳類の中には人類も含めて多数の種があるが、これらの種の間に存在している差は、絶対的に断絶した差ではなく、連続した差である。人間相互の間に見られる能力の差も、人間と動物の間に見られる能力の差も、それがどれほど大きくても同じように連続した差である。したがって、人間と動物の間、特に哺乳類の間には絶対的断絶の差や壁は存在していない。


 動物愛護者が「人間と動物は基本的に平等である」という主張の論拠の一つとして、生物学上の連続性を挙げるとき、「人間と他種の動物は交尾しても子供を産めないから、不連続であり、断絶している」と反論する人たちがいる。これに対して、利己的な遺伝子の理論を説いたドーキンスでさえ「大型類人猿の権利宣言」の中で、次のような主旨を述べて、動物の権利を支持している。「種Aから種Bが進化して生まれる時は、それらの両者とも交尾して子供を産むことができる種ABという中間者の存在が必要である。そのような種ABはふつうは絶滅して現在は存在していないだけである。したがって、種Aと種Bは種ABを介して連続していることになる。また、交尾して子供が生まれることは本質的な連続性の条件ではない。実際には種と種の間に本質的な連続性があるのに、人間の心の中だけで、さまざまな非本質的な条件を設けて、断絶させているのである。」
 


生物の進化によって生まれた代表的な種の姿を1本の大木の枝として描いた進化系統樹を考えると、人間の一人一人や動物の一匹一匹は、あの同じ生命という大木の無数の枝に生い茂る一枚一枚の葉と同じである。母親の乳を飲んで成長し、生きたいという強い欲求を持ち、喜び、苦しみ、食べるために働いて(動物はえさを探して)、そして死んでいくという一生の基本的なプロセスは動物も人間も大差ない。客観的に見ると、これがわたしたち人間と動物が置かれた共通の運命なのである。

(b) 動物の権利思想

 他の人間、他の生物に対してとるべき態度は、それが苦痛を感じるかどうかによって、決めるべきであるとベンサム(1748−1832)は主張した。

人間以外の動物たちが、暴政の手によっておしとどめることのできない諸権利を獲得する時がいつかくるかもしれない。皮膚の色が黒いからといって、ある人間にはなんらの代償も与えないで、気まぐれに苦しみを与えてよいということにはならない。フランス人達はすでにこのことに気づいていた。同様に、いつの日か、足の本数や皮膚の毛深さがどうであるから、あるいは仙骨の末端(尾の有無)がどうであるからというので、ある感覚をもった生きものをひどい目にあわせてよいということにはならないということが、認識される時がくるかもしれない。いったいどこで越えられない一線をひくことができるのだろうか?

分別をもっていることだろうか、それともおそらく演説する能力だろうか?しかし、成長した馬や犬は、生後一日や一週間、さらには生後一ヶ月の人間の人間の乳児に比べても、明らかに高い理性を持ち、大人の人間との意志の疎通もスムーズにできる。だが馬や犬がそうした意志疎通の能力を持っていないとしたら、人間の役に立つだろうか?問題となるのは、理性を働かせることができるかどうかとか、話すことができるかどうか、ではなくて、苦しむことができるかどうかということである

人種、性等の違いに関係なく人間は皆平等であるのと同じ理由で、動物は種類に関係なく平等であるという思想を、ピーター・シンガー(1946−  )は、現代の動物の権利運動のバイブルといわれる「動物の解放」の第2版(1990年)で、次のように主張した。

 「 全ての人間は平等であるという判断の根拠になっている倫理上の原理は、動物に対しても同様に適用されねばならないことを、われわれに要請している。」 


アメリカの独立宣言(1776年)には、次のことが主張されている。

われわれは、次の真理を自明なものと認める。

● すべての人は平等に創られていること。
● 彼らは、その創造者によって一定のゆずるべからざる権利をあたえられていること。
● それらの中には、生命、自由、および幸福の追求が数えられること
。」


世界人権宣言(1948年に国連総会で採択)でも、同じことが主張されている。

[第1条] すべての人間は,生れながらにして自由であり,かつ,尊厳と権利とについて平等である。人間は,理性と良心とを授けられており,互いに同胞の精神をもつ て行動しなければならない。
[第2条] すべて人は,人種,皮膚の色,性,言語,宗教,政治上その他の意見,民族的若しくは社会的出身,財産,門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく,この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
[第3条] すべて人は,生命,自由及び身体の安全に対する権利を有する。
[第4条] 何人も,奴隷にされ,又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は,いかなる形に
おいても禁止する。
[第5条] 何人も,拷問又は残虐な,非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。


ここで謳われている人間の基本的権利は、今では地球上の多くの人々の間に行き渡りつつあるが、歴史的にみると、はじめは一部の人々だけに認められていたものが、少しづつ拡大していったのである。しかし、この拡大する範囲は、今までのところ、人類だけにかぎられていて、動物はこの範囲の外に置かれている。動物が人類の道具としての運命にあることを、大部分の人間が承認しているが、これは、古代ギリシャや南北戦争前のアメリカで、奴隷は一般市民の道具としての運命にあることを承認していたのと、よく似ている。

 権利を奴隷にまで拡張したのと同じ考え方に基づいて、権利を動物まで拡張できない理由は何か?もしも、前記の宣言の中の"人"を"動物"に置き換えたら、これらの命題の大部分は何故真理ではなくなるのであろうか? もしも、動物が言葉を使って自分たちの権利を主張したら、人間は動物に対して何と言って、その主張を却下するのだろうか?彼らが自分の権利を主張できないで、ただ沈黙せざるを得ないという事情だけが、人間の横暴を許してしまっているのではないだろうか?

もしも、数百万年後に、人類よりはるかに進化した超高等生物が出現して、人間の生命を軽視して、酷使したり、食用にしたり、人体実験をしたら、人間は何と言って彼らに抗議するのだろうか?生きる権利は、理性や感性の高低には関係ないという真理を彼らに認めさせる努力をするだろう。そうであるならば、理性や感性が人間よりはるかに劣るという理由で、現在、動物たちを虐待できない筈である。このように、世の中の全ての差別行為は、立場を逆転して考えてみると、その間違いがよく分かってくる


 このような思想的背景の下で、最近、大型霊長類の法的権利がニュージーランドで実際に認められた。
 「ニュージーランドの国会は、1999年10月7日、大型類人猿(グレート・エイプ)の法的権利を認める法案を通過させた。この日改正された「動物福祉法」に新しく盛り込まれた条項によると、「その種にとって利益がある」と認められない限り、人間以外の大型類人猿(チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オラウータン:4種とも国際保護動物)を研究、実験、教育の場で使用することはできなくなった。別の言い方をすれば、「人類の発展」のためにはもう使用できなくなったということだ。

 この種の規制が法律化したのは、世界でも初めて。この決定の背後には、大型類人猿が遺伝子学上、人に非常に近い存在であるだけでなく、人と同様の精神構造―自意識、思考能力、その他知性の表れと認められる能力―を持ち、また、複雑なコミュニケーション技術や社会構成、そして、人の言語を理解しうる能力があることが科学的にも証明されてきたことがある。グレート・エイプ・プロジェクト・インターナショナル(GAP)は、この法制定を、歴史的に記念すべき出来事であり、人以外の生き物の法的権利を認める方向にある世界的な傾向をいち早く取り入れたものだと高く評価している。」(GAP)



