十二単は「後姿の美」

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10月28日、京都市山科区の京都橘大で、十二単のルーツを探る公開講演会が開かれ、
猪熊兼勝教授が講師を務めたそうです。
 猪熊教授は、
   
十二単をそれ以前の衣装と比べると、いくつかの特徴が浮かび上がる。
前掛けが外れ、襟を強調したデザイン。前が左右に開き、裳すそが後ろで大きく広がる。
髪も髷(まげ)を結わず長く伸ばし、後ろに垂らす。
「後ろから見たとき、優雅さを強調するような美意識が感じられる」
   
と指摘したということです。
 十二単が他の国・他の時代の衣装と決定的に違うのは、着物の丈が身長よりずっと長いことです。
活動性を考えると、着物の丈は身長以上にはできず、
また軽量であることが求められるのですが、平安時代にはその制限が外れたことで、
優美さを追求した日本独自の衣装として十二単が誕生したのだと思います。
そしてまた、活発に動き回る必要がなく着物の丈・裳裾が身の丈を越えたことで、
身の丈を越える髪を結わずに下ろしたまま生活することが可能になったのだと思います。
あるいは、当時の日本人の美意識が、長い髪=美人であったため、
長く伸ばした髪が傷んだり汚れたりしないよう衣装が身の丈を越え、
裳裾が長くなっていったということかもしれません。
 十二単を着ていなくても、長い髪の女性は、後姿がとても美しいです。
現代のファッションは、顔を中心として前から見たときの美しさを追求する傾向が強いのですが、
長い髪の女性は後姿の美しさにも気を配っているという点で、
優れた美意識を持っているんじゃないかなと思います。
   

[2006/11/15 20:36:15]

髪は後ろの顔  熊野   

平安時代は、女性は男性にやたらに顔を見せない慣習がありました。
たとえ、親兄弟といえど、扇で顔をかくして、会話をしたと言われております。
男性は、女性が美しいかどうかの判断基準を顔ではなく、髪の長さでしたといわれます。
丈なす黒髪=美人ということになりました。
髪は「後ろの顔」とも言われたくらいです。
源氏物語でも、光源氏が丈なす黒髪に惹かれて、通った女性…
末摘花は二目とみられぬ醜女だったというくだりは、あまりにも有名です。
絵巻物や歌仙絵にも、女性の絵が後姿が多いのもその為だと思います。
   
…って、自分も髪が伸びれば、末摘花かも…ε=(´o`;)
   

[2006/11/20 22:50:59]


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