1998/07/19 美しいロングヘアを梳く幸福  wind


 高校の頃、クラスメートに黒髪美人が居た。顔は飛び抜けて綺麗、というのではないけど、腰まであるストレートのロングヘアがとにかく美しかった。いつも濡れたようにしっとりとした髪にぼくは憧れていた。
 ある日の休み時間にその娘が髪をブラッシングしているのをぼくはちらちらと見ていた。すると、その娘の女友達が、私にブラッシングさせて、と言って、ブラシを受け取り、その娘の髪を梳き始めた。同性からも憧れられるくらいの美しい黒髪だった。
 それを見てずうずうしいぼくの友人が、次はおれにもさせてくれ、と言った。ブラッシングぐらいなら、と思ったのだろうか、その娘はOKした。さらにもう一人の男が、じゃぁぼくも、と並んだ。慌ててぼくも並んでしまった。女子が男子に
 「あまり力を入れちゃだめ」
 「最初から上から梳き下ろさずに、裾の方から梳いていくの」
とロングヘアのブラッシングの仕方を教えてくれた。ついにぼくの順番が回ってきた。
 左手でそっと髪を取ると、ひんやりしてさらさらした手触りが伝わってきた。何人もにブラッシングされているために、普段でも美しい黒髪は、一本のほつれもなく肩から背中へと流れ落ち、そしてぼくの手の中にあった。
 ぼくはどきどきしながら髪を梳いていった。ひっかかりなど全然なく、ブラシの歯は髪の間をさらさらと通りすぎていく。他の連中は後ろだけ梳いて満足していたけど、ぼくはサイドの髪も梳き、肩から前後に分れていく様を楽しんだ。ぼくにとって、至福の時間だった。

1998/12/07  あの子の三つ編み  AW


自分の通っていた中学校は当時とても校則が厳しくあまり良い思い出は無い。
特に髪型はかなりうるさく女子の場合、長い人は三つ編みにして前髪は眉毛が隠れない様にするとなっていた。また基本的なスタイルはおかっぱで長さは襟足が制服のブラウスの襟に少し届く程度とあった。
そんな状況であったため小学校までロングにしていた子の大半は中学に上がる時に校則に従ってバッサリとカットしてしまい、それまでは結構可愛らしいイメージのあった子もかなりイメージが変わってしまいとてもがっかりしたものだった。
長くてもきちんと編めば問題無いのに何故かショートにしてしまう彼女達に自分は大いに疑問を感じていた。
そんな子が多い中でクラスで唯一ロングヘアーを守り通している子がいたのだ。
彼女は胸は充分に隠れる位の長さで学校にいる間は当然、三つ編みにしているのだが家に帰ればほどいているので美しい黒髪を見る事が出来たのであった。
クラスにおけるグループ活動なるものがあり、その打ち合わせ等で同じ班にいた自分は他のクラスメイトと共に彼女の自宅を訪ねる事が時々あったので幸運にも2つの彼女のヘアスタイルを拝む事が出来たのだった。
多くのショートスタイルの女子の中でやっと見つけたオアシスみたいなものを感じられたと言っても過言ではなかった。学校にいる時は三つ編み姿のあどけない少女、そして家にいる時の三つ編みをほどいたちょっとだけ大人っぽい女の子にすごくときめ
いていた。時々、いたずらして彼女のおさげ髪を引っ張るふりして触れたりした事もあった。でもそんな時でも彼女は露骨に怒ったり抵抗したりするようなそぶりは見せずにむしろ笑顔で切り返してくれる優しい一面もあるちょっと不思議な子だった。
この子とは卒業までずっと席を並べて過ごして行きたいと本気で想っていた。
しかし、そんな想いは1年の後半ぐらいにあっけなく崩れ去ったのであった。
もう冬にもなろうかという頃、彼女は突然あの三つ編みのロングヘアーをバッサリと切り落としてしまったのだ。どういう心境の変化があったのかは知る由もないが耳上あたりまでの完全なショートカットに変貌を遂げた彼女の姿を見て何故切ってしまったんだ?どうしてだ?とは口に出して言う事も出来ずに彼女への気持ちは急速に冷めてしまったのは言うまでもない。
今でも彼女の髪に触ったあの感触だけが残っている。その後、あれだけの黒髪には出会えていない。

