余は如何にして皮膚科医になりしか(99.10.1)


 子供の頃の私は忘れ物はするわ、遅刻はするわ、御世辞にも優秀ではありませんでした。小学校3年のとき、母がある別の理由でPTAの役員をやめた時、周りの人々は

「きっと友裕君の成績が悪いから恥ずかしくてやめたのよ」

といったそうです。

 そんな私の将来の夢は数学者で絵描きで医者で哲学者になることでした。レオナルドダビンチのような人を理想としていたともいえますが、色々な事に興味がありすぎて自分がつかめなかったともいえます。

 私が医師を目指した直接のきっかけは9代続いた医師の家系であったことや父の勧めによる所が大きいのです。しかし、私の混沌とした色々な興味を充たし、多様な生き方ができるのが医師であると思ったのが最大のきっかけです。

 医師の中には研究者のいれば、赤髭のように慕われている人もいますし、医療行政から政治の道にはいる人もいます。純粋に理科系とは言い切れないのです。これだけの可能性があるのだから、医師になれば、その中で自分を最大に生かせるだろうと思った私は、高校生活も終わりに近づいてから、猛然と勉強をしました。

 かくして国立大学の医学部に入った私でしたが、卒業間近になってもまだ自分が本当は何をやりたいのかつかめませんでした。 医学部ではすべての科目をすべての学生が勉強します。そして、卒業する時に内科なら内科という専攻科目を決めるのです。

 医師のタイプとしては概ね、外科系と内科系と基礎研究系の3っつに分かれるといってよいでしょう。外科系は手術の技術の取得が重要で、このため徒弟制度を取り概ね体育会系、といえます。内科系は文献的な勉強や、考え方の鍛練が必要なので概ね文化系サークルといった所です。基礎系は修行僧の道ともいえます。さて私は、体育会系か、文化系サークルか、修行僧か、ハタと考えましたが、結論が出ません。

 そして色々考えた結果、皮膚科なら内科的診療のなかにあって、例えば皮膚癌の手術等もありますし、研究面も盛んです。つまり、すべての要素を兼ね備えた科が皮膚科であることに気付いたのでした。  こんなに私にぴったりした科目は他にないと思い、私は皮膚科医になったのです。つまり私が皮膚科医になったのは「道を究める」の正反対でなにも決められない結果だったともいえます。

 本日から26回にわたり私の随想を聞いていただく訳ですが、今だに色々なことに興味がありすぎてさまよえる私が出てきます。

 高校時代からのめり込んでいる、リコーダーによるバロック音楽の演奏の話も出てきます。

 また、回文、つまり「たけやぶやけた」などの逆さから読んでも同じ文章を作る趣味ももっていますので、これは毎回一つずつご紹介します。お楽しみに。

 私が「本日の回文」と申しあげましたら、メモをご用意いただき、紙に書き取って、反対から読んで見てください。

早速「本日の回文」 トキの優優の誕生を祝って一句。

たった今 トキ生き生きと 舞い立った