←BACK(Heiligenstadt)



ハイリゲンシュタットルポ。ちょっと長めですので、お暇な時にでもどうぞ。

ハイリゲンシュタットとウィーンの森

〜 Heiligenstabt und Wienerwald 〜

line

○+++++ウィーン地下鉄路線図+++++●

 

◇ハイリゲンシュタット駅◇

ハイリゲンシュタット駅

ハイリゲンシュタット駅
Station

 1999年6月19日土曜日、ハイリゲンシュタットへ行く予定のこの日、幸運なことにとてもいいお天気でした。
私がウィーンで泊まったホテルは、ちょうど地下鉄U4号線のピルグラム駅が最寄駅だったので、そこから電車に乗れば、後は終着駅のハイリゲンシュタットまで勝手に連れて行ってくれるので乗り換えもなく迷う心配もなくこれもまたラッキーだったのでした。
 実際電車に乗ったら本当にあっという間、昔は馬車で半日かかったという距離も、ものの2、30分であっけないくらいに簡単にハイリゲンシュタット駅に着いてしまいました。
ドア際に立ち、窓の外の景色を見ていたのですが、だんだん田舎の景色になっていく…と思いきや、普通の都市中を走っている景色のまま、到着。
 ハイリゲンシュタット駅からは、上の地下鉄路線図をご覧になるとわかるとおり、他にも複数の路線が出ているので、ホームも複数、あまり田舎の駅というイメージは全くありません。
上の駅入口の写真からもわかると思います。(私の住んでいる所の最寄駅の方がよっぽど田舎です〜。)
駅を出るとすぐ目の前がバス通りになっており、そしてそのバス通りを挟んで向こう側には、「赤の団地」と呼ばれるカール・マルクス・ホフという名の大団地がそびえたっています。
その団地の中をくぐりぬけると、そこは市電も走っている大きなハイリゲンシュテッター通りの並木道になっているのです。
 私はこのハイリゲンシュタットを歩き回るのに、あちらこちらに点在するベートーベンゆかりの場所を目標に散策してみることにしました。
 まずは、駅から割と近い場所にある、昔ベートーベンが住んでおり、今はホイリゲになっているというホイリゲ・マイヤーです。
しかし歩く道の両側には建物が続き、ホントにこんなところに自然はあるの?といったような感じ。
更に、「ベートーベン」だの「森」だのといったイメージはかけらも見当たらないのです。
半ば狸に化かされたような気分で並木道を歩き、途中で左折、地図を見ながらずんずんと歩いていきました。
どこにでもあるような市の住宅地の中の風景。きれいに舗装されたバス通りの坂道。
(本当にこんな普通過ぎるようなところに、ベートーベンはいたんだろうか?)と不安になりつつも…。
そして多分この角で右折、というところで右の小路に入り、まっすぐ歩いて行くと、右手に目印の小さな教会がありました。
そして、その隣のなんの変哲もない家に、ベートーベンの史跡であるという証拠の赤と白の旗が掲げられていたのでした。
 そこにその旗がなければ、そして入口に「BEETHOVEN」と書かれた表札がなければ、本当にここがそうなのかと思ってしまうほど、周りの建物の中にもカメレオンのように同化して違和感なく建っているのでした。

◇ベートーベンガング◇

シュライバーバッハ

シュライバー川
Schreiberbach

 

