クールベ Gustave
Courbet 1819‐77
黒い犬を連れた自画像(1842)
オルナンの埋葬 (1849-50)
自画像 (傷ついた男) (1844-54)
出会い (1854)
画家のアトリエ(1855)
フラジェの樫の木(1864)
ジョーの肖像 (美しきアイルランド女) (1865)
秋の海(1867)
雪の中の鹿のたたかい(1868)
嵐の後のエトルタの断崖(1870)
フランスの画家。 19 世紀フランスの写実主義の創始者。また社会主義リアリズムの先駆者ともされる。オルナンの富農の家に生まれる。ブザンソンでデッサンを学んだ後,1839 年にパリに出て,アカデミー・シュイスやルーブル美術館に通い独学する。初期は肖像画,とくに自画像が多い。これはクールベの晩年まで一貫してみられるナルシシスムの証しであると同時に,自己をさまざまな側面でとらえようとする認識方法でもあり,この頃のロマン派的傾向を示している。 46 年にオランダに旅行し,レンブラントの作品に衝撃を受け,写実主義への方向決定の契機となる。彼の写実主義は,現実の労働者や農民の姿を,美化せずありのままに,何の物語的背景もなく描き出そうとするもので, 〈天使は見えないから描かない〉というのが口癖であったという。《石割り人夫》と《オルナンの埋葬》が, 50 年のサロン (官展) で〈美しくないものを描いている〉という理由でスキャンダルをひきおこすなど,この時代の彼に対する批判は激しいものだったが,擁護する人々も現れ (ボードレール,シャンフルーリ,カスタニャリなど) 盛んな論陣が張られた。相続くサロンでも彼は一向にその挑発的態度を控える風はなく,とくに 55 年の万国博覧会の際には審査員と意見が合わず,一部出品作を撤回,〈レアリスム館〉とみずから名付けた建物で個展を開き,《アトリエ,現実のアレゴリー》など 40 点を展示して気勢をあげた。しかし全作品の中では風景画や狩猟に題材をとったものも多く,故郷のフランシュ・コンテ地方の深い森や,ノルマンディー地方の海や波などを力強い厚塗のタッチで描いている。また 60 年代に描かれた一連の裸婦は,豊かなエロティシズムを発散する生命力あふれる表現である。 71 年バンドーム広場の円柱がコミューン側に引き倒される事件があり,かねてから社会主義的言動のあったクールベがその責任者と目され,裁判の結果収監された。釈放後,75 年スイスに亡命を余儀なくされ,レマン湖の風景などを描きながら孤独な晩年を送る。亡命先のラ・トゥール・ド・ペルスで没。