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お薦め映画・本【EX LIBRIS】


押井守「イノセンス」

  1. シガラミを捨てた女と、シガラミを捨てきれない男と、シガラミにしがみついてる男の物語?

     いやぁ、数年ぶりにちゃんと映画館に行って映画を見てきました。
     水曜日っていうのは、少なくとも首都圏においてはレディースデイで千円なんですね。大スクリーンで見るとうれしい映画って言うのはたしかにあります.....(TVの14インチでも困らないのもあるけどね)。

     で、世間で大好評の「イノセンス」を見てきました。
     実のところ、原作の「攻殻機動隊」を持ってます。「少佐」が「人形使い」に導かれてシガラミを全部振り捨てて電脳の海に溶け込んでいくまでの、あの原作。OVAもアニメ映画も見てませんので、ある意味、ありがたい後日談でもありました>「イノセンス」。
     
     「少佐」が消えてから3年経って、片腕というか良き相棒だったバトーはそれなりに仕事に励んではいるものの基本的には鬱々と暮らしていたわけです。愛犬が少佐がいなくなる前からの同居相手なのか、はたまた「少佐」がいなくなってから飼い出したのかは不明ですが、それでも仕事から帰ったバトーの私生活をみると、かなり元気がない(苦笑)。
     「少佐」がいた頃(原作)は、バカな会話をしつつ陽気が基調の男だと思ってたんですが、3年という月日が老けさせたのか、「置いてかれちまったよ、おい(涙)」という気分だったのか、妙に静か。犬のなつき具合にかなり慰められている様子。
     そこらへんが、荒巻部長をして「いなくなる前の少佐と雰囲気が似ている」と言わしめるところだったんでしょうな。「少佐」はある意味仕事バカの仕事中毒で、背負っている物が極端に少なかったのにバトーは「手のかかる餌をやらなくちゃいけないがそれが楽しい愛犬」という、現実とのつながりというか現実という川に足を突っ込んでおける錨になる存在があったわけですから。

     荒巻部長が、バトーの新しい相棒にトグサを当てたのも、じつに分かりやすいわけです。なにせ彼は「少佐」が警察からスカウトしたときは新婚ほやほやで奥さん妊娠中、「イノセンス」のときは愛妻と愛娘という、「現世との強固な鎖」もしくは「絶対死ぬわけには行かないシガラミ」というものがありますから。生き抜くのに必死のトグサを脇に貼り付けておけば、どこか厭世的でも職務に忠実でそうトグサを嫌いでも無いバトーとしては、生きる方向に影響を受けざるを得ません(笑)。さすがは「オヤジ」、気配りの塊(笑)。
     
     ストーリーとしては、ちょっとヤバめのロボットを手に入れたオッサンたちが殺されたので公安9課が動いた、そしていつも通りにヤバイ橋をわたりつつ、証拠を集めて賭けに勝った、という話ではあります。
     しかし、そこで公安9課にとって大きいのは、前線指揮官たる「少佐」がいないということ。荒巻部長が公安9課の組織維持という「外に向かって闘っている家長」であるのなら、「少佐」は「家庭において手に負えない悪ガキどもを号令かけつつうまくコントロールしている母、もしくは姉」の役割だったと思えます。だからこそ、「母、もしくは姉」と一番精神的に近く、つきあいも長く、ある意味べったり甘えていたバトーが一番精神的に傷が深いわけです。「荒巻一家」の長男ですか?(笑)
     で、やくざの事務所で暴れたのは、あくまでも「うっぷん晴らし」。トグサにナニ言われようが「てめー、チビのくせにナマ言うんじゃねーよ」とあしらってうっぷんを晴らしたものの、「家長」から小言を食らって、ちょっとしょげる。
     その精神的間隙に、古馴染みのハッカーにしてやられるわけですな。
     
     だからこそ、「少佐」が出現してからのバトーの動きが全然違うわけです。前線指揮官の補佐役というのは、指揮官の存在を感じられるから安心していられる。しかし指揮官がいないとき、補佐役はその分も考えて動かなくちゃいけないのであっぷあっぷしていたってことでしょう。

