黒髪ロングについての考察 〜黒髪と自己実現〜

ドナドナ   

(考察なので、である調です)
   
昨年10月より髪を伸ばし始めて、半年以上が経過した。
当初はショートカットだった髪型も、毎月3センチ伸びる髪の伸長スピードにより、
今では背中の中ほどまでに達するようになり、ロングヘアと呼べる長さとなった。
ショートカットになる前、毛量が非常に多いことに悩んでいた私は、長年、縮毛矯正を行っており、
いわゆる“パーマ族”(勝手に命名)だった。そんな私にとって、純粋無垢なロングヘアに挑戦したとき、
初めて黒髪そのものの文化的社会的背景を考察する機会が与えられ、
“黒髪バッシング”というものの根深さを知ることとなった。
私がどんな髪型をしても気にも留めなかった家族が、黒髪を伸ばし始めて髪が胸ライン程度に届き始めた途端、
私に対し、小言を漏らすようになった。
「髪多いのに、すかないで伸ばすわけ? おかしいって」
 「夏場は蒸れるし、髪膨らむし、髪も乾かないでしょ」 
「髪染めたら? 黒だと重いよ」
強いバッシングというよりも、一応言葉を抑えたものといえるが、
完全にアンチ黒髪ロングの意図を匂わせる言葉である。
私が恐る恐る「縮毛矯正をかけ続けてきて、今まで髪を傷ませてきたから、
今回は、とにかく伸ばせるだけ伸ばしてみる」と言ったところ、家族の1人は「それはおかしいよ」と言い捨てた。
何がおかしいのだろう、と私は悲しくなった。
   
ふと思い起こしてみる。
そもそも、メイクやカラーリング、エステやファッション、もちろん黒髪を伸ばすことも、自己表現のひとつである。
どんなに派手なメイクやファッション、カラーリングやパーマ、もちろん髪を伸ばしても、剃髪しても、
全て個人の自由であるはずだ。
集団内の「和」を重んじる文化の日本では、和を乱す者は異端として集団から排斥しがちな心理傾向がある。
日本が広く欧米化される前は、質素な服と素肌と黒髪が一般的だったため、
髪を染めたハイカラな人には「不良だ」と非難し、メイクをすると「けばい」と揶揄し、
鮮やかな派手な服を着ると「アメリカかぶれしてる」と貶めたものである。
しかし、欧米・西欧のファッション文化が輸入された今では、
一応ファッションでも何にしろ、 何でもあり = 自由 ということになってはいる。
そもそも、この「自由」は、欧米と西洋において歴史的に獲得された固有の産物であることを思い出す。
広く浸透している「和」を重んじる日本にとって、戦後、「自由」の概念が諸外国から輸入されたものの、
それらは、伝統的な「和」の価値基準の壁に阻まれ、現在に至っても、「和」以上の浸透を経てはいない。
どんなに自由な格好であっても、その集団の「和」を乱さない程度に許容される、といった具合である。
日本においての「自由」は、「和」より尊重されない権利である。
和の程度の大小は、所属する集団の価値観に左右される。
比較的若者のそれが大きい(ある程度どんな格好も許される)のに対し、
年配者のそれは小さい(ある程度格好が似ている)のは、周知の通りだと思う。
本当に自由なのであれば、法に触れない限り、どんな格好でも許されるはずなのだが、
家族や学校、会社や市民・国民としての集団の和など様々な和が、
実際問題として、私たちの言動・表現の自由を縛っているのは事実である。
何を良くて悪いのかは、それぞれ集団の価値観にもよるのだが、
大衆化したテレビやファッション紙などで取り上げられる価値観が、流行という名の「和」を形成し、
そこから外れたファッションは和から排斥され、異端として扱われ、偏見の対象となる。
とするならば、カラーリングやパーマがヘアースタイルの価値基準となった世の中において、
そんな和から外れる黒髪ロングは、確かに異端である。
だからといって、「和」のみを最上とし、ファッション誌やテレビを模倣した無個性な格好だけが良いとすると、
そこにはもはや自由は存在しない。
日本において、和と自由の両立という問題は、思想的熟成も程遠く、
まだまだ発展途上というのが実情であるように思える。
   
