歴史小説は、面白い。
断片的にわかっている史実を元に、作家がその人間像や背景などを想像し、肉付けをする。そこに作家の力量が発揮され、多面的な歴史観が人々に伝えられる。
すなわち、歴史小説とは、「わからない部分」がある分だけ肉付けの余地があるから面白い、ということになる。
ところが、世の中のニュースの伝聞を見ていると、現在起きている厳然たる事実に対しても、このような操作が行われていることが多々あるのに驚かされる。近年(と言ってもだいぶ前だが)起きた出来事でわかりやすい事例を紹介しよう。
平成3年の大相撲の夏場所。無敵を誇っていた千代の富士は新進気鋭の貴花田(後の貴乃花)に破れ休場、その場所限りでの引退を決意。華々しいスターの入れ替わり劇が演じられた、ということになっている。当時からこのように報道された。
しかし、これはちょっと待ってください、と言いたい。千代の富士を最後(三日目)に破り、休場に追い込んだのは貴闘力なのである。
このことを皆さんご記憶であろうか。
千代の富士は初日には確かに貴花田に敗れた。しかし、二日目には板井に勝ったのである。つまり、このまま三日目も勝っていれば休場はしなかったであろうし、この点から貴花田に敗れたことが休場や引退の直接の原因とはいえない。しかし、千代の富士引退の報道には貴闘力の名は一切語られることはなく、貴花田に敗れた映像だけが延々と放送された。当時熱狂的な相撲ファンだった私は、どうにもならない違和感を感じた。
引退の記者会見でも千代の富士は「体力、気力の限界!!」と力を振り絞って答えていたが、「貴花田に敗れたから」、とか昔の将棋の木村十四世名人のように大山康晴(後の十五世名人)を暗に指して「いい後継者を得たから」などということは一言も言っていない。
作られたヒーロー像であったが、貴花田はその後横綱にまで上り詰め(貴乃花と改名)、相撲人気を支えたため本当のヒーローとなり、この「歴史小説」は「歴史」となったのである。