 さて、ここまで来れば、次の目的地はベートーベンがよく散歩をし、田園交響曲第2楽章の楽想も得たというシュライバーバッハが近いのです。
 石畳の路地をそのまままっすぐ歩いていきますと、あっけないくらいすぐに川にぶち当たりました。
しかしまあなんと小さな川でしょう!(貧弱といってもいいくらい…)本当にこの川なのかと半信半疑でふと看板をみると、親切にも「BEETHOVEN GANG」(ベートーベンの小道)と書かれてあるではありませんか。間違いはありません。
早速、この川沿いに私もベートーベンの散歩した道を歩いてみることにしました。
小道の右側には、住宅が建ち並び、途中金髪の子供達やジョギングしているアベックなどとすれ違いました。
なんとまた日本人らしき老にさしかかった中年夫婦ともすれ違い(この旅行中、ドイツでも日本人に遭遇することがとても多かった…。)、カメラを持ち独りで歩いている私を見て「?」という感じでした。
私はひょっとして結構怪しい人に見えていたりして…。
 ずっと川やその住宅などを見ながら歩いていったのですが、これは川というより、生活排水路というような気がしてきました。歩きながら、ベートーベンがこの川から曲を作ったとイメージすることが難しくてなりませんでした。
歩きながら、私がひたすら思ったこと…「昔の面影、今いずこ?」
 昔の川は、きっとこのように勿論コンクリートで整備などされず、こんなに建物もなく、本当に綺麗な川だったのでしょうね。そして音楽の描写の通り、ナイチンゲールやかっこう達がのどかにのんびりとさえずっていたのでしょうね。

★緑枠の中の画像をクリックすると拡大されます。★

エロイカガッセ

エロイカガッセ

ハイリゲンシュタット住宅

ハイリゲンシュタット住宅

 

◇グリンツィング◇

 いつのまにか結構先まで行ってしまったので、戻って、今度はベートーベンの遺書の家に行ってみることにしました。
しかし同じ道を戻ったのではつまらないので、別の道から住宅街を通って行ってみることにしました。
 石段の階段を昇ると、右側が葡萄畑になっていることに気がつきました。かなり昇ったところで、後を振りかえると、向こうに広がる丘も、一面の葡萄畑!(↓写真)

グリンツィングの坂道

グリンツィングの坂道

私は何時の間にか、ワインの里グリンツィングまで来てしまっていたのでした。
 そして、尚歩いて閑静な住宅街を抜け、歩いている途中にホイリゲが何軒か軒を連ねている大通りに出ました。
実は風邪をひいたままこちらに来たので、この旅行中体調がとても悪く、結構立っているのもしんどかったんです。
丁度開いていたら一休みしたいな〜と思ったのですが、残念ながらどこもこの時間は開いていませんでした。(ホイリゲは大抵夕方〜夜中の営業なのです。)

ホイリゲ

ホイリゲ

  本当にここらへんは日本のように手頃な喫茶店というのがなかなかないのですよ。
今回の旅行で日本の喫茶店と自動販売機とコンビニがどれほど便利なものかということが改めてよくわかりました。
 頑張ろうと自分を励ましつつ、ともかく大通りをまるで鉛のように重く感じる足を動かしていって、今度はベートーベンの夏の家と呼ばれる、これもまたベートーベンの暮らした家の前を通りました。
本当にここは建物だらけなのであの気難しいといわれるベートーベンがこんなゴミゴミしたところに住んでいたなんて、今のこの地しかしらない私にとっては信じがたい思いでした。
 この家の隣にはアインシュタインの名が刻まれた建物が建っておりました。(ここでまたしても観光客日本人中年夫婦とすれ違う…。)
もうここから遺書の家までは近いはずです。

 

