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October

 ■ 10月31日(金)

 ポルノ中毒のようだ。なんて書くとちょっと怪しいかな?
最近ポルノグラフィティにはまっている。そういえば、ここ数ヶ月ゆっくり音楽を聴く余裕もなかった気がするな。
もともとはクラッシックが好きなんだけど、落ち込んでいたときに娘が「ハハは絶対好きだと思うよ」とポルノグラフィティの『ヴォイス』を貸してくれた。それが見事にはまった。
『サウタ−ジ』『ヴォイス』『アゲハ蝶』『サボテン』『メリッサ』を何度もぐるぐる聴いている。寝るときにもヘッドフォンで聞きながら眠りにつく。家事をするときはエプロンのポケットに携帯MDプレ−ヤ−を入れてイヤフォンで聴きながら。
1日中頭の中ではこれらの曲が鳴り響いている状態だ。まだしばらくはこの状態が続きそう。

 ■ 10月30日(木)

 秋晴れのお手本のような青空。しかも仕事は休みで、やらばければいけないってことが何もない1日。自由だ!

 『レオン・完全版』を観た。「マルドゥック・スクランブル」を読んだときからずっと観たいと思っていた映画だ。こんなにせつない映画だったんだ。すっごくよかった。先日行った美容室の美容師さん(♂)にも熱く薦められた。なるほど、熱く語りたい人がいるのも肯ける映画だ。返却前にもう一度観たいな。

 ■ 10月29日(水)

 江國香織はものすごく好きとうわけではないが、なんとなく気になって読んでしまう作家のひとりだ。どちらかというと小説よりエッセイの方が好きで、最近出たエッセイ「とるにたりないものの」などは、一章づつ大事に大事に読んでいる。装丁と文字の色、余白の使い方がとても好みなので、一気に読んでしまうのがもったいなくて。
今日は図書館でたまたま「東京タワ−」という小説を見つけたので借りてみた。人気があるのか、私が行く図書館分館にはあまり江國香織の本は並んでいないのだ。
この「東京タワ−」はかなり好み。その中で特に目をひいた部分を忘れないためにメモ・・・
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「傷つくってことに関していえば」
「生まれた瞬間には誰も傷ついていないんだぜ。俺それについて考えたんだけど、たとえどっか不自由に生まれついたり、病弱だったりひどい親だったりしてもさ、生まれた瞬間にはそいつは全然傷ついてないわけじゃん。人間って全員完璧な無傷で生まれてくるんだぜ、すごくない?それ。で、あとは傷つく一方っていうか、死ぬまでさ、傷は増えるだけだろ、誰でも」

  (江國香織 「東京タワ−」 マガジンハウス より)
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そっか、生まれた時には誰もが無傷ってことで平等ってことなのか・・・結構、目からうろこでした。

 ■ 10月27日(月)

 21日の日記は削除しました。もう大丈夫です。

 この1週間、いろいろ考えた。どうしたらうまくやっていけるんだろう。この気持ちをどこにぶつければいいんだろう。自分の行動に間違いはなかったのか。などなど。
友人からもらった「自分が変われば周りも変わる」ということば。「ひとりじゃない」ということば。傷つくのも人のことばだけど、慰められるのも人のことば。本を読むのも、音楽を聴くのも、共感できることばを探してのことかもしれない
もしかしたら生まれて初めてかもしれないな。こんなに心に染みることばをかけてもらったのは。私もそんな風に人を慰められることばを使える人間になれればいいと思う。
そしてずっと、ポルノグラフィティの「ヴォイス」を聴いていた。そういえば、ずっと音楽も聴いてなかった。

 まず自分の枠を取り払いたい、と思った。私には自分で自分を縛っている枠がたくさんある気がする。でもよく考えれば、それをしなくても、他でなんとかすることができることばかりなのだ。たとえば、私が寝坊してお弁当が作れなかったとしても、コンビニや学食で買えばいいんだしね。ほとんどがそういうこと。
で、枠を取り払う第一歩として他に思いつかなかったし手っ取り早かったので、生まれて初めて値札を見ないで服を買ってみた(←バカ)
一度やってみたかったんだけど、もう二度としないかな。カ−ドで支払ったとはいえ、請求書がくるのが恐ろしい金額だったから。私のパ−トの1ヶ月分の収入では足りないくらいの金額(!)。でも、金額はともかく、やってみたらたいしたことはなかった。そんなことをしたって自分が変わるわけでもないだろうけど、意識がほんのちょっとだけ変わったかな。

 ■ 10月22日(水)

