ロマンは一日にしてならず
第29回 (2002.10.18)
靴下博士(くつしたはかせ)
私の72歳になる母は「靴下博士」です。でも別に靴下の研究を続けてきたわけではありません。
私が小学生の頃です。朝、父がパジャマから服に着替えながら、何気なく足を出すと、母は計ったようなタイミングでさっと父に靴下をはかせるのです。毎朝これを見ていた私は、うらやましくなり、母に
「ねえ、僕にも靴下履かせてよ」
と言いました。すると母は少し困ったような顔をして
「そうねえ、お父さんに聞いてごらんなさい」
と言いました.そこで翌日、父にそのことを言うと、父は大笑いし、
「お前も靴下を履かせてもらいたかったら、早く自分の彼女かお嫁さんを見つけるんだな。お母さんに履かせてもらうわけには行かないんだよ」
と答えました。
私は、そのとき初めて大人の世界を垣間見たような気がしました。少なくとも子供が触れてはいけない大人の秘密があることを直感したのです.それ以来私は靴下のことを口にしませんでした。
それから年月が流れ、私もお嫁さんを見つけて結婚しました。ある朝、ふと子供の頃を思い出した私は、そっと妻の前に足を出し、小さな声で
「靴下履かせてくれる?」
と聞きました。すると妻は呆れ顔で、
「朝から何寝ぼけてるの?靴下くらい自分で履きなさい」
と、きつくお灸をすえられました.そこで私は子供の頃の事を話して聞かせましたが、妻は
「今は男女同権の時代よ.あなたのお母さんと私は違うわ」
と取り付く島がありません.それもそうだと納得した私は靴下のことは諦めることにしました。
先日母に会った時に、久しぶりにそのことを思い出して話したら、母は
「私は靴下博士(靴下履かせ)なのよ。特別なの。靴下の博士なんて日本中探してもそんなにいないんじやないの?」
と笑いながら答えました。
本日の回文
私、靴下渡し、尽くしたわ
(わたしくつしたわたしつくしたわ)