'2000 Summer 本州〜北海道 原付で行く宗谷岬


前書き
 実は、原付で行く旅行は初めてではない。2年前の春、自分と友人Aは原付でどこか旅行に行こうと言う話になっていた。当時、原付に乗りなれていた我らは、手始めにどこか遠出をしようという話になっていた。そもそも原付(50ccバイク)は本来遠出に使うような乗り物ではない。自転車代わりに街中を軽く乗るのが一般的である。しかし、当時の我らには、常識を覆すような旅に憧れていた。そこで、慣行したのが、原付で行く富士山麓&伊豆半島一周の旅である。この旅は日帰りで行った。その走行距離およそ400km。正直きつかった。パトにもお世話になりそうなった。しかし、原付もなかなか面白みがあると感じた旅行でもあった。この旅行で得たノウハウを元に、いざ日本の最北端へ。出発である。

程1日目   9月2日 (SUN) 晴れ
千葉県千葉市〜栃木県宇都宮市〜福島県郡山市
 
 今回の旅は事情があって、千葉県千葉市の出発となった。この日の天気は快晴。いい感じだと思い、千葉市街を出発。愛車はYAMAHAのJOGである。荷台にはリュックサク1つ分の荷物と寝袋。実はこの旅行、私のバイトの為、9月8日(土)までに帰還しなくてはならないということがあらかじめわかっていた。そこで、ある程度強行な日程なることが予想されていた為、寝袋持参となった。出発してすぐに、心地悪さを感じるようになった。天気は快晴なのだが、強風のため、目にほこりが入り、前方の視界もままならないのである。千葉から国道4号に出るため、国道16号を柏方面に北上中のことである。私は簡易グラサンしか持参していなかった為、仕方なく国道16号沿いのバイクショップでツーリング用ゴーグルを購入した。順調に走行し、国道4号へ。新道を選択した為、利根川陸橋が有料だった。原付の通過料は50円。うーん、取る意味があるのか??。この辺りの国道4号は1車線でトラックも多い。昼間だけにある程度走りやすかったけれども。餃子の町、宇都宮も通過。餃子大好物の私としては立ち寄りたいのが山々だが、時間も無いので距離を稼ぐ。白河市も通過。2年前に集中豪雨があったところだ。夕方になり、雨がぱらつく天気となる。バイク旅行に雨は大敵である。取りあえず、荷物の雨乞いのため、コンビニで家庭用ビニール袋を購入。これで荷物を包み再び出発。しかし、郡山市の手前で雨が豪雨並に激しくなる。辺りも暗くなってきたことと合わせ、これ以上進むのは危険と判断。郡山で一泊することとした。翌朝からの強行日程を予想し早めに寝床に着いた。

