北の大地の物語

北海道の富良野にあるラペンダー畑を全国的に有名にした『富田ファーム』のオーナー富田氏の秘話を
某放送局のインタビューで聞きました。
香料の原材料としてラベンダーを栽培していた一農家が、どうしてあそこまで富良野が発展したのか・・・
富田氏が語っていたことが心に残ったのでご紹介します。

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富良野の地に初めてラベンダーの栽培に取り組んだ農家の若き跡取り息子が居た。
だが親はそんな香料の元になる様なものを作って何になる!と反対。しかし彼はは諦めず、ようやく結婚を機に
親の許しを得て、畑の半分だけをラベンダー畑にする事を許してもらった。若き日の富田氏である。
香料会社との契約栽培も取り付け順調に進んだ。やがて辺りにはラベンダー栽培の農家も増えて全盛期には
数十戸もあったという。しかし良いことは長くは続かず、香料の原材料が石油科学の発達に伴いラベンダーの
契約栽培が相次いで打ち切られるようになる。
『私はただラベンダーがいとおしかった。お金にならないので回りの農家が次々に転業していく中でも
畑をやめる事が出来なかった』と当時を振り返る。
ラベンダーを育てるよりも収入のことを考えると、もっと効率のよい作物があるのも解っていたが、富田氏の家族は
力を合わせてラベンダーの栽培をを必死で続け畑を守った。

ある時そのラベンダー畑の回りにカメラを持った一団が現れて盛んに写真を撮っていた。聞けばJRの観光ポスターに
この富田氏のラベンダー畑が使われていたのを見てやって来たと言う。富田氏はそのことさえ知らなかった。
撮られた写真がカメラ専門誌で紹介されると、人はまた次々に人が訪れるになった。その中にフランス人女性の
カメラマンが居て、彼女から『ポプリ』の作り方を教えてもらった母は折角こんな辺鄙な処まで来てくれたのだからと、
記念のお土産にポプリの小袋を作って無料で配った。どうせ収穫しても使い道の無いラベンダーである。
訪れた人が喜んでくれるのならと家族が徹夜でポプリを作った。すると今度はそのポプリが評判になり、ポプリが
欲しいとカメラ関係以外の人達が押し寄せるようになった。
やがてこの農家は現在の富良野随一の観光農園へと発展するのである。
『私はだの農家ですのでと入園料は今でも一切戴きません』と富田氏は言う。

ある年、生活もあり悩んだ末にいよいよ今年を最期に、ラベンダー畑にトラクターを入れて壊そうとしたその時、
土の中からラベンダーの悲鳴が富田氏の耳に聞こえた。それで我に帰った富田氏はトラクター止めた。
それを遠くで見ていた家族も駆け寄り『お父さん、やっぱりもう一年みんなで頑張ってみょうよ』という奥さんの言葉で
思い止まった。その時の奥さんの目にもうっすら涙が浮かんでいたという。

まだ観光客など誰も来ない富良野で、地元の人でさえラベンダーのこともよく知らない時代、
この一農家の情熱はやがて新しい駅を造り年間90万人を迎えるまでに大発展をさせたのである。
成功の陰には血のにじむ様な苦労があるのは当然のこと。それよりも何よりもその想いの純粋さが
回りの人を動かし環境までも変え理想を現実にすることも可能にすることを私は教えられる思いがした。
一時的な困難に直面しても、決めた夢や理想を最後まで貫き通せるパワーは何かといえば、それは
物事に賭ける愛情の深さではないだろうかと思う。たとえどんな困難にあっても精神は常に高い峰に置き
なおも進める心の豊かさではないだろうか。
若き日の富田氏は、きっと富良野の丘陵をキャンバスに見立て、薄紫のラベンダーという絵の具で未来に大きな
絵を思い描いていたに違いない。その壮大な絵は50数年後に見事に描き上がり、人生という香りまで添えて
私達に届けているように思えるのである。
■次元は全くちがうのですが・・・
私は作品を描くのには幾つかの大事な要件があると思っています。
そのひとつに『品位』というものがあって、その品位とは理想であり、情熱であり、精神のことでそれらを高く持ち続けなければ、
他者の観賞に値する作品などとても描けない。生意気ですが私は常にそう思っています。
勿論自分自身にはそんな品位のようなものは全くありませんが、それでもいざ作品となればプロの表現者として
それを作品の上には表さなくてはならない。別に格好を付ける意味ではなく、何を機軸に絵を描いているのかは
人それぞれで、共感して貰える部分も違うとは思うのですが、私は『品位』を大切にした絵を描きたい・・・
自分自身もさることながら、家族も一緒になって同じ目的に向った富田フフームの人々の生き方に限りない『純粋』さと
『品位』を強く感じて、やっぱりそうなんだ!と納得できたお話でした。

【管理人日誌 (2006/06/22)転載】


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