1999/02/11 サイドテールの魅力 FDRAGON


 自分がこれまでに目撃した中でも特筆すべき印象的なロングヘアは、ともに
まだ十代前半とおぼしき、二人の少女の髪である。
 彼女らは、偶然にも2人とも同じ髪型をしていた。頭の中央から髪を左右に
分けて耳の上でまとめて垂らすだけの、ごくシンプルな、中学生くらいまでの
少女に時おり見られる髪形だ。こういう髪型は「サイドテール」と呼ぶそうで、
つい最近になるまで知らなかった。
 特に凝った髪型というわけではない。だが彼女らの場合、その長さが尋常で
はなかった。一人目は余裕で膝に達し、二人目も太ももに届く。耳の上でまと
められた髪がヘアバンドをほとばしり出た途端、わずかにうねったりすること
もなく、まさしく滝口から水が流れ落ちるように、ただまっすぐに垂れている。
長い髪を1本にまとめるスタイルはよく見かけるが、この髪型でここまで長い
のはそう見られない。髪型そのものがごくありふれているだけに、人知を超え
た長さがひときわ強調され、異次元的な雰囲気さえ漂っていた。
 印象的な髪のことを思い出せと言われると、どうしても真っ先にその二人が
頭に浮かぶ。なぜこうも自分の中で群を抜く印象があるのかと言えば、長さば
かりでなく髪質の良さも見逃すことはできない。一人目は漆黒、二人目はほん
の少し茶色が入っていたが、十代前半の少女に特有の、絹糸などよりはるかに
細くてしなやかな、「繊細」としか表現しようのない"自然"にのみ造形可能な
芸術品が、そこにはあった。手入れが行き届かなければショートであってさえ
はねたりちぢれたりしてしまうにもかかわらず、あれだけの長さがありながら
毛先までうねったりもしていないのだ。日々の手入れの大変さを想うと同時に、
彼女らの自らの髪に対する絶大な自信と深い愛着のほどを想ったとき、物言わ
ぬその髪と彼女らに、心の中で頭を下げるばかりだった。
 ただそこにあるだけでも芸術品ばりに見入ってしまうその髪が"動き"を得た
とき、それはまた違う印象をもたらした。一メートルをはるかに越え、しかも
途中でまとめたり編まれたりしていない髪は、何の束縛も受けていないが故に、
その持ち主がかがんだり振り向いたりと少しでも動く都度、少しだけ遅れて、
だがしなやかな動きを見せる。これほどまでに長い髪が自由にゆれ動くさまを、
自分は初めて目撃した。少女がかがめば髪は肩に落ちかかり、やがて少しずつ
さらさらと流れ落ちていく。少女が振り向いたり歩いたりすれば、髪は慣性で
とり残され、風圧で斜めにたなびき、少しだけうねりながら持ち主の後をつい
ていく。頭から左右に飛び出す形であればこそ、髪は自由に動ける。ただ垂ら
しただけの髪にも「動きの面白さ」はあるが、背中が邪魔をして自由に動けな
いぶん髪の動きは若干スポイルされるのだ。サイドテールロングは、長さと質
と見た目の楽しさという三つの要素が高次元でバランスする、魅力的な髪型で
ある。
 垂れた髪がしなやかにくねる"妖艶"と表現しても良いさまをとどめに食らっ
たおかげで、以後、サイドテールの虜になったのは言うまでもない。

1999/03/09 あの子の三つ編み  三つ編み


だいぶ前になりますが、私の通っていた中学は当時女子の髪形のうち2割くらいの
子は後ろで二つに分けた三つ編みのおさげにしていました。
ほとんどの子は小学生のころから伸ばし始めていた髪の長さで背中の中ほどまでは
伸びていたものでした。そんな女の子の後ろ姿にいつも憧れをもっていたものでし
た。しかし、学年も2年に上がるとぽつりぽつりと断髪してくる子が増えてきまし
た。いきなりの首のすぐしたあたりの長さになって教室に現れた日にはとてもがっ
かりしたものです。そのなかでも、1学年上のきみえ・Yさんは腰下まで三つ編み
が編まれてあり、外から差し込む日の光に輝いて、そのエキゾチックな顔だちとマ
ッチし、神秘的でさえありました。私はいつか、彼女も他の女の子と同じように髪
を短く切ってお下げ髪とさよならをしてしまうのだろうか、その日が怖くもあり、
でも必ずその日が来るような気がしていました。というのはたいていの三つ編みの
女の子は卒業までにはほとんど例外はないといっていいほどおさげの三つ編み姿が
ショートカットに変わってしまうからなんです。当の彼女の場合はそれが卒業式当
日だつたんです。あの日のずっーとうつむき加減の下を向いたまま伏し目がちの断
髪の姿を私はいまでも忘れられません。しばらくしてから彼女の弟に切った髪のこ
とを聞きました。切ったのは美容院で長い髪はヘアピースにしてもらったそうです
。中学を卒業して3−4年した頃、再び彼女にあう機会が偶然ありましたが、あの
切った直後のショートカットのままでした。すっかり短い髪のほうが手入れが楽に
なったそうです。
長い三つ編みの女の子に関する思い出、はまだまだありますが、今日は初回ですの
でこの辺で。このページをいつもたのしみにしています。

