モーツァルト以前の音楽について(1) 最近は「古楽」という言葉もすっかり定着した。バロックおよびそれ以前の音楽をさすのだが、古楽器(古道具屋から買ってきた楽器にあらず)を使用して演奏した場合を特に古楽というようである。もちろん、モーツァルト時代の楽器もまだ現代のものとはかなり異なっており、モーツァルトにおいても古楽器を使用した、古楽的発想に基づく演奏は最近かない多い。11月8日に私の主宰する古楽合奏団「アモーレ・マルー」が演奏会を行うので、古楽・古楽器について少しお話しをしたい。
リコーダーについて ルネッサンスおよびバロック時代においてはリコーダーは花形的な旋律楽器であった。しかしモーツァルト編曲の「メサイア」(ヘンデル作曲)の中で使われたのを最後に、いったん歴史から姿を消してしまう。これはなぜか?おそらく大オーケストラの中で演奏されるには音量があまりに小さく、ダイナミックスがつけにくく、音程も取りにくいというのが原因と思われる。しかし良く考えるとこの理論は少しおかしい。実はリコーダーにとって代わったフルートもこのような意味では十分に「不完全な」楽器だったのだ。
バロック時代まではフルートは(当然木製)キーが右手小指の部分に1個のみ。モーツァルト時代は4キー。ベートーベン位で6〜8キー。歌口の穴を大きくすることにより、音量の増大をはかっている。19世紀に至り現代とほぼ同じベーム式が登場した。しかし20世紀初頭のルイ・ロットの楽器はまだ完全な円筒管ではなく、先細りの円錐管である。このように変化を遂げることによりフルートは時代に適応した。しかしこれは「進歩」ではなく、あくまで「変化」である。形を変えることにより、得たものもあれば失ったものもあるのだ。
リコーダーにしてもバロック期のフルートにしても外見はシンプルだが、内径は驚くべき完成度で設計・工作されている。中部管から足部管にいたり、誤差十分の一ミリ以下の精度でうねるようなカーブを描き、指穴も段差にならぬよう内側が削られている。同時代に、名前は失念したがファゴットに似た楽器で、ごてごてとしたキーシステムをもった楽器があったことから、あの見かけのシンプルさは技術の問題ではなくポリシーの問題だったことがわかる。
では、なぜリコーダーは滅び、フルートは時代に適応したか。やはり、フルートは歌口の拡大により音量の増大が計れ、これに応じて内径、キーシステムも変化したが、リコーダーは固定された歌口の改造のしようがなかったため、どうにも変化できなかったのであろう。その意味ではリコーダーは100%の完成品だったといえる。今、改造するとすればアンプをつけるくらいか!?
20世紀に至りイギリス人のアーノルド・ドルメッチがリコーダーを復活させ普及したが、その手軽さから「教育用楽器」になり、皆さんのお手元に届いてしまった。
ドイツ式運指の楽器がバロック式(イギリス式)と別に生まれたのは、聞けばぶったまげるような理由だ。ソプラノリコーダーを入手したあるドイツ人が吹いてみて、全部指を押さえたドの音から順番に指を離して、レ・ミ・ファまできた時どうしてもファの音が高く、違和感があるため「なんと音程の悪い楽器だ」と怒って指穴を削り直してしまったのである。なんたる頭の悪さ、なんたる自信満々さであろう。リコーダーは指一個上げれば一音上がるのだから、半音のミ・ファ間はクロス・フィンガリングでなくてはならない。このことに気付かず、金輪際正確なファ#、ソ#の出せない楽器を普及させてしまったのだ。
余談はさておき、現代においてリコーダーも含めた古楽器が復興してきたのは、大オーケストラが音楽の頂点に位置するという考えが、徐々に薄れつつあり、多様な音楽が受け入れられるようになってきたことと、録音、放送の技術が進歩したことも関係してはいないだろうか。小音量の楽器も録音技術のおかげで、多くの人が聞けるようになったではないか。リコーダーそのものにアンプをつける必要はなかったのだ。