マスコミという市場の課題

 

1.はじめに

 前外相の長女の私生活を報じる記事を掲載した某週刊誌が東京地裁から出版差し止めの仮処分命令を受けたことは記憶に新しい。ただし、週刊誌側が抗告した東京高裁では、表現の自由を尊重する立場から仮処分命令を取り消す決定が下された。
 この事件を題材に、マスコミ(ここではマスメディアを使って情報を提供する主体を指す)という市場(供給と需要)について、少し考察を行い、今後の課題を整理してみた。

2.マスコミによるマスコミについての報道

 私が某週刊誌の事件を知ったのは、とあるポータルサイトに掲載されているニュースからであるが、その日の夜にこの事件に関する報道番組をテレビでいくつか見た。報道番組では、キャスターが解説や私見を差し挟むことが珍しくないが、今回の事件に関しては、某週刊誌を弁護するような解説や私見が多かったように見受けられる。このことは普通に考えると至って当然である。なぜなら、今回の事件は週刊文春だけでなくマスコミの仕事自体に大きな影響を及ぼすものであり、裁判所の決定次第ではマスコミ全体が不利益を被ることになるからである。したがって、同じマスコミで働く人が同業者を弁護することは何ら不思議ではない。
 しかしながら、ここで問題なのは「マスコミ」が情報の供給において大きな役割を担っていることである。つまり、提供する情報に自分(マスコミ)が有利な形で編集され、所謂「お手盛り」になる可能性が高い。そのため、マスコミに対して不利な情報が客観性を維持した形で流通しにくいという問題が生じる。

3.情報供給能力の調整機能

 無駄な公共事業の問題からも分かるように供給能力の調整は需要ほど柔軟に変更することは難しい。このことはマスコミについても言えるのではないだろうか。
 最近、ニュースを聴いたり、読んだりすると、「それってわざわざニュースにしなくても良いのでは?」と疑いたくなるものが散見される。マスコミ等の情報の供給者達もそれぞれの生計を立てるため、事業を継続する必要があるが、情報を完全に自分で生産できない報道的な番組(記事)では、「ネタ」と呼ばれる情報の元がコンスタントに発生するわけではない。そのため、ネタが不足している時にはこれまで報道で取り上げなかったようなことまで取り上げざるを得なくなり、一部で問題に挙がっているように「やらせ」が行われる可能性もある。
 上記の話を図式化すると図1のようになる。平常時にはネタがnあり、その場合に報道される情報は社会的な重要度がiの内容である。しかし、ネタがnまで減少した場合には社会的な重要度もiまで低下する可能性があり、iの変化に気付けない人はiがiと同じぐらい重要度が高いと錯覚を起こす可能性がある。
 さらに、社会的な重要度と市場価値は必ずしも一致しない。昨今、多発している情報漏洩事件からも明らかなように、社会的には秘匿されるべき情報の方が高い価値を持つ場合が多く、これは芸能人等の私生活を報道する雑誌が多く存在することからもうかがえる。
 このような現状を考慮すると、「知る権利」、「表現の自由」という言葉は聞こえが良いが、その中には「マスコミの生計を維持する権利」、「秘密を知りたい欲望」も含まれているのではないかと、考えてしまう。

供給能力が硬直的な場合のネタと情報の重要度の関係

図1 供給能力が硬直的な場合のネタと情報の重要度の関係

4.市場の統制機能

 2003年5月の個人情報保護法()の成立に代表されるように、情報の流通が適切に行われるためには必要に応じて公的な統制が不可欠である。しかしながら、このような統制機能に限界があるのも事実である。
 例えば、今回の某週刊誌の事件では、仮処分が取り消されたとは言え、実際には本屋に流通した週刊誌のほとんどは販売を停止することなく、売られた。情報の不可逆性(一度他人に記憶されるとこれを消すことはできない)という性質を考慮すると、情報の差し止め等は瞬時に判断して執行されなければならないが、実際にはこれが難しいのが現状である。また、統制と逆に市場が反応することも統制を難しくしている。某週刊誌の事件では、発売禁止命令が出たことでかえって雑誌の価値が上がり、ほとんどの書店では即日売り切れとなったほか、ネットオークションでも販売価格より高値で取引されていた。理想を言えば「プライバシーについて触れている雑誌は購入を控えよう」という動きもあって良いと思うのだが、「秘密を知りたい欲望」が勝っているのが社会の実状である。
 実際、マスコミに関しては統制の適用除外となっている。個人情報保護法においても、50条において「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関(報道を業として行う個人を含む。)報道の用に供する目的」で個人情報を使用する場合は、適用除外となることが示されている。

5.おわりに

 粉飾決算の問題からも分かるように公開されなければならない情報が秘匿されている場合も決して少なくない。そのため、マスコミによる「知る権利」、「表現の自由」が重要になっていることも事実である。しかし、この「知る権利」、「表現の自由」は「諸刃の剣」であり、矛先が間違った対象に向いた場合、その被害は甚大である。
ここで問題なのは被害の構造であり、情報の需要者の多くは報道によってプライバシーの侵害を受ける可能性が低いため、被害者の気持ちに配慮することができない。したがって、被害者側の被害が社会的に低く評価される可能性が高い。例えば、某週刊誌の報道した内容が前外相の長女についてではなく、自分の友達についてだったらどうだろう。たぶん、その週刊誌は買わないだろうし、周りにも買わないように働きかけるかもしれない。
 上記のようなマスコミという市場の欠陥を考慮すると、現状のまま放置することは望ましくなく、何らかの対処が必要である。しかしながら、「マスコミの果たす重要な役割を損なわないよう」、という限定がつくとそれが非常に難しいのが現状である。
 ここで重要なのはマスコミを「統制」するのではなく、現時点においてマスコミを中心に一方向にしか動いていない市場を、双方向の機能させることである。需要者側において、マスコミをもっと評価して批評する仕組みが必要であり、今回の事件のように情報を取得される側からのチェック機能もさらに強化する必要があると考える。

マスコミ市場における双方向の仕組み構築

図2 マスコミ市場における双方向の仕組み構築

 

 

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