1999/03/22 髪フェチの苦しみ  wind


 ぼくがロングヘアの女性を好むことを知っている友人達は、ぼくが理想を追い求めている、と思っていることが多い。「妥協しろ」とか、「髪型なんかで女を判断するなんておかしい」とアドバイスやら批判やらされる。しかし、ぼくは、ストレートのロングヘア(セミロング以上)の女性しか愛することはできないのです。ショートカットやパーマの女性は、どんな美少女でも、どんな美人でも愛することはできないのです。内田有紀や広末涼子には何の魅力も感じられないのです。
 つきあいはじめは、セミロング程度でかまわない。でも、好きな女の子には必ず、髪を伸ばしてほしい、と言う。それを受け入れてくれる女の子もいるけど、そうでない娘も多い。好きであればあるほど、「髪を伸ばしてほしい」、ということでケンカになる。
 ロングヘアの女性とつきあっているときは、いつもまぶしいまなざしで彼女をみつめている。でも、彼女が突然、髪を切ってきたり、パーマをかけてしまったらどうしよう、という恐怖感がつきまとって離れない。そして、彼女がショートカットになってしまうと、それまで、好きで好きでたまらなかった気持ちが、すっと引いていく。髪型なんかで彼女の性格は変わらない、とどんなに自分に言い聞かせても、無残なショートカットになってしまった彼女を見ると、顔をそむけてしまう。喋っていても、それまでみたいに心がはずまない。髪型を変えて、褒めてもらえると思っていたのに、冷たい態度を取られ、別れ話までされるのだから、彼女に対してすまないと思う。
 まわりからは、「女の内面を見ることのできない男」と非難される。
 そうではないんです。いくら髪が綺麗でも、ただそれだけでは女性を好きにはなれないのは当たり前です。でも、どんなに素晴らしい心を持っている絶世の美女であっても、ショートヘアやパーマヘアなら、だめなのです。ぼくの心が動かないのです。昨日まで、好きで好きでたまらなかった彼女が、ショートカットにしてきただけで気持ちが冷めてしまう自分に一番苦しんでいるのはこのぼくなのです。大好きだった彼女が変わってしまった哀しみにうちひしがれているのです。
 ぼくの髪フェチの度合いがもう少し弱いものであれば、と思う。そうすれば、ショートやパーマの女性ともつき合えるし、つきあっていくなかで、ストレートのロングヘアにしてもらうこともできる。でもぼくの場合、ショートやパーマの女性とつきあうことができないのです。2カ月ほど前、パーマのロングヘアの女性と何回かデートしてみた。美人でした。でも、ぼくは相手の顔をまともに見れないのです。顔をそむけてしまうのです。失礼な男だと思う。ぼくも懸命に相手の顔を見ようと務めた。でも、パーマの女性を見つめるのはぼくにとってはたまらない苦痛なのです。
 髪フェチの男というのは、普通の男には分からない女性の魅力=ストレートのロングヘアの魅力を感じることができる、という意味で幸せだと思う。でも、ぼくのように、髪フェチの度合いが強すぎると、苦しみの部分も大きくなってしまうのです。
 ぼくは、自分の髪フェチの性癖を意識するようになって、「性的マイノリティ(少数者)」ということが理解できるようになった。同性愛の人達は、世間的な偏見と差別にさらされているけど、異性を愛せない、同性しか愛せない、ということで一番苦しんでいるのは同性愛の人達自身なのです。髪フェチの場合、美しいロングヘアの女性は、外見ですぐに分るだけまだ幸せなのかもしれない。