程2日目   9月3日 (MON) 曇り時々雨
福島県郡山市〜宮城県仙台市〜青森県青森市
 
 6時半に起床。今回、事情でこの日から合流する友人から携帯電話に留守電が。仙台の手前大河原町で待っているとのこと。なに、先を越された。すぐに身支度を整え、7時過ぎに出発。朝食は軽くコーヒーとパンをとった。この日はひたすら国道4号を北上である。福島県北部辺りから、信号のほとんどない道路となる。原付といえども事実上60kmは出すことが出来る。明記はしないが、いいペースで進む。午前10時過ぎ、大河原町のケーズ電器駐車場で友人と合流。ここでまた雨がぱらつく。俺って雨男なのか?ここからは2人の旅となる。友人が前を走り、私が後ろからついていくという展開に。友人がペースメーカーとなり、いいペースで国道4号を北上。仙台も通過。昔、車でドライブにきた記憶を思い出す。午後1時頃、遅めの昼食。カレー壱番館であった。昼食後、出発。荷台の荷物が不安定であったので、アイテムをゲットし、強く縛り付けることができた。走行中気になってきたので、この問題の解決は大きかった。青森まで280kmなんていう看板も出てきて、しばし愕然とするものの、ひたすら走る。今夜中に函館行きフェリーに乗りたいという気持ちもあった。青森県に入って、日が暮れてきたこともあ。、急激に寒くなる。バイクには寒さも大敵である。東京が30℃なのに、なぜかこちらは16℃。早めの秋の到来か。青森のガソリンスタンドで、スタンドの親父と会話が弾んだ。今夜中にフェリーに乗りますと言ったら、ぎりぎりかなってアドバイスしてくれた。それから、同じく青森県内のコンビニでの出来事。コンビニで休憩中、地元民らしき親父が、我らのバイクを見て話し掛けてきた。「ポケバイでよくここまできたなあ、頑張れよ」ありがたい言葉だった、しかーし。ポケバイって??ポケコンじゃあるまいし。うーん最高。深夜、青森港に到着。間に合った。夕食を取っていないので、店を探すが時間が時間だけに適当なところが見つからない。フェリーターミナルの中の24時間営業の食堂で済ます。ここも調理のオバチャンが気さくな人だった。会話が弾んだ。午前1時10分発の函館行きフェリーに乗船。早朝5時に到着予定だ。フェリーはそれほど混雑もしておらず、十分寝転がるスペースを確保することができた。つかの間の睡眠を取る。関東出発から丸2日で北海道へ。なかなかのハイペースである。

程3日目   9月4日 (TUE) 晴れ
青森県青森市〜北海道函館市〜北海道札幌市〜北海道天塩郡
 
 早朝、函館フェリーターミナル着。函館市内へ。何度も観光できている函館、やっぱり良いなあと感じる。函館駅、函館山に立ち寄って、いざ札幌へ出発。国道5号経由で行くことに。函館出発時に札幌まで283kmという標識が。うーん、先は長い。この日の午前中もひたすら走り続けた。大沼公園や海岸沿いの風景に見とれながら。途中ちょっとしたアクシデントが、風景写真撮影のためにバイク前ポケットに入れておいたカメラが落下。フイルムが飛び出してしまい、今までとった写真がパーに、まあ仕方ないか。国道5号は交通量も少なく、ものすごく快適。いいペースで進む。うーん、だんだん青看板の地名の漢字が読めなくなってきたぞ。正午前後には海岸線に出て小樽を通過。あの海岸線は本当に絶景。一度訪れる価値は絶対あります。マイカル小樽前も通過。昨年の北海道旅行を思い出す。順調に飛ばし、午後1時前後に札幌市内到着。お目当てのラーメン屋が臨時休業のため、腹ごしらえをするべくバイキングレストランに向かう。まあ、札幌ラーメンは何回か食べてるからいいか。ランチタイムということもあって、バイキングでも価格は手頃。たっぷりと腹ごしらえして、いざ稚内方面へ。稚内へは石狩平野経由の国道231号線を選択。いざ札幌を出発である。途中、東京の友人へ至急送らなければならない書類に気が付いた私は、石狩郵便局にて用件をすます。石狩の消印もいい記念になるであろう。石狩平野は広大で最高だ。車も少なく、思い通りの走行ができる。第1の経由地、留萌まで札幌から約120km。中々の距離である。国道231号線は海岸線で景色のすばらしい道路だった。しかし、ほとんど車はいなかった。周辺人口が少ないのであろう。しかし、なぜか。道路工事だけ頻繁に行っていた。この道路、交差点もないので、信号で止まることもない。引っかかるのは工事現場だけであるとういう珍現象だった。留萌に到着した頃には、日はとっぷりと暮れていた。留萌出発時で、稚内まで184km。今日中の到着も目論めたのだが、1つ大きな問題にぶち当たった。北海道は一部市街地を除けば、ほとんどが原野である。留萌から稚内方面へは国道232号線であるが、ここまで来ると、町らしい町が30〜40kmに1つしかない。ここで問題になったのがガソリンであった。原付は満タンでも5リットル程度しか、ガソリンを積むことが出来ず、1回の給油での走行距離は150km程度が一般的な限界である。稚内まで184kmであるが、時間的な問題もあり、この先のガソリン給油が難しい状況になったのである。しかし、いけるところまで行くと言う結論に達し、留萌で最後の給油をしを出発した。この道路は孤独な戦いであった。前述したように町らしい町もない。夜も老け込み寒さもある。そういえば、この辺りで、風力発電の装置をみた。巨大プロペラである。夜も10時に差し迫ったころ、体力と気力の限界を感じ、一端泊まることとした。町明かりの見える地域で、寝袋持参であるので、寝床探しに入った。寒さもあったので、バス停の中に寝袋で泊まることにした。北海道のバス停は雪対策で小屋形式になっている。始発のバスまでには起きるということにして、この日は眠りについた。稚内の手前60km程の地点でのことである。

