なぜ日本は欧米の植民地にならずに済んだか

幕末の黒船来航から明治にかけて。

黒船は突然やってきたかのように言われているが、実は幕府はこれを予感しており、かなり綿密に対抗策を考えていた。
この準備のおかげで植民地化には至らず、「不平等条約」程度で済んだ。
明治期、日本の近代化を行うにあたり、要人がイギリスやドイツに留学して欧米の政治のやり方を学んだ。
当時の欧米はすでに帝国主義的であったため、手ぐすね引いてアジアやアフリカの植民地化を狙っていた。

いきなり武力で制圧することは少なく、甘言を用いていた。
「あなたの国を近代化するノウハウを教えますよ。そのためにあなたの国に指導者として特使を派遣します」
これに合意すると、特使がその国に赴任して政治の中枢に座り、教えるふりをして実質支配。そのまま植民地化した。

当時の常套手段で、いくつの国がやられたことか。
これを見抜いていた日本は要人がそれぞれ留学して、語学、交渉術を身につけ、あくまで欧米列強と対等に渡り合うことに努めて、植民地にされずに済んだ。

当時すでに帝国主義的であった欧米列強と渡り合うためには、日本も帝国主義的に振舞う他はなかったのだろう。
伊藤博文が自由民権派の理想論を乗り越えて帝国憲法を作ったのは、
時代背景を考えると、ある意味仕方のない最善の策であったと思われる。

当時、欧米の憲法の基軸として「宗教」があった。宗教による結びつきで国民の気持ちをまとめることができた。
ところが日本の「神道」にはそれほどの力がなかったため「皇室」を一つの宗教として頼らざるを得なかったのも仕方がなかった面がある。
明治天皇が大変優れた人であったことも、成功の要因である。

後に昭和天皇が「人間宣言」をしたが、物事が順を踏んで完成してゆく道筋だったのかもしれない。
第二次世界大戦というとてつもない大きな代償を支払ったが。


おまけ

さらに遡ること300年。あまり知られていないが実はこの時、日本人の大変な知恵者のおかげで植民地化を免れている。

戦国時代にスペインから宣教師が多く訪れた。
これは宗教を通じて日本人の人心を掌握し、植民地化する方策であった。
いわゆる「大航海時代」、宣教師たちは、スペインが国策として日本を拠点にアジアを征服するために派遣された人達だったのである。

当時は「宗教」の存在意義は絶大で、例えば、「寺」とは、公民館であり、教育の場であり、レジャーランドであり、
多くの社会的な機能を有する、人々が心身ともに集結する場であったわけである。
これが「キリスト教」に置き換われば人民をすべて西洋人の支配下に置くことができるくらいの影響力があった。

織田信長は武力による日本統一を目指していた。
宣教師たちはまずこの実力者の織田信長に近づいた。

「軍事力を強化する鉄砲や大砲の技術を教えますよ。
そして、弾丸の材料となる金属を(すでにわれらが手中に収めている)タイの鉱山から輸入しましょう」

フランシスコ・カブラル(日本布教長)は日本全国のキリシタンから各地大名の情報を宣教師を通じて集め、虎視眈々と日本征服を狙っていた。
まあ、言ってみれば宣教師とはスパイであり、国を乗っ取るための諜報活動を着々と進めていたのである。

信長に甘言で近づき、キリスト教 信者にさせて国を乗っ取り、信長の手で増強した軍事力で中国まで乗っ取ろうとした壮大なたくらみであった。

ここからは想像であるが、信長は騙されたふりをしてスペインの力を利用して軍事力を増強。
取り巻きの人たちをキリスト教信者にさせたが、自分自身は決してその手には乗らず、最後の最後にスペインを裏切ったのである。

一方全国各地の弱小大名たちの中にはキリスト教に改宗するものが多くあらわれた。いわゆるキリシタン大名。
「天下統一を望むならデウス様を信じるのです」の甘言に乗って。

幸いこれらの人は弱小であったため、日本全体を動かすほどの力はなかったのである。めでたしめでたし。