1999/08/21 はじめまして  チワワ


私は,今年30歳の男です.ヘアフェチ暦は,小学校5年生ぐらいで,その当時転校生の子がいて、その子は,とても髪が長く,お尻ぐらいで始めは気にはならなかったのですが,夏休みが終わって,学校で見た彼女は,当時私が好きだった聖子ちゃんカットになっていたのです,とてもかわいく見えた反面,なんとも言えない気持ちになりました。

その当時は、まだ髪と言うものがすきと言う意識しかありませんでした。

年が経つにつれて,髪が好きイコール変態というイメージが、周りわりに有り、そう言う事も人に言う事が出来ず,悩んだ日々がありました。

と言う想いは,綺麗な髪が載っている雑誌を眺めている事しか出来ずにいました。

有る夏の日,田舎から家庭教師をしてくれる女子大生のイトコのおねいさんが来たときその長いお尻に届く黒髪が、風がなびいたとき私の顔に当たった、感触が何とも言えなかった事と,その髪は彼氏の為に伸ばした事を知り、髪イコール長い髪という認識が生まれた事を覚えています。それから長い黒髪の女性「セミロング以上」しか興味がなくなりました。

今まで御付き合いした女性は、18まで2回しかありませんが,2人とも、始めは、セミロングくらいで,伸ばしてとも言えずショートにされて,気持ちがさめましたがこちらから、分かれようと言う事は,一度も有りませんと言う前に振られました。

18から今も御付き合いしている彼女がいます.彼女と言うより一緒に、すんでくらしているので、奥さんと言う感じで,友達や家族もみとめている人です。

その妻と知り合ったのは,女性雑誌の文通コナーで始めてあった頃は,ストレートのセミロングで、上の方に軽く段が入っていて、それをブローで流した髪でした。

それでも始めは,満足でしたが、彼女が美容院に行くたびにどうしたらいいと言う事をいい事に、行っても毛先しか切らないでとか,パーマ掛けないでとか凄くうるさく言ってました。とりあえず切るときには一度いつてくれるので心配は無かったですけど,合うまでは、きがきではなかったですよ.ホント、、、3センチ切るとかなると,大変でしたよ。

何度もお願いして駄目なときは、半年行かないで,と言う約束をして許しました。

別に妻は,長くすることは嫌でなく、枝毛や切れ毛のほうが嫌みたいで、質良く伸ばしたいと言ってました.その事は、私も思うので、嫌々ながら賛成してました。

有る日段を揃えたいので、10センチ位切りたいと言われたときは、心臓が止まるかとおもうくらいビックリしたのと、どうして我慢させるかと悩みました。その時は、シャネルのバックで我慢してくれたのですが、1ヶ月後に又切りたいと言い出し今度は、切らせないと分かれると言うような、ことを匂わせていたのでさすがに許しましたが、今回は、心配だったので一緒に行き、泣く泣く見届けました。

その当時から後ろ髪の写真を撮り、メジャーで測っていたので、おかしな人と言われてました。40センチから始まり50,60,70,80、と切りならも、その時々で、私より髪が好きなのと、良く喧嘩をしたりして.色んなことを乗り越えやっと最高で、88せんちまで伸ばしてくれました.本当に感謝してました。

その頃は、ワンレンがはやった頃もあり、容認してくれてましたが。

流行が終わる頃、ちょっと長すぎるのでおかしいと、友達に言われたり、美容師さんに、長い長いと茶化されたり、周りの人に、言い意味でも、悪い意味でも髪が長い、といわれることに彼女なりに悩んでたんでしょうね。そんな事気にするなと、慰めていたのですけど余りにも悩んでいたのを見て,どれだけきりたいのと聞くと,有難うと言い,今90センチくらいだから、30センチくらい切りたいのと御願いと言われ,そんなに貴方が愛してくれるならいいよとも言ってくれたのですが、私も彼女を好きだったので,許してあげました。

そして彼女は,愛してくれているこの髪を貴方がハサミを入れてくれといわれ、前前からほかの人に切られることが、嫌だったので、快くOKしました。

ちゃんと希望どうり真っ直ぐ切り揃えてあげました。凄く喜んでくれた彼女の顔を見たとき悲しかったけど良かったと思いました。それからずーと、彼女の髪は、私が切ってあげてます。50センチ以上短くしないと言う約束で,流行を取り入れつつ切ってます。