 「また、アメリカでも、大型類人猿の法的権利の確立への運動が高まっている。
 アメリカでは、弁護士達が、合衆国憲法の修正条項にある奴隷禁止法を適用して、大型類人猿の法的権利を法廷に認めさせるための準備をしている。奴隷禁止法は、南北戦争以前、いくつかの州で所有物としてしか認められていなかった奴隷に、不当に拘束されいるという訴えを起こす権利を与えているもので、これを動物に当てはめて、法的措置を講じられないかどうか検討中。

 この計画は、動物の法的権利擁護基金(ALDF)という、動物の権利のために活動を行っている弁護士団体が後押しをしており、ALDFは動物の解放運動の父と呼ばれるピーター・シンガーなど、GAPのメンパーと共同で、人以外の大型類人猿の生命、自由、虐待を受けない、という基本的な法的権利を確立するための活動を行う大型類人猿の法的権利プロジェクト(GALP)を設立した。アメリカ各地では、すでに、この考え方に賛同する弁護士が法改正のためのロビー活動を開始している。」(テレグラフ紙)


 GAPについては、「大型類人猿の権利宣言」(2001年4月昭和堂出版、原著:"The Great Ape Project" by Peter Singer &, 1993)によって、その全体像を知ることができる。GAPの直接の目的は大型類人猿に対して、人間と同様な権利を法的に与えることである。しかし、その最終目的は、これを突破口にして、一般の畜産動物や実験動物などにも人間と同様な権利を法的に与えることである。これは、動物解放運動の戦略として、いきなり一般の動物の権利を人々に認めさせることは難しいので、人間と非常に似ている大型類人猿なら、理論的に反論の余地が少ないことに着目して、先ず、第一段階として大型類人猿の法的権利の確立を目指そうとするものである。人間以外の大型類人猿を「道徳上平等な取り扱いを受けるべき共同体」の中に含めるべき理由・根拠を、大勢の自然科学者と人文科学者が、この本の中で説明している。そして、この目標を達成するために、世界中の同志が協力して、運動を推進することを訴えている。

チンパンジーの研究で世界的に著名な西田京都大学教授は「大型類人猿の権利宣言」の中で、次のように言っている。「平等者のコミュニテイに大型類人猿を含めたら、論理的にはあらゆるその他の生き物も含まなければならなくなるといって反対する人もいるだろう。私は、可能であれば、また可能になれば、他の生き物にも道徳共同体のメンバーシップの権利を拡張すべきだと思う。しかし、大型類人猿を共同体のメンバーに含めてもなんの問題も起こらない現在、まず最初のステップとして、大型類人猿をメンバーに含めるべきだ。(中略)21世紀が終わる頃、私たちの子孫は、大型類人猿に基本的人権を与えるのをためらったといって、われわれをあざ笑うかもしれない。」

 「2000年10月には、米国で『大型類人猿保全法』が上院を通過した。この法律によって、大型類人猿の原産国での保全を推進するために、21世紀の最初の5年間、毎年5億ドルの資金が支出されることになった。保全のためのさまざまなプロジェクトが公募され、それを支援する資金が提供されることになる。」(同書より)


スウェーデンが大型類人猿の実験を禁止

スウェーデン政府は2003年6月より類人猿(GREAT APES)と Gibbon の9つの種について動物実験を禁止する法律を制定した。倫理的観点から、人間は霊長類の生存する権利を犯すことができないという認識が、今回の決定の背景にある。他の先進国に対する影響力という点では、スウェーデンの方がニュージーランドよりも大きいと考えられるので、今後、このような動きが他国にも広がり、さらに類人猿以外の動物たちにも適用される日が近づきつつある。


(C) 人間の生活は、動物(牛)の生活とくらべて、いかなる点で優れているのか?
 
 人間の子供も自然状態の牛の子供も、両親の交わりによって受精した卵子が子宮の中で大きくなって、この世界に誕生する。そして、母親の乳を飲んで成長し、生きたいという強い欲求を持ち、喜び、苦しみ、牛は食用に適した草を自分で探して食べ、人間も仕事を探して働いて得た貨幣を衣食住などと交換して、生命を維持し、やがて異性と交わって子供をつくって育て、そして死んでいく。このように一生の基本的なプロセスは、動物も人間も大差ない。客観的に見ると、これがわたしたち人間と動物が置かれた共通の運命なのである。ただ、人間は、言葉を使って分業による協業を進めて、文明を発展させて、このプロセスをより便利により快適にしたに過ぎない。また、余った暇な時間の多くを、動物たちは無為に過ごすが、人間は退屈を解消するために、さまざまな気晴らしをして過ごすに過ぎない。

 最も大きな違いは、一部の人々が真理の探究や芸術作品の創造や慈善活動などを行っていることだろう。しかし、このような活動は、他の生命の犠牲を必要としないし、また、他の生命を犠牲にしてやるほど価値があるものではない。もしも、牛たちは、このような活動をしないから、生きる権利を人間よりも持たないと主張したら、このような活動に直接従事していない大部分の人類も、牛と同じだけの権利しか持てないことになる。このような矛盾を認めないならば、牛も人間と同じように生きる権利を持っていることを認めざるを得ないであろう。そして、人間だけが生きる権利を持つという考えが正しくないことを認めざるを得ないであろう。


(d) 一般的な価値判断

 Aという物事、行為が存在すべきかどうかを判断する場合、一般的な基準として、次のようなことが行われる。
 1.Aが存在する場合のプラス点とマイナス点を列挙し、その総合評価をする。
 2.Aが存在しない場合のプラス点とマイナス点を列挙し、その総合評価をする。
 3.1と2の総合評価点数を比較して、もし、1の方が2より高ければ、Aは存在すべきであるという結論が導かれ、もし、2の方が1より高ければ、Aは存在すべきでないという結論が導   かれる。


この一般的な価値判断の基準を、肉食の是非の判断に適用すると次のようになる。
 1.肉食が存在する場合
   プラス点  − 人間の健康維持に役立つ。
             しかし、肉を食べなくても、代わりに、バランスのとれた菜食と魚をたべれば、肉食の場合と同様に、健康を維持できる。
          ― 肉は美味しい。
             代わりに、肉と同じ味をした合成食品を作ることができる。
   マイナス点 ― 肉食される動物は激しい苦痛を受けて命を奪われる。
 
2.肉食が存在しない場合
   プラス点  ― 動物は激しい苦痛を受けることも、命を奪われることもない。
   マイナス点 ― 肉を食べない人間は健康を維持できないかもしれない。
             しかし、肉を食べなくても、代わりに、バランスのとれた菜食と魚をたべれば、肉食の場合と同様に、健康を維持できる。
          ― 肉の美味しさを味わえなくなる。
             代わりに、肉と同じ味や形をした植物性の合成食品を食べることができる


肉食しないで、その代替品で、同じ効果を得ることが出来る点を考慮すると、肉食が存在しない場合の総合点は、肉食が存在する場合の総合点より、はるかに高いことは、明白である。それゆえに、「肉食は存在するよりも存在しない方が望ましい」という価値判断の正しさは確認できたことになる。