◇ベートーベン遺書の家◇

ベートーベン遺書の家

ベートーベンの遺書の家
Heiligenstadter Testament Haus

ベートーベンが31歳の時、聴力が失われつつあることに
絶望し、遺書を書いた家。

 「遺書の家」というと何だかすごい名前ですが、小さな博物館になっており様々なガイドブックに載っている、とても有名な場所なのです。
 目印の綺麗な教会もすぐ発見できました。教会の角を曲がり、奥へ歩いていくと、これまた地味な建物にあの史跡の目印となっている赤と白の旗が間違いなくここだよ〜!と教えてくれるように掲げてあるのが目に入ってきました。
本当にこの旗印には感謝でしょう。この目印のお陰で一見して史跡と判別できない家が目的の場所だと判るのですから。日本では新しい建築物がドンドンと建つので古いものはすぐに判別することができますが、ドイツでもここでも、壊さずに歴史のある古い住居に好んで人々が住んでいる為か、本当にごくあたりまえに建っている街角の建物も歴史の重みをどっしり感じるものばかりなので観光客にはなかなか見分けがつきません。
 この遺書の家は中がベートーベンの記念館ということで、私もせっかく来たから入ってみることにしました。
 すると、入口付近でなんと日本語の会話が聞こえてくるではありませんか。「こんにちは〜。」「なんとかかんとか…」
まさか、ここにも日本人が?!と思って入っていこうとすると、壮年のおじさんおばさんの団体がゾロゾロと出てくるところでした。(無論日本人です。)
私を見たおじさんは何故かぎょっとしてました。(ツアーにこんなのいたかなぁ?)とでも思ったのでしょうか。
 中に入ると、静かに陽が差し込む小さな中庭から、粗末で小さな階段があり、そこを上ると、昔ベートーベンが暮らした部屋が小さな博物館になっているのでした。入口に座っていたおばさんに何シリングか払い、中へ入るとそこには私の他には日本人のおばさんが一人だけでした。
 田園交響曲など手書の楽譜の複写、書かれた遺書の複写、40代のベートーベンの姿、当時のピアノ、手紙の複写、絵などいろんな展示物がありました。
その中に、ベートーベンがいた当時の、この辺りのハイリゲンシュタットの絵にふと目が止まり、思わず具合悪さも忘れて見入ってしまいました。
 私がつい先程側を通ってきた美しい鐘の音がなり響いた教会、そして森。
私が目にしたようなごみごみした住宅はなく、本当にもっと静かな場所だったんだな…と、その絵の中にだけ、昔のハイリゲンシュタットを見ることが出来たのです。
 ベートーベンが段々聴力を失ってゆき、また様々な事で人生に絶望して遺書をここで書いたのが1802年10月。
 その遺書にはこのように書かれてあります。
「…自分の側に立っている人には、遠くの笛の音が聞こえるのに、私には何も聞こえなかった。何という屈辱だろう。
度々のこんな出来事に絶望して、もう少しで自らの命を絶ちきるところだった。
…芸術、これのみが私をひきとめてくれた。私には自分に課せられていると感じる創造を、全部やり遂げずにこの世を去ることは出来ないと考えた。…」
 彼は遺書を書くことによって、死を選ぶのではなく、苦悩を乗り越えて、再出発する決意を持つことが出来たのでした。だから、普通の遺書とはちょっと違っています。
その後彼は25年病に倒れるまで生き抜いているのです。
 その苦しみの縁から立ち上がり、有名な田園交響曲はその6年後の1807年夏に書き始め、約1年後の1808年夏にこのハイリゲンシュタットで完成されたとのことです。
 また、私達のよく知る「運命」「第九」等、沢山の名曲などもこの自己との闘いに打ち勝った後、生み出されているのです。
 「田園」ですが、この曲を聴きますと、絶望という感情は少なくとも私には感じられません。穏やかで、非常に安らかな音楽ですね。
これはベートーベンが自然をそのまま描写したものではなく、自然に対しての彼の観念や感情を表現したものだといいます。
紛れもなく、ハイリゲンシュタットの優しい自然の力が一旦死を決意した暗黒の中の人間の心をなぐさめ、新たに生きる力を、創作の力を与えたということではないでしょうか。
 絶望に沈んだ孤独な人間が精神的な安らぎを得たところ…ベートーベンにとってもここは、彼のARCADIAだったのかもしれません。(面白いことに「田園」つまりPastoralとは、”牧歌的な”という意味でArcadiaの"古代ギリシャの牧歌的田園”と殆どおんなじです。)
その絵の中にだけは、かつての孤独な心を癒した豊かな自然、理想郷がありました。(1820年当時のハイリゲンシュタット。→実際にここで展示されている絵ではありません。)


 出入口付近に、展示物についての解説書がありました。親切なことに、ドイツ語だけでなく英語、イタリア語、フランス語、など各国版が1枚の紙にコピーされて山ほど置いてありました。
日本語もありました。ところが、日本語の箱の中には1枚もないのです。
恐らく、さっきのおじさんおばさんの団体がごっそり持って行ってしまったのでしょう。日本人パワー恐るべし〜!