程4日目   9月5日 (WED) 曇りのち雨
北海道天塩郡〜北海道稚内市〜宗谷岬〜北海道札幌市

 6時半起床。始発バスはまだ来ない。身支度を整え出発。北海道の朝は9月でも寒い。最大の寒さ対策をとる。まず、最初のガソリンスタンドで給油をした。ガソリンが無いことには何も始まりません。ガソリンスタンドの支配人に国道でなく、海沿いの道道を勧められた。景色が最高であると言うことである。この道への分かれ道のところにコンビニを発見。朝食を取った。私はパンとおにぎり。私の友人は朝からカルボナーラをたしなんでいた。しかし、これがなかなかうまそうである。腹ごしらえ後、出発。天気はうす曇といったところか。北へ向かう道道104号は原野の中を走り抜けるという感触だった。信号は1つも無い。海側には利尻島や礼文島を望むことが出来た。順調に走り午前9時過ぎに最北端の駅、稚内駅に到着。前回来たときは真冬の大雪の日であったから対照的である。鉄道の旅なら定番の地であるが、原付とともにはるばるここに来た人間はそうはいないだろう。軽く休憩し、真の最北端の地宗谷岬へ出発。標識によると約30kmだ。国道238号を北へ一路、走ること約45分、宗谷岬着。時刻は午前10時10分。最北端の碑も健在だった。達成感は格別である。オホーツク海を望み、北の大地の最北端に立つ。この瞬間がたまらない。最北端到着の記念スタンプもゲットした。やはりこの地はツーリングには欠かせない目的地のようである。かなりの数のバイク、車が駐車場には止まっていた。各地様々なナンバーである。関西のナンバーも目立った。自転車野朗も数名。また、”最北端”と名のつくお店も目立った。最北端の民宿、最北端の食堂、最北端のガソリンスタンド・・・・。我らも最北端のガソリンスタンドで給油し、いざ帰郷に向け出発した。帰りは国道238号から275号、40号と下り、旭川経由で札幌に戻ることとした。北海道には普通は読めない地名が多い、例えばこれ”音威子府”。皆さん読めますか??旭川へ向かう道では常に雨に打たれた。しかも豪雨。つらかった。スタンドで雨宿りしようと思っても、屋根つきのスタンドがないなんてこともあった。ここに来て、尻が痛むのでザブトンを購入した。しかし、雨が降ればザブトンもビニール袋で包まなくてはならなかった。旭川の手前で雨宿りも兼ねてラーメンを食べた。9月であるのに、熱いスープが最高であった。旭川市内のスタンドでの出来事。ガソリン価格の看板をみて安い!と思って入ると、なんと、「バイクの方は、会員価格の10円高になります」とのこと。もちろん看板の価格は会員価格であるから予定の10円高で給油することに。まあ入ってしまった以上仕方ない。旭川から札幌へ向かう頃には日もとっぷりと暮れていたが、雨は弱まる傾向にあった。旭川〜札幌の国道12号は幹線道路らしく交通量がかなり多かった。北海道内で一番多いのではないだろうか??雨天の夜ということで、慎重に原付を運転した。札幌についたのは午後9時半過ぎ。ここ何日か入浴していないので、銭湯を探すということになった。タウンページで見つけた、北海道大学近くの銭湯に行った。うーん最高の湯!しばし休憩。金曜の夜ということで、銭湯を出ると、ほろ酔いの学生連中が集まっていた。銭湯近くのスタンドで給油した頃、午前0時を回った。