そんな感じです。でも長い髪がすきと言う事かわりありません。

そう言う気持ちを引きずりつつ,貴方様のサイトにめぐり合えた事とても救われた想いです。これを期会に仲良くしてくださるようお願いします。今後とも宜しくお願いします。

1999/08/29  垂らし髪至上主義  FDRAGON

 まとめ髪が好きな方には申しわけないが、私はまとめられてしまった超ロ

ングにはこれっぽっちも魅力を感じることができない。同様に編み髪もぎり

ぎりでファウルとなってしまう。同じ超ロングでも、私は束縛されていない髪、

垂らし髪がいちばん好きだ。

 

 なぜまとめ髪ではダメなのか。確かに、まとめ髪を見たとき「これがほどか

れたらどれくらいの長さになるんだろう」と思う。だが、それでワクワクするよ

りは「ああ、せっかくのロングヘアが・・・もったいないことをしているな」と

いう思いの方が先に立ってしまう。長い年月をかけて伸ばしてきた髪も、私

のように超ロングに目ざとい者ならいざ知らず、大多数の人はそこに超ロ

ングがあることにすら気づかずにすれちがっていく。いちばんかんじんの

「長さ」が分からないのでは、超ロングの存在する意味を否定されている

ような気さえしてしまう。

 編み髪の場合、長さは何とか分かる。しかし、せっかく毎日毎日苦労して

手入れしたまっすぐできれいな髪だったとしても、編まれてしまってはどれ

だけ入念に手入れされた髪なのか分からなくなってしまう。編んでばかりで

は「編みグセ」がついてしまい、せっかくときほぐしても妙なウェーブがとれ

なくなるのではないかと他人事ながら心配してしまう。そして、それほど少

なくない量の髪でも先細りしているかのように見せてしまうことがある。これ

は大きなマイナスだ。

 

 例外的に、髪の根元で一回だけしばるのは良い。束縛されているのは

根元だけで、他の大部分はフリーになっているからだ。これなら全てフリー

にしているのとそれほど違いはない。ただ、これも首の辺りでしばって単純

に一本結びにしただけの方が圧倒的に多いのは惜しい。もう少しアップ位

置でまとめてポニーテールにしたり、さらに左右に分けてサイドテールにし

たりすれば軽快でチャーミングな印象になる。一本結びで背中に密着して

いた髪は身体のラインを離れてその存在を独自に主張し始め、空間の自

由を得てしなやかに動きだす。「躍動する髪」というあまり見かけることの

ない光景は、周囲の視線を捕らえて離さない。

 

 目立たないことが美徳とされたのははるか昔の話。今の世の中、超ロン

グというそう簡単に真似のできない個性を持っているのなら、もっと他人に

見せびらかしたってバチは当たらない。道行く人を振り返らせ、ため息を

つかせ、小さな女の子に「あのお姉ちゃんみたいにキレイに長く伸ばそう」

と思わせてやるべきだ。

 むろん、超ロングを垂らそうとすればいろいろと弊害が出てくる。食事を

すればソースがつき、電車のドアやエスカレーターに挟まれ、雑踏を歩け

ば他人の手や服のボタンにひっかかる。風が強ければ、せっかく手入れ

した髪が見苦しくもつれてしまうかもしれない。サイドテールなど、絶えず

身体の前に落ちかかったり束がほぐれたりして気を抜く暇もない。しかし

そんな大変そうな仕草も魅力のうちだから、差し引きゼロと言ってもいい

だろう。

 

長い髪が大変なことは分かっているつもりだが、私はあくまで傍観者で

あり、重みのある言葉にはなり得ない。しかしそれでも私は、せっかく超

ロングを持っているなら垂らすべきだ、と思わずにはいられない。

 風に吹かれてゆっくりとうねるとき、くるっと振り向く持ち主のあとを髪が

ついていくとき、無意識のうちにすーっと手で梳いたとき・・・超ロングヘア

は垂らしたときにこそ、それが持つ魅力の多くを振りまいてくれる。

 

 超ロングヘアは「垂らしてこそ華」なのだ。

1999/10/28 ロングヘア礼賛  たっちゃん


僕がロングヘア好きを意識したのは小学校1年生ぐらいからだと思います。次に書

いたようなできごとをおぼえているからです。

 

