2001/12/25

ヘリコプタとオフショア [石油とヘリコプタ(2)]


宮田 豊昭


 何年か前、雑誌社でヘリコプタ・パイロットとして過ごしてきて誇れるものは何かと訊ねられた。熱心に飛んでこなかったから咄嗟には返事ができない。後から考えてみて、それでも2つは理屈がつけられると思った。 一つは教育訓練、一つが安全である。もう一度聞かれたら胸を張って答えようと思ったが、再び訊ねられことは無かった。世の中は旨くいかない。

 最近ひょんなことから、もう一つ誇れそうなものがあるのに気が付いた。 ヘリコプタのオフショアである。 海洋油田掘削のサポートをする飛行を、ヘリコプタの分野ではオフショアと呼んでいる。 陸上油田はオンショアだ。

 そんな時に、N氏から「航空宇宙学会で講演をしないか」と持ちかけられ、二つ返事で承諾した。 話下手をつい忘れ、日本にも石油を掘ったヘリコプタの歴史があり、その話を残しておきたいと思ったのだ。 日本ではマイナーな仕事だったからだ。


キーワード

 世界のヘリコプタと日本のヘリコプタはかなり違う。 世界でヘリコプタは交通用具だけれども、日本では作業用具なのである。 その違いを示すキーワードがオフショアなのだ。

「日本のヘリコプタが作業用具」と云うのは、そういう仕事で終始してきたということに外ならない。 生産性を示すバロメータはペイロードで、飛び方も機種の構成もそういう具合になっている。 速度にはあまり関係がない。

 農薬散布を例に取ってみると、散布速度は機種に関係なく、ほぼ30ノットである。 巡航速度が50ノットの機種でも、100ノットの機種でも、30ノットで飛ばなければならない。 速度を上げて効率を良くしようとするパイロットが居ないわけではないが、事故を起こすのが関の山である。 送電線巡視等はもっと極端で、パトマンさえ乗せられれば、ペイロードさえも関係が無い。 報道取材も似たようなものだ。

 資材輸送は巡航速度に関係があるようだが、上昇速度は機種によってそれほど大きな差はなく、降下もほどほどの速度である。 気負って速度を上げ、空モッコをテイルに絡みつかせて事故になっては笑い話の種にしかならない。 それよりも何より、輸送距離は3km程度だから、ブロックスピードにすれば巡航速度の差は多寡の知れたものだ。

 ところが、世界のヘリコプタの最大の仕事がオフショアであった。 ヘリ世界1位はPHIだが、メキシコ湾のオフショアが 最大の仕事。 2位のブリストウは北海、3位のオカナガンはアラスカ湾、4位のエアーロジステックもメキシコ湾で、5位がエラ。  6位は朝日ヘリコプタで、世界には及ばないものの、オフショアをやっていた。

   オフショアの生産性は、ペイロードと速度である。 飛行距離は十分に遠く、あきらかに速度が必要なのだ。 そのうえ往来する 人数が多いから、座席数が多くて速いヘリコプタが有利なのだ。 世界のヘリコプタ設計がそういう傾向になったのは当然だろう。  ライトツインと呼ばれる一群のヘリコプタはそうして生まれたのである。


オフショアの要件

 初めてオフショアの仕事をしたのは昭和37年の夏のこととだった。 2月にライセンスを取ったばかりだから半年の駆け出しである。  場所は秋田、離着陸したのは白竜号。

 わき道に逸れるが、白竜という名前は秋田の伝説に由来する。 田沢湖が辰子姫で、八郎潟はもちろん八郎太郎。  白竜の化身で夜な夜な天空を駆けて辰子姫に逢いに行く。スケールの大きな恋物語だ。

 船は浜辺で組み立てられ自走して海に浮かんだ。連想はそのあたりから来たのかも知れない。 とにかく白竜(White Dragon)と命名され、 以後掘削リグはみな白竜(WD)である。

 この船はジャッキアップ・タイプの海洋掘削船で、船体は2等辺3角形で頂点に伸び縮みする脚が付いている。 脚の長さは33mで、 1脚のてっぺんにヘリポートがある。 大きさはハッキリ覚えていないが、ベル47より少し大きい程度だったと思う。 自走して海に浮かんだと書いたが、 3本の脚を交互に動かして歩いたのだ。船としては自走できない。従って船というよりは筏かもしれない。 写真は第9白竜号(WD9)で、 脚は128mもあり深い海底が掘れる。 格好は第1白竜号(WD1)と瓜二つで、ひときわ高いのが掘削櫓だ。 サプライ・ボートから資材を吊り上げるためクレーンがある。


