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1.原始・古代
1-1.旧石器時代と旧石器(先土器)文化
1-2.縄文時代と縄文文化
1-3.弥生時代と弥生文化
1-4.大和政権と古墳文化
1-5.推古朝と飛鳥文化
1-6.律令国家形成と白鳳文化
1-7.平城京と天平文化
1-8.平安京と弘仁・貞観文化
1-9.摂関政治
1-10.国風文化


1.原始・古代


1−1.旧石器時代と旧石器(先土器)文化
・日本人の祖先
  人類の誕生…約400万年前の鮮新世(約500〜200万年前)
   次いで更新世(洪積世、約200〜1万年前、氷河時代)、完新世(沖積世、約1万年前〜現在)と続く
  人類の進化…猿人〜原人〜旧人〜新人
  更新世の自然環境と人類
   人類の生活…打製石器、骨器使用の狩猟・漁撈
(ぎょろう)・植物採集
   大型動物(ナウマン像・大角鹿・マンモス・ヘラジカ・エゾシカ)の往来

・旧石器時代の生活と文化
  旧石器時代=先土器時代(無土器時代)
  発見の端緒
   1949.
岩宿遺跡(群馬)の石器群、相沢忠洋が発見
         →関東ローム層(赤土)
   (上高森遺跡(宮城)の「60万年前」の石器は捏造
(ねつぞう)と調査結果断定)
  化石人骨
   牛川人(愛知、1957)、浜北人(静岡、1959)、明石人(兵庫、1931)、港川人(沖縄、1968)
   (葛生
(くずう)人(栃木、1950)は動物及び室町時代の人骨、三ヶ日(みっかび)人(静岡、1959)は縄文人骨と最近の研究で判明
    聖岳洞穴人(大分、1961)も旧石器時代の人骨ではない疑いがある)

  打製石器の種類と変遷
   @楕円型石器(握槌(にぎりつち)・石斧(せきふ)
   Aナイフ形石器(石刃)
   B
尖頭器
   C細石器
  旧石器時代の生活
   狩猟・採集→加熱食


1−2.縄文時代と縄文文化
・「旧石器」から「新石器」へ
  土器+磨製石器=新石器時代

・縄文土器と貝塚
  土器の特色…厚手・縄目模様→縄文土器
  縄文時代…B.C10000頃〜B.C400頃
   土器による時期区分
    草創期(隆起線文)→早期(尖底)→前期(平底深鉢)→中期(火炎)→後期(注口)→晩期(亀ヶ岡)
  生活形態
   狩猟・採集…縄文土器・磨製石器・
骨角器(銛・釣針)の利用
   漁撈の発達(丸木舟)、土器による食料の安定確保→
貝塚の形成
   晩期には一部で水稲農業も(板付遺跡(福岡)・菜畑遺跡(佐賀))
  磨製石器
   石鏃
(せきぞく)・石槍・石匙(せきひ)・石斧(磨製石斧)・石錘(せきすい)・石皿

・集落と社会
  住居…竪穴住居→中央広場を囲み環状集落
  1992.三内丸山遺跡(青森)…計画的なムラづくり、広範な地域と交易・交流をもつ(北海道産の黒曜石)

・縄文時代の信仰
  アニミズム…各種の土偶・石棒、抜歯・研歯、屈葬など呪術的風習
  縄文時代人…アルタイ語族の言語系統に属する


1−3.弥生時代と弥生文化

・弥生文化

  名称…最初に土器が発見された弥生遺跡(東京)から

  時期…B.C3世紀〜A.D3世紀(弥生時代)、前期・中期・後期の3期に区分

  特徴…水稲農業金属器弥生土器(壺(つぼ)・甕(かめ)・高杯(たかつき)・甑(こしき)

 

・水稲農業

  初期…水田は川に近い低湿地(湿田)

   耕作→木鍬・木鋤・田下駄・えぶり

   播種→籾(もみ)の直播

   収穫→石包丁による穂首刈

   貯蔵→稲束を高床倉庫

   脱穀→木臼と竪杵

  中期…水田は灌漑(かんがい)施設を設置して微高地でも(乾田)→耕地拡大(登呂遺跡(静岡))