◇カーレンベルクの丘◇

 さて、遺書の家を後にした私の次の目標は、ウィーンの森でした。バス通りからカーレンベルクの丘行きのバスが頻繁に走っているので、それに乗ると、たちまち15分〜20分くらいで、そこへ連れて行ってくれるのです。
 カーレンベルクの丘は、ここからウィーン市街を見渡せるということで、非常に見晴らしがよく、観光名所になっています。そこからウィーンの森へのハイキングコースも出ていますので、とにかく私はそこへ行ってみることにしまいした。
遺書の家からほど近いバス停からバスに乗り込むと、バスの中は非常にインターナショナルな顔ぶれでした。
サリーをまとったインド人の団体、親切な中国人らしき人、(あれだけ日本人に遭遇したのに日本人は私一人。)現地の人よりも外国人の方が多い感じでした。みな、やはり終点のカーレンベルクの丘に行くのでしょう。
バスは高級な住宅地の並ぶゆるやかなカーブをどんどんと昇って行き、次第に周りの景色は森になってゆきました。そして、終点カーレンベルクへ到着。
一行はぞろぞろとバスを降り、やはり皆さん市街を見渡せる展望台の方へ歩いて行きました。
私もサリーに続いて勿論展望台へ。なるほど、左側にはカーブを描いて流れて行くドナウ河、眼下にはゴミゴミとしたウィーンの街並みが見渡すことが出来ました。
ちょうど展望台の下にレストランがあったので、疲れていた私は、メランジェを頼みやっと一休みできました。
 しかし休んでいる筈なのに冷たい汗がじっとり出てきてなんだかじっとしているのも辛くなってきたので、ともかく森の中を少し歩いてハイリゲンシュタットへ戻ろう、と思い立ち、店を出ました。
ここからハイキングコースの道が出ていたので、ハイリゲンシュタット方面へ、少し歩いてみることにしました。
道は先ほど昇って来たバス通りに並行していたので多分このまま元の道をたどるのだろうと思って安心していました。日本ではあまり聞かないような、いかにも西洋的なトリの声。あまりすれ違う人もなく、風に揺れる木々のざわめきだけが聞こえる静かな森の道。時々鼻をかむために立ち止まって、私は歩いて行きました。
途中、ホイリゲがあり、緑多い森をバックに外で丸太で出来たテーブルで賑やかに食事をしている人達の姿が見えました。「ああ、いいなあ〜!」と横目に見つつ、とにかく緑の続く中を、歩いて行きました。
 大体30分くらいで、グリンツィングに着くことが出来るだろう、と思っていたのですが、これは、どうやらハイリゲンシュタットへ行く方向の道ではないかも…という事実に気付き始めたのは、森の道を歩いて小一時間も歩いたくらいのところでしょうか。レオポルヅベルクという場所に出てしまったのです。
ここに出たということは、ハイリゲンシュタットのコースとは反対の道である、という何よりの証拠でありました!
 でも、もう引き返すのもばかばかしいし、もう、いいや!とともかく私は生きて帰れることを願いつつ、前へ前へ、ひたすら歩いていくことにしました。
 道が、くだり道だったことはラッキーでした。上り道だったら、私のコンディションも悪かったし、最悪でした。ひたすら下って、下って、下って…でも行けども行けども、道は終わりになりませんでした。
すれ違う人にも遭遇せず、1時間半か2時間くらいは歩いたでしょうか?不意に、下の景色が開けてきました。一面の、葡萄畑。そして、教会の屋根。左にゆっくりカーブしたドナウ運河。
やった!地上は近い!と元気を出してドンドン下へ降りていきました。どんどん大きく迫ってくる葡萄畑。教会の屋根。ドナウ河の景色。
そして、やっと私はドナウ河が真正面にゆっくりと流れている、終点に降り立つことが出来ました。
 出たところはドナウ河沿いに走っている、ハイリゲンシュテッター通りという大きな道路で、ハイリゲンシュタットから北へ2つほど先のカーレンベルクドーフ駅の近くだったのでありました。
 当然のことながら、私には歩いてハイリゲンシュタットへ戻る気力も体力も残っていませんでした。足はガクガク、本当に1歩歩くよりカメの方が早いと思われるスローモーション状態。側を通りかかった地元の若いカップルが「?」という顔をしておりました。
しかしラッキーなことに、そのハイリゲンシュテッター通りにハイリゲンシュタット行きのバスが走っていたので、それに乗り込むことが出来ました。
ほっとしたのも束の間、なんとドジなことに降りる場所を間違えてハイリゲンシュタットより一個手前の駅付近で降りてしまいました。
仕方なく、バス通りをハイリゲンシュタットに向かってズルズルと歩いて行きました。…
 この日は土曜日だったので、バス通りの左右の商店街らしき道も活気がなく、まるでゴーストタウンのようでした。
(オーストリア、ドイツなど土曜、日曜は驚くほど店は休業してしまうのです。普段土曜だろ〜が日曜だろ〜が店が開いている日本に住んでいるととても不便に感じてしまうことこの上なしでした…。)
しばらく歩いていると、向こうからハイキング姿の日本人らしきカップルが歩いてきました。そして、なんと
「こんにちは〜!」と話しかけてきます。どうやら、私が歩いてきたベートーベンガングを探しているようだったので、地図を見ながら教えてあげました。
(私はこの旅行中、日本人、外国人問わず沢山の人に道を聞かれました…。一人で歩いているといかにも知っていそうに見えるのかな?)
すると、自分でももうハイリゲンシュタットに来ている、と逆に気付き、もうすぐだ〜!と元気が出ました。
そして程なく前に歩いた交差点に着き、見たことのある建物を見て、一度しか通っていないにも関わらず思わず懐かしさを憶えてしまったのでありました。

