龍波光さんへのインタビュー
(災害時の洗髪と東日本大震災被災体験)

●3月11日の地震の時は何をしておられましたか?

職場に居ました。

●震度はどれくらいでしたか?

多分6くらいだと思いました。机がガッタンガッタン揺れましたよ。

●地震が起こったとき、どう対処し、どんなふうに身を守りましたか?

コーヒー入れてデスクに戻った時だったので、「おおっ…揺れてる…」と思い、とりあえずカップにフタをして立って様子を見ていたらガタガタと大きく揺れはじめたのでパソコンのモニタを倒して(倒れて壊れたら嫌だから)、ほかの倒れそうなものを倒して(同じ理由)カバンを持って室内履きから靴に履きかえ、机の下に。全然慌てたかんじはなかったです(笑

●勤務先は地震でどんな被害がありましたか?

同僚に一人混乱した人がいて、何故か自分のパソコンよりも観葉植物を守ったので、一台PCが倒れましたね。ただし箱だけ。中身のHDは無事でしたが周辺機器が壊れました。
あと本棚が2台倒れましたが、運良く壁向きに倒れたので誰もケガは無く。

●ご自宅は地震でどんな被害がありましたか?

屋根の一部と室内と風呂場の境の壁が壊れました…てかいまもまだ壊れてます(笑
浴室だけは大家に断ってもう自分でなおしましたが(笑
あとは外の自転車置場が倒壊してましたが、1ヶ月半くらいしてなおしてもらいました。

●ご自宅の家具類が倒れたりはしなかったのでしょうか?

転倒防止器具を取り付けるなどの対策は特にしてなかったんですが、もとからあまりモノを積み上げないほうなのでたいした被害は無かったですね。
背の高い洋服掛けがあるんですが、それがもし傾いたら鴨居にぶつかってそれ
以上倒れない場所に配置してました。
最終的な室内被害は、襖が外れてぶつかって穴があいたのと、そのへんにおいておいた洋服のジッパーが壊れていた事(原因が不明)
書き掛けの原稿がコーヒーまみれになっていた事ですか(´∀`;)

●何をきっかけにして家具の転倒防止策を取るようになりましたか?

なんとなく。寝てるときに倒れてきたら痛いよね、片付けるの面倒くさいよねくらいの気持ちで。

●地震発生後、津波の警報は聞かれましたか?それは何で知りましたか?

社員の人のカーラジオだかナビのワンセグTVで。
周りの人の携帯は全滅でした。

●津波で亡くなった、または行方不明の友人・知人はいらっしゃいますか?

わかってるだけで7人ほど。ご冥福をお祈りいたします。

●水道や携帯電話が使えなくなったのは地震発生後どれくらいですか?

運悪く、その日自分の携帯は家に忘れて来ていて;でも人の携帯がすぐ使えなくなっていたので、うちのもそうだろうなーと。
水道は次の日の朝に止まってました。


●水道が止まるまでに、水を溜めたりされましたか?

風呂場に溜めました。
てか朝お湯溜めてお風呂使おうとして忘れてて、そのまま放置してて;;
家帰って一回使ったんですがまた水追加して(うっかりあふれさせて)
まあ後から思えばラッキーですよね。
そのせいで洗濯機も水一杯でした;

●震災後、初めてちゃんと洗髪できたのはいつ頃ですか?

地震当日、家帰って一回洗いましたよ。風呂場に湯があったんで。
次は10日後くらい?被害が少なかった山のほうの子の家で使わせてもらいました。 ガスはまだ通ってなかったときだったんですが、その子の家はオール電化だったんですね。運が良かった。

●それまでは全く洗髪できなかったのでしょうか?

水のいらないシャンプーを持ってたので、2日目に使いました。

●水の要らないシャンプーというのは、どんなふうに使うのでしょう?

頭皮に直接振りかけて、わしわし指でこすって、ぬれタオルで拭き取るみたいなかんじですね。

●水の要らないシャンプーは、震災前から日常的に使っておられたんですか?

災害時役にたつよねー…と思って、持ってただけです。
知人が入院したとき、差し入れで持っていって行きました。

●震災前から緊急時用に備えていた物は何かありますか?

非常袋は常に持ってました。
中身は水ペットボトル×1(5年だか3年の長期保存ペットボトルというやつ)
缶詰×4、カロリーメイト×2、サバイバルツール(キャンプセット含)
タオル、救急手当セット、メモ、ボールペン、布テープ、ビニ袋、軍手、ロープ、
水のいらないシャンプー、ライター、ロウソク、小型ライト、トランシーバー、電池
だったかな?
あ、あとエマージェンシーブランケットとティッシュ。

水はかなり蓄えていました。実は地震の前日に友達と電話で話をしていて、「地震の時には水がいるよね」という話になり、6本入りの段ボール×2を買っていました。それ以前にも普段からペットボトルの水は買っていたので、単本のがもう5本くらいですかね。
お茶、炭酸水とかもあわせるともう少しありましたけど。 (お茶は職場で飲む用に購入。当日も職場に置いていた。2リットル×4 炭酸水は味のついていないやつ。500ミリ×7本くらい。)

●地震の前日に水を大量に蓄えるなど、まるで予言者みたいですけど、どうしてそれほど緊急時対策の意識が高かったのでしょう?