 

・小国の形成

  集団間の対立抗争

   水利権・耕地をめぐる戦闘→環濠集落・高地性集落吉野ヶ里遺跡(佐賀)・唐古遺跡(奈良))

  首長支配権の強化と墓制

   甕棺墓→支石墓→箱式石棺墓→方形周溝墓墳丘墓

 

・中国大陸の動向

  B.C221〜B.C206、最初の統一王朝

  B.C202〜A.D8(前漢)、強大な国家確立

    25〜220(後漢

 

・小国の連合

  中国の史書(記録)による推定

   『漢書』地理志…B.C1世紀、倭人は百余国に分立。楽浪郡に遣使

   『後漢書』東夷伝…57.奴国、光武帝に朝貢。光武帝、奴国王に印綬を与える

               →「漢委奴国王」(1784.志賀島(福岡)で発見)

            107.倭国王帥升、安帝に生口(せいこう)160人献上

 

・青銅器・祭器の分布

  銅矛(鉾)・銅戈…北九州

  銅剣…(平形)瀬戸内、(中細形)出雲

  銅鐸…近畿

  ※青銅器の祭器化(後期には実生活では鉄器(鉄制農工具)の利用)

 

・邪馬台国

  中国王朝の興亡…220.後漢の滅亡→三国時代

  『魏志』倭人伝

   2世紀後半…倭国大乱→邪馬台国中心の小国連合体

    政治→卑弥呼の呪術(鬼道)を用いた司祭者的首長

    通交→239.魏に遣使→「親魏倭王」の称号と授印、銅鏡(100枚)を賜う

  邪馬台国論争…大和説と九州説

 


1−4.大和政権と古墳文化

・大王の出現

  5世紀頃、大和政権の首長…大王(→7世紀、天皇へ)

 

・東アジアの中の倭国

  好太王碑(広開土王碑)…4世紀末、倭国(大和政権か)、百済(馬韓)・伽耶<加羅、任那>(弁韓)諸国と結び、高句麗新羅(辰韓)と対抗

              ※石上神宮七支刀(奈良)

  『宋書』倭国伝…5世紀、倭の五王(讃・珍・済・興・武)が朝貢

          雄略天皇=武=ワカタケル大王

          ※稲荷山古墳出土鉄剣銘(埼玉)、江田船山古墳出土大刀銘(熊本)

 

・中国大陸の諸王朝

  晋(265〜316)

  五胡十六国(304〜439)

  南北朝時代(439〜589)…南朝(宋・済・梁・陳)

 

古墳文化

  古墳時代3世紀半ば〜7世紀初頭(前期・中期・後期)

  古墳…被葬者の業績をしのぶとともに、自らの司祭権・支配権を内外に示す

   形態…方墳・前方後方墳→前方後円墳→規模の小さい円墳

      墳丘や周濠の斜面に葺石

   内部構造…竪穴式石室粘土槨(ねんどかく)→竪穴式石室・木棺→横穴式石室(遺体を安置する玄室とそれに通ずる羨道)

   埴輪(円筒埴輪)

   副葬品(鏡・玉(前期)、刀剣・馬具(後期)など)

  巨大古墳(5世紀)→群集墳6〜7世紀)へ

   大山古墳(伝仁徳陵)〜百舌鳥古墳群(大阪)

   誉田山古墳(伝応神陵)〜古市古墳群(大阪)

 

・民衆の生活

  住居…竪穴住居(方形・切妻)、平地住居、高床住居

     「カマド」の使用

  土器…土師器(はじき)〜弥生系(素焼)

     須恵器(すえき)〜朝鮮系(ろくろ、窒焼)

  農業…乾田、鉄製のU字形刃先

  祭祀…祈年(としごい)祭・新嘗(にいなめ)

  信仰…「禊(みそぎ)」と「祓(はらえ)

     太占(ふとまに)盟神探湯(くかたち)