当時仲良しにしていた近所の女の子と家でテレビを見ていました。テレビでは、

バトントワラーだったと思うのですが、若い女性が二人踊っていて、片方はショー

ト、片方は胸までぐらいのロングでした。ロングの女性の躍動する髪を見なが

ら、僕はその子に「この二人の女の人の髪形、どっちが好き」と聞きました。

するとその子は「こっちの短いひと」。少しがっかりした僕が「なんで?」と

聞くと彼女は「だって暑苦しいもの」と、ほんとに煩わしそうな調子で言いま

した。ちなみにその子の髪の長さは肩に届く程度のおかっぱでした。

 

それ以上の会話は進展しなかったと思うのですが、その時僕は、自分のロング

ヘア好きを自覚し、同時に、女の人にとって長い髪を保つのはそれなりに楽な

ことではないらしい、ということにはじめて気づいたのです。なお、この会話

は私が小学校1年の2学期までに行われたもののはずです。その年の暮れ、私

の家は引っ越してしまい、以来その幼なじみの子ともずっと会ってないのです。

 

それ以後、雑誌やテレビで街角で、長い髪の女性を見るたびにワクワクしてい

たと思います。大学生のころは、みなさんと同じく、テレビジョッキーの髪長

美女大会に見とれ、プレイボーイ誌に載ったデブラ・ジョー・フォンデルンの

写真や、レコード屋でみかけたクリスタル・ゲイルのジャケットを見てため息

をついていました。駅で膝丈のロングの女性にすれ違って、そこで足をとめて

彼女の後ろ姿が見えなくなるまで立ちつくしていた記憶もあります。

 

そんなわけで、嗜好としてはあまりにもありきたりですが、ロングヘアは長け

れば長いほど素敵なのですが、鑑賞するとしたら、超ロング、お尻を越えるほ

どの長さから、足首ぐらいまでの長さを一番好みます。ゆかをひきずるほどの

長さの方ももちろん素晴らしいのですが、これだけ長いと、髪をまとめるか、

手で持つかしないと、歩くときに踏んづけてしまう。要するに、自然に流れて

揺れている髪、というのが、長すぎて見れなくなってしまうわけですね。そこ

までいかない状態が好きなんだと思います。少し前に「The Long Hair Site」

で紹介されたシンディ・クリスチャンさんの歩く姿、車に乗るところなどのビ

デオクリップは本当にすばらしく、ダウンロードしたものをときどき眺めてい

ます。

 

そして、ここは是非強調したいのですが、僕にとってロングヘアは、いわゆる

フェティシズムの対象にはちがいないのですが、しかしそれは陵辱したいとい

うような野蛮な感情ではありません。それどころか、あくまでその美しさを賞

賛する対象です。

 

超ロングぐらいになると、賞賛だけでは足らず、ほとんどその女性を尊敬して

しまいます。

 

超ロングヘアが、長くなればなるほど、立ち居振る舞いや美しく保つことやら

に大変な労力が必要になることは言うまでもありませんよね。それ自身の重さ

のために頭痛になったり、肩こりの原因になったりして、どうしてもある長さ

以上伸ばせない体質の人さえいると聞きました。かりにそういうことがなくて

も、そのように突出した外観を持つことは、同性の嫉妬や異性の好奇の目に自

らをさらすことになります。しかも、どんなに美しく保っても、あるいは男性

の目をひきつけても「あなたは私に興味があるのか、私の髪に興味があるのか」

というような問いがふと頭をかすめることもあるでしょう。

 

このように、実生活上の不便やリスク、さらには存在論的な不安まで、超ロン

グヘアを保ち続けることのデメリットは、はかりしれないものがあると思いま

す。そんなハンディをあえて負ってまで、美しく長い髪を自分のアイデンティ

ティにしたい、というとき、人によっていろいろ理由はあるのでしょうが、そ

こになにかその女性の個性を感じるのです。たとえば、そんな面倒くささを屁

ともおもわない脳天気さを感じる場合もあります。髪にくるまれている自分へ

の自己陶酔を感じる場合もあります。また、これは邪推かもしれないと思いま

すが、顔や体形などに自信がない女性が、ここだけは負けない、と美しい髪を

キープしているのだろうかという風に感じる場合さえあります。それぞれの動

機が、私にはあるいはほほえましく、あるいは切なく迫ってきます。そんな彼

女たちの生きざまに、僕は尊敬の念を抱かざるを得ないのです。

1999/11/13 ロングヘア女性を妻に   赤ひげ

私は女性のストレートのロングヘアが大好きです。

毛髪以外がどんなに魅力的な女性であっても、ショートであればもっと伸ばせば

いいのに、と思うし、パーマが掛かっていると残念に思う方です。

そして、できれば着色していない髪が一番いいですね。

私の場合、長さはあまり欲は言いません、腰まであればいちおう満足です。

 

