ロマンは一日にしてならず

第52回(2003.3.28)

私のロマンとは


 一年にわたり「ロマンは一日にしてならず」を聞いていただきました。本日が最終回です。

 私は幼い頃、幼稚園の門の前まで来ると泣いていました。

 小学校の時は先生の話をぜんぜん聞いておらず、遠足に行くのを忘れ、粘土細工で作った入れ物は便器でした。

 中学校の時は入学早々遅刻をして、違うクラスの列について行きました。

 高校の時は糞尿で汚染された関屋分水を友人と泳いでわたり、友人が下痢で苦しんだのに私はなんともなく、沈没したジュリアナ号を見物している間に放置したかばんを見つけた人に飛び込み自殺と間違われました。

 大学に入ってからは、夜中に道路でスキーをしたり、線路を歩いていて電車に追いかけられたりしました。

 医者になってからも学会発表の後、主任教授が「君、やれば出来るんじゃないか」といってからみんなの方をくるっと振り返ると「いいか、みんな。丸山君の度胸だけ見習いたまえ」と言ったり。

 30歳まで「やれば出来る」と言われ続けました。しかし、いつも何をやっても人と同じにはなりませんでした。

 そんな私でしたが、両親や学校の先生方は細かいことにはこだわらず、長い目で見てくれました。そのおかげで、私はずっこけたことはするものの、自分の目で確かめ、自分の信じたことをできるようになりました。

 今の若い人たちは、少し可哀想な気がします。失敗しないようにレールを敷かれ、決められた道を歩んでいく。間違いはありませんが、自分だけのオンリーワンの人生を掴み取るのは少し大変かもしれません。

 人生は他人との比較ではありません。自分の長所、自分が信じた事、自分がやりたいことをどこまで追求できるかが大事なのではないでしょうか。


 私のロマンとは一体何なのでしょう。いまだにわかりませんが、これからも果てしなく追い求めてゆくのだと思います。


 最後に新潟の皆様に取って置きの回文をご紹介します。


「新潟をよろしくしろよ、お互いに」