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2005/11/1 (Tue)
日本ではもう日付が変わった時間。
こちらはまだ夕方だ。

一晩中雨が降っていたけど、朝にはすっきり晴れていた。
オットを送ったあとちょっと近所の散歩へ出る。日本だったらお屋敷とでもいうような、立派な家が多い。
こういう家に住み、ちょっと行けば自然豊かな公園があり、そんなに遠くないところに無料で入れる美術館や博物館がある。そんな環境で育った人間とは狭い家で暮らす日本人とじゃ環境が違いすぎるよな。ちょっとうらやましい。

今日はナショナル・ギャラリーへ行くことにした。
ちょうどルーベンス展もやっているようで、常設は無料だけど、ルーベンス展は8ポンド払った。
やはり本物はすごい。想像以上に大きいということもあるが、質感や色彩など写真で見るのとは大違いだ。まるで立体?疑うほどの質感。髪の毛なんて一本一本生えているのかと思った。
人物や馬の目もすごい。暗闇で見たら叫んでしまいそうな、生きているかと思うほど。
残酷な描写のものもあって(特に赤ん坊がたくさん死んでいる絵など)泣けてしまった。凄すぎる・・・

常設の方も有名な絵がこれでもか!ってほどあって私の許容範囲を超えた感じ。絵ってすごい。一瞬の風景・一瞬の表情を永遠に封じ込めてしまうものなんだ。
そしてこれだけ素晴らしいコレクションを無料で惜しげもなく見せてしまうイギリスって国は素晴らしい。

歩き疲れていったん帰宅。今晩はロイヤルオペラハウスにバレエを観にいくことになっている。
楽しみだな。




2005/11/2 (Wed)
単独行動3日目。
この3日間、結婚以来初めてのひとり旅気分を味わい楽しんでいる。
周りには私を知る人は誰もいない。言葉もよくわからないので、人々の声が意味をもたないただの音として響く。
どこへ行こうと何をしようと咎める人はいないし、気にかけなければならない人もいない。
異邦人であることの心地よさ。たった数日では寂しさを感じることもない。
多くの民族がいることも寂しさを感じない原因なんだろう。
周り中金髪碧眼の人ばかりだったら黒髪黒目の自分はかなり浮いてしまって決まり悪さがあったと思うが、
インド系・中国系・日本人・白人。髪の色も目の色も肌の色も様々な人がいて、溶け込めるのがうれしい。

今日は、自然史博物館とビクトリア&アルバート博物館を中心に回るつもり。ちょっと雨模様なのが気になるけど。

まず自然史博物館に行く。入場無料。
建物の外観に驚く。重厚なゴシック建築で大きい。
入り口を入るといきなり恐竜ディプロドカスの骨格標本のお出迎え。
その他にも恐竜の骨格標本が充実している。前回オットの息子が来たときは休日だったので、かなりの行列で恐竜の標本は見れなかったらしいが、
平日とうこともあり並ぶほどではない人出で、ゆっくり見て回れた。しかしぐるぐる歩いていたら自分の場所を見失ってしまってあせった。

次はとなりのビクトリア&アルバート博物館へ。こちらも入場は無料。
ガイドブックによると展示室が150あるようだが、とにかく広い。しかも所狭しという感じで物が展示されている。
とても全部をじっくり見て歩く体力はない。部屋から部屋へ歩きながら、気に入ったところだけじっくり見た。
特に見たかったドレスのコーナー。16世紀の貴族のドレスから最近のデザインのものまである。
特別目をひいたのはドレスのウエストの細さ!映画や本にコルセットでギューギューに締め上げて細くする場面は出てくるが、
本当に私の両手でつかめそうなくらいに細い。これは身体に悪そうだな。
ガイドブックを見ながら回ったにもかかわらず、また自分の場所を見失う。歩き疲れて足は痛いし出口はわからないしで泣きたくなった。

やっと出口にたどり着き外に出たら雨が降ってきた。でも、ここまで来たからにはハロッズにも行っておかないとな。
小雨ぱらつく中、ハロッズに向かった。
前回、あまりの高級感に恐れをなして娘とふたりさっさと出てきてしまったけど、今日はクリスマスの飾りつけのコーナーなどを見て回る。
さすがにクリスマスが近いので賑わっている。色で分別されたオーナメントが美しい。
どれもこれも欲しくて手にとって見たりしたけど、我が家にはこんなオーナメントを飾れるようなツリーはないのさ。
子供たちのおみやげなど数点購入し家路に着く。