     氏神・産土神信仰

 

・渡来人の移住

  4〜5世紀

   弓月君…養蚕・機織→秦氏

   阿知使主(あちのおみ)…文筆→東漢氏

   王仁…論語・千字文(儒教漢字の伝来)→西文氏

   技能集団(品部)…韓鍛冶部(からかぬちべ)・陶作部・錦織部(にしごりべ)・史部

   「隅田八幡宮人物画像鏡」

  6〜7世紀

   五経博士、易・暦・医博士

   司馬達等(しばたっと

   観勒…暦本

   曇徴…紙・墨など

   6世紀半ばには『帝紀』・『旧辞』がまとまる

 

仏教伝来

  (私伝)6世紀初、司馬達等

  (公伝)百済の聖明王から欽明天皇へ

      538年説…『上宮聖徳法王帝説』・『元興寺縁起』

      552年説…『日本書紀』

 

氏姓制度

  (うじ)氏上→氏人→部民→奴

  (かばね)…氏の家柄・身分

   臣(おみ)…平群氏・葛城氏・蘇我氏――皇別氏族、氏の名は居住地域による

   連(むらじ)…大伴氏・物部氏・中臣氏――神別氏族、氏の名は特定職務による

   朝廷(中央)→臣・連(大臣大連)…国政担当

伴造(とものみやつこ)(世襲的職業集団)や品部を率いて朝廷に奉仕

   地方→(臣・連)、君(公)、直(あたい)、首(おびと)、村主(すぐり)、史(ふひと)

   <地方官>…国造(くにのみやつこ)、県主(あがたぬし)、稲置(いなぎ)

 

・部民

  人民

   豪族…部曲(かきべ)

   大王家…品部(しなべ)名代・子代(なしろ・こしろ)、田部(たべ)

  土地

   豪族…田荘(たどころ)

   大王家…屯倉(みやけ)

 


1−5.推古朝と飛鳥文化

・推古朝(592〜628)の政治と蘇我氏

  朝鮮半島情勢

   512.大伴金村、百済に任那4県割譲

   527.筑紫国造磐井が朝廷の任那救援・新羅征討軍を阻止…磐井の乱

  朝廷内部

   蘇我氏・物部氏・大伴氏の3豪族の争い→587.蘇我馬子物部守屋を滅ぼす

   592.蘇我馬子、祟峻天皇暗殺→推古天皇即位、聖徳太子(厩戸皇子)の摂政就任

   603.冠位十二階の制…徳・仁・礼・信・義・智を大小に分けて12階→後の官人制のもと

   604.憲法十七条

 

・遣隋使と遣唐使

  遣隋使581〜618)

   607.小野妹子を派遣。翌年、裴世清(はいせいせい)と帰国

   608.小野妹子を再度派遣(国書に「東天皇〜」と天皇の呼称使用)

     留学生に高向玄理(たかむこのくろまろ)・僧(みん)南淵請安(みなぶちのしょうあん)…大化改新思想に貢献

  遣唐使618〜907)

   630.犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)を派遣

   894.廃止

  結果・影響…文化の吸収、国内で『天皇記』『国記』の編纂(→大化改新で大部分焼失)

 

・仏教と飛鳥文化

  寺院

   法興寺(飛鳥寺→元興寺)――蘇我氏の氏寺

   法隆寺(斑鳩寺)――聖徳太子建立

    法隆寺金堂、中門、歩廊(廻廊)、法隆寺五重塔

  伽藍配置

   飛鳥寺式→四天王寺式→法隆寺式→薬師寺式(塔中心→金堂中心へ)

  仏像…金銅像

   北魏様式…鞍作鳥(止利仏師)ら

    「法隆寺金堂釈迦三尊像

   南梁方式

    「広隆寺半跏思惟像」(こうりゅうじはんかしゆいぞう)

  絵画・工芸

   610.曇徴(高句麗)→紙・絵具・墨などの技法

   法隆寺の「玉虫厨子」

   中宮寺の「天寿国繍帳」

  仏教研究

   三経義疏(さんぎょうのぎしょ)――「法華経義疏」ら三経の注釈書

 