 昨日の日記を読んで、メ−ルやBBSで励ましてくださった方々、本当にありがとうございます。それぞれの方へのお返事はまたさせていただきますが、ひとまずここでお礼を申し上げます。
 気持ちが膨らみすぎた風船のようになっていて、空気を抜かなければ破裂してしまいそうになっていました。でも、ここに書いたことで空気を抜くことができました。「甘えさせてくれる人が欲しい」と言いながら、結局、ネットの向こうで読んでくれているかもしれない人に甘えていた自分です。それぞれの方の言葉が心に響きました。広い宇宙空間で人類と同じ生命体に出会ったように、独りじゃない、自分だけじゃないと暖かい気持ちになれました。
人はきっと誰でも自分を理解してくれる人を求めているんですよね。私だけじゃない。
以前読んだ森瑶子の本「嫉妬」「あなたを不幸にしているのは、あなた自身なのよ」という台詞があります。昔からことあるごとにそれを思い出し、自分を戒めてきました。幸せも不幸せも自分の気持ち次第なんだって。でも、今回は人様の力をお借りしてやっと・・・・です。
もう、元気です!なんて言ってしまえばうそになりますが、いい方向に向かえそうな気がします。本当にありがとうございました。

 ■ 10月18日(土)

 去年のこの時期は発熱で1週間近く寝込んでいたっけ。小学校のバザ−の手伝いも休ませてもらったのだった。今年は元気なので、販売のお手伝いで参加した。
銀行の窓口では毎日のように「へぇ-、こんな人もいるんだ」という経験をしているが、バザ−でもそういうはた迷惑な人がいた。人間って本当に十人十色。他人と接するのは人生勉強であり、反面教師であり、小説より奇なりだと思う場面が多い。

 ■ 10月13日(月)

 3連休なので、ゆっくり寝坊ができると期待したのに、娘が部活に行くおかげで寝坊の夢ならず・・・・はぁ。まぁ、普段よりは1時間ほど長く寝ていられたのでいいか。
 娘が不在なので、遠出もする気になれず、息子は友達と遊んだりと各自好きなようにすごす休日。家でのんびりしたいような、出かけたいようなモヤモヤする感じ。家にいるにしても出かけるにしても本当はひとりでいたい。イライラとモヤモヤの二重奏だ。

 午前中から降り出した雨がひどくなってきた。朝は晴れていたので、傘を持たずに登校した娘に傘を持って駅まで行く。駅までは20分の道のり。雨だけでなく風も強いので全身びしょ濡れだ。それなのに、娘と合流したとたん雨はやみ、青空までが・・・!
私、一体何をやってるんだろう。ほんと、まぬけ。



 12日はDVDを観た。まず、息子と一緒に『ロ−ド・オブ・ザ・リング 二つの塔』。吹き替えを字幕付で見た。セリフと字幕の訳の違いが興味深かった。映画も息子とふたりで行ったが、DVDだといろいろ会話しながら観れるのが楽しい。「原作ではこうなんだよ」などど解説(?)しながら楽しいひと時だった。
 次は夫と『X-MAN U』を。こちらは夕食の支度をしながらなので、ところどころ観れない部分もあったが、娯楽作品としては楽しめた。ミュ−タントっていうと、竹宮恵子の『地球へ』やヴァン・ヴォクトの『スラン』などを思い出す。どちらも夢中になった作品だ。実際近くにいたら怖いだろうけど、テレパシ−とかテレポ−テ−ションとか憧れる。

 夜はひとりで『リリィ・シュシュのすべて』を観た。美しい映像。でも内容は痛い、痛い、痛い。観ている間中心臓がキュと縮んで身体がずっと緊張していた。ジュ−スを飲んだり、お菓子を食べたりしながら観てはいけない。神聖なものさえ感じた。
陰湿なイジメ、援助交際、自殺、万引きなど、グロくなりそうな題材なんだけど、それが静かでたんたんと美しい田園風景の中で描かれると、現実感が感じられない。でも、だからこそ余計に後々まで印象に残っているような気がする。
主人公と同じ年頃の子供を持つ親としては、こんなこと在りえない、在ってはいけないと強く思う。でも、私もあの親や先生のように、何も見ていないのかもしれない。誰にでも薦められるものではないけど、私にはとても強く心に残る映画だった。

 ■ 10月10日(金)

 昨日から「白い巨塔」が始まった。唐沢寿明が財前五郎役。観ながら涙がでてきた。なんで田宮二郎じゃないんだろうって。田宮二郎の財前五郎、大好きだったから。どうも、唐沢寿明には違和感を感じてしまう。江口洋介の里見先生もかなりイメ−ジとは違う。何度か観れば見慣れるのだろうか。
原作も夢中で読んだよな。もう25年も前のことなんだ〜。
旧作のDVDが出ているようだけど、レンタルで借りられるのかな。是非もう一度田宮の財前が見たいな。ネットで検索してみると私と同じように田宮二郎の「白い巨塔」ファンだった人が多くいるようでうれしい。

