塩の道・塩津海道(滋賀県西浅井町)
琵琶湖は近畿の水がめで、古くから大陸・日本海からの文化・産物の流通路です
「高島の安曇の港漕ぎ過ぎて 塩津菅浦今が漕ぐらん」と万葉集に唄われたという古くからの塩の道です
平清盛の命を受け、その子重盛<越前国司>が、日本海と琵琶湖を運河で結ぼうと工事をはじめました。ところが、深坂峠を開削中に巨石を掘り当てこれを壊そうとすると、石工が病気にかかり、工事が進みませんでした。この石を掘り出したら石地蔵だったとのこと。そこで運河工事は中止して峠にこの地蔵を祭ったのが深坂地蔵です。
菅浦港風景 琶湖北端の町西浅井町が、水源かん養を図るため、同町の山林200ヘクタールを民間から2億円で買収したとのこと。とくに希少生物や独特の生態系があるわけではない。ただ水のため、乱開発を防止したとのこと。1万人に満たない町民の英断に、近畿の全市民から拍手を贈りたい投稿日:2000/12/17(Sun)掲示板から
産物・文化の終着 |