猫とわがファミリー
我がファミリーと猫との関係は、まだファミリーが形成される以前まで遡ります。当時、弘前大学の学生だった私は、住んでいたアパートの錆びかけた鉄の階段で一匹の猫と出会いました。私は、その野良猫とは思えない上品な容貌や仕草にひかれ、雌猫なのに
「猫山くん」
と名付けかわいがりました。餌をやったりしているうちに、猫山君は時々泊まっていくようになりました。しかし、ある日いつもの「ニャオ」という声にドアを開けると、なんと隣の住人が
「ミケ、おいで!」
と猫山くんを部屋に入れているではありませんか。その時私は大変ショックを受けましたが、
『そうか、隣では彼女はミケになりすましていたのだな』と妙に感心しました。
そのうち猫山くんはかわいい子を産み、その献身的な母親ぶりには誠に心を打たれるものがありました。その子猫達にも遂に親離れの時期が訪れました。このまま野良猫にするには忍びないと思い、二匹の子猫を、
『御歳暮』
と書いたダンボール箱に入れ、自転車で、ある知人の家へ持って行きました。その家の夫婦は快くお歳暮を受け取り、猫達は末永く幸せに暮らしました。
その家の娘が現在のわたしの妻です。
さて、その後猫とのかかわりもなくなり、息子が三人次々と産まれ十年余の歳月が流れました。
富山に住んでいた私達は、そこでまた忘れられない猫と出会いました。
「かわいい子猫が何匹かいるから、あげるわよ」との近所の方の言葉に一も二もなく
「欲しい!」
と答えた三男翔太郎が白と茶のぶちの雌猫を選び、晴れて、正式に我が家の猫がやって来ました。とても活発なその子に
「ポテチ」
と名付け、顔を何箇所もひっかかれながら寝る時も一緒という入れ込みようです。ポテチは我が家のアイドルとなり、大変気品のある、容貌・性格のよい猫に成長していきました。
やがて彼女の妊娠に気づいた私達は出産を心待ちにしていました。遂にその日が来ました。
「ママ、大変、なんか出てきたよ!」
との翔太郎の声に、これから先は見ないでそっとしておこうね、ドアを閉めて数時間後、のぞいて見るとすっかり母親の顔になったポテチが五匹の子猫にお乳をやっているところでした。「チーコ」と名付けた一匹だけを残し、護国神社のフリーマーケットで全員の里親を見つけたのでした。
ところが、その後何年も続くはずだったポテチとチーコとの生活がたった一年半後にぷっつり断ち切られてしまったのです。原因は妻洋子の思いがけない喘息。激しい発作に即入院となった妻へ医師の冷酷な言葉。
「猫が原因です。手放さない限り退院はできません。」
妻は一晩病院で泣き明かしたそうです。子供達にはママの命と引き換えだから、と説明し納得させ、近所の獣医さんに里親探しを依頼し、引き取っていただきました。
これがもう飼うことのできない猫と我がファミリーの歴史です。
今でも猫達との暖かい交流は家族の心の中にしっかり生きています。
本日の回文
「子猫の子、親に似ずにニャオ、この子猫」
(こねこのこおやににずににやおこのこねこ)