南千住汐入
(東京都荒川区)

運営事業者 東京都交通局、南千住営業所
系統番号
運行区間
上46
上野松坂屋−南千住汐入、南千住−南千住汐入
運行本数 平日上野松坂屋行81本、南千住行13本
土曜上野松坂屋行83本、南千住行12本
日祝上野松坂屋行78本、南千住行13本
備 考 南千住=南千住営業所(常磐線南千住駅南側)

 上野松坂屋デパートから上野駅・浅草寿町・吉原大門を回り、南千住駅に入らずJR貨物隅田川貨物駅の横を通り荒川区南千住8丁目に終点バス停があるのが都営バス南千住営業所所轄・上46系統南千住汐入行だ。
 路線は上記の上野松坂屋−南千住汐入の他に車庫への出入ために南千住−南千住汐入の路線も同一系統(甲・乙の扱いなし)で設定されている。
 車庫出入扱いである路線の起点、「南千住」は南千住営業所の事を指しているが、近くにあるJR常磐線南千住駅とは多少離れているため、あえて「南千住」と表記している。
 しかし都営バスの場合、深川営業所は「深川車庫」、臨海営業所は「臨海車庫」、品川営業所は「品川車庫」と言うように「南千住車庫」と路線図に表記されてないのは南千住営業所と早稲田営業所(バス停名・早稲田)巣鴨営業所(バス停名・巣鴨駅)目黒支所(目黒駅)と全19営業所・支所のなかで4ヶ所と数が少ない

 話は脱線したが本題に戻る。
 南千住汐入の終点は何回か移動しているという珍しい終点で元は現在の都立航空高専か白髭西ポンプ所のあたりに終点があり当時の停留所名は“南千住”の文字が抜けた「汐入」という停留所名だった。
 その後汐入再開発事業の伴い「汐入都営住宅」に短縮、更にその後「南千住汐入」と名称を変更し現在の荒川区立第五瑞光小学校付近、現在は旧バス停消防署前より西の南千住8丁目7番地べるぽーと汐入付近のはなみずき通り沿いに移転した。
 南千住汐入の正式名称は「汐入発車所」と言う。

 “308号室今井”のページでも述べた事だが“南千住汐入”というバス停は不思議な事に、汐入と言う名前があるのにもかかわらず、荒川区の地名には「汐入」と言う名称は全然無い。
 昔は正式に“汐入”という地名があったのだが南千住8丁目に統合されてしまったのである。(個人的には非常に疑問が残る)
 汐入の由来は戦国時代に上杉謙信の家臣高田氏が川中島合戦で落ち延びたことから汐入の開発が始まったと言われている。
 江戸時代では汐入大根(二年子大根)の産地。明治の中頃までは胡粉(こふん)の製造があり、近代は中小工場の町として盛んになったが隅田川に囲まれた特殊な地形に加え、複雑な土地区画で狭い路地が集中していたことから防災上の観点から“白髭西地区第二種市街地再開発事業”として現在も再開発中である。
 しかし、それに伴い“昭和20年〜40年代の街並の下町の雰囲気”を持った汐入地区が消えるの事実で実に寂しい物となった。
 せめて汐入の街並があった資料を残してもらうと同時に町の名前を“汐入”に戻す事を願う私である。
 今回取材した南千住汐入は今まで取材した“バス停終点の風景”のテーマに見事に合致している場所であり、やりがいもあった。
 そのため取材日も5月13日・18日と2日間におよび画像の数も過去最高になったので一部テーマを写真集形式にしてみました。
 少々重たいページですが...(^^;)見てみてください。

現在の汐入周辺2001年5月13・18日取材

消え ゆく街並〜汐入〜2001年5月18日取材

胡録神社2001年5月13日取材

汐入ますや2001年5月13日取材


2001年4月8日からルート変更が行われ、旧ルートを逆走するルートになった。
今後も再開発が進むに従いルートもしくは終点も変わる可能性が予想できる。
今日も隅田川の川風や“下町汐入”の空気に包まれながら上野に向けバスは走り出す。

しかし、前回取材から約11ヶ月後の2002年4月1日
南千住汐入終点は私の予想を超えた状態になっていた。
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