さて、妻との出会いはもう30年ほど前、私が21才位の頃になります。

以前勤務していた職場の同じ構内にある関連団体に勤めた彼女とは、週1度の、

朝の屋外清掃の時間に遠くから眺めるときと、たまに業務関連で書類の受け渡し

で出会う程度でしたが、束ねてなくてもう少しで腰まで届きそうな髪は遠くから

でもよく目立ち、気になる存在でした。

 

彼女とは特に親しくするわけでもなく、遠くから眺めているだけの存在でした。

1年ほど経ち、いろんないきさつで私は退職・脱サラすることになりました。

ある日、まもなく明け渡すことになる宿舎の部屋に、留守中誰かが侵入した形跡

があり、台所が片づけてありました(このことは暫くの謎でした)。

後でわかったことなんですが、そのときの訪問者は彼女だったのです。

蓋を開けてみれば「お互い気になる存在」だったわけですが、それから急激に親

しくなり同棲→結婚、新規事業は二人三脚でスタート、現在に至っています。

 

妻自身は別にロングヘアが好きなわけではなく、真相はズボラに何もしないので

自然に伸びたというだけのことだったんですが、私のロングヘア好きを知ってか

らは、積極的に伸ばし、手入れもよくするようにしてくれました。

ヒップのあたりまで伸び、直毛で艶々として、とてもいい香りのする髪でした。

その髪の毛に顔を埋めて愛撫するのは最高の幸せでした。

 

子供が産まれ、子育てで大変な頃まではショートにしていた時期もあります。

髪の長さ故の煩わしさに我慢ができず、ヒステリックに癇癪を起こす、というよ

うな状況になり、仕方がなかったんです・・・。

何しろ自分自身が好きで伸ばしているわけではなし、ロング故に手間の掛かるよ

うなことがあると口癖のように「短くしたい」と言う女でしたから。

 

ショートヘアのとき、こともあろうに勝手にパーマを掛けたことがあります。

私もそのときは頭にきました。

妻がおなじ文句を言ってても数倍憎ったらしく聞こえるし、私が小言を言うとき

も語気が荒くなり、妻の服装も男のような格好をしたがるし、顔を見るのも嫌に

なるような気分になっていきました。

中身の人格は何も変わっちゃいないハズなんだけど、外見次第で、受ける印象は

こうも違うもんなんです。

なんだかギクシャクした感じになり、妻は「離婚したい」と口走ることが多くな

りました。

 

髪が伸びてくるにつれ、まぁ何とか離婚の危機も去り、子供も二人になり、現在

に至っております。

私と一緒になったせいで人生の殆どをストレートのロングヘアで過ごした妻は、

今でもときどき、髪を切りたい、茶髪に染めたい、パーマ掛けたいなどと言うこ

とがありますが、「今のままが一番いい」と言うと何とか思い留まってくれます。

歳もとり、五十肩っていいますか、腕が上げ辛くなり、髪を洗うのに難儀するよ

うになったので、洗髪は私が手伝ってあげています。

 

もう白髪混じりになっていますが、妻のロングヘアは永遠に私の宝物です。

近い将来、白髪のロングヘアになったとしてもそれはそれで魅力的だろうな〜、

と思っています。

1999/12/28 ある初夏の午後の想い出  星に願いを 

最近自宅でインタネットをはじめ、1週間ほど前から貴サイトにはまっています。

皆さんの、ロングヘアへの思いが伝わってきて、とても楽しませていただいております。

もうサラリーマン?十年目の男です。

 

私も女性のロングヘアにあこがれ始めたのは確か小学校高学年だったと思います。

私の思いや体験はこれから徐々に告白させていただくとして、

今までの人生で一番印象に残っていることを話します。

・・・・・・・・・・・・・・・・

私は前髪の長い女性が好きです。

理由は顔にすぐに垂れてしまう髪を掻き揚げる姿の、セクシーさによるものです。

 