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 昨日は新人戦だった娘。800m走で決勝まで行けたようだ。自己記録も更新できた喜んでいた。短距離は学年ごとに走るが、中長距離は学年ごとではなく1〜3年一緒に走る。その中で決勝に行けたことはうれしかったようだ。
毎日練習で7〜8km走っているせいか、夜になると「足のマッサ−ジして」と甘えてくる。「普通は母さんお肩をたたきましょうって子供が言うんじゃないの?」と怒ったふりをしながらも、内心は喜んでマッサ−ジしている。
 私は幼稚園の時に叔母の家に預けられ、1年間親とは合わずにいた間に、手を繋いだり、抱きしめられたり、髪をとかしてもらうというような肉体的接触が父とも母ともできなくなっていた。たぶん母は気がついていなかったと思うが、身体に触ったり触られたりすると鳥肌がたったものだ。服の上から肩を揉むくらいのことはできたけど。
だから、娘や息子がマッサ−ジをねだったり、抱っこしてと甘えてきたりするのはとてもうれしい。こちらからも、多少嫌がられながらも、わざとくっついたり、触ったりしている。子供たちも口ではキモイといいながらも、まだ拒絶しないでくれている。たぶん、間が開いてしまうとだめになってしまうと思うので、今のうちにせっせと子供に触っていたい。なんだか変態チックかな?

 ■ 10月8日(水)

 生きてるのが嫌になっちゃった、または、家出したい病を発病中。尤も周期的に起こる病なので、子供たちも「また母が何か言ってるよ」くらいにしか相手にしてくれない。
2学期になってまた毎朝5時半に起きる生活が週6日続き、その上、子供のことであれこれと行事があって、休日平日ともに自由に使える時間がほとんどないことや、この先にも心待ちにするような予定がなにもないことが原因だとわかっている。たぶん、気持ちが疲れちゃったんだな。きっと。仕事にはちゃんと行くし、家のこともなんとかやってる。でも何をしても楽しくない、虚しい気がする。なにもかもどうでもいい感じ。駄目だな、こんなことじゃ。
何か楽しい事をしなきゃ!って何をしよう・・・

 ■ 10月4日(土)

  10月。あちらこちらで金木犀のいい香りが漂っている。毎年のことだけど、金木犀が香る頃、やっと今年も夏が終わってしまったことを実感するような気がする。今年の夏ももう過ぎ去ってしまった。

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  娘の中学の授業参観。理科Uで鉱石の話を聞き、地理ではインドの気候など。車に便乗させてもらった人の都合もあり、結局2時間も見てしまった。今日は授業参観なので50分授業だったが、普段の土曜日は70分授業だ。70分もじっと座って授業を聞くのはつらそうだよな〜。中学生も大変だ。小学校の授業参観は子供より母親のお喋りがうるさいことがよくあるが、中学では親もちゃんと静かにしていた。当たり前といえばそうなのだが、小学校に行くといつも親がうるさいのが気になっていたので、余計に印象に残ったのかもしれない。
 それにしても先生たちの若いこと!息子の小学校では私と同年代くらいが一番若い感じなのに、娘の学校では25〜35歳くらいの先生ばかり。担任だって27歳だし・・・。

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 娘が吉本ばなな(現・よしもとばなな)の本を読んでみたいというので、何冊かひっぱり出した。その中の1冊「うたかた/サンクチュアリ」を久しぶりに読んでみた。
吉本ばななの最近の作品も好きだけど、やはり初期の作品のほうが何度も読み返しているせいか思い入れが強い気がする。その中でもこの「うたかた」も「サンクチュアリ」もとても好きな作品で、どれだけ元気をもらったことか。改めて読んでもやはり元気が出る。

 自分が幸せとは言えない子供時代を過ごしたせいか。自分の子供たちを守ろうという思いが強いのかもしれない。
たとえば、人が多く集まる池袋や新宿などに出かけたときには、常に自分の視界に子供がいないと不安になる。見てないときに誰かに拉致されてしまうかもしれない、通り魔に刺されてしまうかもしれないとか思ってしまうから。
子供たちには最低でも「安心」と「安定」だけは確保してあげたい。裕福じゃなくてもいい、両親はいつまでもそのまま両親で、この当たり前の生活がいつまでも平凡に続いていくだろうという退屈で平凡な日々。それは幸せといえなくても、不幸ではないと思うから。
「自分は誰かの家に養女に行くのかもしれない」「明日には、施設に送られるかもしれない」「いつ一人ぼっちになってしまうんだろう」そんなこと不安に思いながら送る日々は決して幸せではない。
大人は多少不幸でも自分の意志や実力である程度ななんとかできるけど、子供(中学生以下)は働くこともできないし、住むところや学校や生活環境など自分の意志では選ぶことができない。親次第だ。子供は自分も当事者でありながら、選ぶことはできない。弱い存在なのだ。だからこそ、守られるべきなのだと思うのだ。子供時代には波乱万丈は必要ない。大人になってからで十分だ。私だってもし、もう一度子ども時代をやり直せるのなら、普通に平凡に暮らしてみたい。