「まちおこし」と経済学

 

1.はじめに

 まちづくり等の新聞記事を整理してふと思いついたことを整理してみました。思いつきで書いたものなので、文献等を根拠としたきっちりしたものではないのですが、ボリュームとして少し長めになったので、徒然ノートではなくこちらに掲載することにしました。まちづくりのスペシャリストではない私が素人的な発想でとりまとめたものなので間違っている部分もあることと思います。ご注意、またご容赦下さい。

2.経験の経済学

 都心の一部のまちを除いて、すべてのまちは、より多くの人々が集積することや、観光客や買い物客が更にたくさん来てくれることを望んでいます。このようなことを目的として、それぞれの地域の住民が起こす行動は一般的に「まちおこし」と言われます。このような「まちおこし」に取り組む場合、経験の経済学を考慮する必要があります。人々は自分の人生で経験したことや、本やテレビで擬似的に経験したことにより、次の行動を決定します。それはいつの時代でも同じです。したがって、「まちおこし」として今までにない新しいイベントや事業を行っても、成功する可能性は低いと言えるでしょう。人々は自分の頭の中で、そのイベントがイメージできないと「行ってみよう」という気にはなりません。
 例えば、私の田舎である徳島は阿波踊りが有名ですが、首都圏のいくつかのまちでも「まちおこし」として阿波踊りを行っています。この他の地域で行われる阿波踊りに人が集まるのは、阿波踊りに歴史があり、既に多くの人に知られており、マスメディアや本等で擬似的に人々の経験となっているからに他なりません。このような人の経験は別の言い方をすると「ブランド」とも言うことができるでしょう。最も顕著な例はディズニーランドです。ディズニーランドの成功は、ディズニーアニメが既に世界中の人々によって見られ、世界的なブランドになっていたことに大きく起因しています。このように人々の頭の中に共通の経験を作り出すことは、ある意味擬似的なネットワークの形成とも言えるかも知れません。

3.「まちおこし」のパターン

 このような視点から、人々の共通の経験にうったえる「まちおこし」を行う場合は、いくつかのパターンが決まってきます。大きくは「趣味をテーマにしたまちおこし」、「マスメディアと連携したまちおこし」、「歴史、景観によるまちおこし」、「他の地域の模倣によるまちおこし」に分けることができるでしょう。これらのパターンは必ずしも明確に区分けされるものではなく、複合的に組み合わされて「まちおこし」が行われる場合もあります。

1)趣味をテーマとしたまちおこし

 人々が生活において共通の話題とする趣味は人々を引き付ける大きな誘因となり得ます。したがって、特定の趣味に特化して「まちおこし」を行うことが可能性として考えられます。スポーツとか美術、音楽等による「まちおこし」はこれに該当します。最近は生活が豊かになってきたことから趣味も多様化してきていますが、それでも多くの人を引き付ける趣味はたくさんあります。趣味における「まちおこし」を考える場合は、その趣味に興じている人口、趣味の深さ(表層的かどうか)、その趣味に興じている人の移動性向等を考える必要があります。例えば、キャンプ等のアウトドア活動をテーマとして「まちおこし」を行う場合、ターゲットとなる人々の移動性は高いので、そこが魅力的なものを築けば来てもらえる可能性があります。しかし、もしこのアウトドアが流行で表層的なものであれば、流行が変わった時にその「まちおこし」による効果は著しく減退することになります。

2)マスメディアと連携したまちおこし

 マスメディアの大きな力は、やはり全国の人々に共通した(擬似的)経験を形成することにあります。そういう面で、既にマスメディアで人々に(擬似的)経験が形成されているものをテーマにした「まちおこし」は有効であると考えられますて。大阪にもできるユニバーサルスタジオはたくさんの人が知っている映画をテーマとしたもので、この顕著な例です。この他、有名なテレビ番組と連携することも考えられ、特にアニメ等はエンターテイメントの観点から有効ではないかと思われます。ただし、テレビ番組は流行り廃りも早いので注意する必要があります。例えば有名なドラマのロケ現場はドラマが放送されている間、もしくはその直後は人がたくさん集まりますが、その後は元通り人が来なくなることがほとんどでしょう。

