(不合格通知)
 それは8月末、薄い封筒にて送られてきた。ショックと絶望に打ちひしがれ、郵便受けから玄関までやけに遠く感じられた。
 大学受験のときと同じように、裏打ちの無い自信と楽観視に胡座をかいてしまっていたのか。
 就職課に報告に行くのに躊躇した。どんな顔で報告に行けばいいのだろうと。こう書くと余りに失礼かもしれないが、「参加することに意義がある」のような考えで受検したのではないし、端から2次試験に進むことを自ら疑問視し、同窓会気分で昔の仲間と教採の難さに皮肉をかこいに行ったのではない。自分としても、現役受検として、2次では難しいかなと考えていたが、まさか1次でだとは。
 そんな中でも救いだったのは、教職講習会でお世話になった先生や友人に励まされたことと、1次では筆記試験しかなく、不合格の理由がはっきりしていたこと。つまりは「教養の実力不足で不合格になった」のであって、昨今盛んに教師に求められている人間性がこの不合格の結果に関与していなかったということだ。
 ちなみに、1次試験は教職・一般教養(50点)と専門教養(100点)で、前者が41点、後者が79点という結果だった。
 ここより、「専門で8割以上とらなければ2次にはすすめない」という確証と目標を得ることができた。(※教科によってそのラインは違うと思いますが)

(そして、卒業へ)
 気持ちを切り替えて、10月下旬からがむしゃらに卒論に取り組んだ(2次試験に行くつもりでゼミの合宿発表会の準備も全くせず参加しなかったし。ごめんなさい)。
 おかげで実証史学を自分なりに楽しみ、無事に仕上げることができ(『国史学』に要約が掲載されています)、卒業も許可されたわけだが。
 学業の点では満足のいく成果があげられたが、就職の決まった親友や、正規採用が決まった仲間や講師に採用された仲間を横目で見るにつけ、何も先が決まらず卒業することが非常に不安であった。
 北海道から講師採用の話が来るのだろうか、来なくても田舎に帰るべきなのか、それともこちらでフリーターをしながら過ごすべきなのか。
 結果としては、話は来なくて、関東に残って再挑戦を決めることになった。親のすねをさらにかじることになるが、田舎に帰ってもアルバイトの口も少なく、また残っていたほうが教採に関する様々な情報が多く入ってくると思ったからだ。
 時事通信社の通信講座『Vゴール講座』・『ベストラン講座』を申し込み、メルマガ『e教セミ』にも加入して、教養の復習と情報収集を徹底しようと試みたのもこの頃からだった。なぜこれにしたのか、という確たる理由は無いのだが、思うに同じ時事通信社の『教員養成セミナー』を毎月購読していたことと、予備校に通うお金が無かったからではないかなと思う(予備校での受講は10万単位で捻出できなかった)。他社さんの雑誌を購読していたら、そちらの通信講座に行っていただろうし、自分の学費まで親に頼る気も無かったのだろう。

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