動物の権利

  3. 健康を損なう

 ベジタリアンになることを考えた時、最も心配する点は、「菜食だけで本当に健康を維持し、長寿を達成できるだろうか?」という疑問である。料理、栄養、健康に関するどんな本を見ても、そこには必ず適量の肉を食べるべきであることが説かれている。肉を食べるべきではないということを説いた本を見つけることは、例外的なベジタリアンの本を除くと、皆無に近い。また、自分の身近にベジタリアンを見つけることは、もっと難しい。私自身、自分が知っている人々の中からベジタリアンも見つけることは、ほとんどできない。このような環境の中で自分がベジタリアンになるべきかどうかを決めるためには、肉食と菜食が健康に対して及ぼす効果についての確実な知識が必要になる。

 一般に、食物についてわれわれが知りたいことは、次の(a),(b)の2点である。
(a)   健康、長寿を達成するためには、具体的に何をどれだけ食べるのが最適なのか?
(b) 下記の各々の場合、健康、長寿達成度(平均寿命)はどれだけの差があるかの?
   − 肉でも何でも食べる場合
   ー 肉は食べないが、肉以外は何でも食べる場合
   ー 肉と魚は食べないが、それ以外は何でも食べる場合
   ー 肉、魚、卵、乳製品等全ての動物性食品を食べない場合

われわれは、この(a),(b)の知識と自らの倫理的省察に基づいて、毎日の食物選択をしなくてはならない。


日本人の死亡原因の上位7つは何だと思いますか?

それは、1998年の統計資料では、ガン(284千人)、心疾患(143)、 脳血管疾患(138)、肺炎(80)、不慮の事故(39、うち交通事故は13) 自殺(32)、老衰(21)で、死亡者総数(936千人)の約8割を占めて います。そして、
1960年から1998年にかけて、日本の総人口は35%、死亡者総数(ガン死を除く)は6%の増加ですが、ガンによる死亡者は203%の 激しい増加をしています。

早期に発見されたガンは、医学の進歩によって5年間生存率や治癒率が 向上していますが、発見が遅れた進行ガンの場合は治りにくいため、 最も恐れられています。 人類はガンという強敵をいつになったら征服できるのでしょうか?

ガンが治りにくい病気ならば、私たちがなすべきことは何でしょうか?

それは、ガンにならないようにように日常生活で予防するしかありません。 予防するためには、ガンの原因を知って、それを除くことが必要です。 ガンや成人病の最大の原因はライフスタイル、すなわち、生活習慣に あり、不規則な食事、アンバランスな食物、運動不足、睡眠不足、喫煙、 酒、長時間労働、過度のストレスなどの悪い生活習慣が病気に対する 免疫力を弱めて病気を引き起こしています。ライフスタイルが良い人ほど ガン免疫力が高く、ガン細胞を死滅させる能力が高いことが測定されて います。
これらの生活習慣の中で、食物は特に重要で、動物性のタンパク質と脂肪 はガンと深く関係しています。次のグラフが示すように、1960年から2000年にかけて、日本人の 肉の供給量が約6倍に増加したことと、ガンによる死亡者数が約3倍に増えた ことの間には密接な関係があります。

 日本のガン死亡者数と肉供給量の推移(グラフ)

第2次世界大戦中、ノルウエーはドイツに占領されていて、ノルウエー政府は国民への肉の供給を厳しく制限したり、ときには完全に禁止せざるを得なかった。
そのとき、下図のように循環器系の病気による死亡率が激減し、そして、戦後、以前の食生活に戻ると、死亡率も上昇した。この相関関係に驚いた研究者たちは、他の国についても、調査したところ、動物性食品の消費量の減少と健康面の大きな向上があることが判明した。下図では、1人当りの年間脂肪消費量(Kg/人)と人口10万人当りの循環器系病気による死亡者数の推移が示されている。

 動物性脂肪消費量と循環器系病気による死亡率の関係(グラフ)

ガンや成人病と肉食の間にどれほど密接な関係があるのかを統計的に 調べた信頼できる資料があるでしょうか?

アメリカのセブンス・デイ・アドベンティスト(SDA)とうキリスト教宗派の人々と肉を普通に食べている人々との比較が行われました。 セブンス・デイ・アドベンティスト(SDA)の調査対象人数は2万5千人から 3万5千人という多人数なので、信頼性を期待できます。 アドベンティスト教会はベジタリアンの生活スタイルを唱えているが強制は しておらず、実際肉食をしている人もおり、それらも調査に含まれています。 SDAの調査対象者の20%の人は週に4回以上、35%の人は週に1回から 3回肉を食べていましたが、残りの45%は全く肉を口にしていませんでした。次のグラフのとおり、ガン、心臓病、糖尿病による死亡比率の調査結果は 肉を普通に食べている人々は、肉を食べない人々よりも、これらの病気で 死ぬ確率が非常に高いことを示していますまた、三大死因の一つである脳血管疾患の大きな原因になっている高血圧も、肉食者は非肉食者よりも高い結果を示しています。

 肉食者と非肉食者のガン、心臓病、糖尿病による死亡比率と血圧比較(グラフ)


肉の中には、なぜ多くの化学薬品が含まれているのでしょうか?

(1)経済的効率性のために、家畜は自然の中ではなく、密閉された 畜舎の狭い檻の中に閉じ込められ、太陽の光を浴びたり、自由に動き まわることがまったくできません。こような飼育環境の悪さから、家畜舎 には病気が蔓延し、下の統計のように動物たちの多くは心身共に病んで いるので、屠殺する時までに死んでしまわないように、さまざまな化学薬品が絶え間なく投与され薬漬けにされます。

 病気のため屠殺場で廃棄された家畜数

(2)下図のように、飼料添加物は3つの目的のために、飼料に混ぜて 家畜に与えられ、1991年には、128種類が指定されています。

 飼料添加物の用途と内訳

(3)家畜が食べる飼料穀物には多種の農薬が残留しており、その ほとんどは発ガン性物質です。

人間が肉を食べる時には、このようにさまざまな有害物質が、肉と一緒に 体内に入って蓄積され、病気を引き起こす原因になっています。


私たちは健康を維持するために、何をどれだけ食べたらよいのでしょうか?

アメリカ農務省長官の諮問機関である食事ガイドライン委員会は、過去の膨大な調査研究成果に基づき、1984年に具体的で分かりやすい食事のガイドを発表した。その指針の一つとして、食べる食品の種類をもっと多くすることを挙げている。
「人間の生存および健康維持のためには40種類以上の栄養素が必要である。つまりいろいろな種類のビタミン、ミネラル、アミノ酸、必須脂肪酸(植物油に多い脂肪)などがそれである。またエネルー源としての炭水化物、脂肪、蛋白質も必要である。こららの栄養素はバランスのとれた食事によってとられるものであり、そのためには、いろいろな種類の食品を、つまり多種類の食品を食べる必要がある。」

これは、具体的には、いわゆる六群の食品をバランスよく食べなさいということを言っている。その食品群の分類は、下記の日本の厚生省の「健康づくりのための食生活指針」とほぼ同じである。

 健康づくりのための食生活指針

このようなガイドが出された背景には、審議調査の中に次のような重大な結論が為されていたことがある。

 − ガン、心臓病、脳卒中などアメリカの6大死因となっている病気は、現代の間違った食生活が原因となって起こる食源病である。この間違った食生活を改めることで、これらの病気を予防する以外に先進国民が健康になる方法はない。