4時ごろ帰宅したオットと改めて出かける。ボンドストリートからオックスフォードサーカスを通りピカデリーサーカスへ。
天気がよければそぞろ歩きも楽しかったと思うが、時折吹き付ける強い風とパラつく雨で楽しさは半減してしまった感じ。
その後イタリア料理のレストランで食事をした。




2005/11/2 (Wed)
昨日は念願のロイヤルバレエの公演に行く。
本当なら「Marguerite and Armand 」のArmandはJonathan Copeが踊るはずだったんだよな。本当に残念。
配役表の「Federico Bonelli replaces Jonathan Cope」の文字が悲しい・・・

【La Fete Etrange 】

Bride :Zenaida Yanowsky
Bridgroom : Gary Avis
Boy : Brian Maloney

可もなく不可もなくといった感じで、特にコメントがない。途中かなり眠くなってしまった。

【Pierrot Lunai 】 

Pierrot : Ivan Putrov
Columbine : Deirdre Chapman
Brighella : Carlos Acosta


足場(パイプを組んだもの)で鉄棒のようにして踊る部分もあって、目新しかった。Pierrot 役の Ivan Putrov が顔を真っ白に塗ってユーモラスに
踊っていたのが印象的。後から出てきた Brighella 役の Carlos Acosta が役にぴったりの雰囲気でとてもよかった。
オーケストラではなく生歌というのも初体験。歌のテープ使用っていうのはあったけど。


【Marguerite and Armand 】

Marguerite : Tamara Rojo
Armand : Federico Bonelli
His Father : Anthony Dowell

【Marguerite and Armand 】はSylvie Guillem と Jonathan Cope の組み合わせで2回ほど見たことがある。
夏の来日公演でTamara Rojo の「マノン」を見た時に私にとって「マノン」は Sylvie Guillem と Jonathan Cope 以外考えられないと改めて思ったように、【Marguerite and Armand 】も Sylvie Guillem と Jonathan Copeのものだという思いを新たにした。
Tamara Rojo はこういうドラマティックな演目にはぴったりだと思う。多分、Sylvie Guillem の Margueriteを観たことがなかったら、もっとTamara Rojo を賞賛できただろう。
ただ、Sylvie Guillem に比べて、ちょっとだけ表現がオーバーな気がする。大味というか、ほんの少しやりすぎな感じがした。
また Armand役の Federico Bonelli はどうしても大好きな Jonathan Cope と比べてしまうとサポートがちょっと雑な感じがした。Rojoとの身長差も関係していたかもしれないが。

今回は前から8列目の真ん中あたりというとてもいい席だったので、ダンサーの息遣いまで聞こえてくるほどだった。
カーテンコールの時にも顔がはっきり見えてうれしかった。こんなに近くなのに、Jonathan Cope じゃないことが本当に悲しい。
引退する前に一度でいいからロイヤルオペラハウスで観たかったよ〜

ロイヤルオペラハウスは結構寒かった。私が薄着だったせいもあるかもしれないけど、暖房って入っていないのかしら?
これじゃ、肩を出したドレスを着た人は寒いんじゃないかと思った。




2005/11/3 (Thu)
オットが休暇を取った。せっかくふたりで行けるのだから、どうしようかいろいろ検討したけど、
疲れているので遠くには行きたくないというので、もう一度みたかったウエストミンスタ−寺院と前回来た時に楽しかったノッティングヒルへ行くことに決めた。

まずは地下鉄1本で行けるウエストミンスタ−寺院へ。私は31日にも来たけど、オットは中に入ったことはないという。
まだ開いたばかりの時間なので中はまだ空いていた。
思えば、ふたりだけで観光めいたことをするのは初めてだ。ガイドブックを参照しながら葬られている人を確認したり。でも、お互い歴史にはあまり詳しくないのが残念。
荘厳な雰囲気、高い天井、石造りの圧迫感で、オットは「なんか、息が詰まるような感じ」という。確かに木と紙の家と言われるような日本の建物に慣れた者にはこのせまってくるような、石の壁は圧迫感を与えるものだ。