ウィーンの森

ウィーンの森

どこまでも葡萄畑

葡萄畑

 

◇ハイリゲンシュタット公園◇

ベートーベンの像
BEETHOVEN Statue

 ベートーベンのいた時代、この場所は温泉の涌き出る保養所がありました。
 ベートーベンは耳の治療によく利用していました。

ベートーベン像

 

 さて、最後の目標は、ハイリゲンシュタット公園の中のベートーベン像でした。これを見たら、最後にして、ハイリゲンシュタットを後にしようと決めました。
 しかし重い…足が、本当に1歩動かすのもかなりしんどい作業となっておりました。自分でもナメクジに変化してしまったのかと歩きながら思ったくらい、のろのろと進んで行きますと、それでも左側にハイリゲンシュタット公園らしい風景が見えました。子供達がサッカーをして遊んでいる小さな広場もありました。
 入り口を探すと、それらしいところになんと親切にも、私の目当ての「ベートーベンの像」があるよ〜!と看板が出ているではありませんか。
 それを見るとよし!頑張ろう!と元気が出て、ともかく公園の中を進んで行きました。
公園といっても、日本の住宅地の中にあるような小さな公園ではなく割と大きめで、木がうっそうと茂っており、ベンチも至る所に置いてあって、ちょっとした散歩にもなるような公園なのです。
 ちょっと迷ってしまいましたが、人気のない公園の中、ふいにポツンと何気なくおかれてある寂しげな像らしきものを発見しました。
まさか、これがベートーベンでは?と思って近づいて見ると、まさしく像の下に「BEETHOVEN」と書かれてありました。思ったよりも小さくて、ここにBEETHOVENと書かれていなければ、ちょっと見ただけではあの有名な作曲家、とわからないようなひっそりとうらさびれた像でした。
 ちなみに、この公園の丘を上がりきったところにある一帯の住宅は「芸術家コロニー」と呼ばれる有名な場所で、作曲家マーラーの妻アルマの実家があり、かつ彼女も住んでいたことでよく知られています。
アルマの家には、今やオーストリアを代表する画家、クリムトやココシュカなど沢山の芸術家が訪れたとのこと。
また、この公園の少し先を行った場所にはグリンツィング墓地があり、そこにはマーラー本人、そしてそのアルマも眠っているのです。
結構ここらへんは何気ない住宅地なのですが、過去に沢山の偉人が訪れた場所でもあるんですね。
 さあ、とにかくこれでハイリゲンシュタットで全ての目標はクリアできました。
これで旅の目的もかなったし、満足してやっと心おきなくくつろぐことにして、ハイリゲンシュテッター通りにあるとあるイタリア料理店と一緒になっているカフェへ入りました。
