あなたは切りますか? 切りませんか?(映画「友情 Friendship」での女子生徒全員剃髪の是非)

キャサリン   

数年前、ある映画で、(タイトル忘れました)
病気の薬の副作用で髪の毛が抜けた女の子が退院して、
登校したら、クラス全員の女子が、五分がりでした。

もし、映画のようになったら、
あなたは髪をきりますか? きりませんか?

私は、切りません。
なぜなら、病気の子が
「皆、私のために、わざわざ切ってるんだ」
ともうしわけない気持ちになるかもしれないからです

切るよりも
「ひさしぶり〜」「退院おめでとう〜」
と、普通に会話できればいいと思います。
ただ、その子の近くで、髪をかきあげたり、櫛で髪をとかすのは、
やめよう。

私が、中学生の頃、
病気の薬の副作用で、髪が抜け、毛糸の帽子をかぶって登校してる女の子がいました。
クラスは違いましたけど、
女の子は、素直で明るく、いい子で、周りの生徒と普通に会話してました。

【管理人注】タイトルに括弧で作品名等を付け加えました【管理人注終了】

[2008/10/07 20:26:51]

洋子   

私も切らないとおもいますよ。
たとえそのために、いじめを受けても。
こういうのって、クラスで決めたのに切らないなんて。
って逆いじめになりそうですよね。

私たちの時代は、小学校で一学年で5,6クラス
中学で一学年で8クラスぐらいありまして、子供が多かった時代なので
生徒数が多かったのですが、
中には 毛が目立ってうすい うぶ毛程度の女の子もいましたけれど
それがために どうっていうこともなかったです。
いじめている人は居たのかもしれませんけれどね。
[2008/10/07 20:45:39]

魚の骨   

金八先生でもこんな話ありましたね〜(あれは仲間内だけでしたが)
私も切らないですね。
自分でも「坊主にしたい」と思うならともかく、クラスで一致団結して‘その子のために’
というのにはちょっと同意できないです。
ほかにいくらでも気持ちの表しようはあるはず!!
(キャサリンさんのおっしゃる、その子の前でやたら髪をさわらないというのも一つのあらわしようだと思いますし、
その子に接する態度を変えないというのも一つだと思うので)

母校(高校)に教育実習に行った際も、
病気なのか一部がはげてたりうすかったりという女の子がいましたが、
友達と楽しそうにはっちゃけてました。
(そういえば、その子は前年の文化祭で車椅子の友人を階段で
(エレベーターないので)おろそうとしていたら「手伝う」と申し出てくれた子でした)

本当に仲がよい友人であればあるほど「障害があっても友達」なので、
わざわざ坊主にしたりする必要はないのではないかなと思います。
[2008/10/08 01:10:45]

それはそれ  熊野   

私も別に切ったりはしないでしょう。
そうすることで、同情というか、彼女に対する慰めは不必要だと思います。

もっと別のかたちで、自分が彼女にできることを考えると思います。
(口先だけではなく、行動を示して)
難しいですけどね…(どうすればよいか考えあぐねております)
もちろん、キャサリンさんがおっしゃるように、その人の前で髪をいじるのはタブーです。
[2008/10/08 09:24:00]

キャサリン   

>熊野さん
>もっと別のかたちで、自分が彼女にできることを考えると思います。
>(口先だけではなく、行動を示して)
>難しいですけどね…(どうすればよいか考えあぐねております)

口先だけではなく、行動か……。
私も、難しいと思います。

その前に、女の子が入院中にお見舞いに行くのも、難しいですね。
友達に髪の毛が抜けた姿、見られたくないですよね。

学校の勉強ができないから、ノートうつさせてあげる、とか。
[2008/10/08 19:15:27]

