寝台特急「紀伊」
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 寝台特急「紀伊」の登場は昭和50年3月のことで東京−紀伊勝浦間で運行を開始した。

 運行当初は同時に登場した「いなば」(東京−米子)と併結運転で、牽引機はEF58でヘッドマークも無く、東京口にしては地味な存在であった。

 やがてコンビを組んでいた「いなば」が「出雲3号」に名称を変更され、出雲市まで延長されることになったが、「紀伊」には変更無く、相変わらずのB寝台6両編成のままだった。

 しかしこの「紀伊」季節による集客波動の割合が激しく、「満員」の時もあれば、「がらあき」の時もあり、安定はしなかった。

 そして、東京口発の寝台特急ながら機関車にヘッドマークが付けられることなく、昭和59年2月1日に廃止されてしまった。

 画像は東京駅到着後機関車を開放したあとの「紀伊」で唯一の絵入りバックサインを撮影したもの。

 このマークのデザインは那智の滝を表しているそうです。

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