1000円からお預かりします・・・
もう何年前のことか、「1000円から」という表現を初めて聞いたのは。
それは新潟市は万代にある紀伊国屋書店でした。カウンターには接客をする店員が何人かいて、レジはその奥にあり、別の店員が専門に打っています。
400円の本を差し出し、1000円札を財布から出すと、カウンターの店員は
「2番、お買い上げ。400円が一点。1000円からで〜〜す」
大声で叫びました。奥では今の声を聞いてレジを打っています。接客をする店員は「包装はどうしますか?」などと尋ね、カバーをかけます。カバーがかかった頃、奥の店員が私の出した1000円と入れ替わりにお皿をカウンターの店員に渡します。そこにはお釣りの600円とレシートが入っています。
それを見た私は遠い昔のある出来事を思い出しました。
学生時代、近所の肉屋で買い物をし、10000円を出したつもりでした。1000円の買い物なので9000円おつりが来ると思っていたら4000円しかきません。驚いた私は「10000円出したんですよ」というと店員は、「あっ!済みません」と言ってレジの中を見ます。しばらくしてから申し訳なさそうに、「やっぱ5000円だど思る。したって、レジの中さ一万円さずねぇもんだもん・・・」(津軽弁)と言うのです。お互い、渡したものが10000円札なのか5000円札なのかわからないのです。でもレジの中には5000円札しかない。私は納得して4000円受け取りました。やはり私が出したのは5000円札だったのでしょう。
帰る道すがら思いました「レジに一万円札がなくてよかったな。もし僕の言葉を信じて9000円出していたら、あの子は後で計算が合わなくて怒られたろうなあ・・・可哀想なことにならなくて良かった。自分も詐欺師にならずに済んだし」
ふと我に返ると、紀伊国屋の店員が600円差し出しています。
「あ、ありがと」
お釣りを受け取った私はまた考えました。
「『1000円から』か・・・なるほど考えたものだ。これなら間違えないな。まさかあの肉屋の子が考えたわけじゃあるまいけどな」
それからです。あちこちの店で「1000円から」を聞くようになったのは。預かった金をすぐレジに入れずにお互いが見える位置においたままお釣りを計算する習慣もその頃からのようですね。
紀伊国屋の場合、事務の効率化のために接客とレジを分けた。その結果、「預かった1000円から400円を貰い、それに見合うお釣りを出してくれ」という指示が必要になった、というわけですね。紀伊国屋が最初かどうかはわかりませんが、このシステムの良さが認められ、これを言葉として発する習慣ができたのではないかいうのが私の推測です。
ところが「1000円から頂きます」ではなく、「1000円からお預かりします」になってしまった。
それは何故でしょう。
日本人の考え方や、言葉の中に「より曖昧に」という習慣があります。「させていただく」などは「する」と言ばいいのですが、自分の意志でするのか、人に頼まれてするのかわざと曖昧にしている。「頂く」は「貰う」であり、それは「くれ」に通じ「くれ〜〜!!」「よこせ〜〜!!」に通じる。これは避けよう、という訳です。
もう一つの可能性は、「今いただくお金は世の中全体のものであり(金は天下の回り物)、私は一時預かるだけだ」だから「お預かりします」。
これはちょっと宗教的な色合いもあるけど、日本人にはこのような謙虚さがあるのかもしれません。
結局、この「から」の良さを生かし、文法よりも「人を刺激しない」事あるいは「謙虚さ」を優先した結果、「1000円からお預かりします」が定着したのではないでしょうか。つい最近まで、飲食店などで、アルバイト店員には必ず「1000円からお預かりします」と言うように教育されていたとのことです。
先日、お店で会計が400円で、丁度400円出したところ「400円お預かりします」って言うからいつ返ってくるのかと思っていたら、何も返ってきませんでした。ま、当たり前ですけど。
この「1000円からお預かりします」は程なく消滅するというのが私の予想です。これだけ、マスコミで叩かれましたからね。な〜に、民間は官公庁より変わり身は早いですよ。来年の7月頃、お店でチェックしてみましょう。もちろん、「1000円からですね」や「1000円から頂きます」や「1000円をお預かりします」はその合理性ゆえ残りますが。