1−6.律令国家の形成と白鳳文化

大化の改新

  蘇我氏(蘇我蝦夷入鹿(いるか))の専横

   舒明(じょめい)天皇の擁立、山背大兄王暗殺

  645.乙巳(いっし)の変(大化改新)

   中大兄皇子中臣鎌足らが蘇我氏打倒のクーデタ→入鹿暗殺、蝦夷自殺→孝徳天皇を擁立

  新体制

   皇太子に中大兄皇子、内臣(うちつおみ)に中臣鎌足、左右大臣は阿倍内麻呂・蘇我倉山田石川麻呂、国博士に僧旻・高向玄理

   645.年号の制定…「大化」、難波に遷都(難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)

   646.改新の詔(四箇条)…公地公民制、地方制度、班田収授、税制

      (当時にこの原文のまま詔が下されたかは疑問…郡評論争→「評(こおり)」の木簡)

   647.渟足(ぬたり)・磐舟(いわふね)柵の設置(ともに新潟)→阿倍比羅夫の秋田・津軽派遣(蝦夷征討)

   649.冠位十九階の制定

 

・朝鮮半島の情勢

  660.百済滅亡

  663.白村江の戦い…百済救援戦争、唐・新羅連合軍に敗北→半島撤退、国内防備(防人・山城・水城など)

  668.高句麗滅亡

  676.新羅の半島統一

 

・壬申の乱と集権体制の確立

  667.中大兄皇子、近江大津宮に遷都

  668.中大兄皇子即位→天智(てんじ)天皇(第38代((称制661〜)668〜671))、近江令完成(施行671〜689)

  670.庚午年籍制定…初の戸籍

  672.壬申の乱

     大友皇子vs大海人皇子→大海人皇子が勝利、翌年即位(天武天皇(第40代673〜686)))

     私地私民の否定、ただし「封戸(ふこ)」給付。飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)に遷都

  684.八色の姓制定…真人〜朝臣(あそみ)〜宿禰(すくね)〜忌寸(いみき)〜道師(みちのし)〜臣〜連〜稲置

  685.冠位48階制定

  ※重祚(ちょうそ)…再び天皇位につくこと(皇極〜斉明、孝謙〜称徳の2例)

  ※称制(しょうせい)…即位式を挙げずに政治を執ること(中大兄皇子、鸕野(うの)皇后(後の持統天皇))

 

・藤原京と律令制

  687.持統天皇即位(第41代690〜697)

  689.飛鳥浄御原令施行

  690.庚寅年籍作成

  694.藤原京遷都(〜710)

  697.文武天皇即位(第42代697〜707)

  701.大宝律令制定…刑部親王藤原不比等

     地方制度――国司〜郡司

     義倉・公出挙の制度

 

白鳳文化645頃〜710頃、主に天武・持統朝を中心とする文化

  官寺造立…大官大寺・薬師寺など

  建築…薬師寺東塔

  彫刻…興福寺仏頭――山田寺薬師三尊像頭部

     薬師寺東院堂聖観音像(とういんどうしょうかんのんぞう)

     薬師寺金堂薬師三尊像

  絵画…法隆寺金堂壁画

     高松塚古墳壁画

  歌人…柿本人麻呂額田王

 

・律令制の展開…大宝律令(701)〜養老律令(718、施行757〜)

  律…刑罰法(八虐・五刑)

     八虐――天皇・国家・神社・尊属に対する罪。大罪

     五刑――笞・杖・徒・流・死

  令…行政・訴訟法など

  格…律・令の修正や補充

  式…律・令・格の施行細則

  中央集権的官僚組織

   二官八省一台五衛府→その下に職・寮・司

    二官…神祇官・太政官(太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・少納言・左弁官・右弁官)

    八省…中務省・式部省・治部省・民部省・兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省

    一台…弾正台

    五衛府…衛門府・左右衛士府・左右兵衛府

   地方官司

    左京職・右京職・摂津職大宰府・国司・郡司・里長

   行政区画

    畿内七道→その下に国・郡・里を編成

 