 − 現代の医学は薬や手術といったことだけに偏りすぎた、栄養に盲目な片目の医学であった。栄養に盲目でない医学につくり変える必要がある。

このアメリカの間違った食生活を改めるということを一言で言うと「肉を減らして、穀物、野菜を増やす」ということである

 前記のアメリカの「食事ガイドライン」は、国民に適切な食事習慣を示すために、政府により調査された食事習慣の統計や最新の医学栄養学の知見に基づいて、保険社会福祉省と農務省が、およそ5年ごとに改訂をしてきた。その1995年改訂版では、ついに、ベジタリアンフードは食事ガイドラインに沿った食事であると認められた。現在、アメリカの人口の7%以上がベジタリアンだといわれているが、このように欧米で菜食主義が広がった理由として、次の3つが挙げられ、その中でも(1)の自分の健康のためというのが最大の動機である

(1) さまざまな病気を予防し、健康を維持・増進する。
(2) 地球の環境悪化の問題を改善する。
(3) 食肉用家畜に対する倫理的問題を解決する。

この食生活の指針を基にして、肉食の弊害(動物を苦しめる、健康を損なう、環境を破壊する、飢餓を生む)を無くすために、
次のA, B, C案を提案します。


            A案:動物性食品は一切食べない。
       B案:肉以外は何でも食べるが、肉は食べない。
       C案:動物性食品をできるだけ減らす。

A案が難しい場合は、B案かC案なら誰でも実行できるでしょう。自分にできることから始めませんか。


肉を食べなくても、他の食品で本当に、必要なタンパク質をとれるのだろうか?

肉は食べないが、肉以外は何でも食べる場合と、肉と魚は食べないが、それ以外は何でも食べる場合は、栄養の観点から見て、問題はないだろうか?上表の第1食品群が示すように、蛋白質は肉、魚、大豆のどれにも含まれている。また、
蛋白質の栄養価を決める8種の必須アミノ酸の含有量についても、下表のとおり、大豆は肉と比べて勝るとも劣らない。したがって、肉を食べなくても、蛋白質が不足しないようにバランスよく菜食を行えば、栄養上、問題はないことになる。
そして、アメリカのセブンス・ディ・アドベンティストなど世界中の多くのベジタリアンが、肉を食べなくても健康でいられること、また、肉を食べている人たちよりも健康であることを実証している。

 食品可食部100g当たりの必須アミノ酸組成

アミノ酸スコア(バランス)
必須アミノ酸は8種類あるが、そのどれか一つでも少なく、全体のバランスが悪いと、不足しているアミノ酸に制限されて、ほかの必須アミノ酸を摂ったとしても、体内で利用されない。つまり、同じ100グラムのたんぱく質を食べても、食品の種類によって、必須アミノ酸の構成比が異なり、体内での利用率に優劣の差がある。その優劣はアミノ酸スコアによって表示される。大豆、乳製品、卵、魚のアミノ酸スコアは、肉と同様、100である。

★ アミノ酸スコア
     

タンパク質だけでなく総合的な栄養成分の比較でも、大豆や魚は肉の代替物になり得ることを、次の分析資料は示している。

  主な食品の栄養成分


医学や栄養学に基くベジタリアンの注意事項

 「ベジタリアンの健康学」(蒲原 聖可著)によると、動物性食品を一切摂らないビーガンの場合は、次のような点に注意して管理する必要がある。乳製品や魚を食べる場合は、全く問題ない。

 ・ まず、バランスよく多品種の食品をとること。
 ・ 次に、必要なタンパク質を得るため、豆類、とくに大豆製品を多めとること。卵や乳製品を摂取していれば、タンパク質に関して問題はない。
 ・ 鉄分の不足に注意すること。鉄分は、動物性食品に豊富であるが、豆類などの植物性食品にも含まれている。
 ・ 乳製品をとらない場合、カルシウムを含む植物性食品を十分に摂取すること。
 ・ ミネラル類は、ナッツや大豆製品に含まれているが、サプリメント(栄養補助剤)を用いることもできる。
 ・ ビタミンB12は、卵や乳製品をとっている限り、不足の心配はない。ビーガンの場合は、イースト(酵母)などのサプリメントが必要。
 ・ 亜鉛は、卵や乳製品の他、豆類などの植物性食品に含まれているが、不足する可能性があればサプリメントを用いる。


大豆イソフラボンの過剰摂取について

内閣府の食品安全委員会は、2006年1月31日に、大豆イソフラボンの過剰摂取に注意を促す報告書を出した。その要点を伝える朝日新聞と自然食品店のHPを下に転載した。

朝日新聞のHPより「大豆イソフラボン、妊婦さんなど取り過ぎ注意」 2006年 2月 1日 (水) 03:03

 
取り過ぎに注意して――。骨粗鬆症(こつそしょうしょう)やがんの予防効果があるなどとして人気のある食品成分「大豆イソフラボン」について、食品安全委員会の専門調査会は31日、過剰摂取に注意を促す報告書案をまとめた。ホルモンのバランスを崩す恐れがあるとして、通常の食生活に加え特定保健用食品などで1日に追加的にとる安全な上限量を30ミリグラムとした。特に、妊婦や乳幼児に対しては「追加摂取は推奨できない」としている。

 専門調査会は、02年の国民栄養調査などから、
大豆イソフラボンの摂取量は、国民の95%が70ミリグラム以下であり、健康被害が出ていないことなどから、安全な摂取量の上限を1日70〜75ミリグラムとした。さらに通常の食生活をしている女性を対象に、イソフラボンの錠剤などを飲んでもらい内分泌系への影響をみた調査から、男女ともに1日30ミリグラムを追加で取れる上限値とした。30ミリグラム以上含まれている健康食品のドリンク剤や錠剤もあることから、これらを取る際の注意にもなっている。ただ妊婦や胎児、乳幼児などに対しては、「追加摂取する場合の安全性は科学的に判断できない」とし、通常の食事以外からの摂取は勧めないとした。

 財団法人日本健康・栄養食品協会は1月12日に、調査会が根拠としたデータへの疑問があるとして「適正なサプリメントの活用を阻害し、好ましくない影響を与える可能性がある」との意見書を安全委に出している。」
以上

自然食品店のHPより 「ダイエットや美容に注目される大豆イソブラボンに注意?」

大豆に含まれ、女性ホルモンに似た作用のある化学物質「大豆イソフラボン」について、食品安全委員会新開発食品専門調査会(上野川修一座長)は31日、厚生労働省の特定保健用食品(特保)として日常の食事とは別に摂取する場合は、1日の摂取量を30ミリグラム程度に抑えるべきだとする評価書案を大筋でまとめたとのこと。

最近、豆乳鍋やお豆腐ダイエットなどとして注目を集めていた「大豆イソブラボン」ですが、摂取しすぎると体には良くないということらしいです。ただし、「(一般の)大豆食品の安全性を問題にしているわけではない」特保として上乗せ摂取する場合の評価であることを強調しているそうなので、一般的な食事で摂取する程度では特に不具合はないようです。
大豆イソフラボンは、豆腐や納豆などに含まれ、乳がんや骨粗しょう症の予防効果もあるといわれております。ご存知だった方も多いのではないでしょうか?しかし、一方では乳がん発症や再発のリスクを高める可能性なども考えられるため、調査会が摂取上限の目安を審議していたようです。

