大きな忘れもの
子供の頃の私はいつも自分の世界に生きていました。忘れものをしたり、大事な事がどうしても思い出せなかったり、よく言えば夢の中に生きていました。それでも時々
「あ〜、何かやるべきことがあったなあ?どうしても思い出せないなあ」
と思うことがありました。
そういう時は、そのことをもし自分が実行しなかったらどうなるのか考えました。そしていつも結論は
「きっとたいした事はない。何故なら、もし僕が最初からこの世の中にいなければ、やるべきことはなかったはずだ。だから、最初から自分がいなかったと思えばいいんだ。だから、大丈夫、大丈夫。」
いやはやひどいものです。
小学校6年のときのことです。長い夏休みが終わって学校に行くと同級生達が大勢よって来て、
「ねえ丸山君、8月20日は何をしていたの?」
と口々に尋ねるのです。
「う〜ん8月20日かあ。思い出せないなあ」
「でも何か大事な用事があったんじゃないの?」
「いや何もなかったと思うけどなあ」
「じゃあ何で来なかったの?みんな心配したんだよ」
「何か約束したっけ?」
「遠足だよ遠足!!」友達は口々に言いました。
「え?遠足!遠足があったの?」さすがの私も目が点になりました。
「それで丸山君が来ないからみんなで30分待ってうちのクラスだけ出発が遅れたんだよ」
何と私は遠足に行くのを忘れていたのでした。私は呆然として考えこみました。
「僕がこの世に存在していたからみんな待ったんだ。これはまずい。その日だけ僕が存在しなかったと思うことにしようか。でもそれは有りえない。しかし、その「時」はもう過ぎているのだから、その「存在」は僕も含めてみんな消えている。だから大丈夫。大丈夫・・・」
そんなことをぼーっと考えて、ふと気がつくともう周りには誰もいませんでした。
それから半年後。
卒業アルバムを貰った私は一枚の集合写真に目が釘付けになりました。見たこともない風景。みんな笑っています。一体僕はどこにいるんだ。いくら探しても僕だけいません。
「えぼし岩で一休み。思いでの五頭登山」
とタイトルがついています。私は隣の友人に聞きました。
「この写真いつとったのかな」
「ああ、これは夏休み中の遠足だよ。そういえばこの時、君いなかったね。」
打ちのめされた私は、ただ遠くを見るだけでした。
「ああ、この写真の世界では僕は存在していないんだ。いつも思っている通りになってしまった。」
本日の回文
あたし、頭の中馬鹿なの。また明日ぁ!
(あたしあたまのなかばかなのまたあしたあ)
「私だけボロボロ。ボケ出したわ。」
(わたしだけぼろぼろぼけだしたわ)