・官人の養成

  四等官の制…官位相当の制による官人の序列

   幹部官人の上下関係――長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)

  上級官人の特権

   蔭位の制…五位以上の子、三位以上の子と孫には、21歳時に父祖の位階に応じて一定の位階を授与

  官人の養成機関

   中央に大学、地方に国学

 

・律令制による人民支配

  良賎制

   良民…貴族・公民・品部・雑戸

   賎民…陵戸・官戸・家人・公奴婢・私奴婢――五色の賎

  班田収授法

   6歳以上に口分田支給。郷戸単位で6年に1班

   良男は2段(=360歩=約23a)、良女は良男の3分の2

   家人・私奴婢は良民男女の3分の1(※奴(男)・婢(女))

  条里制…土地区画・班田収授の基本

  税制…租以外の対象者は正丁(21〜60歳男子)、次丁(61〜65歳男子)、中男(17〜20歳男子)

     租の対象者は口分田の班給を受けた公民

   物納税(課)――戸籍(租の台帳。6年ごと作成)・計帳(庸・調の台帳。毎年作成)の利用

    …口分田1段につき2束2把

    …歳役(正丁10日間)を布などで代納――正丁2丈6尺、次丁は正丁の2分の1

    調…布・糸・絹・綿などから1つ――布は正丁2丈6尺、次丁は正丁の2分の1、中男は正丁の4分の1

   労働税(役)

    雑徭…国衙の雑用・土木工事などの国司の使役――正丁60日以下、次丁30日以下、中男15日以下

    仕丁…中央(京)での雑用、50戸につき正丁2人

    (運脚…庸・調を京へ運び納める義務。正丁の義務で食料・費用は自弁)

    兵役…正丁3人につき1人、諸国の軍団に兵士として所属。庸・雑徭免除だが、食料・装備自弁

     衛士(えじ)…京の警備。1年間

     防人…北部九州沿岸の警備。3年間

   その他

    出挙(公出挙)…稲の強制貸付

    義倉…凶作に備え粟を供出貯蔵

  農民の抵抗

   浮浪・逃亡――本籍地を離れて課役などを逃れようとする行動。逃亡は行方不明で調・庸の不納者

  木簡…文字を墨書した木札。地方諸国の貢進物の荷札や官庁間の事務連絡に使用

 


1−7.平城京と天平文化

平城京奈良時代710〜794)…元明天皇(第43代707〜715))が遷都

  規模

   長安の都城(条坊)制を模す

   東西4坊(4.3q)、南北9条(4.8q)

   中央を南北に朱雀大路が走り、東に左京、西に右京、北端は宮城(内裏)

  外交

   遣唐使の派遣、渤海及び新羅と通交

  産業開発

   鉱産資源――石油(越後、668)、銀(対馬、674)、銅(武蔵、708)、金(陸奥、749)

   貨幣鋳造――和同開珎708)、皇朝十二銭12種の銅銭(708〜958)

   蓄銭叙位令711)→廃止(800)

 

・民衆の生活と宗教

  神仏習合で神宮寺、本地垂迹説

 

・土地政策の展開

  律令制的負担の増大→浮浪百姓の増加(貴族・地方豪族・寺社の大経営に吸収)→新法令(逃亡人のかくまい禁止(709)、逃亡先で調庸徴収(715))→郷里制の施行(〜740頃)

  墾田法

   長屋王政権――百万町歩開墾計画722)・三世一身法723、養老7)

   橘諸兄政権――墾田永年私財法743、天平15)→初期荘園形成

 

・奈良朝の政争

  政権の推移(聖武天皇724〜749)、孝謙天皇749〜758)、淳仁天皇758〜764)、称徳天皇764〜770)

   藤原不比等・皇親体制(〜720)

   長屋王体制(720〜729)…長屋王の変(729)で自殺

   藤原四子体制(南家:武智麻呂、北家:房前、式家:宇合、京家:麻呂(729〜737))