以下、調査会での考察
『食べ物からの摂取量が平均的な閉経前の日本人女性21人に大豆イソフラボンを1日約57ミリグラムずつ追加摂取させると、血中の女性ホルモン濃度が約3割低下したなどの試験結果が提出された。調査会はこのデータなどから、特保として上乗せ摂取する場合の安全な上限値を57ミリグラムの約半分の約30ミリグラムと設定した』この実験では、今まで安全と考えられていた追加摂取量を実際に摂取してみたら血中の女性ホルモン濃度が約3割低下したなどの試験結果が出たとのこと。そのため、健康食品などで追加摂取するのに、安全な上限値を57ミリグラムから約30ミリグラムに直した、ということですね。

この話はあくまでも「追加摂取」する上での「大豆イソブラボン」についてですが、大豆製品の摂取のしすぎには、少し注意したほうがいいかと思います。」
以上

上記はまだ中間報告であり、食品安全委員会は今後も審議を継続する。また、
日本健康・栄養食品協会だけでなく、家森幸男のような有力な専門家からも反論が出されているので、最終的な結論がどうなるか、今後の動きに注目する必要がある。

 しかし、今は、
「大豆や大豆製品という普通の食品から摂取する大豆イソフラボンの安全な上限は、1日当たり70‐75mgである」ということが正しいと仮定して、ベジタリアンは自分の食事内容をチェックして、大豆イソフラボンの摂取量を確認する必要がある。何故なら、タンパク質を摂るために、大豆や大豆製品をたくさん食べているベジタリアンは大勢いるからである。

食品100g中に含まれる大豆イソフラボンの量 :きな粉 266.2mg、煮た大豆 72.1mg、納豆 73.5mg、とうふ 20.3mg、味噌 49.7mg

具体例 
@ 納豆半パック(25g):18g、とうふ3分の1個(100g):20mg、味噌(20g):10mg、
 大豆イソフラボンの合計 : 48mg
A  納豆1パック (50g) : 37mg、とうふ2分の1個(150g) : 30mg、味噌(20g) : 10mg、 大豆イソフラボンの合計 : 77mg

@は全く問題ないが、Aの場合は、1日にこの量を超える大豆製品は摂取しない方がよいだろう。そして、最終結論が出てから、また検討しなおす態度がよい。


 菜食のことを考える時、食べてよい生き物と食べてはいけない生き物の境界線をどこに引くかという問題がある
ベンサム自身は、肉食を止めなかったが、苦しむことができるかどうか、すなわち、苦痛の感覚が存在するかどうかが、生き物をひどい目に合わせてよいかどうかの境界線になるべきだと主張した。ピーター・シンガーはこの主張に賛成し、生きものが苦痛を感じるかどうかを、苦痛の原因に対するかれらの反応や神経系の観察に基づいて、「生きものに苦しみを与えていないという絶対的な確信がほしい人たちは、軟体動物も食べないであろう。しかしもし線引きをするとすれば、小えびとカキのあいだのどこかで線を引くのが一番妥当であろう。」と言っている。
 
 一般に菜食主義者と言われる人は、この境界線の引き方や考え方の違いによって、多くのグループに分類されるが、魚介類はもちろん、乳製品、卵も食べない厳格なグループ(ビーガン:完全菜食主義者)が上限で、肉(牛、豚、羊、鳥のような高等動物)以外は何でも食べるグループ(non-meat eater)が下限である。Non-meat eater を、菜食主義者の中に入れることは、厳格な見方からすれば、正しくない。彼らは、肉食者と完全菜食主義者の中間に置かれるべきであるが、肉食からは、大きく一歩脱却したという点を評価して、広義の菜食主義に入れるという考え方である。私自身は第3部で述べるあるきっかけによって1997年にnon-meat eater になり、魚介類をまだ食べている。

  したがって、菜食の栄養のバランス問題は、魚は食べる場合(non-meat eater)と、植物性食品だけを食べて、肉、および、苦しい飼育プロセスの下でつくられた卵や乳製品は一切食べない場合(完全菜食主義)とでは異なる。日本では、自分の身近にnon-meat eater や完全菜食主義者を見つけ出すことは大変に難しい。四方を海に囲まれて海産物が豊富な自然環境の下で、鮨をはじめとした魚料理の伝統がある。仏教も、魚を食べることまで禁じなかった。

食生活を考える
健康ネット
Healthクリニック


食事の成分計算表作成のすすめ

毎日の食事で、必要な栄養素を必要な量だけ、自分は本当に摂取しているだろうか? その疑問を確認するために、初めて成分計算表を作成してみた。今までは、なんとなく大丈夫ではないかと推測していただけで、一度も検証したことはなかったが、今回は、あるきっかけがあったので、試作した。

(1) 先ず、左の列に、朝食、昼食、夕食別に毎日食べている食品名とその摂取量(g)を書き出し、右の行に、各食品の100gに含まれるカロリー、たんぱく質、カルシウム、鉄、脂肪(飽和脂肪酸、一価不飽和脂肪酸、多価不飽和脂肪酸)、食塩、食物繊維、ビタミンA, C, Eという最も重要な成分を、食品成分表に基いて記入する。

(2) 次に、これらのデータから、自分が毎日、食べている食品の成分の総摂取量を計算して出す。

(3) 最後に、厚生省が公表している栄養成分別の所要量と自分の総摂取量を比較して、その差額を出す。

この作業の結果、分かったことは、自分の食事は、たんぱく質とカルシウムと食物繊維が所要量に達していないということだった。この結果に基いて、不足分を補充する食品をこの計算表に加えて、(3)のギャップを解消する努力を始めた。

私はnon-meat eaterというタイプのベジタリアンで、肉(牛、豚、鶏)は食べないが、魚や乳製品や卵は食べている。植物性食品だけを摂る人々や、植物性食品+乳製品・卵だけの人々の場合は、特別の注意や努力をしていると思うが、念の為に、このような検証を時々する必要がある。肉を食べている人の場合も、同様だ。意外な結果が出て、驚くかもしれない。

栄養のバランスを欠いた食事が習慣化すると、健康を損なって、病気になる確率は高くなる。自分の食習慣が栄養のバランスを保っているかどうかは、推測だけでは当てにならず、検証してみなければ、不確実である。パソコンによる計算表の作成は、それほど面倒なことではないので、是非、すすめたい。多少の時間を要するが、それだけの価値はある。重大な病気になってから治療するのではなく、病気にならないように予防することが必要だからだ。

第6次改訂日本人の栄養所要量
この栄養所要量は、平成16年11月22日に更新されているので、その最新データは「五訂食品成分表 2005」(女子栄養大学出版部)で入手して下さい。

  4. 肉の類似品

今まで普通に肉を食べていた人が ベジタリアンになったとき、料理のバラエテイーを求めて、ハンバーグや餃子やハムを食べたくなることがある。このような人のために、主に大豆から作った肉の類似品を含め、様々な種類の健康食品が販売されている。その代表的な2つのメーカーのホームページを次に紹介する。形、味、色等が本物に似ているので、言われなければ、大豆製とは分からないほどである。これで、普通の餃子、ハンバーグなどとほとんど変わらない料理を食べることが出来る。