ウエストミンスタ−寺院を出て、バッキンガム宮殿の方へ歩く。
バッキンガム宮殿の前の大通りでなにやらパレ−ド(というほど大規模ではないけど)が。
黒馬で統一されているのが、なんだか素敵。

セント・ジェ−ムズパ−クを散策しながら、出てきたリスに持ってきたナッツをあげる。警戒もしないで寄ってくるリスもいれば、なかなか来ないのもいる。
目の前に置いてあげても気が付かないリスがいれば、何を勘違いしたのか私の足を登ってくるのもいた。ちょっとびっくり。

グリ−ン・パ−クの駅から地下鉄に乗ってノッティング・ヒルへ。
高級住宅街といった趣のここはパステルカラ−に塗り分けられた家が美しい。アンティ−ク・ショップもたくさんあるし、おしゃれなお店もある。
ただ生憎平日だったせいか、開いていないお店も多かった。
ここで娘へのおみやげに服を買おうと思っていたのに、適当なものがない。しかも、雨が降ってきた。
風も吹き付けて寒いので、ス−パ−で雨宿りがてら中を見て回る。異国のス−パ−って大好き。日常使う紅茶(レディ・グレイ)を買い雨が小ぶりになった隙に昼食のためのお店を探す。
今日はどうしても「フィッシュ&チップス」が食べたかった。でも、ひとりではどこに行ったら食べられるのかわからなかったので、オットにお願いしておいた。
イギリス名物のパブでフィッシュ&チップスが食べられる所を探した。
それにしてもこんなに大きなものだとは思わなかった。ひとり一皿頼まなくてよかった。
フィッシュ&チップスを半分ずつ、サラダを半分ずつ食べ、ビ−ルを飲んだ。念願のフィッシュ&チップスはそのままでも、お酢をかけてもおいしかった。日本人としては、お醤油で食べてみたかった。

天気も回復し、おなかもいっぱい。ノッティング・ヒルも堪能したので、いったん家に帰ることにした。地下鉄は散々乗ったので今度はバスに乗る。
地下鉄では周囲の景色を見ることができないけど、バスは景色もよく見えて楽しい。
途中、オットが通うジムがある町で降り、休日に買い物に来るというお店、日本食材店などを見て回る。
日本食材店には思いのほか多くの種類の食材があったけど、どれもこれも高い。
でも、せっかくだからとシュウマイの皮を買った。あとはたまねぎとひき肉があればしゅうまいが作れる。

観光も楽しいけど、こうしてオットが普段通っているお店や町を見るのはまた別の楽しさがある。
日本に帰ってから、今ごろ何してるかなと想像する時、具体的に思い浮かべられるのがうれしい。

寒くなってきたので家に帰る。
晩御飯に行くまで時間もあるのでシュウマイ作り。蒸し器がないので、なべを工夫して蒸した。なんとかなるもんだな。
何個かでき立てと味見してもらい、残りを冷凍する。これで何回かは食べられるだろう。

晩御飯がプリムロ−ズ・ヒルにあるギリシャ料理のお店に行く。
ロンドンに来て、何度かレストランに食事にいったけど、考えてみればこんな風にワインを飲みながら、ゆっくりレストランで食事をしたのって、結婚前も後もなかったな。
それなりに話題もあって楽しかった。








2005/11/4 (Fri)

とうとう明日は帰国の日。今日はゆっくりできる最後の日となってしまった。
幸いにも朝から晴天。昨日の天気とは打って変わって、とても爽やかな青空だ。
相方を送り出した後、2時間ほどリ−ジェント・パ−クを散歩する。
色づいている木々、広い空間。冷たい朝の空気が気持ちいい。
インナ−・サ−クルでは咲き残ったバラが美しい。

一旦帰り、朝食のあとガイドブックと地図を広げてどうしようか悩んだが、コ−ト−ルド・ギャラリ−とギルバ−トコレクションを見ることにした。
地下鉄テンプル駅を出てサマセット・ハウスへ向かう。どうも大きな建物のようで入り口がよくわからない。
地図を頼りに坂を登ってやっとコ−ト−ルド・ギャラリ−の入り口を見つけた。驚くほど大きな建物だ。
このサマセトット・ハウスは元は、エドワ−ド6世の摂政のサマセット公爵の宮殿で1786年に完成したものらしいが、このスケ−ルの大きな宮殿が個人の宮殿だったことに驚く。
絶対迷子になるよな〜
コ−ト−ルド・ギャラリ−ではドガやゴッホの絵を見た。絵も素晴らしいが展示している部屋もすばらしい。
暖炉があって、いかにも誰かが住んでいた感じ。そして各部屋の天井がとても素敵で絵を見るよりも天井を見上げている時間の方が長かったほど。