   橘諸兄体制(737〜756)…玄ム・吉備真備の登用

    藤原広嗣の乱(740)→遷都(恭仁京(山城、740〜744)→難波宮(744)→紫香楽宮(近江、744〜745))

    国分寺建立の詔741)、大仏造立の詔743、紫香楽宮)

   藤原仲麻呂(恵美押勝)政権(757〜764)

    橘奈良麻呂の変(757)で権力を握る→恵美押勝の乱764)で敗死

   道鏡政権(764〜770)…孝謙上皇の信頼を得、仏教政治を行う

    太政大臣禅師(765)・法王(766)就任→皇位を狙うも宇佐八幡神託事件(769)は失敗

    称徳天皇の死後、下野に左遷

   光仁天皇即位(770〜781、天智の孫)…藤原氏の再進出

 

・支配地の拡大

  東北

   出羽柵設置(708)→出羽国設置(712)→多賀城設営(724)

   公民を柵戸(きのへ)として送り、服属した蝦夷を俘囚として配置

  南九州

   大隅国設置(713)…隼人に対する支配

   多禰(種子島)・掖玖(屋久島)の服属(7世紀末)

 

・奈良仏教

  国家仏教=鎮護国家思想――鑑真の来日(754)

   官寺の建立…南都七大寺(大安寺・薬師寺・法隆寺・東大寺・元興寺・興福寺・西大寺)、唐招提寺

  教理研究――南都六宗(三論・成実・法相・倶舎・華厳・律)

  民衆との関係

   行基〜民間布教、社会事業

   光明皇后〜悲田院・施薬院

 

天平文化

  建築

   東大寺法華堂(三月堂)

   正倉院宝庫…校倉造

   唐招提寺金堂

  彫刻…塑像乾漆像の制作→写実性と細かな造像技術

   東大寺法華堂不空羂索観音像(ふくうけんじゃくかんのんぞう)<乾漆像>

   東大寺法華堂日光・月光菩薩像<塑像>

   東大寺法華堂執金剛神像<塑像>

   東大寺戒壇院四天王像<塑像>

   唐招提寺鑑真和上像<塑像>

   興福寺八部衆像(阿修羅像など)<乾漆像>

  絵画

   仏画…薬師寺吉祥天画像

   俗画…正倉院鳥下立女屏風

  工芸

   正倉院宝物…螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしだんごげんびわ)など

 

・記紀・万葉の編纂

  記紀

   推古朝…『天皇記』『国記』

   天武朝…『帝紀』『旧辞』

   元明・元正朝…『古事記』712、元明)――3巻、神代〜推古(628)

                       稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦習を太安万侶が筆録

                       日本語音を漢字で表現

          『日本書紀』720、元正)――30巻、神代〜持統(697)

                        舎人親王を中心に編纂

                        漢文・編年体で記載

                        以後、国家事業として修史→六国史

                        ※六国史…『日本書紀』・『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』

          『風土記』713、元明)――各地の地理・産物・伝説など

                       五風土記→出雲・常陸・播磨・豊後・肥前国の風土記が現存

  漢詩

   文人――淡海三船(「唐大和上東征伝」)、石上宅嗣(芸亭(うんてい)…私設図書館)

   『懐風藻』751)――現存最古の漢詩集、1巻約120編

             作者は皇族・貴族(大友・大津皇子ら)

  和歌

   歌人

    白鳳期――柿本人麻呂・額田王

    天平期――山上憶良山部赤人大伴家持・大伴旅人ら

   『万葉集』770頃)――20巻、仁徳天皇〜759まで約4500首

              万葉仮名使用、広い階層の作者

              東歌・防人の歌〜地方農民の素朴な感情表現

 


1−8.平安京と弘仁・貞観文化

・平安遷都と政治の再編

  桓武天皇の平安遷都(平安時代794〜1192)

   経過

    長岡京784〜794)…藤原種継(造長岡京使、式家)暗殺事件(785)

    平安京794〜1869)…山背国から山城国へ(和気清麻呂の建議)

