自由の国 オランダ、不自由の国 日本
オランダの女王様の住むハーグ市の市営プールは週一回、一般市民が入れない日があります。皆さん、どうしてだと思いますか?
実はこの日はヌーディストのための日で、水着を着た人は入れないのです。これを知ったとき私はびっくり仰天しましたが、次になるほどなあ、と感心しました。発想の違いです。
裸で町を歩かれては困りますが、外から見えない室内プールにそういう人達が集まっても誰も困りません。人と違う発想を持つことを恥じず、周りもそれを受け入れる思想が感じられます。
高校の修学旅行で、カップルは同室に泊めさせると聞いたときも目がくらくらしましたが、もう恐れ入りましたと言うしかありませんでした。
そう思って町の人々の様子を観察すると、色々面白いことに気が付きます。例えば春や秋の気候の変わり目には、半袖シャツの男性とコートを着た女性の二人連れが歩いていたりします。随分異様な光景ですが、冷静に考えれば暑さ、寒さの感覚にはかなりの個人差があり、各自が自分の感覚に正直に着衣を選べばこの位の差は生じて当然かもしれません。
一方、日本ではどうでしょうか。6月と10月には「衣替え」という習慣があり、ある日を境に一斉に服装を替えます。暑い日も寒い日もありますが、従わなくてはいけません。わたしにとってこれは結構辛いことでした。なかには与えられた服装に反発して、敢えて違う服を着る人もいます。例えば高校生のルーズソックスがそうですが、ほとんどの女子高校生がこれを着用しているところを見ると、何のことはない、これも新しい制服にすぎないのです。人と違うことをしている様で、実は皆同じになってしまうという日本人の呪縛に見事にはまっています。日本では世代ごとの反発はあるようですが、同世代の連帯は強く、ルーズソックス世代も中年になれば、わが子に自分が言われたことと同じことを言いそうです。
東京への一局集中も、皆同じになってしまうという日本人の特性と関係あるかもしれません。都会に住んでいるという連帯感、安心感のために、高価な土地や住居、長い通勤時間等の不自由を耐え忍んでいるかのようにも見えます。
私は子供の頃からちょっと人と違う自分に戸惑っておりましたが、1年間オランダで生活し、これが善悪の問題ではないことに気付き、無理に個性を抑えようとすることをやめてから生きるのが少し楽になりました。
次回より数回にわたり、子供の頃からちょっと人と違っていた私の失敗談等をお届けします。
「本日の回文」
「わいは 校則風服装 怖いわ」
(わいはこうそくふうふくそうこわいわ)
「何か言われ 校則 古めかし。おかん 顔しかめる服装。 これは いかんな。」
(なんかいわれこうそくふるめかしおかんかおしかめるふくそうこれわいかんな)