コ−ト−ルド・ギャラリ−を出て、次はキルバ−ト・コレクションへ。
中庭(?)を通って入り口を探すが、同じ建物の中にあるはずなのに見つけられない。なんとかそれらしい入り口を見つけるが本当の入り口はエレベ−タ−で降りたところにあるようだ。
心の中で泣きながらなんとかチケット売り場にたどりついた。よかった〜
ギルバ−ト・コレクションを一言で表現するとしたら「豪華絢爛」だろうか。
目眩がするくらいの金・銀・宝飾品。
ヒカリモノ大好きな私だけど、最後の方では「もういいかげんにしろ〜」と叫びたくなる位キラキラしていた。すごすぎるよ〜

頭がクラクラしばがらも何とか外にでたら、恰幅のいいおじさんに話かけられた。
よくわからないながらも、多分こんな会話だった。

オジ「この建物は大変おもしろい。全部見たか?」
私 「全部は見てない」
オジ「少しだけ?」
私 「イエス、少し」
オジ「あの川から直接屋敷内へ船が入れるようになっているんだ」
私 「船が?」
オジ「この下を通って船が入れるようになっているのだ」
私 「本当に?この下を船が?へぇ〜、おもしろい」
オジ 「君は中国人?」
私 「いえ、日本人」
オジ 「あ〜、日本人か。私はマルタから来た、マルタは知ってるか?」
私 「知ってる」
オジ 「もう行かなきゃ、さよなら」
私 「さよなら」

あ〜、もっともっと英語を勉強しておくんだったよ。でも、なんとなく会話の真似事ができてうれしかった。

テンプルから歩いてコヴェントガ−デンへ。以外に近かった。
コヴェントガ−デンは食の見本市(?)開催中でにぎわっていた。ハンバ−ガ−やタ−キ−サンドのおいしそうなにおいがしている。
時間もちょうどお昼時でおなかもすいていたので何か食べようと見て回った。ぐるぐる2〜3周してやっとチキンのクリ−ム煮が入ったパイを買った。
周りの人と同じように食べながら出店のテントを見て回る。生牡蠣がすごくおいしそうだったけど、明日飛行機に乗るのにもしおなかを壊したら・・と思い見るだけであきらめた。
その他にもジャムやハムやワインなどおいしそうなものがたくさん。でも、荷物の重さを考えるとあきらめるしかない。残念!

コヴェントガ−デンといえば、ロイヤルバレエだ。
夜には「マノン」を見に来ることになっているけど、もしかしたらジョナサン・コ−プに会えるなんてことはないかしら、とロイヤルオペラハウスの楽屋口やロイヤルバレエ学校の入り口付近をうろうろしてみる。
もちろん、会えるわけもないのだけど・・・でも、この道をコ−プも歩いたかもしれないと考えるだけでうれしい。

散々歩き回り疲れ果てて帰宅。明日に備え荷物を詰めてみる。
たいした物は買っていないわりには、ス−ツケ−スいっぱいになっている。重さも気になるところだ。
成田を出るとき、ロンドンは厳しいので20kg以内に絶対に収めるようにと言われていたのだ。
計ってみたら20.5kg・・・・大丈夫かな。




2005/11/7 (Mon)
昨日帰宅。
ロンドンにいるときには「帰りたくないな」とか「日常生活にすんなり戻れるかしら」と思っていたけど、家に着き留守中の話を聞いたり用事をすませたりしているうちに、あっという間に日常生活が始まっていた。時差ぼけなどどいっていられない、今日は朝からお弁当作りをして、午後は娘の学校で保護者面談だった。

