戦後のグルメ史と私


 今でこそ日本は食べたいものはなんでも手にはいる国になりましたが、昔は大変でした。

 終戦直後のことです。私の一回り年上のいとこはまだ小さく、いつもお腹をすかせていました。あるとき焼芋を作ろうと家族でたき火をし、芋をその中に入れたところ、いとこはびっくり仰天。

「芋燃やすな〜〜!芋燃やすな〜〜。」

と言って泣いたそうです。

 ところができ上がった焼芋を食べてあまりのおいしさに二度びっくり。

今度は

「芋燃やせ〜。芋燃やせ〜。もっと燃やせ〜。」

と言ったそうです。

 それから数年後、ようやく食料難も過ぎ去り、日本人もようやく飢えから解放されました。

 丁度そのころ出産した妻の母は出産祝に卵を10個貰ったそうです。今でこそ200円そこそこですが当時は貴重品。それを庶民がやり取りできるようになった喜びを感じていたことでしょう。

 さて、私の幼少時代。

 当時私の家族は毎年年末年始を親戚一同集まって過ごしました。その親戚の家での出来事です。ようやくクリスマスにケーキを食べるという習慣が始まった頃です。その親戚の家は旧家で貰いものが多く、お歳暮に貰ったクリスマスケーキがダブり、余ってしまいました。当時としては贅沢な話です。

 甘いものに目のない私は、その余ったケーキが気になって仕方ありません。

「残ったケーキはどうするの?」

と暇さえあれば聞く私に根負けした親戚のおばさんは

「仕方ないね。これは全部おまえにあげるよ」

と5ー6歳の私にデコレーションケーキを一個をまるごとくれたのでした。有頂天になった私はケーキを抱え、ひとしきり親戚中に自慢気に見せたあと、やおら食べ始めましたが、何せ子供のこと。あっという間にお腹がいっぱいになりました。子供ながらに残したのは恥ずかしく、そっと棚に入れておきました。

 夜になり、年末気分で盛り上がる大人たちはマージャンを始めました。夜も更けて、大人たちはちょっとお腹がすいた様子です。誰からともなく

「そう言えばあのケーキどうしたかな?」

と言う声が聞こえたとき、うとうとしていた私は、さっと起き上がり、棚へ一直線。ケーキを取り出すと叫びました。

「え〜。ケーキはいかが〜〜?一切れ30円。早いものがちだよ〜!」

かくして残ったケーキはあっという間に売り切れ、私は大金持ちになったのでした。私は親戚中からしばらくの間「ケーキ成金」と呼ばれていました。日本が食べ物に不自由しなくなり、裕福になった時代にまさに一致する出来事でした。

 最近の日本ではどうでしょうか。食べるものがあふれ捨てたり、ダイエットをする余り拒食症になる人もいます。このような時代に子を持った私はうろたえながら言います。

「おまえたち。こんなおいしいものが食べられる時代はいつ終わるかわからない。だから、無駄にせずにいっぱい食べておきなさいよ。」

いやはや難しい時代になったものです。

それでは「たけやぶやけた」でおなじみ、逆さ言葉の本日の回文です。

ダイエットしすぎた人ののうたです。

「今や食いてえ気が消えていく病」

(いまやくいてえきがきえていくやまい)