 担当は、金髪の背の高い割とハンサムな男性でありました。元気になりたくて体力をつけるためにも肉料理を食べようと思い、ハンバーグがふと食べたくなった私は、「ハンバーグはないの?」と聞くと、「おいてないんですよ〜。」との答え。がっかりした私にその金髪青年は、「肉料理が食べたいのか?」と親切にも聞いてくれたのでそうだと言うと、「じゃあカツレツはどうだ?」と勧めるのでそれを頼み、つけあわせはどうする?ポテトでいいか?YES、サラダはどうする?ポテトでいいか?YES、と考える力もあまりなかったので全部YESと答えていたら出てきたのは山盛りポテトサラダにどでかいウィンナーカツレツ2枚、フライドポテト特盛〜!
 お兄さんは大迫力の料理の前に驚く私を見て、はっはっはっ…と笑っておりました。
 でも、ウィンナーカツレツ、さすがは本場、おいしかったですよ。
(もし旅行される方がいたら、私は他にウィーンの街中の買い食いのホットドッグなどもオススメします。体調悪くてもおいしいと感じたくらいだから健康な時食べたらきっともっとおいしいと思います。)

 どうも足が痛い思っていたら、夜ホテルへ戻ってスニーカーを脱ぐと、小指がなんと大水ぶくれ〜!
でも、やることはやった!ととても満足した一日だったのでした。

 

◆番外編ARCADIA◆

オペラショップARCADIA

Opera shop ”ARCADIA”

 

ウィーンでのアルカディア探し〜!ウィーン滞在中に目にしたARCADIAをご報告します。
 
 ハイリゲンシュタットの帰り道、U4号線のカールスプラッツという駅で降りると、すぐ目の前が有名なオペラ座になっています。オペラ座の右側面には、オペラ座のスターのグッズやCD、お土産なども売っている「ARCADIA」というお店になっています。オペラ座裏のザッハーホテルのカフェでザッハートルテを頼み、あまりの甘さにメランジェの量が足りない!と思いつつも、疲れを癒し少し元気になった私はオペラ座のスターなど知らないにも関わらずARCADIAの内部に侵入。
いかにも音楽の都のお土産にふさわしそうな♪の並んだメモ帳、鉛筆、便箋、ノートetc等もありましたが、裏を見ると何故かmade in England…。
あまりこういうところには「音楽の都」とうたわれるプライドはもたないのでありましょうか…。
 しかし私はARCADIAと書かれたレシートが何故か欲しかったのでイギリス製である!とはっきり明記されていないメモ帳をなんとか選んで買ったのでした。

 また、ウィーンヒルトンホテル内にあるレストランの名前も、ARCADIAです。
好奇心に駆られて行ってみました。調子がよかったらご飯でも食べてきたかもしれなかったのですが、「ARCADIA」と書かれた扉だけ見て(ついでにトイレに入り)ホテルを出てしまいました。せっかく行ったのにちょっと残念…。
 探せば、他にももっと見つかるかもしれませんね。(そんなことやってるの私くらい?でしょうね〜、きっと…。)

(All photo by Maja)

ページの最初に戻る

INDEXへ

FRAME ON(INDEX)