三育フーズ「穀菜食  :菜食の健全性のところで述べたセブンス・デイ・アドベンティスト(SDA)が三育フーズを経営している。

 満菜

  5.飢餓を生む

肉食を止めることは、動物の苦しみを無くし、人間の健康を維持するだけでなく、世界中の飢餓を無くし、環境を改善するためにも必要です。

どうすれば、飢餓で苦しむ人々を助けられるでしょうか?     
開発途上国(93か国)の慢性的栄養不足人口(1日当りのエネルギー 摂取量が体重を維持し、軽作業を行うのに必要な水準以下の人々)は 1988/90年に7億8千百万人で、これは総人口の20%を占めていて、年間1500万人が栄養失調で死んでいます。これほど大規模な飢餓が なぜ存在するのか、飽食の日本人にとって容易に理解しにくい点もありますが、最大の原因は、人口の増加に食糧生産が追いつけないことです。この因果関係は次の環境問題の砂漠化のメカニズムで説明する通り、貧困と農用地の砂漠化の悪循環によるところが大きいと言えます。

したがって、飢餓をなくすためには、 砂漠化の解消、貧困の軽減、人口増加の抑制、食料の生産性の向上などを図る必要があります。 しかし、もっと簡単で確実な方法があります。家畜が生まれて成長するために、とうもろこし、大豆などをエサとして与える必要がありますが、1kgの動物性タンパク質を肉として産むためには、10kgから20kgの植物性タンパク質を飼料として与えねばなりません。この数値は牛、豚、鶏など家畜の種類によって異なり、子牛の場合は、21kg(「動物の解放」より)。もしも、先進国の人々が食べる肉の量を少し減らして、その家畜に与えられていた飼料を、飢餓に苦しむ7億8千万人の人たちにまわせば、かれらを救うことができます。

餓死者を助ける具体策
人々が肉食を止めたら、世界から餓死者が自動的に助かるという訳ではない。家畜の飼料用に生産された穀物を、富める国が買いとって、それを餓死する運命にある者に分配するというメカニズムが必要である。そのメカニズムの一つとして、ODA(政府開発援助)を挙げることができる。DAC(開発援助委員会)の22カ国はGNI(国民総所得)の0.7%を、開発途上国の援助に当てるという目標が、1970年の国連総会で採択されている。

しかし、2002年のODAの実績では、DAC加盟国の平均は0.23%に過ぎない。上位の10カ国を金額が大きい順に挙げると、以下のとおりである。(単位 百万ドル)
アメリカ 12,900 (0.12%)、 日本 9,220 (0.23%)、 ドイツ 5,359 (0.27%)、フランス 5,182 (0.36%)、 イギリス 4,749 (0.30%)、オランダ 3,377 (0.82%)、イタリア 2,313 (0.20%)、カナダ 2,013 (0.28%)、スウエ−デン 1,754 (0.74%)、ノルウエー 1,746 (0.91%)

目標値の0.7%を超えている国は、上記のオランダ、スウエ−デン、ノルウエーのほかに、デンマーク (0.96%)、 ルクセンブルク (0.78%)の5カ国だけである。国連は毎年、この0.7%の達成を訴えているが、採択以来35年経過しても、未だに0.23%という低水準に止まっている。もしも、これらの富める国が0.7%という目標を達成し、その一部の金で家畜飼料用の穀物を買って、餓死しそうな人々に回すことにすれば、年間1500万人といわれる栄養失調による死者を無くすことができる。


★★ 開発途上国の栄養不足人口



 21世紀を飢餓の世紀にしないためには、何をなすべきでしょうか?   
  世界人口の過去の増加の大部分は途上国で起きており、将来も同じ傾向 が続くと考えられ、2100年には100億人を突破すると予測されています。地球が養える人間の数は、耕作や牧畜の面積、単位面積当りの生産量、人間の必要カロリーなどから計算すると、75億人前後だと言われています。2015年頃には、この定員に達しそうなので、このまま放置すれば、21世紀は飢餓の世紀になってしまいます。     この最悪の事態を回避するためには、生態系を維持した農業、人口増加を抑制する産児制限、食糧の生産性の向上等のほかに、肉食を止めて、家畜の飼料にしている穀物を人間にまわすことが必要 です。世界で生産される穀物全体の40%弱が家畜の飼料として使用されています。1人の年間の穀物必要量が150kgであることと、穀物をすべて人間にまわすことを前提にすると、1997年の世界の穀物総生産量の20億6千9百万トンで140億人を養うことができます。

★★ 家畜飼料として使用される世界の穀物の割合
 世界人口の増加
飢餓・貧困とは
飢餓を減らす

  6.環境を破壊する 

さまざまな環境問題に共通した特徴は何でしょうか? それは、人間の特定の経済活動や生活の仕方によって生じる結果が、人間の健康や経済活動自体をおびやかすという点にあります。現在、環境庁は地球環境問題を、オゾン層破壊、地球温暖化、酸性雨、熱帯林の減少、砂漠化、生物種の減少、海洋汚染、公害・汚染物質の国際的移動、途上国の公害の9つに整理しています。そして、人間が肉を食べる習慣は、オゾン層破壊と酸性雨を除く7つの環境 問題全ての原因の一部になっています。     これらの内、砂漠化とは、人間の経済活動によって農用地の土壌が劣化して、最終的に砂漠化し、農業ができなくなることです。1945年から1990年の45年間にわたる過放牧、森林減少、農業活動、乱開発によって、世界で20億ヘクタールの農用地の土壌が劣化し、 過放牧は、全ての原因の35%を占め第1位になっています。 その内、中位以上の劣化(改善のために莫大な資金を必要とし、途上国では自力で回復するのは難しい)の面積は12億ヘクタールで、これは中国とインドを合わせた面積にほぼ等しいものです。

★★ 土壌劣化(中位以上)の農用地面積と原因


砂漠化を防ぐ
  開発途上国の現実の貧困は、植民地の歴史など、さまざまな要因が複雑に絡み合って生じたものですが、その貧困が原因になって、栄養不足、医療不足、教育不足、環境問題など多くの深刻な問題が存在しています。働き手を増やし、一家の収入を増やそうとして、子供をたくさん産み、人口が増加します。そして、増加した人口を養うために、森林を伐採して、農地や牧場を新しく作っていきます。牧畜の場合は、ある面積の牧草地が養える家畜の数には一定の限界があるのに、貧しさのためにそれを超える家畜が 飼われて、草や木は再生できなくなるまで食べ尽くされてしまいます。 こうして草のなくなった土地が日光にさらされて、乾燥して砂漠になり、牧畜も農業もできなくなるため、人々は環境難民になって他の土地に移動して紛争を起こし、さらに貧しくなっていきます。そして、人々は砂漠化した土地を捨てて、新しい農地や牧場を確保しようとさらに奥へと森林を切り開き、悪循環が繰り返され、砂漠化がどんどん進行していきます。また、 熱帯林の減少によって、(1)食糧・燃料・木材の供給源が失われ、(2)二酸化炭素を吸収して酸素を出す働きが減って、地球の温暖化を速め、(3)洪水が起きやすくなり(4)野生動物が住みかを奪われて、生物種が減少します。

