ネットワーク社会に関する予言への反論
1.はじめに
昨今、IT、インターネットという言葉を目にしない日はなく、情報化の動きは本当に急速であると感じます。このように変化が急速で曖昧模糊としている時にこそ人々は道標となるものを欲しがるようで、将来の社会や生活に関して予言、予測を行っている文献も数多く出ているような気がします。また、情報化に関連した企業や政府においても、先進性のアピールや政策形成等の観点から将来的な情報通信ネットワーク社会(以下、ネットワーク社会)のビジョン検討が進められています。将来を予言している文献には楽観的、悲観的の違いはありますが、多くは共通した内容だと私は捉えています。最も共通する部分というのは、だいたい以下のように整理できるのではないでしょうか。
・情報経済の更なる発展 ・ブロードバンドが普及したオンデマンド社会 ・移動体通信の発達による情報のユビキタス化 ・家事、移動、娯楽等、生活のいたるところにITが浸透 ・バーチャルとリアルのシームレス化 |
実際、技術的な進展を考慮すると、これらの実現は将来的に可能なような気がしますが、これらはあくまでも技術的な発想からの未来であり、人間の嗜好の変化を十分に考慮していません。また、このような変化が社会的に望ましいかどうか、十分な議論が行われないまま、到達すべき方向として示されているような気がします。そこで、本稿では、ネットワーク社会に関して、「将来的に・・・・なる」という風に言われている予言についていくつか反論することを目的として作成しました。私的な意見ですので、どれだけ的を射ているか、疑問な部分もありますが、何かの参考になれば幸いです。
2.「ブロードバンドが普及すると情報がすべて映像になる」
ブロードバンドが普及すると、データの転送速度が上がり、映像情報の転送がスムーズに行えるようになることは分かります。しかし、このブロードバンドの普及により、本当に情報がすべて映像にシフトするのでしょうか。例えば、我々が仕事するオフィスに関しては、ブロードバンドになっているところも少なくありません。インターネットに接続している回線が1.5Mbps以上の専用線である企業も珍しくなく、中には数百Mbpsの企業もあるでしょう。また、社内なら、100MbpsのLANが引かれているのは当たり前、進んでいるところならギガビットのLANが敷設されています。このような環境では映像情報を流すことも難しくないような気がしますが、実際にはほとんど使われていないと言って良いでしょう。理由として考えられるのは二つあります。一つは、この程度のブロードバンドではまだ映像配信に十分ではないということ、もう一つは、情報はそれぞれ特性に応じて利用環境が異なるということです。
まず、ネットワークの容量の問題ですが、映像情報を配信するためにはだいたい45Mbpsが必要と言われています。現状の社内LANはこれを実現していますが、あくまでもベストフォート形式です。社員1,000人が別々の映像を同時に見るためには45Gbpsが必要であり、ギガビットのLANでも対応不可能です。これは一般住民を対象にしたサービスでも同様で、現在予定されている10〜100Mbpsの光ファイバーサービスでも幹線が大きくないベストエフォート型なので、映像情報配信には十分と言えない気がします。実際には、サーバ等、コンピュータの処理能力の問題も大きいと思いますが。
次に情報の特性についてですが、我々がインターネットを利用する場合の用途として大きいのが情報の検索とコミュニケーションです。情報の検索に関しては、従来、書籍や新聞等の紙が中心でしたが、最近ではホームページも大きな割合を占めてきています。基本的に「文書+静止画」を基本にしているのは、それが情報の収集、検索に適しているからだと私は考えています。映像情報は情報の収集、検索には向いていません。映像情報では、どの映像コンテンツに自分が捜したい細切れの情報が入っているか分かりませんし、これを検索するためには結局、各映像情報にコンテンツの概要をタグとして埋め込みメタデータ化しなければなりません。コミュニケーションに関しても問題があります。ブロードバンドになると、映像が送れるので、コミュニケーションもテレビ会議形式に変わると考えられていますが、本当にそうでしょうか。電子メールのメリットは相手が見えないこと、文書で伝えることにもあると私は考えています。相手が見えないからこそ、いきなり知らない人から電子メールが来ても不快感もありませんし、思い切ったこと、正直な意見が言える場合もあります。また、文書化することは喋ることが苦手な人にとってはメリットが大きいと思います。テレビ会議はこのようなメリットが享受できませんし、また、非同期というインターネットのメリットもなくなります。また、携帯電話で通話相手の顔を見ながら話すようにすると、歩きながら喋るということができなくなります。
上記のようなことを考慮すると、ブロードバンドが普及してもホームページや電子メールを基本とした現状のインターネットの用途が大きく映像にシフトするとは考えられません。映像コンテンツ等のダウンロードして、自分の好きな時間に見る、と言った用途は拡大すると予想しますが、ホームページ形式の情報はこれまで同様重要になるでしょう。
3.「消費者と生産者の境がなくなり、プロシューマー化する」