滞在中の日記はおいおい追加していくつもり。
帰りの飛行機でのこと。
機内食を食べ終えて、トイレが空くのを待っていた。そうしたら突然「お客様、どうされました?」「お客様、大丈夫ですか?」という声がする。(どうされました?って見ればわかるでしょ、トイレを待っているのよ)
でも、何度も「お客様、大丈夫ですか。どうされました」というじゃないか。「あれ?私どうかしたのかな」と目を開けると、3人ほどの客室乗務員の方々が心配そうに覗き込んでいる。どうやら貧血で気を失っていたらしい。どれくらいの時間かはわからないけど。
近くの乗務員席に寝かされ、酸素ボンベから酸素を吸わせてもらう。上空では気圧は低くなる関係で具合が悪くなる人がいるらしいが、考えてみると私も飛行機に乗るたびになんとなく具合が悪くなっているような・・
今回は具合が悪いという感じはなくて、ちょっと動悸が早いな、くらいだったので、自分が気を失ったなんてびっくり。
寝かされた場所がトイレの近くで、通る人や乗務員の方々の邪魔になっているようで申し訳なかったが、動けなかった。
30分ほどたっただろうか、やっと動けるようになって席に戻った。その間も何度も乗務員さんが声をかけてくれてありがたかった。
席に戻ってからも何度か声をかけてくれたのが、ひとり旅の身にはうれしかった。
ヴァ−ジン・アトランティック航空の日本人の乗務員さん、お忙しい中本当にお世話になりました。ありがとうございました。




2005/11/11 (Fri)
1週間前にはまだロンドンにいたんだよな・・・
それともあれは夢の中の出来事だったのかしら。
日常生活って濁流みたい。ものすごい力で押し流されている感じだ。

火曜日から3日続けて仕事だった。朝起きた瞬間から布団に入るまで、次から次へとこなさなければならない家事と仕事であっぷあっぷの状態。毎日の睡眠時間は5時間未満。
さすがに今日は疲れ果てていたのか、子供たちを送り出したあと布団の中へ。目が覚めたら午後1時・・・ぐっすり眠ったおかげで元気回復だ。

ロンドン、楽しかったな〜
朝から寝るまですべての時間を自分だけの為に好きなように使えたおかげで、1日がとても長く密度の濃いものに感じられた。
普段は1日があっという間に過ぎていってしまうのに。
行くまでは「子供と離れるなんて寂しいのでは」と心配していたけど、私も子供たちも全然大丈夫だったし。逆に、息子の受験でピリピリしかけていた気持ちが落ち着いて、なんとかなるさと思えるようになったのはよかったな。
あのままの自分だったら、きっと「空の巣症候群」への道まっしぐらだったもの。
主婦でもない、母親でもない、自由な時間を与えてくれた母や子供たちはオットには本当に感謝している。

子供たちのうれしいニュ−ス
娘のチ−ムが陸上の大会の4x100mリレ−で優勝した。この秋、中長から短距離へ種目を変えたばかりだったので、他の3人の足をひっぱることなく走れてよかった。
一方の息子は「一茶まつり全国小中学生俳句大会」で入賞した。学校からはただ一人の入賞だ。どんなものであれ、賞と名がつくものをいただけるのはうれしいものだ。





2005/11/14 (Mon)
思いがけない電話とメ−ルで舞い上がり中。
中学を卒業して以来、あまり多くの人と連絡を取っていなかった。結婚してからはたぶん誰も私の所在を知らなかったはず。私からも誰にも連絡してなかったし。
でも、20年以上たって中学時代の友達に会いたくて、でも自分からは連絡できなくて、某同窓会サイトにアドレスだけ登録していた。
それを見た同級生がちょうど今月同窓会があるとメ−ルをくれたのだ。うれしくて連絡先を返信したら幹事役の人から電話があって、20ン年ぶりに声を聞いたらどうしても出席したくなってしまった。その日はバレエ「ギエムの最後のボレロ」を見に行く予定なんだけど。
今でもどうしようか迷っている。その同窓会には初恋の人も来るらしい。会ってみたい。でも、この年齢だと大体太ってしまったか、頭髪が後退しているか・・・・イメ−ジが壊れることは覚悟しないと。
私だって自分では変わっていないつもりでも、かなり老けているはずだし。でも、やっぱり同窓会を選んでしまうんだろうな。きっと。だって20年以上ぶりだもの。
それにしても、私が仲が良かった人はみな所在不明って・・・類は友を呼ぶってことだな。





2005/11/17 (Thu)
校内音楽会を聴きに行く。公開はされていなくて、6年生の親だけが見ることができる。
事前に息子からは「ボクの華麗なる口パクを見てね」と言われていた。声変わりし始めているのか、歌う声が出しにくいというのだ。娘の時はビデオ持参で当時6年生の娘と3年生の息子を撮ったものだけど、今回は本人は声を出さないって宣言しているので、ビデオはなし。
やはり学年によって表現はさまざま。1年生は元気いっぱいで可愛い。最高学年の6年生は声もよく出ていてさすがという感じ。音楽的素養がない息子は音楽の先生の指導になかなかついて行けなかったようだけど、こうして合唱を聞いた限りでは先生の指導の賜物といえると思う。

こうして小学校での行事がひとつずつ終わっていく。残っている大きな行事は卒業式だけかな?






