第94回 例会 3月29日(月) 会場:一閣

例会日:毎週火曜日 例会場:JA横浜上永谷支所 会長:吉田保行 幹事:松井住仁

会長報告
報告致します。どうぞ食べながらで結構ですから・・・。本日は、卓話と言うか・・お話を頂く日浦先生に45分の時間でお願いしてありますので、報告等は短めにさせていただきます。先日夜間例会の時に少しお話しました南陵RCの20周年のプログラムを持ってきましたのでご覧ください。米山の功労者とファンドフェロウの賞品が届いております。時間があれば後ほどお渡ししたいと思います。
幹事報告
金沢東RC(4月3日午後6時集合・野島バーベキューガーデン)と横浜RC(平成11年4月6日午後5時30分より)から例会変更の通知が届いております。

song  佐々部宣宏 君

 

SAA 橋下賢明 君

 
卓話  「人は人の中に生きて、その存在は輝きます」 朋施設長 日浦美智江 氏

日浦でございます。お配り頂きました講師紹介の文に載っております私の写真は、5〜6年前に広島で新聞記者の方が撮ってくださいましたもので、もうこれを使うと詐欺だと言われている写真です。(笑い)
私がその写真を使うと私の息子などは、年齢にあった写真を使えと言っております。今日は時間が短いものですので、スライドを映しながらお話したいと思います。
傷害という言葉は皆様はいつもお聞きになっていらっしゃるかと思うのですが、傷害にも様々あります。手が悪い足が悪い、それから知的な傷害、言葉が出ない、内部疾患では心臓だとか、いろんなハンデを持っている方は沢山いらしゃいますが、私の所は・・通所です。家庭から通ってくるという形態なのですが、みんな擁護学校を卒業した後通ってきております。今48名いますけれども、重度重複障害者と言います。傷害が重くて、更に重なって、ですから身体的にも厳しい、そして知的にも厳しいということで、私ども今、48名のみんながいますけれども歩ける人は数人です。それも誰かがついていないと危ないということです。それから、言語、私の喋っているような言語を持っている人は一人もいません。それぐらい重い障害の方々です。
スライドを映しながら、説明を続けさせていただきます。これは、懐かしいなあと言っていらっしゃる方もいらっしゃいますが、もう、こういう校舎はありません。横浜市は傷害の重い方々への教育が大変進んでおります。昭和47年に、どんなに重い障害のある人でも学校へ出ていらっしゃいということを、横浜市はやりました。全国的に国のレベルでやられたのが昭和54年ですから、随分前にそういう試みをしております。第一号が南区にあります市大病院の川を隔てて、反対側なんですけれどね、あります中村小学校と言います。そこで、こういう学校の一教室を改造しまして、それからプレハブを建てまして、ほんとうに小さな小さな一年生があがってきました。抱こうと思うと首が据わっていなかったり、お弁当持ってきてと言ったら哺乳瓶でもってらっしゃって、もう学校へあがったのだらか哺乳瓶やめようよと言ったら、お母さんが、それじゃあ学校の方をやめます。哺乳瓶をとっちゅうとこの子は死んでしまいますというようなことがおこったりとか、教師も家族も、本人たちも、とまどいながら学校生活が始まったのが昭和47年です。そかは一般校と併設されていますので、こうしてみんな遊びにきてたんです。今、こういった学校が欲しいなあと私は思うんですけど、横浜はこういう学校を4つ持っております。東俣野、それから新治小学校、北松間小学校、それから中村小学校(以下省略)