進行する砂漠化と防止の努力
砂漠化の原因
地球・人間環境フォーラム


地球温暖化を防ぐ
太陽から地球に届く日射エネルギーによって暖められた地球から、赤外線が熱放射されます。この赤外線の一部は宇宙に放射されますが、一部は温室効果ガスに吸収された後、再び下方に向かって放射されて地表を暖めます。この量が増えると、地表が受ける熱と放出する熱の間にアンバランス が生じて、一定の気温が保てず、上昇します。温室効果ガスには二酸化炭素(温暖化寄与率:64%、石炭・石油を燃やす時などに出る)、メタンガス(温暖化寄与率:15%、家畜の排泄物や牛のゲップなどから出るものはメタン全体の16%を占める)などがあります。例えば、畜産の盛んなニュージーランドでは、家畜が飼料の消化過程で出すメタンガスや亜酸化窒素の量は、同国の温室効果ガス排出総量の55%を占めるほどです。

日本の大部分の地域では年平均気温が過去100年間で2度以上も上昇し、東京は2.9度高くなっています。このまま何も対策も取らないと、2100年には世界の気温が1度から3.5度高くなり、その影響で、(1)海水が膨張し、南極や北極の氷が溶けて、海面は15cmから95cm上昇するので、水没する地域が増えます。海面が1m 高くなると日本の砂浜の90%がなくなり、満潮時に津波や高潮が発生する氾濫地域内に住む人は1542万人に達します。(2)異常気象が発生して、台風が増加し、洪水が多発して、甚大な被害が生じます。

地球温暖化防止総合リンク集

  第4章 動物の苦痛の軽減

畜産動物に対する人間の行為は、第2次大戦中の強制収容所におけるユダヤ人に対するナチスの行為を連想させる。自分の優越意識と相手に対する劣等視の間に絶対的断絶が横たわり、無抵抗な相手にどれほど残酷なことをしても許されるという価値観が共通している。現在、このような価値観と行為は人間の間では許されないが、動物に対しては正しいこととして承認されている。このような価値観が続く限り、肉食の習慣も止まないだろう。
 もしも肉食を廃止できない場合、他に、われわれにできることは何だろうか?それは、屠殺される動物が生きている間に人間から被る3段階の苦痛を最小限度にやわらげ、その上で、この世に生まれた喜びをできる限り体験させてあげることである。

1. 飼育段階の苦痛を軽減する方法
― 一頭または一羽の動物に与えられる空間を広げる。
― 建物の内部ではなく、自然の中で育てる

2. 輸送段階の苦痛を軽減する方法
― 飼育場の近くの屠殺場で処分する

3. 屠殺段階の苦痛を軽減する方法
― 放血前に気絶させる方法は、最も確実で時間が短く苦痛の小さい方法にする。


 以上のことを法制化して義務付ける必要がある。この点、日本の法律は、ザル法と言われてきた。1973年に日本で初めて動物保護の法律(動管法)が制定されたとき、原案と比して余りにも骨抜きにされ、実効性が極めて乏しかったために、当時の関係団体は「明日から改正運動だ」と叫んだそうである。それから四半世紀経った1999年12月14日、やっと国会で改正法が成立した。

しかし、全国の主要な動物保護団体が連携し、75万人を超える署名を集めて国会に請願してきた先進国並の改正案のうち、最も重要な部分は拒否された。すなわち、改正法は、ペットについては、現行法に比較すれば相当の改善が見られるものの、動物に対し最も残酷な行為が大規模に行われる実験や畜産については、全く改正がなされず現行法のままで、法の適用外としている。動物問題の中で、メジャーな畜産、実験は棚上げにして、マイナーなペットに関する罰則を強化することだけのために、26年を費やした
政府、関係政党、関係省庁、国会議員の無責任さは極めて重大である。もしかすると、神戸の少年による残酷な殺人事件の原因の一部がペットの虐待の放置にあったということがなかったら、このペットに関する改正すら行われなかったかもしれない。


 ”動物実験廃止ー全国ネットワーク”(AVA-net)の会報2000年1―2月号によれば、「今回の改正に動物実験関係の条項が何も入らなかった理由は、動物実験施設協議会など実験者側の諸団体が『動物実験を規制すると科学の研究に支障が出る』と主張し、それを受け入れた自民党が強硬に反対したからです。そればかりか、自民党は”動物の法律を考える連絡会”に対して、いつまでも動物実験の規制を求めるならばこの法改正自体を上程しないと通告し、脅しとも言うべき姿勢で臨んできました。民主主義を名乗る政党とも思えない態度ですが、動物実験への批判を封じこめようとするこのような力が動いていることは、裏返せば、日本の実験者団体がそれほど動物実験の規制を恐れているということであり、それほど無意味で残虐なことが繰り広げられているからだということに他なりません。」

このような改正法成立プロセスの舞台裏を見ると、日本の民主主義というものは、制度上だけで、実際には十分機能していないことがよく分かる。政府は、何故、75万人の署名を、良識ある市民の多数意思として考えなかったのだろうか? もしも、今回の法改正を直接国民投票で決めていたら、このような結果には決してならなかったであろう。

 一方、今回の敗因を分析すると、動物保護団体の作戦負けという側面も否定できない。自民党が”動物の法律を考える連絡会”に対して、「いつまでも動物実験の規制を求めるならば、この法改正自体を上程しない」と通告してきたとき、妥協しないであくまでも動物実験の規制を求め、1999年度の法案成立を見送るのが最も適切な戦略であった。その理由は、第一に、そうすれば、今後毎年法改正を政府に要求できるが、今となっては、5年後の見直し時までは要求を棚上げせざるを得ない。第二に、政府は、神戸のような事件の再発を防ぐための施策を国民に示すため、動物保護団体が要求しなくても、遅かれ早かれペット虐待に対する罰則を強化せざるを得ない事情にあった。

動物保護団体は、二者択一を迫られたとき、両方の長期的なプラス点、マイナス点を全て列挙して、その総合評価が高い方を選ぶという論理的思考を徹底しないで、かなり焦ってしまい、その場の空気にしたがって、妥協してしまったのではないだろうか。この点から見ると、百戦錬磨の自民党にとって、駆け引きや戦いの経験がない動物保護団体は大変に扱いやすい相手だったということになる。


 日頃、ペット動物の虐待問題などについては大きく報道している新聞、テレビ、出版者や、全ての生き物に対して慈悲を説いて止まない仏教の諸団体が、今回の一番肝心な動物法改正問題については、一言も発言もせず抗議もせず、まったく無視と沈黙の立場を取っていたのは、信じ難いほど奇怪であり本末転倒であった。かれらの猛省を促したい。

ガンジーが「
動物の取り扱い方を見れば、その国の文化度が分かる」と言ったとおり、動物の苦痛をどれだけ軽減できる法改正を実現するかによって、世界の人々は日本人の文化度と成熟度を知るのだということを忘れてはならない。今回の改正法の内容を見ると、21世紀の日本を文化国家と呼ぶことは決して許されないだろう。日本は経済大国にはなったが、遂に文化大国にはなれなかったのだから、エコノミック・アニマルという汚名に対して抗議できないのである。


