モーツァルト以前の音楽(その2)

 前号のリコーダーの話はいかがだったでしょうか。ひき続き、モーツァルト以前の音楽について、特にそれがモーツァルト音楽とどのように異なるか述べたいと思います。

 私は、リコーダーを通して音楽を学んだため、いきなりバロックおよびそれ以前の音楽を身につけてしまった変わり者です。従って時代の後ろ側から見ているため、モーツァルトには「新しい音楽」を感じ、ベートーベンにいたっては、おそらく皆さんが感じないような斬新さに身を打ち震わせながら聞いてしまいます。

 そんな古い古い私の感じる鍵盤音楽の巻です。ご感想などお聞かせいただければ幸いです。

鍵盤音楽のスタイル

(1)合奏における鍵盤楽器の特性  

バロック時代の、たとえばヘンデル等のヴァイオリンソナタの楽譜を思い浮かべていただきたい。3段組みで一番上のパートはヴァイオリン、2段目が鍵盤楽器の右手、3段目が鍵盤楽器の左手である。なーんだ、何をあたりまえのことを・・とお思いの方は驚くなかれ、実は2段目のパートはインチキ!なのだ。少なくともヘンデルの自作ではなく、現代の出版者がだれかに頼んで書いてもらったものなのだ。だから、あれをヘンデルのオリジナルだと思って忠実に弾いている人はだまされている。

 ヘンデル作曲、「何者かの編曲」ソナタを演奏しているのである。

 オリジナルの楽譜では伴奏の鍵盤楽器のパートは左手のバスの音しか書いておらず、バスの音の上に数字がついている。これは通奏低音といって、一種のコードネームである。当時は与えられた和声の範囲で和音、分散和音、経過音、対旋律等を右手で即興的に入れていた。これはジャズと全く同じ手法で、何者かが書いた楽譜を忠実にさらって弾くということはない。つまり、一個一個の音や一曲一曲をさらって仕上げるのではなく、フォミュラーで演奏するのである。このバロック特有のフォーミュラーが身についた人の演奏は生き生きノリノリである。現代のプロのチェンバロ奏者は、この様式で演奏しており、オリジナル譜面を求めるか、現代譜しか手に入らない場合は、「邪魔な」右手のパートを消して(切り取ってしまうなど)演奏している。要領の良い人は現代譜の良いところだけパクリながら弾く。

 さて、モーツァルト時代ではどうか。モーツァルトのヴァイオリンソナタでピアノは、右手でメロディーを、左手でアルベルティーバスを弾くのが一つのパターンである。つまり同じ鍵盤楽器での伴奏でありながらその奏法は全く違ってきた(実は、ピアノが主でヴァイオリンが伴奏なのだが、この件に関しては省略)。

 この変化はなぜ起きたか?  市民革命以後、民衆が貴族のまねをするようになり音楽が急速に大衆化された。男はチェロ、女は鍵盤楽器を弾くのが大流行したのである。これに伴って即興のできない人が多くなり、便宜上右手のパートが書かれるようになった。たとえば、バッハ作曲フルートソナタロ短調(BWV1030)の2楽章はその好例である。バロック期の即興法のエッセンスが形として残っている。

 右手の音符が楽譜として書かれるようになると、前述のような左手はバスの単旋律、右手は・・・というような役割分担に固執することは、ナンセンスになってくる。少なくとも左手が一個の音しか弾かないのは何とももったいないし、第一右手に対して失礼ではないか(そんなことはないか?)。すると、右手で旋律、左手で和声がよりはっきり判るアルベルティーバスという新たな役割分担が生じてきても良いのではないだろうか。

 大衆化されたために、そのスタイルや役割が変わってしまうなんて、現代における「大学」と同じかもしれない。

(2)独奏楽器としての鍵盤楽器  

バロック後期までは多声音楽が主流であった。鍵盤独奏曲では右手、左手が各声部を分担して弾いていた。バッハの「平均率」のフーガを思い浮かべていただけば分かるように、右手左手の役割には全く差がない。

 従って、バロック時代においては、鍵盤楽器では独奏と合奏で、作曲技法上全く別の音楽と云っても良いくらいに違っていたのだ。

 ところがモーツァルト時代に至り、ホモフォニー音楽が主流になると、例えば右手で旋律、左手でアルベルティーバス、と云ったようなパターンが独奏の鍵盤音楽においても自然に出てくるようになり、奇しくも独奏と合奏における作曲技法上の大きな違いはなくなったのである。

 つまり、音楽の大衆化とホモフォニー化がほぼ同時進行した結果、モーツァルトのスタイルが生まれたとも云える。  突き詰めて考えれば、この二つの出来事は偶然の産物ではなく表裏一体をなすものかもしれない。時代というものはこのようにあらゆるものを巻き込みながら流れて行くのであろうか。

 独奏とも合奏ともいえるピアノ協奏曲では面白い事実が知られている。k.537「戴冠式」では自筆楽譜のピアノソロパートには全曲を通じて左手の伴奏声部がほとんど記入されていない。特に2楽章では左手が全く空欄になっている。弾き振りをしたため弾かなかった可能性もあるが、実際はオーケストラパートで和声が明らかなため、空欄にしておいても、プロならパターン化されたバスの動きはお茶のこサイサイで弾けたのだろう。現在出回っている戴冠式の左手パートはだれが補ったものか不明で、モーツァルトでないことは確かだという(何者かの編曲だあ!)。これは、限られた人しか演奏する可能性がないと判断した特殊な状況と思われる。しかし、バロックにおける通奏低音と正反対の形を取るに至った発想の変化は、歴史的な出来事といっても過言ではあるまい。

次回は「装飾法について」でも書こうかな、と思っています。お楽しみに。