  律令政治の再編

   桓武天皇(第50代781〜806))の政治

    勘解由使の設置…国司の交代を検査監視

    健児の制(こんでいのせい)…従来の軍団制に変わり、郡司の子弟などで構成

    仏教界の革新…最澄空海の入唐(→平安仏教)

    東北経営――伊治呰麻呂の乱(780)→蝦夷征服戦争へ

     征討軍…第1回(788〜789)――紀古佐美

         第2回(791〜794)――大伴弟麻呂

         第3回(797〜804)――坂上田村麻呂(征夷大将軍)…胆沢城設置、鎮守府移転(802)、志波城設置(803)

         第4回(811、嵯峨朝)――文室綿麻呂(征夷大将軍)

   嵯峨天皇(第52代809〜823))の政治

    薬子の変810、くすこのへん)…兄の藤原仲成(式家)と謀り、平城上皇(第51代806〜809))の重祚を策し、失敗

    蔵人所設置(810)…蔵人頭に藤原冬嗣(北家)・巨勢野足

    令外官…蔵人、検非違使など

   格式の編纂

    三代格式

     弘仁格式…藤原冬嗣ら(嵯峨朝(820))

     貞観格式…藤原氏宗ら(清和朝、格(869)式(871))

     延喜格式…藤原時平ら(醍醐朝、格(907)式(927))

    類聚三代格…11世紀頃成立

    『令義解』…養老令の官撰注釈書、清原夏野ら(淳和朝(833))

    『令集解』…令の解釈を紹介、私撰、惟宗直本(9世紀後半)

 

・平安仏教と密教芸術

  平安仏教――密教…加持祈祷

   最澄(伝教大師、804〜805入唐)…比叡山に延暦寺を開く→天台宗

   円仁(慈覚大師、838〜847入唐)…天台宗の密教化(台密)。のちに末流が寺門派に対抗し山門派形成

   円珍(智証大師、853〜858入唐)…のちに末流が円仁派と争い寺門派を形成

   空海(弘法大師、804〜806入唐)…高野山に金剛峰寺を開く→真言宗東密

                    京の教王護国寺(東寺)を嵯峨天皇から与えられる

   その他修験道神仏習合

  密教芸術

   室生寺五重塔

   観心寺如意輪観音像

   神護寺薬師如来像――一木造(一木彫)

   神護寺両界曼荼羅

   園城寺不動明王像(黄不動)

 

・弘仁・貞観文化

  大学別曹…大学に学ぶ子弟の寄宿施設

   弘文院(和気氏)、勧学院(藤原氏)、学館院(橘氏)、奨学院(在原氏・王氏)

  綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)…空海が庶民教育のために設置(828)、死後廃絶

  勅撰漢詩文集

   『凌雲集』(814)…最初の勅撰漢詩文集

   『文華秀麗集』(818)…嵯峨天皇自ら撰定

   『経国集』(827)

  三筆…唐風の力強い筆蹟を特色とする3人の能筆家(嵯峨天皇・空海・橘逸勢)

 


1−9.摂関政治

・藤原北家の台頭

  藤原冬嗣…蔵人頭。娘の順子が仁明天皇に嫁いで、道康親王(→文徳天皇)を生む

  藤原良房…外戚(清和天皇(第56代858〜876))の外祖父)として権力を握り、実質的に摂政の任につく(858)→正式に任命(866)

   承和の変842)…伴健岑・橘逸勢ら謀反の罪で流罪、恒貞親王(皇太子)廃太子→道康親王立太子

   応天門の変(866)…大納言伴善男、応天門に放火→伊豆流罪

  藤原基経…光孝天皇擁立の際、実質上の関白となる(884)→正式に任命(887)

 

・天皇親政――延喜・天暦の治

  宇多天皇(第59代887〜897)…藤原基経死後(891)、親政。菅原道真登用

  醍醐天皇(第60代897〜930)…左大臣藤原時平の讒言で右大臣菅原道真左遷(901)

                  延喜の荘園整理令(902)