 
26年間にわたり動物法改正のために献身的な活動をしてきた動物保護の緒団体は、今回の驚くべき結果を見て、今までの全ての努力が徒労に帰したような無念と怒りを込めて、26年前と同じ心境で、「5年後に向けて、明日から改正運動だ」と叫んでいるだろう。そして、勝利のための戦略を抜本的に見直す必要を痛感しているに違いない。

  第5章 動物解放運動の団体、個人

第3章と第4章で提示した目標を達成するために世界中で行動を起こしている組織の一部のホームページを以下に挙げた。それらの活動の中から自分にもできることを見つけられるであろう。理想の実現は不可能とあきらめて何もしないよりも、どれほど小さいことでもよいから自分にできることから始めることのほうが、はるかに価値のある生き方である。そして、最初の小さな行動を起こすことによって、それが次に、予期しなかったもっと大きな行動や考えに連鎖的に発展していくこともあり得るが、無為からは何も生まれてこない。例えば、下記の団体のどれか一つの会員になり、その活動をささやかに支援するだけでも、それは最初の価値ある行動と言える。

現在、世界で推進されている動物保護運動には2つの流れがある。一つは、肉食そのものに反対して、あらゆる苦しみから動物を解放することを目標とする運動で、もう一つは、肉食には賛成するが、工場畜産に見られるような過酷な飼育条件を改善して、動物の苦しみを最小限にすることを目標とする運動である。具体例としては、前者はアメリカのPETA、後者はイギリスのCIWF(創立者は農家)を挙げることができる。

理想は前者であるが、一挙には肉食の習慣を廃止できないという現実がある。したがって、前者の運動を強力に進めると同時に、後者のやり方を徹底させることが、私たちにできる最善なことだ。ヨーロッパの先進国の政府は後者と同じ考えに基いて、動物の福祉を大切にする法律の制定と実施に力を入れている。


★ 地球生物会議 (ALIVE) 
地球上の生き物たちが集まって会議を開き、「この世界が動物たちにとっても生きやすくなるには、どうすればよいのか?」という問題について、話し合うとしたらという想定を基に、地球生物会議という名前が付けられている。つまり、動物の立場に立って、あるいは、言葉が話せない動物に代わって、動物問題を考え、解決していこうという狙いが、この名前に込められている。そして、英文名称(All Life In a Viable Environment)の意味も、「全ての生命が生きられる環境(を作ろう)」である。動物解放に関する各種の教育資料の通信頒布もしている。

★ 自然と動物を考える市民会議  「動物の保護、及び、管理に関する法律」改正のため、全国の諸団体が加盟する「動物の法律を考える連絡会」の事務局になっていたが、改正が1999年12月に行われたので、2月5日に解散し、「動物の福祉と法律を推進する会(仮称)」の新規結成を準備している。

★ 本ベジタリアン協会  菜食主義を日本に普及する目的で設立された。このなかにある国際ベジタリアン連合(IVU)のホームページを開くと、そこから世界中のベジタリアン組織の ホームページにリンクできる。

 HELP ANIMALS  アメリカのホフマン夫妻が設立したNPO。ショッキングな映像が収められている。

★ Compassion in World Farming  動物福祉のために顕著な成果を収めているイギリスの組織。このなかにある USEFUL LINKS から、 他の英米の活動団体のホームページにリンクできる。

★ PeTA (PEOPLE FOR THE ETHICAL TREATMENT OF ANIMALS)  60万人を超える会員を擁する世界最大の動物の権利保護団体。この中の FREQUENTLY ASKED QUESTIONS は大変に興味深い。

★ World Animal Net 世界の動物解放運動の団体のホームページのリンクを最も広範囲に集めている

個人の動物解放運動
動物たちを助けるために、次のように個人として積極的に活動する人が最近増えてきたことは大変に心強い。これらのサイトには個人の止むに止まれぬ感情や考えの告白や訴えがあり、毎日の生活との密着感があり、それが団体のサイトにはない独特の魅力や親近感を醸し出している。

★ 菜食のススメ  まりりんさんが将来を予言する、ユーモアに満ちた「これからの歴史年表」は、少数派のベジタリアンを明るく楽しく前向きに勇気付けてくれるだろう。

★ まるまのお笑いベジタリアン  北風ではなく太陽によって、即ち、肉食の弊害よりも菜食の良い点をアピールしてベジタリアン人口を増やす作戦を展開している。

★ 週刊わんにゃん  
動物保護のため企業やテレビ局などに個人で積極的に働きかけ、成果を出している京都在住のびうおさんのHP。

 ももの宝箱  ももさんのような感じ方や考え方をする人が一人でも増えて欲しいと願う。


  第6章 参考文献

何を食べるべきか考えるとき、この問題を深く研究した人々の労作を読んで、自分の考えの糧にすべきだ。

動物の権利や生命倫理の観点から、肉を食べないことをすすめている。
● 「生命の尊重」        小牧 久時著                  日本教文社 (日本の菜食主義運動のバイブルといわれる)
● 「動物の解放」        ピーター・シンガー著              技術と人間  (現代の動物解放運動のバイブルといわれる)
● 「動物の権利」        ピーター・シンガー著              技術と人間
● 「大型類人猿の権利宣言」 ピーター・シンガー編              昭和堂 

● 「肉食の思想」        鯖田 豊之著                   中公新書  (欧米の肉食習慣の自然的、歴史的、社会的分析)
● 「菜食主義」         末次 勲著                     丸ノ内出版

医学や栄養学の観点から、肉を食べないことをすすめている。
● 「ベジタリアンの健康学」   蒲原 聖可著(東京医科大学客員助教授) 丸善ライブラリー
● 「ベジタリアンの医学」    蒲原 聖可著(東京医科大学客員助教授) 平凡社新書
● 「シーフードベジタリアン」   安岡博之著 (南赤阪クリニック院長)  ウ゜ォウ゜ィス(株)
● 「病気にならない生き方」   新谷 弘美著(アルバート・アインシュタイン医科大学教授) http://www.drshinya.com/    サンマーク出版 

  第7章 参考ビデオ

「百聞は一見に如かず」の諺どおり、動物の惨状について、文章だけではどうしても伝えることができない真実を、映像によって伝えるために、世界の動物保護団体がビデオを製作している。動物に対する自分の態度を反省する直接のきっかけは、人の話や本ではなく、偶然に見た事実や写真や映像である場合が多いからである。(私自身の場合もそうであった。)初めに視覚を通じて入ってきた強い印象によって、心が深く動かされ、それから本に入っていろいろ調べたり、思索を発展していくというプロセスは、誰でもしばしば体験しているに違いない。

●  牛の屠殺     PETA 製作

 "畜産動物の一生" (日本語吹替版)      LCA/CIWF/PETA 製作  このビデオは海外の動物保護団体(台湾の LCA, 英国の CIWF, 米国の PETA)が、一般には知られていない畜産動物の苦しみに満ちた一生を人々に知らせ、動物に対する考え方や食習慣を見直す一つのきっかけになることを願って製作したものを、地球生物会議が一巻の日本語吹替版にまとめたもの。
日本の菜食主義運動のバイブルと言われる「生命の尊重」の著者である小牧久時氏と、動物解放運動の父と言われるピーター・シンガー氏にも、このビデオを送ったところ、深い感銘を受けたこと、また、できるだけ多くの人々に見て欲しいというメッセージを頂いた。             
               
  



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