  2. 生身と義体と人工生命と「ゴースト」

     で、押井監督が前面にだしている「人形」です。
     どーもセリフを全部聞き取れてないので非常に危ないんですが、ハラウェイ検死官のセリフはかなり監督のセリフなんだろうと思いましたね。ただ、女の子のままごとに対する意識論は.......経験者からするとかなりいびつなモノだと思いますが(笑)。
     だって、ままごとって言うのは「スタートは夫婦」なんですから(笑)。「お父さんがいてお母さんがいて、あかちゃんがいる」というのが普遍的パターンです。まぁ今どきだと「おとーさんは誰だかわからないけど赤ちゃんはいるの」という設定もありなのかもしれませんが(笑)。
     「人形を捨てる」というのは.....どうなんでしょうね。いまは「人形」どころか「人間」を簡単に遺棄してますからね。虐待して殺すも、生んだ瞬間にごみ箱に突っ込むも、そこらへんのカバンやビニール袋に入れてポイッと捨てたりしますからね。
     エトロフで人形を焼いているシーンがありましたが、あれは「人形供養」のはずなんですがねえ....。ひな祭りの流し雛は、ケガレもしくは厄災を運んでもらう使者だと聞いたコトがあります。「人形供養」は正月の「どんと焼き」と同じように、焼くことで人形にも宿っていたはずの魂を冥界に送ってやるわけで.......。
     カントク〜、文化の解釈を変に歪めないで欲しいです〜(´Д`)ハアァ。たしかにそもそもの由来が消滅して行事だけ残っているって可能性もありますが〜>未来。

     ともあれ、義体に電脳という人工物とナマの脳みそと記憶との融合体という、マン=マシンシステムの権化みたいなバトーにとっては、生身のトグサよりもガイノイドのほうが同類意識を呼び覚まされるモノだったのかもしれません。だからこそ、ガイノイドから発せられる「タスケテ」という叫びには突き動かされても、それが「人形に人間としての意識をコピーさせられていた」少女の助けを求める声だと知ったときに「じゃあガイノイノドの立場は?!」と逆上しかかってるんでしょう。
     ただ「人形になりたくない!」と言われて、バトーはそこで自覚したんでしょう。自分は「人形」ではなく「義体に入っていても人間」なんだと。

  3. 生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落落磊磊

     なにもこの四言古詩だけでなく、なにやら漢詩も英語の諺?も英詩もいっぱい出ているようですが、とにかく追いきれませんでした。プログラムにも書いてないし〜、こりゃDVD買ったときに補足情報が入っていることを希望するのみ。押井監督は「詞の無い曲がいい」というのが主義だったようですが、今回の曲の詞は彼の詩心?をかなり刺激したようですね。たしかにカール・ブッセの「山の彼方の空遠く.....」という、あの有名な詩に通じるものはあります。
     
    山の彼方の空遠く 幸い住むと人のいう。
    ああ、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみかえりきぬ。
    山のあなたになお遠く幸い住むとひとの言う。(カール・ブッセ作、上田敏訳・編集「海潮音」)

    主題歌「Follow Me」
    Follow me to a land across the shining sea
    Waiting beyond the world we have known
    Beyond the world the dream could be
    And the joy we have tasted.

    Follow me along the road that only love can see
    Rising above the fun years of the night
    Into the light beyond the tears 
    And all the years we have wasted. 

    Follow me to a distant land this mountain high 
    Whrer all the music that we always kept inside will fill the sky  
    Singing in the silent swerve a heart is free 
    While the world goes on turning and turning 
    Turning and falling. 

     それにしても、なんでこんなにチャイニーズしてるんですか。この映画。ブレードランナーのようだとは思いましたが、エトロフにいたるまでチャイナ、チャイナ、チャイナ漬け。日本の文化もロシアの文化も消滅してますなあ。
     ........おそるべし、中華文明?(^_^;)



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