ドナドナさんの「黒髪ロングについての考察 〜黒髪と自己実現〜」に触発されて、 ぼくもちょっと考えてみました。 黒髪ロングは、単に髪を伸ばしているだけに見える人もいて、 「手抜き」などと言われることがあります。でも、皆さんご承知のように、 一見単に伸ばしているだけのように見えながら、実は色々な手が加えられています。 例えば、美しく伸ばすための髪の手入れ、毛先の切り揃え方、前髪のカット方、髪の分け方等々。 焼き物で、絵が描いてなくて、単に粘土をこねて釉薬を塗って焼いただけに見えても、 名人の作品にはとても高度な技術が使われています。 刺身は、一見生魚を切っただけに見えますが、魚の鮮度の見極め、 熟成時間(一定時間寝かせて、たんぱく質がアミノ酸に分解されるのを待つ刺身もある)、 捌く時の手際のよさ、骨を残さない技術、最も美味しく感じられる切り身の厚み、 イカそうめんやふぐの刺身のように細く薄く切る技術等々の調理技術が使われています。 野球でも、何でもない打球を横っ飛びでファインプレーに見せる選手より、 難しい打球に素早く反応して(または予測して守備位置を変えておいて) 身体の正面でキャッチし、何でもない打球だったかのようにプレーする選手のほうが技術が上です。 段カットの茶髪は、手を加えていることがはっきり分かる髪型ですが、 黒髪ロングは一見何もやっていないようでいて実は非常に手間をかけているという意味で、 「無技巧の技巧」が使われている、一見技巧を凝らしていないように見えて 実は非常に高度なテクニックが使われているといったところでしょうか。 黒髪ロングは、技術や努力をひけらかさない、 でも確固とした美意識と努力の裏づけがある髪型ではないでしょうか?[2006/09/12 22:50:19]
「無技巧の技巧」とは素晴らしいネーミングですね。 絢爛豪華なものよりも、飾らないものの中にこそ本当の美があるというような 「シンプル・イズ・ベスト」の概念を日本語訳したような、 重みのある言葉だと思います。 私が「無技巧の技巧」という言葉とwindさまのコメントを読んで、 無駄を極限まで削ぎ落とした、千利休のわび茶を思わず想起しました。 髪における「無技巧の技巧」は、見えない努力という無技巧を鍛錬していくことにより、 一切の髪への負担を極限まで排し、それにより人間本来の髪の輝きと美しさの純粋さが増し、 それと比例して、その髪の佳人の内面の美しさも増えていく、、、 髪の「無技巧の技巧」は真善美の追求の一つであり、 「黒髪道」という芸術の域なのではないかと(勝手に)思ってしまいました。 美しさを極めた佳人の黒髪は、もはや“粋”であり、“極み”となる・・・ 美しい黒髪ロングの方を、「黒髪道」を極めた「黒髪の匠」(たくみ)であり、 これから美しい黒髪を目指す人々を、「匠候補生」と呼ぼう・・・と勝手に思ってしまいました。。。[2006/09/25 17:12:35]
「無技巧の技巧」というのは、吉村英夫著「『男はつらいよ』の世界」(集英社文庫)で、 山田洋二監督の演出法に対して言われている言葉です。山田洋二監督の演出は、 そこにあるものをそのまま撮っただけの平凡な演出に見えるけど、 実はそう見えるように撮るのは非常に高度な技術が必要で、 山田洋二監督はけれんのない演出法をとっている、 というような意味だったと思います(記憶に頼っているので細部は違うかも)。 ドナドナさんが言われる通り、 よく手入れされたつややかな長い黒髪は芸術作品のような美しさがありますね。[2006/10/02 08:09:27]