程5日目   9月6日 (TRS) 晴れ
北海道札幌市〜北海道苫小牧市〜茨城県大洗町

 給油した後、遅めの夕飯を食べに言った。と言っても時間が時間なので、コンビニで済ませることに。この後、私と友人は別の方法で帰還に向かうことが決まっていた。私は9月8日(SAT)にどうしてもはずせない用事がある。今からでも帰れないことはないが、万一に備えてフェリーの予約をしておいた。苫小牧〜茨城県大洗までフェリーで行き、その後は再び原付で千葉まで帰るという計画である。私の友人は時間的余裕もあるというので、再び原付で来た道を引き返すと言う。コンビニで食事を済ました後、いよいよ別れのときが来た。午前2時過ぎ、あたりは当然真っ暗で、多少寒気もする。無事帰還することを誓い、
それぞれの帰宅の道へ向かった。私は国道36号を一路苫小牧へ、友人は国道230号で中山峠方面へ。それぞれ帰還して再会を約束して。札幌〜苫小牧へは約60km。真夜中の原付では2時間程度で着く距離だ。フェリーの出発は午前9時45分。時間的余裕があるので、コンビニ缶コーヒーを買うなりして適度なペースで進む。札幌市内を抜けて千歳市に入ると、車の数も減ってきた。街灯もまばらになる。1人では走っていると寂しさも感じる。新千歳空港の脇を抜けて、ひたすら苫小牧に向けて走る。苫小牧着は午前4時過ぎ。結局かなりのハイペースになってしまった。フェリー埠頭につくと、運良くフェリー乗り場の建物が開いていた。しかも仮眠に最適なソファーまで。自分以外に目立った客もいなかったので、仮眠を取ることとした。午前5時を過ぎた頃から、幾人か客の姿を見られるようになった、到着のフェリーがあったようである。結局あまり眠ることは出来なかった。午前8時、乗船券発売開始。前から2番目で購入。ちなみに私の前の人間は特等の切符を買っていた。(私は当然2等)。船旅は20時間に及ぶ為、買出しに出かけた。食料、雑誌、飲み物等を購入。そして忘れちゃならない土産も購入した。北海道と言ったらスタンダードの「バターサンド」と「白い恋人」を購入した午前9時過ぎ、乗船開始。まず、原付を乗船させるわけだが、当然のように原付は私1人。バイクは多数、車も多数だったけど。乗船待ちの際、驚嘆の目で見られたのは言うまでもない。2等船室に入ると、一人たたみ1.5枚分のスペースが与えられていた。しかし、切符の売り方が絶妙だった。混雑していたわけではないので、一席おきに発売していたのである。よって、実質1人2人分のスペースを利用できたのである。船内には同じツーリング仲間が多数いた。すぐに打ち解け、多少の酒盛りで盛り上がった。皆、北海道をこよなく愛する者ばかりであった。話を聞いていると、長期旅行の話が多かった。平均で2週間。北海道全土をくまなく回っているというパターンが多かった。船内の設備も整っていた。シャワー、お湯、売店、新聞、テレビ、アルコール類・・・・。長時間の船旅もほとんど苦痛にはならなかった。充実した20時間だった。

程6日目   9月7日 (FRI) 曇り時々雨
茨城県大洗町〜千葉県千葉市

大洗着は午前6時半。下船すると小雨がぱらついていた。そこそこ冷える。雨がひどくなる前に出発。乗船仲間もそれぞれ自分の地へ散っていった。大洗からは国道51号線をひたすら下る。関東だけあって北海道とは道路事情が違う。気温も時間と共に上がってきた。目的地の千葉市まではノンストップで走った。鹿島サッカースタジアム、成田空港などを横目で見ながら。関東の国道はトラックが多い。原付の走行には不向きだ。午前10時前、千葉市内で最後の給油。札幌から給油なしでここまで来れた。午前10時過ぎ、千葉市に帰還。無事に帰ってこれた。満足だ。顔は多少日焼けしただろうか?この充実感がたまらない。愛車もよく頑張ってくれた。以下にこの旅の全データを公開します。

