まなちゃん日記

2011年3月11日の日記

2011年3月11日(金) [出勤]

キリ番キャンペーン [2011/3/16 21:26 記]

JOYSOUNDのリアルタイムリクエストでやっていたキリ番キャンペーン。 昼休みにWebを見ると公式の発表があり、声優のオリジナル曲・ボーカロイド曲・東方アレンジ曲の3曲が配信決定になったらしい。 これ、絶対にそれぞれの支持者が狙ってただろ。 なんか凄まじいな。

大地震 [2011/3/16 21:26 記]

トイレの個室に入ったところ、便器の水が少し波立っているように見えた。 そこから、いきなり床が大きく揺れ始める。 これはヤバいと思い、反射的に個室の扉を開けて、トイレの通路へ。 ゆっくりとした速度ながら大きく揺れるので、個室の扉がバタンバタンと音をたてて開閉を繰り返す。 扉に指を挟まれないよう、慎重に手をつく場所を選びつつ、倒れないように踏ん張った。 と同時に上を見ながら落ちてくるものに注意する。 幸にもトイレの中だったので、落ちてきそうなものは天井灯ぐらい。 めったなことでは落ちないと思うけど、揺れ方が酷いので、常識で考えない方が良いと判断した。 大きな揺れが1分ぐらい続いた後、揺れがおさまってきた。 ビル内の放送で避難するよう指示があったので、非常階段を使って15階から1階へ降りる。 降りる途中、塗装が剥がれ落ちているところがいくつもあり、地震の大きさに驚いた。

ビルの外に出て、ビルから避難した人たちの中へ。 同じ階の人を見つけたので、そっちに合流する。 余震が続くので、道路の方に移動することになった。 余震で近くに見える高層ビルが気持ち悪い揺れ方をしている。 しかし、寒いな。 自分の席から遠い場所にいるときに地震が起こったので、上着を持ってきていない。 後輩がカイロを買ってきてくれて、とてもありがたかった。 トイレに行きたくなったので、近くのコンビニへ。 3〜4人が並んでいたので順番を待つ。 用を足した後、そのコンビニで買い物をした。

地震から1時間半ほど経過して、ビルの安全が確認できたとのことで、職場に戻ることになった。 しかしエレベーターは安全が確認できてないため使用不可。 非常階段を1階から15階まで登り、ようやく自分の席に戻る。 PCとディスプレイは、もともと会社から耐震マットで固定するよう指示されていたので、何ともなかった。 が、本棚から本が落ちたり、机の上のものが床に散らばっていたりして、かなり荒れた状態になっている。 とりあえず、物を片付けるところから始めよう。 そして、PCで作成中のファイルをサーバーではなく、ローカルのPCにセーブした。 もしかしたらサーバーやディスクに問題が発生している可能性があるからなぁ。

ネットで情報を集めると、東北地方で震度7の場所があるとのこと。 どんだけデカイ地震なんだよ。 太平洋沿岸に大津波警報も出ており、しかも、東京湾の内湾まで津波警報が出ているらしい。 しばらくすると、みなとみらいの付近で海水が川に遡上しているのが見えた。 横浜にまで津波が到達するのか…。 恐ろしい。

帰路 [2011/3/16 21:26 記]

JRをはじめ、私鉄各線も地震でストップ。 今日は歩いて帰ることにした。 一応、会社で宿泊できるとのことだったが、部屋の様子が気になるので帰宅を選択する。 こんなこともあろうかと、前々から徒歩の帰宅経路をシミュレートしていたのが役に立った。

18:40ごろに会社を出発。 人が多すぎて自分のペースで進めない。 というか、ケータイ見ながら歩いてる奴や、狭い歩道を並んで歩いている奴は、無理をしてでも抜くぞ。 ただでさえ迷惑なのに、非常時にこういうことをされたら超迷惑。 こういうのは抜いて行くに限る。 19:00ごろに東神奈川駅前を通過。 案外近いのね。 19:15ごろ、浦島丘交差点を左折し、綱島街道に入った。

綱島街道の途中、高台となっている場所から千葉方面を見るとオレンジ色に輝いている。 たしか、千葉の製油所で火災が発生しているんだっけ。 オレンジ色が濃淡に変化する様子が、なんとも不気味だった。

綱島街道を歩いていると、たまにタバコの匂いが漂ってくる。 ガス会社の緊急車両が回転灯を点けて止まっていたり、「ガス工事中」の文字があったりするんだけど、よく平気でタバコが吸えるよね。 事態が理解できてないんでしょ。 頭が悪いのは仕方ないとしても、事故が起きて被害を受けるのはタバコを吸ってる奴だけにしてほしい。

19:50ごろ菊名駅前を通過。 乗り換えではよく使う駅だが、降りることはめったにないので、菊名駅前の様子はある意味新鮮だった。 環状2号を越えて、しばらくすると、街全体が停電しているような感じで暗い。 信号も点いておらず、主要な交差点だけ警察官が交通整理しているような状態。 20:20ごろ大綱橋の交差点に着いたが、鶴見川の向こうに見える綱島の街も、全体が停電しているようだった。 真っ暗な大綱橋を越えて綱島交差点を左折する。

停電のため、交差点で警察官が交通整理しているが、システムが分かりにくい。 どうやらスクランブル交差点のようなシステムで運用しているようだった。 分かっていれば落ち着いて行動できるんだけどなぁ。 歩行者も運転手も警察官もいっぱいいっぱいだから仕方ないか。 20:50ごろに高田駅前に到着。 横浜市営地下鉄の入口はシャッターが降りており、今日中の復旧はないとのこと。 トイレに行きたかったので、近くのコンビニで用を済ませ、買い物をした。

再び県道を北上。 綱島から高田まででも狭かったが、ここから先はもっと狭い道路だった。 市境にある川崎市の看板を見たとき、少しホッとする。 21:20ごろ子母口住宅前交差点に到着。 しかし、停電で信号が点いてないため、尻手黒川道路を横断するのが困難に思えた。 少し遠回りになるが、歩道橋を渡る。 近くの交差点から北上し、21:40ごろ又玄寺交差点を左折。 しばらく歩くと、停電だった街に、いきなり電気が灯りだした。 なんという安心感。 普通に暮らせるということが、こんなにもありがたいことであると、しみじみと実感した。

武蔵新城駅前を通過し、西友の前に行くと、今日は営業休止との張り紙があった。 そして、帰ろうかと思ったときに、呼ばれたような気がしたので、そちらを振り向くと職場の同僚が居てびっくりした。 話を聞くと、武蔵新城まで歩いたけど、家の人と連絡が取れたので、迎えに来てもらうとのこと。 無事に家まで辿り着けそうなのでなによりだ。 21:55ごろ、家に到着。 後で距離を測ったら、約16.6kmの道のりだった。

帰宅後 [2011/3/16 21:26 記]

帰宅後、電気が点いたので一安心。 キッチンは、調味料などが少し倒れている程度だった。 が、真ん中の部屋に入ったとき、悲惨な状態を目にする。 雑誌を積んでいたタワーと同人誌を積んでいたタワーが半壊して、中央通路を塞いでいる状態だった。 とりあえず、塞いでいるものを緊急避難的にキッチンへ移動させる。 そして、奥の部屋に入ったとき、同人誌を積んでいたタワー3つが半壊して、寝床の領域の4分の1程度を占領していた。 寝ている間に地震が発生したら、怪我しているところだった。 こちらでも落ちているものをキッチンに移動。 なんとか寝る領域を確保した。