3)歴史、景観によるまちおこし

人類が生まれてから蓄積されてきた歴史は膨大であり、このような歴史の産物には、それ自体にブランドとして価値がある場合があります。白川郷や倉敷の歴史的なまち並み等がそれに当たりますし、お城等の歴史的な建造物もこれに該当するでしょう。ただし、この歴史による「まちおこし」は何も歴史的なものが存在しないまちでいきなり取り組むのは非常に困難です。アンコールワットのような世界的な遺跡が発見されれば別でしょうが。この他、自然の景観をもとにした「まちおこし」も従来からある資源に依存するもので、急に形成できるものではありません。そういう面で、この歴史、景観による「まちおこし」は既存の資源に大きく依存しています。

4)他の地域の模倣によるまちおこし

 前述したように他の地域で行われており、有名なお祭りを模倣すること等はこれに該当します。このような取り組みはオリジナルの地域との人的交流等、副次的な効果も期待できるでしょう。ここで重要なのはオリジナルが遠く離れているということです。長崎のオランダ村や、志摩スペイン村等はこの顕著な例であると考えられます。首都圏で行われている阿波踊りに関してもオリジナルが徳島という遠いところで行われているからある程度成功しているのであって、もし近い地域でオリジナルが行われていれば、人々はわざわざ行こうとは思わないと思われます。したがって、他の地域の模倣による「まちおこし」に取り組む場合は、そのブランド(有名度)と、オリジナルとの距離を考慮する必要があります。

4.まちおこしのロックイン

 あるブランドや技術を利用すると、他の技術への転換が困難になる場合があります。これを経済学ではロックインと言います。最も身近な例としてはパソコンのOSがあり、Windowsのパソコンを利用していると、その操作に慣れ親しみ、またWindowsに対応したアプリケーションソフトが蓄積されることから、他のOSに転換することが難しくなります。これと同じロックインは「まちおこし」に関しても起こると考えられます。あるまちが「靴のまち」として「まちおこし」をしたと仮定しましょう。その「まちおこし」の成功は人々の認知の度合に正比例します。しかし、認知が成功して一度「靴のまち」としてのイメージが定着するとなかなかそのイメージは転換されません。このようなロックインを考えると「まちおこし」のテーマはある程度普遍的なものが望ましいのではないかと考えられます。間違って流行のものをテーマにした「まちおこし」に取り組むと、流行が去った後の建て直しに多くの能力や資金が必要になるので(これはコンピュータ等のロックインでも同様)、これに留意することが不可欠です。このような特性を考えると「まちおこし」も安易な思いつきで取り組むのではなく、明確な戦略や打算のもと取り組むことが重要であると思われます。もちろん、取り組む住民の「やる気」が大前提ではありますが。

5.おわりに

 これまで経験の経済学を考慮した「まちおこし」について検討してきましたが、これまで経験のない、まったく新しい「まちおこし」が有効ではない、と言っているわけではありません。ただ、新しい「まちおこし」においては同時に人々に経験を形成する作業も必要になってきますので、より多くの労力が必要になるでしょうし、その新しさがどの程度インパクトを持っているのかにもよると思います。技術等において、旧来のものを新しいものが駆逐するためには、旧来のものと比較して10倍の革新が必要だと言われています。定量的な評価が困難な「まちおこし」で10倍という値を計測することは困難ですが、それだけ斬新で新しいものでないと受け入れられない可能性が高いということです。個人的には、経験にない新しい「まちおこし」の出現を期待しますが、市場原理を考慮するとそのようなアイデアは都心で最初に使われるのかも知れません。

 

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