昨今の通勤電車は空調も良く効いて、女性の髪を乱してしまう扇風機の無いタイプが多く、

髪も伸ばしやすいはずなのに、めっきりロングヘア女性が減ってしまって残念です。

でもたまに古いタイプの電車がくると、扇風機が頭上で音を立てていています。

その下に長めの前髪の女性がいて、何秒かごとにサラサラと髪を顔にかけられては、

その度に掻き揚げて直し、その甲斐なくまた乱されては・・・を繰り返す姿を見られると、

貴サイトで扱うようなスーパーロング女性は望めなくとも、その日は少しドキドキした気分になります。

(犠牲者でもあるロングヘア女性には、もうしわけないです)

 

さて、その昔は電車にはクーラーすらない時代がありました。

これは、私がまだ高校に通い始めたん!十年前のことです。

学校は都内のターミナルから、速い電車で20分くらいでした。

少し暑くなり始めた5月下旬だったと思います。

いつものように午後の帰宅時間に電車にのり、空いている扉の脇の席に座りました。

座席はほぼ満席で、立つ人もちらほらです。

何気なく前を見ると、個性的な素敵な女性がすわっています。

おおきな絵画用キャンパスを前に立てて、道具が入っているらしい大きな荷物を

2.3個ひざに抱えています。いかにも、美術関係者か美術大生といった感じです。

髪はストレートで、背中の下・腰より少し上くらいで、前髪も長めで彼女自身の左(向かって右)サイドに

分け目をつけて、斜めに流しています、まっすぐ下ろすと顎くらいまでのようです。

とてもハッピーな気分になった私は、彼女の隣席が空いていていることにも気づき、

でもいまさらそこへ移動する勇気もなく、正面から眺められることで満足しようと思いました。

やがて電車は快調にスピードを上げて行きます。すると前の車両から別な男子高校生が

4人くらい、がやがやしゃべりながら車両を移動してきました。

一人が彼女の隣に腰掛け、”あついあつい”と言い合いながら、彼らの後ろの窓を全開にしてしまいました。

おりしも電車は高台の上を走り、いつもは心地よい風が流れる場所です。今日は風もあるのか、

強風が彼女の斜め右後ろから直撃してしまい、彼女の長い髪はあおられて、まるで彼女の胸から上を、

黒い袋でかぶせたような姿です。彼女は一生懸命髪を振り払うしぐさをしますが、強風には効果はなく、

また腕は前のキャンパスを風から支えるのでいっぱいで使えなのか、

髪を掻き揚げることも、押さえることもできません。

風は彼女を翻弄するばかりです。

ついに力尽きてか、彼女は席を立ってしまい、窓が閉まってる私の側の、

斜め前の扉のところに立ってしまいました。

肩からはおおきなキャンパス、両手に重そうな荷物を下げ、

辛そうな表情で電車の揺れからやっと身を支えています。

体制をととのえて、長い髪はいくらか落着きましたが大半が無造作に首にまきついたままです。

さっきはきれいにながされていた前髪も、いかにもかき乱したようになって、むしろ右から分けたように、

うつむいたままの彼女の顔に垂れています。

 

私はとても可愛そうというか、いとおしい気分になって、ついに声をかけました。

”あのう・・・よかったらすわってください・・・・荷物うえ(網棚)にあげましょうか・・・”

”あ、すみません”彼女はほっとした表情ですわりました。

荷物は結構重く、女性が網棚に上げるのは不可能でしょう。

その後彼女は手荷物から小さな手鏡と、ブラシを取り出して、髪の乱れたところを直しています。

その姿もセクシーで、でもまじまじと見入るわけにも行かず、

私は本だけは開いて、でも姿に見入っています。

 

やがて電車はターミナル駅に到着し、私は荷物を下ろして差上げました。

彼女は、にこやかな顔で

”どーもありがとーございました、たすかりました”と丁寧にお辞儀されて、

そのときも肩から前に落ちる長い髪、顔に落ちる長い前髪の、

しかもブラシ直後のサラサラと、なんと見事なこと!、

”あ、いえ、どーも”胸が高鳴り、それしか言えなかった若い日の私・・・・

誇らしげに?長い髪を振り戻して、彼女は立ち去っていきました。

 

その後は彼女を見かけていません。

何でもっと話しをしなかったのか、せめて見事な髪を一言誉めたい、

と思いつつ月日はたってしまいました。

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話しは以上です、今にして思うと、このアクシデント、何か天女か妖精を見てしまったような気もしています、大切な想い出です。

初めて他の人に話しました。


ロングヘアマガジン