自然の地形に沿った田んぼは準備の効率が悪い、しかしできた米は美味そうだ。
代掻きは、田んぼを水平にし、田植え前に水を濁らせることにより苗を植えた後、根の周囲に泥が沈殿し苗がよく着床する効果がある。
(京都・嵯峨)
代掻き
牛
ちょっと昔は、牛の力で田んぼを耕していた。
父親は牛使いであった。牛の鼻輪に引き綱を一本繋ぎ、牛の後方から「ハチ・ハチ」と言いながら、引き綱をはたけば牛は、はたいた方に進み、引けば引いた方に進んだ。「オー・オー」と言いながら綱を強く後ろに引くと牛は止まった。
牛は家族と一緒に暮らしていた。米のとぎ汁は捨てることなく桶に溜めておく、調理時のたくあんのしっぽや野菜のクズ、残飯をこの桶に溜め、これが一杯にになったら牛に食わせる。牛は美味そうに食べていた。
牛は現金収入の源であった。一年に一度仔牛が誕生しこれが市に出る。街の牛市から帰る父から子らへの土産は田舎に希少な少年雑誌・少女雑誌でこれが嬉しかった。
最近はコンバインで収穫し脱穀・乾燥機で乾燥するため稲架木の出番は少ない、こだわりの農家は自用米のみ自らの手で刈取り稲架木で乾燥させている。
稲架木
昔の田植え
田んぼの長辺に基線とする縄を張り、基線に直角に「田植え尺」(4〜5mの細長い板片に一定間隔に苗を植える目印がある)を置き4〜5人がこれに向かい苗を植える。一列植える都度田植え尺を後退りに移動させると等間隔碁盤の目状に田植えが出来た。
共同作業の手を動かしながら父親が自慢話をしたり、母親が諭し話をしたり、家族のコミュニケーションの場であった。
田植え尺を移動する両端の人と、その間の人の共同作業のタイミングは一列同時である。繁忙期には近所から応援し合うこともあり、家族以外の手が入ると、よもやま話に花が咲き、更にリズムが良くなった。
田植え作業は中腰のうつむき姿勢でけっこうハードだが、一枚植えるごとの達成感もなかなかのものであった。
棚田の造形
光る川・・・人口の整地も自然の大きな力には及ばない、強い自然が優先である。
(兵庫・円山川)