2005/11/18 (Fri)
朝、慌てて絵本をかばんにつっこんで学校へ行く。今日は3年生での読み聞かせ。初めて行くクラスなので笑える本がいいなと選んだ3冊。
とてもお行儀のいいクラスで、チャイムが鳴ったら日直さんが先導して「おはようございます。よろしくお願いします」とみんなで声を揃えて言ってくれた。私も「こちらこそ、よろしくお願いします」
最初は「かいけつウンコの助」。3年生くらいだと絶対受けるんだよね、この本。いいおばさんが朝っぱらから大きな声で「ウ○コ〜」って叫ぶのはちょっとどうかと思うけど、他の人が読まないような本を読もうと決めているので、羞恥心はとりあえずカバンにしまっておこう。
願ったとおりの反応をしてくれて、気分がよくなったところで2冊目は「くさいくさいチ−ズぼうやとたくさんのおとぼけ話」から「くさいくさいチ−ズぼうや」を読んだ。内心ちょっと(しまった)と思う。くさい話が続いちゃったよ。でも、目新しかったのかみんな喜んでくれたようだ。よかった。
最後に「つきよのキャベツくん」。水曜日に見たお月さまがまん丸で煌々と輝いていて美しかったので決めた本。それにキャベツくんシリ−スは子供たちに人気だからね。
どの子もいい感じで聞いてくれて、久しぶりに心から楽しめた読み聞かせだった。

読み聞かせの後は、美容院でカラ−リングとカット。
26日の同窓会に出席することに決めたので、その準備も兼ねて・・・かな。白髪がちょっと目立ってくると、息子からダメだしがくるのだ。ここ数日も「そろそろ染めなよ〜」と何度も言われていたのだ。
それに20ン年ぶりに会う人たちにあまり老けたところも見られたくないしね。
バレエのチケットは行きたいという人に譲った。私も見たかったという気持ちはあるけど、どちらか選べと言われたらやっぱり同窓会だもん。チケットが無駄にならなかっただけでも、よかったと思おう。





2005/11/23 (Wed)
土曜日の午後あたりから歯が痛みだした。
始めはうずく程度だったのが、日曜日には噛み合わせただけで脳天にまでズキュ−ンと痛みが走る。でも、休日なので歯科はお休みだ。
あまりの痛みで食べることもできない。口にできるのはス−プのような流動食だけ。ナサケナイ・・・
月曜、すぐに歯医者に駆けつけたかったけど、週で一番忙しい月曜日に休む(または遅刻していく)わけにもいかないので、痛みを堪えながら接客に励む。予想を越えた忙しさだった。
お昼もカップス−プをなんとかお腹に入れるが、痛みのためか食欲もない。
とにかくなんとか仕事を終え歯医者に駆けつける。予約はしていなかったが、幸いにもすぐに見てもらえた。
去年、知覚過敏と診断されたところだったが、実は奥の方が虫歯だったらしい。その時も痛くて詰め物まではずして徹底的に調べてもらったはずだった。その結果どうにもなっていないので、たぶん知覚過敏だろうと薬を塗って終わったのだ。その後も少々うずくことがあったけど、知覚過敏の痛みなのかと思っていた。
それなのに今ごろその時のレントゲンを見て「う〜ん、もしかしてこの時から・・・」って何?
これが身体の中の病気だったら手遅れってこともありますよ?誤診?痛いのに〜
結局、神経を抜いて病巣を削った。今度は土曜日に診察だ。
今でもまだ痛くて流動食だよ。病人でもないのに〜。お腹すいたよ〜
今回、医者を変えるってことも大切なのかもしれないと思った。診断に納得できないとき、医者が信じられないときには変な義理立てしないで、別の人に見てもらうことも選択のひとつだな。