インターネットの大きな特徴は一個人の情報発信能力を飛躍的に高めたことで、これは東芝のクレーム事件からも明らかです。また、個人のホームページが拡大しているのも事実であり、電子商取引もBtoB、BtoCからCtoCへシフトすると言われています。このようなことから、これまで消費者と生産者が明確に分かれていた社会から、その境が不明瞭になる社会へ移行し、アルビン・トフラーの言うところの「プロシューマー」化が進むと予測されています。しかし、これは本当でしょうか。
私はそうは思いません。消費者と生産者の境がなくなるのではなく、なだらかになるのだと思います。ネットワークやITを活用することにより、人々の能力はある程度の域まで高めることが容易になります。しかし、最後の最後のクオリティを考えると、ネットワークやITで補完できないリアルな能力が重要になってきます。したがって、これまでプロフェッショナル(生産者)だった人にアマチュア(消費者)が追いつくわけではないのです。しかしながら、図1に示すように、極端に言うと従来は二分化されていた能力がネットワークやITによりなだらかになります。つまり、その能力を欲している消費者としては、そのニーズのレベルに応じて相手を選べるようになります。これまではプロフェッショナルのレベルまでは欲しくない人でも、二分化のためプロフェッショナルを選んでいたかも知れませんが、その必要はなくなります。
図1 プロとアマチュアの違いの変化
一方、もう一つ生産者と消費者のシームレス化には問題があります。それは「責任」です。消費する場合には責任はありませんが、生産者側には責任が必要になってきます。例えば情報提供ビジネスはインターネットにより参入が非常に容易ですが、提供する情報の精度、正しさに対して責任を負うことが求められます。ホームページ等による個人の情報発信は残念ながらこの「責任」を負えるレベルまで達しているものは、私のページを含め少ないと考えられます。これは仕事と別のところ情報作成で行っている分、仕方がないことだと思います。
以上のような理由から、ネットワーク化により消費者と生産者の境がなくなるという予測は、極端な表現であると言えるのではないでしょうか。
4.「知識詰め込み型教育がなくなる」
インターネット普及にともない情報はすぐにネットワーク経由で手に入るようになるので、知識詰め込み型の教育は意味をなさなくなり、情報をどう編集するか等の能力が重視されるようになる、と言われています。果たしてそうでしょうか。
情報を編集するためには結局、その情報に関する知識を理解する必要があります。そう考えますと、知識をできるだけ多く習得する教育も従来同様に重要ではないでしょうか。また、昨今、市場の成熟化から創造性が強く求められていますが、新しいものを創造しようと考えること自体、その基礎となる知識が必要ではないかと思います。例えば、インターネットに関連したビジネスモデルを考えることを想定します。既存のビジネスモデルや、インターネット等の情報通信技術、企業経営、法制度等に関する知識を十分に頭に入れておくことで効率的にビジネスモデルを考え出すことができます。もし、知識のストックがなければ、既にあるビジネスモデルと同じものを一生懸命検討し、時間を無駄にするかも知れませんし、せっかくビジネスモデルを考えても技術的、法律的に不可能な場合もあります。
これに関連してですが、将来的にITを活用した自動翻訳機ができると言われています。だからと言って外国語を学習する必要がない、とは思いませんし、実際、小学校の授業にも英語が取り入れられようとしています。機械の翻訳精度の問題、異文化理解等の観点から必要な外国語を習得することは有意義であり、個人的にもメリットが大きいでしょう。ただ、これに関しては、少々疑問な点もあります。言語がインターネット同様、あくまでもコミュニケーションの手段であると考えますと、外国語に関する知識より、コミュニケーションする話の内容の方が重要で、自動翻訳機でも問題ない、という気もします。
5.おわりに
ネットワークは便利ですが、これを活用することで人間が退化するのではいけないと思います。ネットワークはあくまでもリアルな活動を補完するものであり、人間のリアルな能力を更に高めるものであるべき、というのが私の主張です。昨今、色々なところで提示されている未来の予測は、ITを万能と捉え、利便性が向上することが良いことだと一概に捉えているような気がしてなりません。極端な話かも知れませんが、ネットワークの中にこれまで人類が蓄積してきたあらゆる知識(データ)を置き、それをいつでも引き出せるようにしたために、個々の人々の知識レベルが下がったと仮定しましょう。もし、何らかのトラブル(コンピュータ・ウィルス等)によりこのネットワーク上のデータが消去されたら、人間は失った知識をどうやって取り戻すのでしょうか。
ネガティブな話ばかりで申し訳ありませんが、もちろん私も将来的なネットワーク社会には期待をしていますし、将来の予測等を読むとワクワクします。しかし、本稿で取り上げたような予測は十分な検討がなされていないのではないかと思いますし、読む人に間違った期待感を提供する可能性があります。私の予測への反論が必ずしも正しいとは言えませんが、多様な視点から将来的のネットワーク社会を検討するということで、少しでもお役に立てれば幸いです。
Copyright(C) Tadashi Mima ALL Rights Reserved.