リコーダーとの出会い

〜笛が吹けなかった話〜


 高校時代よりリコーダーによるバロック音楽の演奏にのめりこみ、一時はプロになろうと思ったり、現在でも演奏を続けている私ですが、リコーダーとの出会いは一風変わっていました。

 小学校4年の時のことです。当時、リコーダーは縦笛といっておりましたが、クラス中でその縦笛が吹けないのは私だけでした。他の子供達は音楽の授業中に一人ずつ吹いて「合格」を貰ったのですが、私だけ取り残され、ついに終業式の日を迎えたのでした。

 その前日、学校からの連絡でそのことを知った私の母は慌てて父に頼んだのでした。

「ねえパパ大変。明日までに縦笛が吹けないと通知表が貰えないんだって!」

父「なに!通知表が貰えないとは前代未聞だ!」

父は慌てて私に縦笛をもってこさせました。父は教科書に載っている曲を選び、

「どうだ、この曲をやってみるか?」

と吹かせようとするのですが、私はどの曲を吹いても最初の1〜2小節で失敗してしまい、それ以上吹けません。父はまず自分で吹いてみようと考え、私から指使いを習い、ドレミファを覚え、自分で教科書の曲を一曲一曲吹きました。

 父がそこまでしているのに私は我関せず、という顔で爪の垢をほじったり、足の指をいじったりしていました。

 その時です。父はなにげなく鉄腕アトムのテーマを吹きました。これがひょっとしたら今日の私を決定づけた瞬間かもしれません。

 当時、テレビアニメの鉄腕アトムは子供達の人気を独占していました。驚いた私は

「鉄腕アトムは教科書に出ているの?」

と聞きました。

「出ていないよ。今お父さんが自分で考えて吹いているんだ。」

「鉄腕アトムなら吹いてみたいな。アトムが吹けたら一流だよね。」

父は大笑いしましたが、それでも楽譜を作って教えてくれました。

 しかし鉄腕アトムは小学4年の私にとっては難曲でした。ファのシャープが何回も出て来るのです。何度も失敗しているうちに、父の方がくじけそうになり

「アトムは難しすぎる。やっぱり教科書の曲にしないか」

と言いましたが、私は断固アトムにこだわりました。

 さて、翌日。終業式の日です。寝不足で腫れぼったい眼をした私は皆の前に立ちアトムを演奏し、皆と一緒に通知表をいただく事ができました。

 アトムの演奏にクラス中大喝采で、私は一躍時の人になってしまいました。私は

「アトムを演奏する男」

として学校中で評判になり、

「どうやら鉄腕アトムの曲は丸山君のお父さんが作曲したらしい」

というデマまで流れました。

 そして、その後、ついに放送部に頼まれて、校内放送でスピーカーを通して全校生徒の前で演奏することになったのでした。

 人間何が幸いするかわからないものです。

「たけやぶやけた」でおなじみ。逆さ言葉の「本日の回文!」です。

「さあ清き今日 (けふ)Fの音の 笛吹け 清き朝」

(さあきよきけふえふのねのふえふけきよきあさ)(Fの音=ファの音です)