 台風が来ていて、ドリリング・クルーは船で下船した。 「最後まで残った点検要員をヘリコプタで輸送してくれ」という依頼である。 「そうですか」と気軽に引き受けた。 特殊な場所に離着陸するという意識も無く、特別な記憶も無い。 エレベーテッド・ピナクル・ ヘリポートへの着陸だったが、さして難しいとは思わなかったためだ。ヘリコプタは空中で止まれるのである。 多分リグの脚は着底 していたはずだから33mは無かったが、海の上に孤立していた小さなヘリポートだ。 オフショア運航の第一要件は、エレベーテッド・ ピナクル・ヘリポートへの離着陸である。 飛行機で考えればとてつもない着陸だが、それができるからヘリコプタなのだ。


TA級オペレ−ション

「これは面白い仕事だ」と思ったが次の依頼は無かった。 ところが冬になって日本海が吹雪と白波になってから契約になり、飛行指令が来た。 春から秋の海が穏やかなときは漁船で間に合わせ、船が出せない冬にヘリコプタなのだそうだ。理屈はヘリコプタが高いからだと云う。 冬だけの仕事となれば面白がってばかりはいられない。

 雄物川の河口に新屋浜というところがある。 毎日のように曇天から雪が降るが、風に飛ばされて積もらない。防風林の途絶えたところに ぺトンが打ってあって、簡単なヘリポートになっている。 吹きさらしの向こうは海だ。松林の中には小さな小屋があって、轟々と鳴る風を 聞きながらスタンバイする。何もすることが無く、炬燵を挟んで整備士と我慢較べだ。若い身にはこたえた。

 沖には白竜号が作ったジャケット(採油櫓)が4つあって、朝方点検員を送って夕方迎えに行く。  ジャケットは剥き出しで、点検員は吹雪の中の仕事だ。同情を禁じえないが、待つほうもつらい。  無線が入って暖機運転をしていると、沖には吹雪の柱が立ち押し寄せてくるのが見える。冬の日本海は容赦しないのだ。

 昭和39年に運航所が開設され初代の所長になった。 ヘリコプタは小さなベル47G−2が1機、パイロットが1名、整備士1名、 かまぼこ型の格納庫1棟のやっとこ運航所である。 当然冬はオフショア専属要員で、この仕事は他人事でなくなった。

 冬の日本海は水温が低く、デッチングしたらまず助かる見込みが無い。10分か20分で凍死してしまうだろう。  秋田に海上保安庁の巡視船がいるがとても間に合うものではない。 白波の上を飛びながら大変なことになったと思った。

 本社から指令が来て、デッチングしない飛行方法で飛べと云う。 以前低速オートローテーションの解析をやり、ハードランディング にはなるが乗員は無事という飛行法を研究したことがある。 航空局もそのことを知っていて、それを応用した飛行方法を実施要領にせよというのだ。

 海岸からジャケットまでは2kmしかなかった。 中間点でエンジンが停止したらどっちかに到達できるのは、滑空比3で高度は330m(1,000ft)の計算になる。  操作に1,000ftが必要と見て2,000ftを巡航高度とした。 ジャケットからは低速で螺旋上昇し2,000ftに達する。 これで理屈はデッチング しないで済むことになったが、ジャケットのヘリポートはヘリコプタの大きさに毛が生えたくらいしかない。 グランドほどの広さなら何とかなるが、 風雪の中とてもジャケットに不時着できるとは思えない。失敗すれば転げ落ちることになる。  海面に達するまでに挽肉になってしまうだろう。心底から双発機が欲しいと思った。

 昭和45年本格的に日本近海大陸棚を掘削する計画が発足し、建造されたのがセミサブ式の白竜2号であった。 セミサブ式とは曳航中 は排水して浮かび、ドリリングするときは脚を潜没させる方式のリグで、どんな深い海底でも掘れる。位置を固定するため10本くらい四方にアンカーを打つ。


 会社もこれに対応して機種を購入する。選定はベル社が開発中の212に白羽の矢を立てた。 昭和44年、このときは既に東京勤務になっていて、 テキサスでテスト中の212を見た。客席一杯にテスト機材が積まれていて同乗はできなかったが、不具合はなさそうである。ここは度胸の蛮勇だ。

 1号機は昭和46年に入ってきて、オフショアは晴れて双発機の仕事になった。機体は安定していてひと安心だがまだ問題がある。 片発エンジン故障が最もクリティカルになるのは離陸直後だ。離着陸経路のどこで故障してもデッチングしない方式にしなければならない。TAのオペレーションをするわけだが、ベル212のマニュアルには最小ヘリポート幅は72ft、長さ150ftと規定されていて、白竜2号のヘリポートを満足させない。  写真は第5白竜号(WD5)でヘリポートは多角形だが、第2白竜号(WD2)のヘリポートは四角だった。それでも 72ft/150ft は無い。  ならばとこの仕事用に変形のTAを考えることにした。

 さっそくベル社に問い合わせて資料を請求したところ、オフショアの仕事にTAは関係ないとの返事である。「アメリカのルールでは そうなのだろうが、我々はTAで行きたいから資料が欲しい」と再度手紙を出したが返事は全く同じだ。「諦めるものか」とまた手紙を書いたが、 鸚鵡のように決まった返事が来る。