「友情 Friendship」のことかな?  wind    URL

ネット検索してみたところ、
「友情 Friendship」(1998年 監督:和泉聖治 出演:三船美佳、柳葉敏郎他)
という映画が当てはまる感じですが、これでしょうか?
 病気で髪を失った友人のためにクラス全員が丸坊主に、という「美しい友情」を描いた映画みたいですけど、
ぼくはこういうやり方は、他者への友情の押しつけだと思います。
友情をどんな風に表現するかは人それぞれなのに、
一律に、それも自分の髪を切らせるという形で表現しようとするところに強い違和感を感じます。
和泉聖治監督は断髪マニアなのかな。
[2008/10/11 20:09:07]

キャサリン   

>windさん
>「友情 Friendship」(1998年 監督:和泉聖治 出演:三船美佳、柳葉敏郎他)

多分これだと思います。

>ぼくはこういうやり方は、他者への友情の押しつけだと思います。
>友情をどんな風に表現するかは人それぞれなのに、
>一律に、それも自分の髪を切らせるという形で表現しようとするところに強い違和感>を感じます。

そうですよね。
病気の女の子とクラスメイトとの関係、複雑ですね。
多感な思春期の女の子にとって、精神的に繊細になるでしょう。
[2008/10/12 20:27:28]

昇汞   

以前見たテレビ番組で、海外の話なのですが、ある小学校の女の子が白血病を患って、
入院してその治療で髪が抜けてしまって仕方が無いので丸坊主にしたそうです。
退院して学校に登校したらクラスメートが全員丸坊主にしてました。
病気の子の気持ちを思いやってクラスで決めてしたことだそうです。
監督が断髪マニアというより、映画はこれを下敷きにしているのでは、と思いましたが。

私は、多分自分で納得すれば、髪を切ると思います。
自分自身の感覚では総違和感のある話ではないです。
[2008/10/13 08:59:43]

キャサリン   

昇汞さん

>私は、多分自分で納得すれば、髪を切ると思います。
>自分自身の感覚では総違和感のある話ではないです。

切るかもって女性の意見もでてきましたね。

ところで、担任の先生も丸坊主にしたんですか?
先生は、男性、女性?
[2008/10/14 15:02:17]

実話は男子生徒の話だそうです  wind    URL

茨城キリスト教大学のホームページ(URL)によると、病気(白血病)治療の副作用で
頭髪を失った生徒(小学生)は男子。
彼のことを思ってスキンヘッドになったのもクラスの男子生徒。
これを見る限り、女子が丸坊主にしたわけではないようです。
実話に基づいた感動のお話なら、女優を丸坊主にする話にする必要はないはずです。
原案も和泉聖治ということですから、女優を丸坊主にする映画を作ろうとしたのは
和泉聖治監督自身でしょう。
 ドラマにするときは、男優を丸坊主にするより女優を丸坊主にする方が話題性が大きいでしょうが、
若手女優をスキンヘッドにして話題を作りたがるのはあざといです。
ロングヘアの役の時はカツラを被って演じる女優が多いですから、
スキンヘッドの役もカツラで演じたらいいのに、
実際にスキンヘッドにしたがりますねぇ。
ぼくは、どんなに感動的な話でも、女優を本当にスキンヘッドにする作品は見たくないです。
「世界の中心で愛を叫ぶ」も絶対見ません。
[2008/10/15 09:39:09]

実話だったんですか キャサリン   

windさん

>「世界の中心で愛を叫ぶ」も絶対見ません。

映画では、丸坊主にしてましたね。
ヒロインを演じる長澤 まさみちゃんは、かつらを被って登校したそうです。
逆がいいですね。
映画でスキンヘッドのかつらかぶって、
地毛で学校に行けばいいのに。

ドラマでも、綾瀬はるかちゃんはきってます。

韓国でリメイクされた「僕の世界の中心は、君だ」(タイトルあってるかな?)
では、ソン・へギョさんは、ロングヘアのまんまです。
[2008/10/16 20:43:14]
ロングヘアマガジン > ロングヘアカフェ