ゴヤ Francisco de Goya y Lucientes 1746‐1828


                   

                                   盲目のギター弾き(1778)










                                     着衣のマヤ(1800頃)










                                         裸のマヤ(1800頃)








                     

                                     カルロス4世の家族(1800−01)








                                

                                    「カルロス4世の家族」の一部の拡大








                                  

                                    イザベル・デ・ポルセール(1804−05)








                            

                                           巨人(1808−10)








                                  

                                    バルコニーのマハたち(1808−12)








                                

                                     時(老女たち) (1810−12)








                   

                                      マドリッド 1808年5月3日 (1814)








                                    

                                    我が子を食うサトゥルヌス(1819−23)








スペインの画家。サラゴサに近い寒村フエンデトードスに鍍金師の次男として生まれ, 14 歳ころからサラゴサで後期バロックの画家に教育された。独力でイタリアに留学 (1769‐71) し,サラゴサでフレスコ画家として活躍した後, 1773 年に同郷の宮廷画家バイェウFrancisco Bayeu (1734‐95) の妹と結婚,以後マドリードに出て,義兄の助力で王室用タピスリーのための原画 (カルトン) 制作にたずさわった。人生半ばで全聾となる悲劇 (1793) にもめげず,念願だったアカデミー会員から宮廷画家,さらにカルロス 4 世の首席宮廷画家へと出世街道を驀進したが,最晩年にフランスに亡命し,ボルドーで客死した。 ゴヤの 82 年に及ぶ波乱に満ちた人生はまた,油絵,壁画,版画,ミニアチュール,デッサンと多彩な技法を駆使し,肖像画,風俗画,宗教画,戦争画,寓意画,幻想画など広範なジャンルで,スペインの 18 〜 19 世紀という危機の時代とそれを生きた人々を描ききった,偉大な証人としての生涯でもあった。

 近代絵画の創始者とされるゴヤの生涯と芸術は,次の 3 期に分けられる。 1775 年から 17 年にわたるタピスリー原画を中心とする第 1 期は,着実に上昇する彼の人生と符合するように,後期ロココ様式によってかげりのない民衆風俗を明るく謳歌するものであった。《マドリードの市》や《サン・イシードロの牧場》に代表されるこの時代は,後の魔術的ともいえる技法にいたる研鑽期間であると共に, ゴヤが人間および人間的事象に対する鋭い観察眼を生得的に持っていたことを示している。

ハプスブルクからブルボンへという王家の交代によってスペインに流入した啓蒙思想に共感し始めたゴヤが突き落とされた悲劇――全聾――と共に始まった第 2 期は,彼が〈気ままと創意〉を羽ばたかせ,自由制作の領域を開拓し,音のない世界で自己と対面しつつ,外界に対する洞察力を研ぎ澄ましていった時代である。 1000 枚余に及ぶ日記風のデッサンを描き始めたのも病気直後からで,それは痛烈な社会批判の版画集《ロス・カプリーチョス (気まぐれ) 》となり,後の版画シリーズに続いていく。表現主義を予告するサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ教会の天井壁画,近代的な裸婦の先駆といえる《裸のマハ》と《着衣のマハ》, ゴヤ最大のジャンルである肖像画の最高傑作《カルロス 4 世の家族》などを描いたのもこの時代であった。

ナポレオン軍によるスペイン支配と対仏独立戦争 (1808‐14) に始まる第 3 期は, ゴヤ自身が,国民感情と思想的な親仏感,戦後の専制政治と自由主義の間で激しく揺れ動き,彼を亡命にまで追いつめた時代でもあった。しかし時代の人ゴヤのそうした苦悩は,彼の魔術的な技法によって,版画集《戦争の惨禍》や《ロス・ディスパラーテス (妄) 》《 1808 年 5 月 2 日》や《 1808 年 5 月 3 日》,さらにゴヤの内面に渦巻く霧の表出であるがゆえに逆説的に普遍的な言語たりえた 14 枚の〈黒い絵〉シリーズなどに結晶し,その反因襲的,反合理的な表現によって近代絵画から現代絵画さえも先駆したのである。