コンドル流透明水彩画講座[実践編1]

好きな事をやるのにはなにも絵を描くばかりでなく、他の分野も同じ事だと思うのだが
とにかく自分自身が楽しくなくてはならない。
順調に進歩や上達をしなくてもそれなりに充実できる時間でなければ長続きはしない。
その大元は好きであることだと思う。嫌な事を好んでやる人も居ないが・・・(笑)
とにかく好きなことを楽しく続ける、それが一番大事なことである。
特に芸事は長い間の蓄積(経験)がものをいう世界で際限というものもない。
そう簡単には満足できる域には達しないのは当然のことだと焦らないことが第一である。
勿論それぞれの意欲の度合いによっても違ってくる。暇を利用して絵でも描いてみるかと
いう人も居れば、寝食忘れてのめり込む人も居る。或いは私のように仕事で絵を描く者もいる。
立場、目的は違っていてもみんな同じ様に「好きなこと」をやっているのである。
そしてやる限りは少しでも上手くなりたいと願うもの当然の思いなのである。


■透明水彩画の基本■

物事には全て「基本」というものがある。
スポーツでも、料理でも、音楽でも・・・絵画も同じで、それをある一定のレベルまで到達する為には、
或いは自由に表現を可能にする為にも基本とされることをしっかり身に付けておいた方が良いにきまっている。


■デッサン力■

今更言うまでもなく、デッサンには2っの側面が有る
[2〕物の形を正確に紙の上に描けること(表現力)[1]そのためにものを正確に見分けられること(観察力)
この二つがワンセツトで出来るかどうかが最も大事だと私は思う。
形が描けないのは手が思い通りに動かない事と、対象を正確に捉えてない事のどちらかが理由である。
理屈が頭で解っていても手先が(筆が)思い通りに動いてくれない限りは絵は描けない。(整わない)
また、描こうとしているものの本質が見えなければ手が動かず描けない。納得がいく観察が出来れば腕は
自然に動くはずなのだ。画面の上で筆が走れば、見えなかったものまでが画面の中で見えてくる。
思い込み、錯覚でものを見てしまうと肝心なものを見落とす。正確に見えると必ず描けるはず
なのである。ただしある程度の訓練の結果で身体(手)で覚えた技術が必要とするのである。
この基本とでも言うべきデッサン力を養う為には、実際にものをよく見て繰り返し描く練習をする以外には上達は無い。
そのことがいずれ自信となり、余裕と繋がって行くのではないだろうか。
但し先にも述べたように、基本はあくまで基本でしかなく囚われる必要はない。ただ絵を描くことが
より楽しくなる為にはこの基本が出来ないと苦痛が残るだけで、更なる楽しみや意欲を妨げる原因にもなるので
疎かに出来ないことではないかと思うのである。

私の知人で美術館の付属絵画研究所に16年も通い続けている人が居る。何を勉強しているのか・・・
「デツサン」である。何故そこまでと思うが、彼に言わせれば出来ないからと答える。そのすさまじい
執念に私は脱帽する思いがした。
絵を描く者にとって古くて新しい永遠の課題それがデッサンなのかもしれない。


■癖と個性は紙一重■

字の通り癖は良くないので直さなければならないもの。
個性はさらに磨き伸ばすべきものである。
ところが、どちらも本人にはあまり自覚が無く分かりにくい点がある。
欠点は長所にもなり得るという言葉もあくらいだから紛らわしい。
言い方を代えると、癖というものは無意識で出るもので、個性とは意識を持って出すものと
言えるかもしれない。もともと顔形や筆跡が違うように人それぞれには個性がある。
ところがある何かの要因で身についてしまったものが悪い癖なのであり、それがいつの間にか無意識で
常習となってしまったもので一度癖になるとなかなか取れないものだ。
また困ったことにはこの両者を以外と逆さまに思いがちなのがまた厄介なのである。

ではどこが違うのか・・・
絵画における悪い癖は明らかに上達を妨げるもので良い個性ではない。例えば一例を挙げれば・・・画面に下描きする際に
消しゴムで何度も描き直す人もいる。その理由は自信がなかったり、単なる
几帳面さの表れかもしれないが、これでは間違いなく勢いのある線が引けず、速写能力を阻む要因になってしまうと思う。
だからなるべく消しゴムに頼る癖は治した方が良いということになる。
だいいち水彩紙がボロボロになって後の着彩に大きく影響が出るからよくないのである。
それを正確な形を取る為の丁寧な仕事(個性)とはたして呼ぶだろうか?

反対に、大胆な筆法でバサバサ描く人も居る。一見大胆な勢いのあるように見えるが、これとてよくよく観ると
筆使いが乱暴で粗雑なだけであったりもする。こんな癖の人は何時までも作品の完成度がアツプしないのである。
制作半ばで何時も気力が持続せず途中で音を上げ仕上げられないような人が居たり、筆の下を持ち手首だけで何時も
小さく描く人も居る。これらは全て単純な癖であるが人間性とも絡むので実際はなかなか治らない。

透明水彩画で最も多いのが、描き過ぎて重たい仕上がりになってしまう場合いである。
頭では解っているのについつい・・・描いてるうちにコテコテなってしまったということを誰もが何度も経験するが
これもやはり一種の癖かもしれない。
では一体どうすれば悪い癖を治せるのか・・・
書き出しておきながらもなんだが、残念ながら上記のように一度身に付いてしまったものを即効で治す手立てはない。
また癖の中味は個々の人間性とも絡み一外には対処方も言えない。
ただ最もよい方法があるといえば、身近な先輩や仲間に客観的な立場でのアドバイスを聞くことではないかと思う。
"忠言耳に嫌う"ではなく、そのアドバイスこそを糧とするべきだと思える人はいずれ気付き治る。
逆に単なる癖を誰かに褒められて病み付きになってしまったとしたら人に倍する苦労を要してしまう。
なんとかしたいと悩みながら描いているうちに自分の絵がある日突然違った様にに気付くこともある。
癖と個性は本当に紙一重なのである。それを判断するのは最終的に自分自身でしかない。
上達を阻むには必ず何等かの原因がある。その原因を自分自身でチェックしてみることも必要ではないかと思うのである。
持ち前の「本当の個性」を磨く為にも。

尚個々の技術的なレクチャーは世に氾濫するほど書籍があり
その内容にはさほどの違いがないので参照されることもよいかと思う。




***************************************************************************************