エジプト美術



                             
                        

                                ラー・ヘテブとネフェルトの像 (紀元前2650頃)








                                       

                                      カフラー王坐像 (紀元前2550頃)






                                              

                                        

                                        村長の像 (紀元前2490頃)








                             

                                      書記坐像 (紀元前2495−2345)







                           
                                

                                 王妃ネフェルト・イティ胸像 (紀元前1365頃)








                                

                                ツタンカーメン王の黄金のマスク (紀元前1355頃)








広義には,先史時代から現代に至る,エジプトおよびその影響下にあった地域の美術活動を総称するが,一般には,王朝時代を中心とする古代エジプト美術を指す。王朝の終末以後の美術については、コプト美術、イスラム美術などの一環として考察される場合が多い。本稿の記述も,王朝時代を中心とする。

 エジプト美術は,古代エジプト人の,きわめて特色のある世界観,宗教観から生まれた。この世界観,宗教観を育てたものは,おそらく,その特異な自然環境,風土であろう。長い先史時代を経て後,上・下 (南・北) 両エジプトを唯一の君主が支配する統一国家が形成され,王朝時代に入るが,この段階で,美術は飛躍的に発展し,エジプト特有の表現形式も確立された。第 3 王朝以後,王権の拡大,国力の増進に伴って,美術は、ファラオ (エジプト全土の王) の権威と富を象徴する有効な手段として重要性を増し,神々の体系の整備,厚葬の風習の確立とあいまって,特色のある宗教的宮廷芸術の性格を強めていくのである。

 とくに美術の性格に決定的な影響を与えたのは,エジプト人の強固な来世観である。彼らは霊魂の不滅を信じ,いったん肉体を離れた魂は,その肉体が亡びない限り,再び戻って,死者は永遠の生を享受すると信じられた。これは,放置された死体がミイラ化し,永くその形をとどめていることなどから発した信念であろうが,このために,極端な厚葬の習俗が生じ,壮麗な墳墓や莫大な量の副葬品がつくりだされることとなった。今日残るエジプト美術の遺例は,ほとんどすべて,この種の,葬祭に関連のある作品である。

 表現形式の上から見れば,エジプト美術は,いくつかの顕著な特色をもっている。まず抽象的形態への強い指向があり,ある理念を単純な幾何学形態に託することが珍しくない。その最も代表的な例が正四角錐 (横から見れば三角形) の形をとるピラミッドである。また,大きな特色として,形態の記号化,象徴化が挙げられる。その傾向の極限を示すものがヒエログリフであろうが,たとえば円が太陽を,蓮が下エジプトを,禿鷹が上エジプトを象徴するなど,造形の基本に常に象徴性があると言っても過言ではない。また,事物の描写に当たって,目に映る光景をそのまま描かず,個々の物象をいったん観念像としてとらえ,それを集積して,一つの全体像を構築する。たとえば人体を描く場合,体の諸部分の像は観念上定型化しており,それを配置することによって一つの人体をまとめるのである。 エジプト美術の多くが,一見してエジプトのものとわかるのは,この観念表象的性格による。これは一面において,エジプト美術をきわめて類型的かつ反自然主義的なものとしたが,同時に,そこに他に類を見ない,簡潔で明晰な表現力を与える結果となったのである。