 ベル212のTAマニュアルは省略が多くて分析再組み立てが出来ないのだ。 それならばとシコルスキー社TA研究資料を読むことにした。  そもそもTAは、ニュ−ヨ−クのパンナムビル屋上からニュ−ヨ−ク・エアウエーズが旅客輸送を始めて、連邦航空局(FAA)とバートルが 取り掛かった基準だ。 事故があって機種がシコルスキーS−61に替わり、シコルスキー社が担当した。

 シコルスキー社資料でベル社が省略した部分が読めるようになり、白竜から変形TAで離着陸する方式を編み出すことができた。  運航要領にまとめ、航空局に持っていったらそこでまた問題になった。認めないというのである。 説明しながら気が付いたのだが、 航空局には工学も現場もわかる人がいない。法律文書だけが全ての世界なのだ。
けれども吹雪を思いながら一ヶ月日参し、遂にハンコを貰った。

 これは後日談である。「オフショアにTAを必要としない」とヌルマ湯に漬かっていたアメリカのヘリコプタ・メーカーは、 北海を追い出されて世界でその地位が危なくなっている。 ヨーロッパのヘリコプターに押し捲られ防戦にたじたじだ。


ヘリコプタ計器飛行

 法律的な取り扱いは別にして、オフショアは基本的に旅客輸送である。 要求されるのは、安全性と就航率と定時発着率。  これを満足させるためには、ヘリコプタの計器飛行(IFR)を確立させなければならない。

 海洋油田の掘削は大体が辺鄙な場所だ。 空港から発着するにしても、リグは沖合いの公海が普通である。 航空路の設置と航法援助設備 の設置は国の専管事項であるが、オフショアのために航空路を作り、通信を確保し、白竜号に航法援助設備を置いてくれるはずが無い。  ヘリコプタが必要とするIFRは、まず認めてもらう事が障壁になる。

 TAを解決するための努力を考え、IFRは泥沼だろうと覚悟し、国無しで行くことにした。 通信の確保は、HF周波数を確保し 器材を積むことである。 幸い電波管理局から2波の割り当てを受け、どんな場所でも通信が途切れないようにした。 次は、設定したルートを 正確に飛べる航法機器を選び搭載することだ。 ロラーンC、デッカ、INS(慣性航法装置)、ドップラNAV等が考えられたが、 提案されたばかりのVFLオメガにヘリコプタ用マッピングレーダを併用することにした。 実験の結果誤差1nmで飛べる自信がついて、 航空局に申請するルート図は、線ではなく幅のある図面にした。 受け取る担当者には適当な説明をしたが「航空路への一歩が踏み出せた」と思っている。

 計器飛行は、空中での安定は当然であって、定められた航路をいかに安全に秩序を保ち飛ぶかということが大事だ。 山や他機への衝突を 避けるためである。そのために航路両端のターミナル・エリアと途中のエンルートをどう飛ぶかだ。

 オフショアは、空港と海上のリグをターミナルとしエンルートを設定する。 空港のターミナル・エリアには既存の計器飛行方式があって勝手に変更できない。 そもそも、ヘリコプタの計器飛行は認められていなかったから、特別有視界方式(SVFR)で離着陸しなければならない。 ところが、SVFR のミニマムは、ADFやVORのミニマムと同じだから、実用上それほど不都合はなかった。

 問題は「リグでのターミナルをどうするか」ということだ。 その解答がマッピング・レーダだったのである。 選んだレーダはRCA のプリマス40で、レンジは100nmからミニマム2.4nmである。ミニマムレンジにすると距離600ft(200m)までコンタクトがとれ、リグもサプライボートも おぼろげながら船形が認識できた。ほぼ目視に近い。

 リグにトランスポンダを設置し、キャプテンが誘導員になってコパイが操縦するGCAの逆方式を採用した。 ARA(Airborn Radar App.) と呼ばれ、すでに北海では実験が始まっていたが、必ずしも方式としては確立していない。世界に追いついたと思った。 たとえ海が荒れても、 レーダは90nmで確実にトランスポンダ・エコーが捕まえられる。25nmアウトでストレートに降下を開始し、5nmで海面上200mに達する。 この高度なら直進してもリグに衝突することは無い。 電波高度計のランプが点灯し60ktに減速だ。1/2nmでリグが見えなければミスアプローチし、 風下30度に振り上昇する。

 有視界状態でARA方式を十分に確かめた。両ターミナルは確実に飛べる。エンルートはオメガで大丈夫だ。HFとVHFで通信が途切れることは無い。

 済州島で濃霧に巻き込まれたことがあった。 マッピング・レーダで地形を読みながらアプローチし、どんぴしゃりランウェイ・エンドに 着陸した。タワーはまだ霧の彼方で、心配したタワーが呼びかけてきた時「タクシーしている」と答え、ARAに確信を持つ事ができた。


− 終わり −