2005 戦跡をたずねて
沖縄到着の日に、行ってみました。壕は広く歩いたりするには十分な広さですが、
ここに数千人となると話は別ですね。入ってしばらくは、背筋が凍りつくようでした。
読谷の海岸 ここからアメリカ軍は上陸しました。なんとこの海岸に1,500隻もの艦船が押し寄せました。
ここのすぐそばに、幾つか住民の非難していた壕後があります。チビチリガマに行ってみました。
ここは、中には入らないようにと遺族の方の看板がありました。
入り口で合掌して帰りました。
摩文仁の丘です。沖縄戦最後の地。ここから自決された方も多数。
平和の礎 (いしじ沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦でなくなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」を、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建設する。(設立の趣旨)
野戦病院壕跡。ひめゆり学徒が多数亡くなられた場所。
祈念館には壕のあとが復元されていますが、100にんも入ると身動きもできないくらいの狭さです。
注 沖縄戦跡めぐり のホームページからリンクをお借りしました