*-*-*-*-*-*
今更ですが、ロンドン滞在日記11月3日、4日の分追加しました。





2005/11/27 (Sun)
昨日の同窓会は楽しかった〜。

夕方、いつもよりもちょっとだけ気合を入れて化粧をして出かけた。
待ち合わせ場所が某駅の改札前だったんだけど、改札前が広い!この中で知った顔を見つけられるのか不安になる。周りを見回しながらうろるろしていると4〜5人の女性の集団の中になんとなく知っている顔を発見。恐る恐る近づいてみると、あちらも「○○〜」と懐かしい呼び方で声をかけてくれる。よかった、知ってる顔に逢えて。ちょっとの間顔とあだ名は浮かんでくるけど、本名が思い出せないまま再会を懐かしんだ。
みんな興奮ぎみに近況報告などしているうちに三々五々集まりだした。
女の子(もう女の子って歳じゃないけど)はみんなあまり変わっていない。化粧したりしてむしろあの頃よりもみんな綺麗になっている。
一方の男の子は・・・体脂肪をかなり増やし、頭髪を少々減らし・・・で名前と顔が一致しない人が多い。女の子はわりとすぐに誰だかわかったのに対して男の子は名前を聞いても「うっそ〜〜〜。別人!」っていう感じで、人が増えるたびにこそこそと「あの人誰?」と聞きあっていた。

会場に移動して思い思いに話しに花が咲く。クラス35人くらいの中、20人が参加した。出席率がかなりいいのかな。
中には子供がもう成人した人もいれば、独身の人もいる。地元にそのまま住んでいる人が多くて、子供同士が同級生とか小学校の運動会でよく会うなんて話もしている。
外見に関しては変わっているところが多いにしても、話し始めればみんな変わってない。20数年をタイムスリップしてよくしゃべった。
それにしても人の記憶っておもしろいものだ。本人が全然憶えていないような些細なことを、思いがけない人が憶えていたり、誰が誰を好きだった、なんてことを本人以外のみんなが知っていたり・・・
自分も忘れてしまった昔の私を憶えていてくれた人がいるのがすごくうれしかった。
一番残念だったのは、担任の先生がもう10数年も前に亡くなっていたこと。それも悲しい亡くなり方だったようだ。今度は先生のお墓参りにみんなで行こうと決める。
もうひとり、1年生の時の担任の先生に逢えたのはうれしかった。私にとって恩師といえばこの人しかいない、というくらいお世話になった先生。あの先生と出会わなかったら今の自分がないかもしれないと思うくらい、いろいろあったっけ。まだ現役で先生をしているらしい。お話できて本当によかった。

同窓会に参加を決めた日からずっと、ワイドショ−的なありとあらゆる妄想をして楽しんできた。初恋の人に会えるから。
でも、彼を目にした瞬間、あの頃の思いは胸の奥にしまって封印することにした。
中学生の頃、いつでも薔薇や星をバックにキラキラを輝いて見えていた彼(笑)もし、ちゃんと告白してたら今とは全然違う人生があったかもしれない・・・なんて妄想も抱いてたことは否定できない(バカ)
でも、20数年の年月は長かったね。
いつだって青い鳥は自分の一番近くにいるってことだ。





2005/11/29 (Tue)
久しぶりに何も予定のない休み。のんびりしよ〜と思っていたけど、歯医者の予約があったっけ。
神経を抜いた痛みも治まって楽になった。後はもう一度ちゃんと詰め物をするだけという段階だ。痛くないって、なんてすばらしいんだろう。怪我の痛みには人並み以上に強い私でも、歯の痛みだけはどうしようもなかったもの。痛みがなくなったおかげで必要以上に食欲があるのが問題。

夕方娘のクラスの連絡網が回ってきた。
1年生の時に同じクラスだった男の子が今朝亡くなったらしい。入学当初から病気がちだったようだけど・・・まだ15歳なのに。
娘が小学校6年生の時にももうすぐ卒業という時期にクラスメイトが病気で亡くなっている。子供が亡くなったという話は何より悲しい。
今日も、その子と面識はなかったけど悲しいのと、親御さんの心中を思い泣けてしまった。
たとえ自分の思い通りの子ではなくても、健康で生きていてくれればそれだけでいいと、子供が生まれた時と同じ気持ちになった。