思い出の学園
もう十五年以上も前の話です。出張先の病院には看護学校があり、私はそこで皮膚科の講義を担当していました。たぶん3学年くらいは教えたと思います。
あるとき私の出張先が変更になり、このためその看護学校にはもう行かないことになりました。そこで私は教務室に挨拶に行き、その旨伝えたところ、担任の先生に
「生徒達が残念がると思いますので、是非生徒にも会ってやって下さい」
と言われました。私は休み時間まで待ち、教室に行きました。教壇に立った私は
「皆さんに会うのも今日が最後です。」と、しんみり話し始めました。
生徒達は一様に驚き、別れを惜しみました。
講義の後に皆で海まで散歩に行ったこと、教室で私が買ってきたアイスクリームを皆で食べていたら他の先生に見つかり私も一緒に怒られた事、試験をやっても皆さっぱり出来なくて補習をしたこと等、時の立つのも忘れ多くの思い出話に花をさかせました。
「さあ、先生はもう行かなくてはいけません」
おもむろに立ち上がった私が教室を去ろうとすると、涙ぐんでいる生徒もいます。学園ドラマさながらの光景を意識した私は
「ここはスマートに歩かなくては・・」などと思いました。
その瞬間です。教室からダイレクトに出ている下りの階段に足を滑らせた私は一気に階下まで滑り落ち、けたたましい音と共にドアを突き破ってやっと止まったのでした。驚いた生徒だけでなく担任の先生も駆けつけて口々に
「大丈夫ですか」
と声をかけてくれました。幸い軽い打撲だけですんだ私は痛い腰をさすりながら、努めて平静を装い立ち上がりました。すると生徒達は口々に
「私、絶対まるちゃん先生があのまま帰るとは思わなかったね。だってあんなかっこいいはずないもん」
「そうよそうよ、あのまま帰ったら絶対へんだよね」
「先生わざと落ちたんでしょ」などと言いたい放題です。
いつしかさっきまで泣いていた生徒も大爆笑して
「ああこれで安心した。私は先生が気が変になったのかと思ったんだよ」ついに私も腰の痛いのを忘れて大爆笑したのでした。
その後、この学年の生徒達は同窓会があると呼んでくれるようになりました。十五年以上たった今でも、
「先生、私子供が生まれたんだよ」と手紙をくれたり、子供が病気になるとわざわざ私の病院まで連れてきてくれたりします。
人間何が幸いするかわからないものです。
逆さ言葉の本日の回文
「人災だ 残念捻挫 大惨事」
(じんさいだざんねんねんざだいさんじ)