多分昔から「三陸地震がいつかはくるよ!」て言われてたからじゃないでしょうかね。
あと、あったら便利かなーくらいな気持ちで。
非常食や水は、残業や雨が続いて「食料買いに行けない…」て時に食べる用としても便利。
わたくしにとってはそれも日常に転がっている緊急時(´∀`)笑

●サバイバルツール(キャンプセット含)をもう少し具体的に教えて下さい

★サバイバルツールはカードの奴です。カードにもいろいろあるみたいで、ホームセンターでは数種類出てたんですが、主に非常時使えそうなものがついてる(缶切りとか小さいナイフとか栓抜きがついてる)タイプを買ってました。
★キャンプセットはマトリョシカみたいにサイズ違いで5つ収納できるお皿とコップのセットで、付属にスプーンとフォークもついてました。ピクニックセットとして売ってるのをどっかファンシーショップで見ましたが、うちのはかなり昔に手に入れた奴なのでどこで手に入れたのか詳細不明です。すいません;
(調理器具や寝袋ももってますがさすがに袋には入れてませんでした)

●緊急用としては考えていなかったもので、水も電気も都市ガスもない時期に役
に立ったものとしてどんなものがありましたか?

カセットコンロ、灯油の反射式ストーブ、保冷剤、クーラーボックス
自転車(ガソリン売ってなかったから、みんな震災後に買ってた)、カート(水貰いにいく時便利)

●避難生活はいつから始まりましたか?どこでしておられましたか?また何日く
らい避難生活を送られましたか?

当日〜次の日は自分の家で。次の日からは知人宅で。
12〜21だったかな?そのあたりでバスが動き始めて、実家に帰還できました。

●地震の2日後だとまだ携帯電話は復旧していなかったと思いますが、どうやって
その知人と連絡が取れたのでしょう?

しょっちゅう行き来してる仲だし親同士も知り合いなので、向こうで自発的に心配して見に来てくれたんです。別に連絡は取ってないです。

●知人宅での避難生活で困ったことは?

猫を飼ってる家だったので、寝ると猫が起こしにくる事。あとはまあさほど困るほどでもなかったかも。

●ご自宅に戻られた後も、まだ社会基盤や物流が満足に整わなかったと思います。
そんな中で生活する上で、工夫したことを教えて下さい。

ご近所ネットワークをフル活用しつつ、自分の足で探せばわりとなんとかなりました。
普段から年代をこえて知り合いは作っておくもんだな…としみじみ思いました。
あと、多少は「別に無くても死なない」という諦めで自己完結(笑
女友達はスイーツが無いと死ぬ!と連日大騒ぎしてましたが、自分で作れと言って放置(笑

●震災後、自宅での緊急時の備えとして付け加えたものは何かありますか?

水を入れるポリタンク。
USBのミニラジオ(電池のも持ってるけど)
石炭
あとは…自分はいらないけど、多少の食品ならあっためられる手段として
ガオバブのモーリアンヒートバッグとかあったら便利なんじゃないですかね?
一人暮らしの女の人で、ガスコンロおいておくのはめんどいって人もいるでしょう。
釣具屋かネットで探せば出て来ますよ。

●石炭は何に使うことを考えておられるのでしょう?調理用はカセットガス、暖房用は灯油ストーブがあると思うのですが?

都市部じゃどうなのかわかりませんが、こちらでは知り合いの間を探せば、誰かはバーベキューセットや七輪みたいなものを持ってる確率が高いし、最悪庭で燃やして燃料に出来るかと思って買ってあります。

●お住まいは福島第一原発からの避難区域からは十分離れていますが、放射性物
質については心配ないでしょうか?

最初はスーパーの商品の回収騒ぎがありました。POPに書いてある産地と包装袋
に記されている産地が違うこともありました。
いろんな面で情報収集をすごくするようになったので、もう自分なりの線引きができており それに従って行動してます。
物流や県の動向にも目を向け、質問や意見もするようになりました。

●今回の震災を体験されて、生活スタイルや考え方等でどんな変化がありましたか?

人に頼るより先に、とにかく自分で動かないとダメだなと言う事は…本っ当に深く思いました。
あと、便利にばかり頼ってると災害時泣きを見ると(笑

●その他、震災関係で何でもどうぞ。

私もそうですが、311のとき、まさかあんなに災害が長引くとは思ってなかった人がわりと沢山居たと思います。まわりの一人暮らしの子たちもそうだったらしく、当日は情報が無いままふらふら出歩いていたり
ただずっと泣いていたりしていたそうで、私が彼女等が困っているだろうと家に行ったとき、誰一人として家にはいませんでした。
当日は揺れの後すぐに停電。街中でも道路が壊れ、そこかしこで水道管が破裂。
水道は出ていましたが、夕方から雪が降り始めかなり寒かったです。

後から聞いたのですが、その子らは知り合いも情報も手持ちのお金も無く、すごく苦労したそうです。
「どうしてうちに来なかった?」と聞いたら「当日は思いつかなかった。数日後に行ったらもう居なかった」とのこと。残念。

コレを読んでいる方で、身近に一人暮らしの友人がいる方は、その人等と「緊急時には誰のうちに集まろう」という相談をしたらいかがでしょうか。そうすれば、非常時に必要なものを全部一人で用意する必要もなくなります。
私は運良く自分でも沢山のものを持っていましたし、いろんな方に助けてもらう事も出来ました。
だけれど皆がそうだとは限りません。
水を貰いにいくときだって、食品を買いにいくときだって、震災時はすごく並ぶことになります。
その時一番必要なのは人の力です。電波の無いとき、情報は人づてからしか手に入りません。
災害はいつ誰の身におきるかわからないですし、備えあれば憂い無しって言いますしね(´∀`)
まあコレを見てなんか考えるきっかけになってくれたら嬉しいです。
長くてすいません。
これを発言する機会をくださったwindさんと、ここまで読んで下さった方へ
ありがとうございましたっ!


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