黒髪を伸ばすということは、生まれたままの髪をそのまま時とともに伸ばすという、
自然の摂理に従っているだけであり、非難の対象ではないはずだ。
それは、美しさを得るために、自然なダイエットとして精進料理を食べたり、エクササイズをしたり、
スポーツを行うなどの行為と何ら変わるところはない。
一方、ネイルアートをしたり、髪を染めたりパーマをかけたり、整形したり、薬ダイエットしたり、
という人工的なものとは訳が違う。
(人工的なものと自然なものを区別しているだけで、人工的なものを否定している訳ではありません)
自然に生きること、そこのどこが悪いのだ、と私は思う。何ら恥じることは無い。
   
思い起こすと、ナチュラルライフを提唱する女性アーティストたちの多くは、
天然ロングヘアが多いことも頷けるところである。
例えば、かつて、ジョン・レノンとともに環境・平和活動に取り組んでいたオノ・ヨーコは、
その全盛期(1970年代)においては象徴的な黒髪ロングであった。
他にも黒髪ロングのアーティストは沢山いる。
   
黒髪ロングの女性たちへ。
黒髪に誇りを持って欲しい。
・・・髪を伸ばすこと。
それは、自分自身の幸福追求に対する自己実現の権利なのだから。
   
追記:そうはいっても、ロングヘアにとっては、仕事や家事労働、食事の際など、
長い髪を垂らしていることで他者に迷惑をかける可能性があるので、
社会生活を営む以上、他者との共存生活を配慮して、
「TPOに応じて髪をまとめる」という一定のマナーを要することは忘れてはならないことを追記します。
   
(長くてすいません! 以上、黒髪ロングに対する応援文でした!)
   

[2006/09/06 15:44:55]

やまねこ   

>「髪多いのに、すかないで伸ばすわけ? おかしいって」
 「夏場は蒸れるし、髪膨らむし、髪も乾かないでしょ」 
「髪染めたら? 黒だと重いよ」
 今回は、とにかく伸ばせるだけ伸ばしてみる」と言ったところ、家族の1人は「それはおかしいよ」と言い捨てた。
何がおかしいのだろう、と私は悲しくなった。
   
 ちゃんと口に出していってもらえるというのは話し合える貴重な機会だと私は思います。
何となく態度がよそよそしいというのではどうしようもありません。
「何でおかしいの,何で日本人なのにわざわざ染めなければならないの。」と聞いて
話し合うことがお互いの理解につながると思います。夏場は云々は本人の問題でしょう。
不便だと思えば何とかするでしょう。
   
>そもそも、メイクやカラーリング、エステやファッション、もちろん黒髪を伸ばすことも、自己表現のひとつである。
どんなに派手なメイクやファッション、カラーリングやパーマ、もちろん髪を伸ばしても、剃髪しても、
全て個人の自由であるはずだ。
   
 それは許容範囲がどこまで認められるかでしょう。髪からはずれますが,
ふつうの会社に着物を着ていったり,こもをかぶっていったのでは明らかにおかしいでしょう。
 自然だからといって男性がひげを全く剃らなかったらどうでしょう。
女性だってほんの数十年前はズボンをはくことはゆるされることではありませんでした。
   
 髪の話題に戻りますと,本来黒髪ロングが普通でしょう。でも仕事その他のためには
短くしなければならなかったり,まとめなければなりません。そうした中で,
批判にはきちんと答えてもらいたいと思います。
   
 話題が多岐にわたっていますが,一応これでも髪に絞ってみました。
   

[2006/09/08 15:28:25]

レスが遅れてすみません  wind   

力のこもった考察の投稿、ありがとうございます。
どうレスを返そうか、いろいろ考えていました。
   
>黒髪を伸ばすということは、生まれたままの髪をそのまま時とともに伸ばすという、
>自然の摂理に従っているだけ
>自然に生きること、そこのどこが悪いのだ
ここに一番共鳴できました。髪を染めずに伸ばすことは、
「自然に生きること」に通じるんですよね。納得です。
   
>ナチュラルライフを提唱する女性アーティストたちの多くは、
>天然ロングヘアが多い
なるほど。環境問題を主張する政治家や市民運動家だと、
髪を染めているかどうかで本気度というか一貫性が分かるかも。カラーリングをした後、
カラーリング剤を下水に流すということは、有毒物質を環境に排出することですから。
ただ、政治家や芸能人は人気商売ですから、茶髪のほうが大衆受けするからと
茶髪にしている人もいるでしょうし、カラーリングやパーマ以外では
なるべく環境に負担をかけないよう気をつけている人もいらっしゃるでしょうから、
難しいところですね。
白髪が気になる女性が髪を黒く染めることまで問題にしたくないですし。
   