                  『日本三代実録』・『延喜格式』・『古今和歌集』編集

  村上天皇(第62代946〜967)…乾元大宝鋳造(最後の皇朝十二銭)

 

摂関政治――摂関家…藤原北家が独占→鎌倉期に五摂家に分かれる

  藤原実頼…安和の変969)で左大臣源高明を失脚させる→藤原氏全盛で以後摂関常置

  藤原道長4人の娘を一条天皇・三条天皇・後一条天皇・後朱雀天皇の后とし、後一条・後朱雀・後冷泉の三代の外戚として権勢を振るう(995頃〜1027)→摂関政治の全盛期

  藤原頼通…後一条・後朱雀・後冷泉の三代の摂政・関白(〜1067)。宇治平等院鳳凰堂を建立(1053)

 

・地方政治の混乱

  口分田廃止→国衙が名田として掌握――名田の耕作と納税の責任をおった農民…田堵

  遙任…国司が任国に赴任せず、代官を派遣してその利益を得ること。また任国に赴任した国司(受領)も貪欲に収奪し、富裕化して土着したものも多い

  売位売官…成功(じょうごう)――一定の財を朝廷や摂関家の儀式・造寺費として納めて、官職を得ること

       重任(ちょうにん)――一定の財を納めて同一の国司などに再任されること。土着化の要因

  尾張国郡司百姓等解文…悪政を31か条にわたって書き上げ、国司藤原元命の罷免要求→のちに国司解任

 

・東アジア世界の変動

  遣唐使停止(894)…菅原道真が唐の疲弊と航路の危険などを理由に派遣停止を建議して決定

  960〜1279)…唐滅亡(907)後、五代の争乱を鎮めて中国統一

  高麗918〜1392)…新羅にかわり朝鮮半島統一(936)

  契丹(916〜1125)…渤海にかわり東部モンゴル〜沿海州地方を統合

  刀伊の入寇1019)…沿海州の女真族が対馬・壱岐・博多地方に侵攻→大宰権帥藤原隆家ら武士を率い撃退

 


1−10.国風文化

・国風文化――唐風文化消化+遣唐使停止→日本風文化発生。仮名(かな)文字発達、貴族文化、浄土教流行が特色

  文学

   『古今和歌集』905)…最初の勅撰和歌集、紀貫之ら編纂

   『竹取物語』9世紀末〜10世紀初め)…伝奇物語

   『伊勢物語』10世紀前半)…在原業平の恋愛談を中心とする歌物語

   『源氏物語』11世紀初め)紫式部の大長編小説

   『枕草子』清少納言の随筆集

   『土佐日記』935頃)…最初の仮名日記。作者は紀貫之

   『蜻蛉日記』(974〜995)…作者は右大将藤原道綱の母

   『紫式部日記』…随筆風

  宗教

   浄土教…阿弥陀仏の西方極楽浄土信仰

    末法思想の流行→念仏を唱え、極楽往生を願う――「南無阿弥陀仏」

    空也…諸国を遊行し、念仏の功徳を庶民層へ布教――六波羅蜜寺「空也上人像」

    源信(恵心僧都)…『往生要集』を著す

   陰陽道の隆盛――物忌方違

  美術

   定朝寄木造(よせぎづくり)の手法を完成――「平等院鳳凰堂阿弥陀如来像」

   三蹟…かな及び草体の流麗・優美な和風能書家

    小野道風…小野篁の孫

    藤原佐理…藤原実頼の孫

    藤原行成…世尊寺流の祖

   大和絵…日本的風物を主題にした絵画

   来迎図…極楽浄土から阿弥陀仏が往生を願う人を迎えに来る様が描かれる

   蒔絵…漆工芸の一種

   寝殿造…貴族の住宅。間仕切りに屏風などを用いる

    平等院鳳凰堂1053年建立。藤原頼通の宇治別荘を阿弥陀堂にしたもの

  生活

   衣冠・束帯…公卿の礼服・参朝服。衣冠は略式のもの

   女房装束(十二単)…女官の正装

   小袖…貴族の下着、庶民の衣服