総移動距離 2056km
旅行時間 122時間25分
1日(24時間)最高移動距離 約620km 
最高無信号距離(推定) 約40km
給油回数 17回
総給油量 61.65L
平均燃費 33.34km/L
燃料最高価格  107円
燃料最安価格  93円


以下は私の友人が、札幌で別れてからの様子を語ってくれたものです。行程でいうと、5日目〜6日目に相当します。

 行きは函館-札幌間は5号線を使用したが地形的に相当な遠回りであるため、帰りは230号から37号を経由することにした。ここで問題となるのがやはり給油である。24時間のスタンドがなければ足止めを余儀なくされる可能性があるからである。そのためのショートカットともいえる,札幌から230号方面に向かった。合流したあとも栄えた道が続いた。25kmほどいくと逆車線にスタンドがある。先に進むと急に何もない山道になったのでUターンして給油した。この先は眠気がかなり重度だったので休み休み行くこととした。山越えだがカーブの連続した道もなく無事通過する。海沿いの37号を通って長万部に到着。札幌から146km。5号の標識では札幌まで175km。正解だった。さらにそこに24hのスタンドを発見する。すかさず給油。待機時間なしで続行できた。午前9時半頃函館に到着。乗車券を買う。乗船までに1時間程度あるが、寝過ごしそうなので寝ないこととする。フェリーでは3時間30分の睡眠。つかの間の休息を取る。この睡眠で目が覚めたので一気に距離を稼ぐことにする。青森で今度は4号のショートカットに103号、102号を使用することに挑戦。こちらは選択を誤ったようだ。102号はまだしも、103号は険しい山道で坂も急。旅行前に原付を修理し今回の旅にのぞんだが、修理後、低速で坂が上がれなくなってしまった。そのため、急坂道は厳しかった。上り坂の工事で停められた時は不愉快だった。さらに4号に合流した際のメーターは青森から75km。4号の標識も青森まで75km。選択を誤ったのは間違いない。地図上ではは短くても、実質は変わらなかった。道が彎曲しているからであろう。行きにくらべ今回青森は暖かかった。上かっぱ一枚、手袋なしでOKだった。一番暖かい時間を意識していたことが幸いした。順調に飛ばし8時くらいには仙台の手前まで来る。しかしそこで急激な睡魔に襲われる。丁度、喜多方ラーメン坂内を通り過ぎたので立ち寄って食事。しかし、これが睡魔に拍車をかけた。4号沿いのパーキングで仮眠を取った。1,2時間で起きるつもりで、深く寝込まないように、あえて路面の悪いところを選択し、毛布一枚だけで寝る。周囲の人間が見ると、ふと目を止めるような状況だろうか。しかし目を覚ますと実際は5時間以上も眠っていた。目覚めた際、路面が凸凹にもかかわらず、本当にに家で寝ているつもりの感覚になっていたようだ。起きたときなぜここに寝ているのかわからなかった。状況を把握すると不思議と笑いがこみあげて来た。がぐっと押さえ、コンビニで一呼吸して再スタート。その後は4号で、所々渋滞にまきこまれたが、睡魔が襲って来ることもなく、快調にとばし、8日の午後13時35分に無事帰宅。詳細データは以下の通り。
総移動距離    2843km
旅行時間     110時間50分(9/3 22:45〜 9/8 13:35)
総睡眠時間    約22時間
1日(24時間)最高移動距離  727km
給油回数   24回
総給油量   86.3L
平均燃費   32.9km/L
燃料最高価格  107円(紫波給油所 三菱)
最安価格     93円(JAほくと,4号沿い宇佐美グループの出光(さっそくMYDOカード使用した))
感想         バイト帰りの寝ずの旅だったんで非常に眠かった。

旅行記完結です。感想等があればメール、掲示板に是非お願いします。

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