「和」は、感覚や趣味が同じもの同士にとっては楽ですけど、そうでない人にとっては
辛いことがありますね。他の人と同じであることを求める「同質化圧力」の強さは、
日本社会の弱点だと思います。
 ただ、「異端排撃」については、どの国でもあるように思います。
アメリカは移民を積極的に受け入れる国ですが、人種差別のひどい国でもあります。
市民社会が成熟しているはずのヨーロッパでも、人種差別は根強いです。
サッカーの元カメルーン代表のエムボマ選手(日本ではガンバ大阪・ヴィッセル神戸)は、
「日本では黒人は珍しがられることはあっても差別されたことは一度もなかった」
と日本びいきの理由を語っています。
こういう話を聞くと、日本人も捨てたものじゃないとも思います。
韓国人や中国人への差別があるのは情けないですが・・・。
   
> 黒髪に誇りを持って欲しい。
> ・・・髪を伸ばすこと。
> それは、自分自身の幸福追求に対する自己実現の権利なのだから。
素晴らしい言葉をありがとうございます。トップページのキャッチコピーにしようかな。
   

[2006/09/12 22:45:39]

ドナドナ   

返信ありがとうございます。
   
やまねこさま
   
>ちゃんと口に出していってもらえるというのは
話し合える貴重な機会だと私は思います。
   
確かにそうですね。文句を言われる内が花、と申しましょうか。
なぜそう言われるのか、その指摘の中には、
合理的で適確なものがあるのかもしれないので、
断固拒否することも無批判に受け入れることもなく、
吟味して検討したいと思います。
   
>髪の話題に戻りますと,本来黒髪ロングが普通でしょう。
でも仕事その他のためには短くしなければならなかったり,
まとめなければなりません。そうした中で,
批判にはきちんと答えてもらいたいと思います。
   
おっしゃる通り、黒髪ロングを短くしなければいけないときに短くしなかったり、
まとめねばならないときにまとめないなど、
TPOをわきまえないで、傍若無人に振る舞うことは社会生活上、確かにいけませんよね。
自己主張は確かに他者との関係性の上において、
支障が生じない程度に認められるものです。
他者の批判をなぜそう言われるのかと分析し、納得し、
それを受け入れる寛容さを身につけながら髪を伸ばすことが、
髪を伸ばしていて、大切だと痛感しました。
   
windさま
   
>髪を染めずに伸ばすことは、「自然に生きること」に通じるんですよね。
   
自然に生きるということで、私は作為的な染髪全てを否定していたのですが・・・
よく考えると、よく名前を見聞きするヘナは自然染料のようなので、
肯定的に考えるべきなのかなと思案してしまいました。
ヘナを用いていたであろう原始(自然で生きていた)の時代で、
髪を染める必要性を考えると、
やはり魔除けなどの非日常的な宗教的儀式に用いるなど、
昔の人は必要に迫られて染髪していたように思われます。
そう考えると、昔から染髪というものが非日常であるなら、
やはりヘナが自然派だからといって、日常的に染めるのは、
どうなのだろうと思ったりもするのですが・・・
私の中ではまだこの辺は不勉強でよく分かりません。
   
>ただ、「異端排撃」については、どの国でもあるように思います。
アメリカは移民を積極的に受け入れる国ですが、人種差別のひどい国でもあります。
市民社会が成熟しているはずのヨーロッパでも、人種差別は根強いです。
   
どこの国でも差別があるんですよね、現実問題として・・・悲しいことに。
人権意識は、発祥国としての欧米では、法制度としては日本よりは充実しているように思えます。
日本の人権保護に関しては、政府よりもNGOやNPOなどの民間組織の取り組みが盛んですけど。。。
民衆意識では全世界的にも差別がまだまだ根深いですね。
すいません。髪から話題がそれました。
   
> 黒髪に誇りを持って欲しい。髪を伸ばすこと。
それは、自分自身の幸福追求に対する自己実現の権利なのだから。
素晴らしい言葉をありがとうございます。トップページのキャッチコピーにしようかな。
   
わざわざキャッチコピーにしてくださってありがとうございます。
・・・堅苦しいキャッチコピーですいません。
堅い文章(論文風)になってしまったので、
必然的に末尾も堅い感じになってしまいました。。。
   

[2006/09/25 16:31:05]


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